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VIPクレーム対応ミーティング

壁にぴったりと張り付いていた粘田透は、部長の間苧谷京一が廊下を猛スピードで駆け抜ける姿を目撃した。その足音は、普通の人間のものとは思えないほど軽やかで、まるで床に触れていないかのようだった。


「あれ?部長、どうしたんですか?」


透が声をかけたが、間苧谷部長は既に曲がり角を曲がってしまっていた。しばらくすると、社内放送が鳴り響いた。


「緊急ミーティングを開催する!全員、直ちに大会議室に集合せよ!遅刻した者には天罰が下る!」


部長の声には、いつもより強い魔王の気配が漂っていた。透は壁からゆっくりと身体を引き剥がし、会議室へと向かった。


---


大会議室は既に社員たちでごった返していた。透が入ると、勇田花子が手を振って呼びかけてきた。


「透くん、こっちこっち!席取ってあるよ!」


透は花子の隣に座り、小声で尋ねた。「何があったの?」


「わかんない」花子は首を傾げた。「でも、部長の顔色が真っ青だったって。まるで異世界の死霊術師に魂を抜かれたみたいな顔で」


「具体的すぎるたとえだな…」


その時、会議室のドアが勢いよく開き、間苧谷部長が入ってきた。彼の背後には、コンビニ店員の制服を着た小振田緑朗の姿もあった。


「小振田さんまで呼ばれたの?」透は驚いた。


「俺も詳しいことは知らないっす」小振田は肩をすくめた。「部長が店に突然現れて、『お前の知恵が必要だ』って言うから」


間苧谷部長は壇上に立ち、会議室の照明が一瞬だけ暗くなった。部長の目が赤く光り、声が響き渡る。


「滅びよ人間!…じゃなかった。皆、聞いてくれ。我が社に未曾有の危機が迫っている!」


会議室内に緊張が走った。部長は大型スクリーンを指差し、プロジェクターが点灯した。そこには「VIPクレーマー対応緊急マニュアル」という文字が浮かび上がっていた。


「明日、我が社に超VIPクレーマーが来社する。彼の名は…」


部長は一瞬言葉を詰まらせ、額に汗を浮かべた。


「龍崎財閥の当主、龍崎竜司だ」


会議室内に悲鳴にも似た声が上がった。龍崎財閥は日本有数の企業グループで、その当主は気まぐれな怒りで企業を潰すことで有名だった。


「何故そんな人が…」透が呟くと、部長は暗い表情で答えた。


「先日納品した製品に不具合があったらしい。龍崎氏は『責任者の首を持って説明しろ』と言っているそうだ」


「比喩…ですよね?」花子が恐る恐る尋ねた。


「さあな」部長の表情は暗いままだった。「異世界では文字通りの意味だったがな」


透は背筋に冷たいものを感じた。スライム時代の記憶が蘇る。かつて自分も魔王の怒りを買い、文字通り体を真っ二つにされた経験があった。


「で、どうするんですか?」透は尋ねた。


「対策を練るんだ」部長は力強く言った。「龍崎氏を怒らせず、無事に帰ってもらわねばならない」


「具体的には?」


「まず、接客のプロフェッショナルである小振田くんの意見を聞こう」


小振田は立ち上がり、咳払いをした。彼の姿勢が一瞬で変わり、まるでコンビニの模範店員のような佇まいになった。


「クレーマー対応の基本は三つっす。一つ、相手の話をしっかり聞く。二つ、謝罪は素早く、具体的に。三つ、解決策を複数提示する」


小振田の話し方は明確で、会議室内の社員たちはメモを取り始めた。


「ゴブリン族の中でも、私は交渉の専門家だったっす。人間の怒りなんて、溶岩竜の噴火に比べれば可愛いものっす」


「ゴブリンだったんだ…」透は小さく呟いた。確かに彼の耳は少し尖っていた。


「次に、勇者としての経験がある花子さんの意見も聞こう」部長が言った。


花子は立ち上がり、突然姿勢を正した。彼女の目に強い光が宿る。


「ドラゴンを倒すときと同じです!」花子の声が会議室に響き渡った。「まず、相手の弱点を見極める。次に、正確なタイミングで攻撃…じゃなくて、対応する。そして最後に、決め手となる一撃…つまり解決策を提示するんです!」


