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混沌に染まる境界

会議室の空気は凍り付いていた。


「クレーム対応の詳細を教えてください」


透が恐る恐る尋ねると、会議室にいた全員が一斉に目を伏せた。誰一人として答える者はなく、ただ重苦しい沈黙だけが漂う。


「あの…龍崎さんって、どんな方なんですか?」


花子が明るい声で質問を投げかけても、反応は同じだった。むしろ、さらに緊張が高まったように感じる。


間苧谷部長がゆっくりと立ち上がった。彼の顔には普段見せない緊張の色が浮かんでいる。


「龍崎氏についての情報は…極秘事項だ」


「でも対応するのに情報がないと…」


「黙れ!」


部長の怒声に透は思わず壁に張り付きそうになった。スライムの習性が出そうになるのを必死で抑える。


「とにかく明日は…最悪の事態を想定しろ」


部長の言葉は不吉だった。会議はそれ以上進まず、ただ資料の確認と準備だけで終わった。


---


帰り際、透は花子と廊下で話していた。


「なんだか妙だね。龍崎さんって一体…」


その時、突然背後から冷たい気配を感じた。振り返ると、黙岩井ゴゴ郎がすぐ後ろに立っていた。いつの間にか近づいていたのだろう。


「ひっ!」


透は思わず小さな悲鳴を上げた。黙岩井は無表情のまま、透と花子を見つめている。


「あの…何か?」


花子が声をかけると、黙岩井はゆっくりと口を開いた。


「44…それは終わりの始まり」


再び意味不明な言葉を残し、黙岩井は廊下の暗がりへと消えていった。


「な、何なのよあの人…」


花子の声は震えていた。透も同じく、背筋に冷たいものを感じていた。


「帰ろう。明日に備えないと」


二人は急いでオフィスを後にした。


---


翌朝、透は不安を抱えながらオフィスに向かった。電車の中でも、黙岩井の言葉が頭から離れない。


「44…終わりの始まり…」


オフィスに着くと、異様な緊張感が漂っていた。社員たちは皆、普段より静かで、目を合わせようとしない。


「おはよう…」


透が声をかけても、小さくうなずくだけで誰も言葉を返さない。


そして午前10時、エレベーターの到着を告げるベルが鳴った。


「来た…」


誰かがつぶやいた声に、オフィス全体が凍りついた。


エレベーターのドアが開き、そこから現れたのは…


「あれ?」


透は目を疑った。龍崎という人物は、想像していたような恐ろしい風貌ではなく、むしろ平凡な中年男性だった。しかし、彼の後ろには黙岩井ゴゴ郎の姿があった。


「おはようございます、龍崎様」


間苧谷部長が深々と頭を下げる。他の社員たちも一斉に頭を下げた。透と花子も慌てて従った。


「うむ」


龍崎はそれだけ言うと、会議室へと向かった。全員がその後に続く。


会議室に入ると、龍崎は上座に座り、黙岩井はその後ろに立った。二人の存在感が部屋全体を支配している。


「では、始めましょうか」


龍崎の声は穏やかだったが、その目には鋭い光があった。


「先日の納品物について、説明を求めます」


透たちの部署が担当した新製品の説明が始まった。部長が流暢に説明を続ける中、透は黙岩井の存在が気になって仕方なかった。彼はただ立っているだけなのに、なぜか圧倒的な威圧感を放っていた。


そして突然、龍崎が手を上げた。


「待て」


部長の説明が止まる。


「この製品、問題があるな」


龍崎の一言で、会議室の空気が凍りついた。


「どのような…」


「説明するまでもない。改善案を出せ」


その厳しい言葉に、部長の顔が青ざめた。そして、予想外のことが起きた。


部長が立ち上がり、グラスに注がれた水を手に取った。


「では、改めて」


部長の目が赤く光った。


「滅びよ人間!」


突然の乾杯の掛け声に、透は驚いて椅子から転げ落ちそうになった。しかし、さらに驚くべきことに、龍崎は笑顔でグラスを持ち上げた。


「滅びよ!」


二人が乾杯した瞬間、会議室に奇妙な波動が走った。透には見えた。空気が歪み、一瞬だけ異世界の景色が重なったような錯覚。


「な、何が…」


花子が小声で呟いた時、黙岩井が一歩前に出た。


「44…時は満ちた」


彼の姿がゆらめき、人間の形から別の何かへと変わりかけたように見えた。龍崎も同様に、その姿が揺らいでいる。


「透くん、危ない!」


花子が透の前に立ちはだかった。その目には、かつて勇者だった頃の光が宿っている。


「黙岩井さん、あなたは何者なの?」


花子の声は震えていたが、強い意志が感じられた。


黙岩井はゆっくりと口を開いた。


「我々は…」


その言葉を遮るように、突然会議室のドアが開いた。


「おはようございまーす!」


明るい声とともに入ってきたのは、コンビニ店員の制服を着た小振田緑朗だった。


「ああ、間に合った!コーヒーとお菓子、持ってきましたよ!」


小振田は笑顔でトレイを持ち込み、テーブルに並べ始めた。その姿を見て、黙岩井の表情が変わった。


「お前は…」


「あら、ゴブ…じゃなかった、黙岩井さん!お久しぶり!」


小振田の明るい声に、会議室の緊張が一瞬で崩れた。


龍崎が立ち上がり、小振田に向かって頭を下げた。


「小振田さん、いつもありがとうございます」


透は状況が理解できなかった。先ほどまでの緊張感はどこへ行ったのか。


「あの…何が…」


透が混乱していると、部長が小声で説明した。


「小振田は元ゴブリンだ。異世界では最強の接客スキルを持つ伝説の存在だった」


「え?」


「龍崎氏も黙岩井も彼のファンなんだ。だから今日は彼に来てもらった」


透は頭を抱えた。結局、この緊張感の正体は何だったのか。クレームではなく、単なるファンミーティングだったのか。


「でも、あの44って…」


「ああ、それは『よんよん』と読むんだ。『世界よ、よみがえれ』の略さ。黙岩井の口癖だよ」


透はますます混乱した。しかし、会議室の空気は和やかになり、龍崎と黙岩井は小振田を囲んで楽しそうに話している。


花子が透の耳元でささやいた。


「透くん、この会社、やっぱり普通じゃないね」


透は疲れた表情で頷いた。スライムから人間に転生したことが、最も普通なことに思えてきた。


会議室の窓から差し込む光の中、透は考えた。

この混沌とした境界の中で、自分はどう生きていくのか。


そして、黙岩井と龍崎が小振田と話す姿を見ながら、透は確信した。

この先もきっと、予想外の展開が待っているのだろう。

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