表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/289

混沌の試合開始

月曜日の朝、いつものように会社に向かう途中、なぜか町全体が妙な空気に包まれていた。


「何か変だな…」


通勤電車の中、サラリーマンたちの目つきがいつもより鋭い。スマホを見る指の動きも、コーヒーを飲む仕草も、どこか戦闘態勢のようだ。


会社に着くと、受付のお姉さんまでが「今日は生き残ってくださいね」と不吉な言葉をかけてきた。


エレベーターに乗り込むと、すでに中にいた先輩が壁に背を預けていた。


「おはようございます」


「ああ、粘田か。今日は気をつけろよ」


「何かあるんですか?」


「知らないのか?今日から始まるんだぞ、あの試合が」


エレベーターのドアが開くと同時に、フロアから異様な熱気が押し寄せてきた。


オフィスに一歩足を踏み入れた瞬間、視界に飛び込んできたのは、デスクの上に立ち、両腕を広げて雄たけびを上げる巨漢の姿だった。


「うぉぉぉぉぉ!力こそパワーーーッ!」


見たこともない男性社員が、なぜかプロレスラーのようなポーズを取っている。筋肉質の体に、派手な柄のネクタイ。背広の上着は脱ぎ捨てられ、ワイシャツの袖はまくり上げられていた。


「あれは…誰ですか?」


「新しく転属してきた雑賀。元・魔界のトッププロレスラーらしい」


「魔界の…プロレスラー?」


言葉を発した瞬間、雑賀と名乗る男の目が私に向けられた。


「おや?新しいカモが来たようだな!」


彼は机から飛び降り、驚異的なスピードで私の前に立ちはだかった。


「君、スライム臭がするな!」


「え?そんなことないですよ」


慌てて否定したが、雑賀は高らかに笑った。


「隠すな!この雑賀様の鼻は誤魔化せんぞ!さあ、勝負だ!」


「え?いや、僕はただの営業職で…」


言い終わる前に、雑賀の巨体が宙を舞った。


「魔界必殺技!地獄のエルボードロップ!」


「ひぃっ!」


反射的に体が溶け、床にぺたりと広がる。雑賀の肘が床を強打し、オフィス中に衝撃波が走った。


「うぐっ…さすがスライム、柔軟な回避だ…」


痛みに顔をゆがめる雑賀。周囲の社員たちは呆然と見つめている。


慌てて人型に戻りながら、「す、すみません!反射的に…」と謝ろうとした瞬間。


「素晴らしい!」


間苧谷部長の声が轟いた。会議室のドアが勢いよく開き、部長が両手を広げて現れた。


「これぞ真の闘志!雑賀よ、よく見せてくれた!」


「部長、これは一体…」


「粘田!今日から我が社は新たな時代に突入する!」


部長の目が赤く輝いている。完全に魔王モードだ。


「本日より、社内カースト決定トーナメントを開催する!」


「カースト…トーナメント?」


「そう!力と知恵を競い合い、真の上下関係を確立するのだ!勝者には栄光を!敗者には…くくく…」


部長の不気味な笑いに、オフィス中が凍りついた。


「具体的には…どういう…」


「簡単だ!各部署から代表者を選出し、様々な競技で勝敗を決める。優勝部署には特別ボーナス!最下位部署は…」


部長は意味深に言葉を切った。


「残業地獄だ!」


社員たちから悲鳴が上がる。


「それに個人戦もある!最強の社員には『魔王の右腕』の称号を与える!」


「いや、それただの部長のお気に入りじゃないですか」


誰かがつぶやいた。


「黙れ!滅びよ人間!」


部長の雄叫びに、異議を唱えた社員は沈黙した。


「さあ、各部署は代表者を選出せよ!一時間後に第一試合を開始する!」


部長の宣言とともに、オフィスは騒然となった。


---


営業部のデスクに集まった私たちは、困惑の表情を浮かべていた。


「まさか本当にやるとは…」

「部長、最近魔王感増してるよね…」

「誰が出るの?私はパソコン壊しそうで…」


花子さんが心配そうに言った。元勇者なのに、現代の機械には弱い。


「粘田さん、どうしましょう?」


「え?なんで僕に聞くんですか?」


「だって準備委員じゃないですか」


そうだった。スポーツ大会の準備委員に選ばれていたことをすっかり忘れていた。


「いや、これはスポーツ大会とは別物で…」


「粘田くーん!」


振り返ると、小振田がコンビニの制服姿で立っていた。


「小振田さん?なんでここに?」


「今日から臨時社員として雇われたんだ!」


「は?」


「部長が『魔物の知恵も必要だ』って。時給3000円だぜ!」


小振田は嬉しそうに笑った。元ゴブリンの彼にとっては破格の待遇だろう。


「で、この試合、出るの?」


「いや、僕はパスで…」


「そうはいかないぞ、粘田くん」


間苧谷部長が背後から声をかけてきた。いつの間に?