社員たちは半分感心し、半分困惑した表情を浮かべていた。


「花子さん、これはバトルじゃないよ…」透が小声で指摘すると、花子は恥ずかしそうに笑った。


「あ、ごめん。でも基本は同じだよ。相手を理解して、適切なタイミングで適切な対応をすること」


部長は満足そうに頷いた。「よし、では最後に…粘田くん」


突然指名された透は、椅子から滑り落ちそうになった。


「え?僕ですか?」


「そうだ」部長は真剣な表情で言った。「君はスライムだった。柔軟性と適応力に長けている。龍崎氏の要求に合わせて形を変えられるのは君しかいない」


透は困惑した。「でも僕、営業としてはまだ新人ですし…」


「いいんだ」部長は微笑んだ。「君には特別な才能がある。壁にくっつく才能だ」


会議室内に笑いが起きた。透は顔を赤らめたが、部長は真剣な表情のままだった。


「冗談ではない。君の"くっつく能力"は、実は人間関係構築の才能の現れなんだ。龍崎氏にも"くっついて"いけ」


「それって…取り入るってことですか?」


「そうだ」部長は力強く頷いた。「しかし、ただのごますりではない。相手の心に寄り添い、理解し、共感する。それがスライムの真髄だ」


透は考え込んだ。確かに、スライム時代の自分は周囲の環境に合わせて生きてきた。それは単なる優柔不断ではなく、適応力だったのかもしれない。


「わかりました」透は決意を固めた。「やってみます」


部長は満足そうに頷き、会議室内の照明が一瞬明るくなった。


「よし、では作戦会議に入ろう」


---


作戦会議は深夜まで続いた。透たちは龍崎氏の好みや趣味、過去の言動までを徹底的に調査し、あらゆる状況を想定した対応策を練った。


「龍崎氏は赤ワインが好きだが、2015年以前のものしか飲まない」

「話すときは必ず目を見ること。目を逸らすと不誠実と思われる」

「決して時計を見てはならない。時間を気にしていると思われる」


小振田のアドバイスは細部まで行き届いていた。花子も異世界での経験を活かし、「相手の怒りの引き金になりそうな言葉」のリストを作成した。


「"できません"は絶対NGです。代わりに"別の方法で対応させていただきます"と言いましょう」


透は黙々とメモを取りながら、自分の役割を考えていた。スライムとしての柔軟性をどう活かせばいいのか。


会議が終わりに近づいたとき、部長が立ち上がった。


「最後に一つ」部長の表情が真剣になった。「龍崎氏には秘密がある。彼もまた…異世界からの来訪者かもしれないのだ」


会議室内が静まり返った。


「どういうことですか?」透は息を呑んで尋ねた。


「情報筋によると、龍崎氏は時折、人間離れした能力を見せるという。そして…」


部長は声を落とした。


「彼の怒りを買った企業の社長が、文字通り"蒸発"したという噂もある」


「ま、まさか…」花子が震える声で言った。


「だからこそ、我々異世界組が前面に出る必要がある」部長は力強く言った。「明日は我々の真価が問われる日だ。準備は万全にしておけ!」


部長の目が再び赤く光り、会議室の電気が一瞬だけ点滅した。


「滅びよ人間!…じゃなかった。頑張れ我が部下たち!解散!」


透は重い足取りで会議室を後にした。明日という日が、どんな結末を迎えるのか想像もつかなかった。


廊下を歩きながら、透は無意識のうちに壁にくっついていた。そして、ふと思いついた。


「そうか…くっつく能力か…」


透の頭に、ある作戦が浮かび始めていた。明日、龍崎氏を前に、彼はスライムとしての真価を発揮することになるだろう。

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