44の影
「それで、どうなさいますか?」
ゴゴ郎が不気味な笑みを浮かべながら、オフィスの片隅で私たちを見つめていた。先週の異世界通信の騒動から一週間。彼の態度が再び変わっていた。
「何がどうって?」
私はできるだけ平静を装った。
「クレーム問題ですよ」
ゴゴ郎は声を潜めて言った。「あなたたちの会社が異世界転移の研究をしているという事実を、私のクライアントに伝えるべきか否か…」
花子が私の横で息を呑んだ。
「まさか脅してるの?」
「脅迫なんて大それた」ゴゴ郎は両手を広げた。「ビジネスの交渉ですよ。私はただ、真実を知る権利を主張しているだけです」
「で、何が欲しいんですか?」
私の質問にゴゴ郎は顔を近づけてきた。
「PCにあった時空転移プロトコルのコピーです。クレームは取り下げますから」
その瞬間、花子が彼の胸ぐらを掴んだ。
「あんた、何様のつもり?」
「元・勇者様に掴まれるとは光栄ですね」
ゴゴ郎はまったく動じない。「でも、その腕力も今は平凡なOLのものでしょう?」
花子の手が震えた。確かに彼女は今や普通の会社員だ。勇者としての力は、この世界では使えない。
「どうするの、透くん?」
私は頭を抱えた。部長の秘密を守るべきか、それともゴゴ郎の要求に応じるべきか。
「考える時間をあげましょう。明日の朝までに」
そう言い残して、ゴゴ郎は自分のデスクに戻っていった。
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「どうしましょう、部長に言うべきでしょうか?」
昼休み、私たちは屋上で相談していた。
「言えないよ」花子は首を横に振った。「部長、最近やっと『滅びよ人間!』って言わなくなったところなのに」
「確かに…」
間苧谷部長は、最近ようやく魔王としての癖が薄れてきたところだった。この問題で刺激すれば、また暴走するかもしれない。
「でも、黙っているわけにも…」
「44…」
突然、花子が呟いた。
「何?」
「ゴゴ郎がよく言ってた『44』って数字。『世界よ、融合せよ』の略だって言ってたけど…」
「それが?」
「実は異世界では、44は『死』を意味する不吉な数字なの」
私は驚いて花子を見つめた。
「つまり、彼の言ってた『44…終わりの始まり』は…」
「世界の融合が、実は終わりを意味するのかもしれない」
花子の目は真剣だった。
「部長は本当に世界の共存を望んでるの?それとも…」
言葉を濁す花子。その先にある可能性は、考えたくなかった。
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午後のオフィスは異様な静けさに包まれていた。表面上は通常業務が続いているが、私たちの間には見えない緊張が走っていた。
「粘田くん、ちょっといいか」
突然、部長が声をかけてきた。心臓が跳ね上がる。
「は、はい」
部長室に入ると、意外なことに部長は穏やかな表情をしていた。
「昨日の件だが、気にするな」
「え?」
「ゴゴ郎のことだ。彼の要求は無視していい」
私は驚いた。「ご存じだったんですか?」
「この会社で起きることは全て把握している」部長は窓の外を見つめた。「それに、彼にコピーを渡しても意味はない」
「どういうことですか?」
「あのファイルは偽物だ。本物は…」
部長は急に言葉を切った。その目が一瞬、赤く光ったような気がした。
「本物は?」
「知る必要はない」
部長の声が低く響いた。「ただ、お前を信頼しているからこそ教えるが、私の目的は決して破壊ではない」
「では?」
「新たな秩序の創造だ」
その言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。魔王としての部長が顔を覗かせた瞬間だった。
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「部長が何か隠してる」
会社帰り、私は花子に部長室での会話を伝えた。
「やっぱり」彼女は頷いた。「でも、どうする?ゴゴ郎の要求は?」
「偽物のファイルなら渡してもいいんじゃない?」
「でも、それって部長への裏切りにならない?」
私たちは小さな居酒屋で頭を抱えていた。そこへ、思いがけない人物が現れた。
「悩んでるみたいだね」
振り返ると、小振田緑朗が立っていた。コンビニの制服姿のままだ。
「緑朗さん!」
「偶然通りかかったんだ。話、聞こうか?」
私たちは状況を説明した。緑朗は真剣に聞き入り、時折頷いていた。
「44か…」彼はグラスを回しながら言った。「あの数字には別の意味もあるんだ」
「別の意味?」
「異世界では、44は『新生』も意味する。死と再生、終わりと始まり。コインの裏表みたいなもんさ」
「つまり?」
「部長の言う『新たな秩序』が、破壊を伴うものなのか、純粋な創造なのか…それが問題だ」
花子が身を乗り出した。「あなたはどう思う?」
緑朗はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「俺はね、信じたいんだ。異世界と人間界が本当に共存できるって」
彼の言葉には重みがあった。元ゴブリンとして、両方の世界を知る者の言葉だ。
「でも、部長の本当の意図は…」
「それを確かめるのが、君たちの役目じゃないかな」
緑朗は立ち上がった。「俺はコンビニ店員として、ここで頑張るよ。君たちは会社で真実を探してくれ」
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翌朝、私はゴゴ郎のデスクに向かった。
「決心がついたようですね」
彼は薄笑いを浮かべた。
「ファイルを渡します。代わりに、クレームは完全に取り下げてください」
「もちろん」
USBメモリを渡すと、ゴゴ郎は満足げに頷いた。
「賢明な判断です」
彼が席を立った瞬間、花子が近づいてきた。
「本当にいいの?」
「ああ」私は静かに答えた。「あれは部長の言う通り偽物だ。でも…」
「でも?」
「本物を探す旅が、これから始まるんだ」
私たちの視線が交差した。そこには決意と不安が混在していた。
オフィスの窓から差し込む朝日が、新たな一日の始まりを告げていた。部長の真意、44の謎、そして世界の行方。すべてはまだ闇の中だ。
だが一つだけ確かなことがある。私たちはもう、ただのサラリーマンではない。異世界と現代をつなぐ鍵を握る者たちなのだ。
スライムから人間に転生した私の新たな使命が、ここにある。