怪異研修の始幕
会議室のドアが勢いよく開き、間苧谷部長が入ってきた。
「諸君!緊急会議だ!」
透は思わず背筋を伸ばした。先週の鬼留島研修から帰ってきたばかりだというのに、また何かあるのだろうか。
「本社からの指示で、明日から全社員がオンライン研修に参加する」
部長の目が赤く光り、透は思わず机に張り付きそうになった。
「オンライン研修…ですか?」花子が小さな声で尋ねた。
「そう」部長はニヤリと笑った。「ただし、普通のオンライン研修ではない」
透は不安を感じた。間苧谷部長の「普通ではない」は大抵ろくなことにならない。
「研修用のサーバーが設置されている場所は、なんと『幽霊島』!」
「ゆ、幽霊島…」透は思わず呟いた。
「そう、東京から300キロ離れた無人島だ。そこに特殊なサーバールームが設置されている」
部長は大きく腕を広げた。
「諸君、現代技術と異世界の魔力が融合した画期的なシステムなのだ!」
会議室に不安な空気が漂った。先週の鬼留島での出来事を、誰もが思い出していた。
「粘田君と勇田さんは、明日そのサーバールームに直接行ってもらう」
「え?」透と花子が同時に声を上げた。
「なぜ我々が…」
「君たちの『特殊な才能』が必要なのだ」部長は意味ありげに言った。「他の社員はオフィスからオンラインで参加する」
透は花子と目を合わせた。明らかに元スライムと元勇者という彼らの正体に関係している。
「資料はメールで送る。解散!」
部長が出ていくと、すぐに透のパソコンに通知音が鳴った。
「どうなってるの、これ…」
透がメールを開くと、画面がブルーに変わり、奇妙な文字が流れ始めた。
「なっ…!」
画面から緑色の液体が溢れ出してきた。透は慌ててパソコンから離れたが、液体は床に広がり、奇妙な形を作り始める。
「みんな、逃げて!」花子が叫んだ。
社員たちが慌てて会議室から出ていく中、液体は徐々に固まり、小さなスライムの形になった。
「これは…」透は驚愕した。
スライムは「ぷるぷる」と震え、やがて透の足元に向かって動き始めた。
「待って、何なの?」
スライムは透の靴に触れると、突然透の体内に吸収されていった。
「うわっ!」
一瞬、透の全身が青く光り、それから元に戻った。
「大丈夫?」花子が心配そうに近づいてきた。
「なんか…体が熱い…」
その時、小振田がコンビニの制服姿で会議室に入ってきた。
「お昼休みに来てみたら大変なことになってますね」
「小振田さん!危ないよ、ここ…」
小振田は床に残った緑色の痕跡を見て、首を傾げた。
「これは…魔力の漏洩ですね」
「え?」透と花子が驚いた。
「あ、いや…」小振田は慌てて言い直した。「ゲームでよく見る効果に似てるなって」
花子は小振田をじっと見た。
「小振田さん、あなたも何か知ってるでしょ?」
小振田は困ったように笑った。
「実は…コンビニでも最近不思議なことが起きてるんです。レジが勝手に動いたり、商品が浮いたり…」
透は思い出した。鬼留島で部長が言っていた「現代技術と魔力の融合」を。
「これって全部繋がってるのかな…」
その時、透のスマホが鳴った。差出人は「不明」となっている。
「もしもし?」
「粘田君か」間苧谷部長の声だった。「明日の件だが、少し前倒しにする」
「前倒し?」
「そう、今すぐ幽霊島に向かってくれ。勇田さんも一緒にだ」
「えっ、今から?」
「タクシーが会社の前で待っている。急いでくれ」
電話が切れた。透は呆然としながら花子を見た。
「花子さん、どうやら今から幽霊島に行くことになったみたい」
「え?冗談でしょ?」
「タクシーが待ってるって」
小振田が二人を見た。
「僕も行きます!」
「でも小振田さんは…」
「心配です」小振田は真剣な表情で言った。「それに…僕にも役に立てることがあるかもしれません」
三人は急いで会社を出た。確かに、黒塗りのタクシーが待っていた。
「幽霊島へ行かれる方々ですか?」運転手が不気味な笑顔で尋ねた。
「は、はい…」
車内に乗り込むと、窓ガラスが突然暗くなり、外が見えなくなった。
「ちょっと、これは…」花子が不安そうに言った。
「特殊な車両です」運転手は説明した。「目的地までは約2時間かかります」
透はシートに背中を預けた。先週の鬼留島での出来事も理解できていないのに、今度は幽霊島。何が起きているのか全く見当がつかない。