「君は営業部代表として出場してもらう」


「なぜ僕が!?」


「スライムの特性を活かせば、無敵だろう?」


「それは反則じゃ…」


「反則?くくく…このトーナメントに反則などない!」


部長の笑い声が響く中、私の運命は決まってしまった。


---


会議室が即席の闘技場に変貌していた。机や椅子は壁際に寄せられ、中央にはテープで四角い枠が作られている。


「第一試合!営業部 粘田 対 経理部 鈴木!」


アナウンスは総務部の笹原が担当していた。彼女も何故か猫耳カチューシャをつけている。


「ちょ、ちょっと待ってください!僕、何をすればいいんですか?」


「簡単だ」部長が説明する。「相手を枠の外に出すか、ギブアップさせれば勝ちだ」


「格闘技ですか!?」


「何を使っても良い。魔法も、特殊能力も、事務用品も!」


対戦相手の鈴木さんは、眼鏡をかけた真面目そうな経理マンだ。しかし、今や彼の手にはホッチキスが握られている。


「すみません、粘田さん。私も命令なので…」


「わかります…お互い手加減しましょう」


「始めッ!」


笹原の合図で、鈴木さんが動いた。


「経理部秘技!領収書ストーム!」


彼が投げたのは、無数の領収書。紙切れが嵐のように私に襲いかかる。


「なっ…!」


反射的に体を平たくして、紙の雨をかわす。


「流石スライム!では次は…決算報告バインダーアタック!」


分厚いバインダーが飛んできた。これは避けられない!


「うわあっ!」


咄嗟に体を液状化し、バインダーを吸収。しかし重みで動きが鈍くなる。


「これで動きを封じました!とどめです!電卓百連打!」


「そんな技あるの!?」


鈴木さんの指が電卓のボタンを猛烈な速さで叩き始めた。なぜかその度に衝撃波が生まれ、私の体を揺さぶる。


「くっ…このままじゃ…」


思い切って体の一部を犠牲にし、バインダーを吐き出す。


「えい!」


バインダーが床を滑り、鈴木さんの足元に到達。彼が一瞬バランスを崩した隙に、床を伝って彼の足に張り付いた。


「な、何をする気…うわっ!」


鈴木さんの足を引っ張り、枠の外へ。


「勝者、営業部 粘田!」


周囲から歓声が上がった。


「やりました粘田さん!」花子さんが駆け寄ってくる。


「いや、こんなの本当におかしいですよ…」


「次の試合!総務部 山田 対 開発部 佐藤!」


試合は続いていく。山田さんは謎の忍術を使い、佐藤さんはプログラミングコードで幻影を作り出す。もはや普通の会社ではない。


休憩時間、水を飲みながら呆然としていると、雑賀が近づいてきた。


「いい試合だったぞ、スライム野郎」


「あの、雑賀さんは…」


「俺か?魔界最強のレスラー、デスマウンテン・雑賀だ。人間界に来て退屈していたところを、魔王…じゃなかった、間苧谷部長に見出されてな」


「そうだったんですか…」


「お前も中々やるな。次は俺と当たるかもしれんぞ。その時は覚悟しろよ!」


雑賀は豪快に笑うと、肩を叩いてどこかへ行ってしまった。


叩かれた衝撃で、私の肩が少し溶けた。


---


「皆の者、初日の試合はここまでだ!」


部長が宣言した。予選らしき試合が終わり、トーナメント表が完成していた。


「明日からは本戦だ!今日の勝者たちは準備せよ!」


疲れ切った社員たちは、ぼんやりと頷いている。


「粘田くん、よかったね」


花子さんが隣に座った。


「花子さんも勝ったんですよね?」


「うん。でも勇者の力を使っちゃったから、ちょっと反則かも…」


「このトーナメントに反則はないそうですよ」


二人で苦笑いする。


「でも不思議ですね。みんな隠し持ってた力を出し始めて…」


「そうね。私も久しぶりに剣を握った気分だったわ」


「剣?花子さん、本当に剣を?」


「ああ、ホチキスをね」


なんとなく理解できた。


帰り際、小振田が声をかけてきた。


「粘田、明日も頑張れよ」


「小振田さんは出ないんですか?」


「俺?臨時社員だからトーナメントには出られないんだ。代わりに実況の手伝いをするよ」


「そうですか…」


「それより、これ」


小振田が差し出したのは、青く光るドリンク。


「元気が出るぞ。ゴブリン族の秘薬だ」


「あ、ありがとう…」


受け取ったものの、飲む勇気はない。


---


アパートに帰り、ベッドに倒れ込む。今日は何だったのか。なぜ急に社内がバトルロイヤルのようになったのか。


しかし不思議なことに、恐怖よりも、どこか懐かしい感覚が胸を満たしていた。


スライムだった頃、弱くて逃げ回るだけの日々。それが人間になって、こんな形で戦うことになるとは。


「明日はどうなるんだろう…」


天井を見上げながら呟いた瞬間、体が浮き上がり、天井にぺたりとくっついた。


「あー、またか…」


緊張すると、つい元の習性が出てしまう。


天井から見下ろす部屋は、いつもと同じなのに、何もかもが変わってしまったように感じた。


明日からの試合。魔界のプロレスラー。部長の企み。


そして、自分の中に眠る、スライムとしての本能。


「まあいいか。やるだけやってみよう」


そう決意した瞬間、体がぽとりと落ちた。


床に広がった自分を集めながら、なぜか少し笑みがこぼれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