「あの、運転手さん」小振田が尋ねた。「幽霊島って本当に幽霊が出るんですか?」
「幽霊ではなく『異界の存在』ですね」運転手は平然と答えた。「現実と異世界の境界が薄い場所なんです」
三人は言葉を失った。
「到着まで少し休んでください」
そう言うと、車内に甘い香りが漂い始めた。透の意識が徐々に遠のいていく…
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目を覚ますと、透たちは見知らぬ建物の前に立っていた。
「ここが…幽霊島?」
周囲を見回すと、確かに海に囲まれた小さな島のようだ。目の前には近代的な建物が建っている。
「サーバールームはここか…」
三人が建物に近づくと、ドアが自動で開いた。
「お待ちしておりました」
中からハラス・カイリが出てきた。
「ハラスさん?あなたも?」
「私はシステム管理者として先に来ていました」ハラスは微笑んだ。「さあ、中へどうぞ」
建物の中は驚くほど広く、最新技術が詰まったサーバールームが広がっていた。しかし、よく見ると壁には奇妙な文様が刻まれている。
「これは…魔法陣?」花子が小声で言った。
「正解です」ハラスが答えた。「現代技術と魔法の融合システムです」
「で、私たちは何をすればいいの?」
「簡単です」ハラスはモニターの前の椅子を指した。「ここに座って、システムに接続するだけです」
透は不安を感じながらも、指示された椅子に座った。花子も隣の席に座る。小振田は少し離れた場所で様子を見ていた。
「では、始めましょう」
ハラスがボタンを押すと、モニターが点灯し、奇妙な映像が流れ始めた。
「これは…」
画面には異世界のような風景が映し出されている。森や山、そして見たこともない生き物たち。
「オンライン研修の内容は、『ビジネス秘伝の書を手に入れる』というミッションです」ハラスが説明した。
「秘伝の書?」
「はい、この仮想空間内に隠された秘伝の書を見つけ出すのです」
透は疑問に思った。
「これがどうして研修になるんですか?」
「それは…」
その時、突然システムがエラーを起こし、モニターが赤く点滅し始めた。
「あ、また起きた…」ハラスは焦った様子で操作パネルを触った。
「何が起きてるの?」
「システムが不安定なんです。魔力の流れが…」
モニターから突然、緑色の光が溢れ出した。透と花子の体が光に包まれる。
「うわっ!」
光が消えると、透たちの姿が変わっていた。透の体は半透明のスライム状態に、花子は勇者の鎧を身につけていた。
「な、何これ!」花子は自分の姿に驚いた。
「システムがあなたたちの本質を読み取ったようです」ハラスは冷静に言った。
「本質って…」
「元スライムと元勇者、ですね」
小振田が二人に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「うん、でも…」透は自分の半透明の手を見た。「これじゃあ外に出られない」
「そういえば」花子が思い出したように言った。「部長はどこにいるの?」
ハラスは不思議そうな顔をした。
「部長は今日は来ないはずですが…」
「え?でも部長が私たちを呼んだんですよ?」
その時、モニターに間苧谷部長の姿が映し出された。しかし、それは人間の姿ではなく、角と翼を持つ魔王の姿だった。
「諸君!私の挑戦を受けるがいい!」部長の声が響いた。「ビジネス秘伝の書を手に入れた者だけが、次の昇進試験の権利を得られる!」
「昇進試験?」透は混乱した。
「そう、我が社の真の目的は、異世界と現代のビジネスの融合なのだ!」
画面が切り替わり、様々な場所にいる社員たちの姿が映し出された。皆、オフィスからこのシステムに接続している。
「全社員にこの試練を課す!成功者には大いなる報酬が、失敗者には…」部長は不気味に笑った。「相応の罰があるぞ」
画面が消え、再び通常のモニター表示に戻った。
「これが研修の本当の目的だったのか…」透はため息をついた。
「でも、どうやってビジネス秘伝の書を見つければいいの?」花子が尋ねた。
ハラスは真剣な表情で答えた。
「それは私にもわかりません。ただ、このシステムにはある特殊な機能があります」
「特殊な機能?」
「はい、接続者の潜在能力を引き出す機能です」
透は自分の半透明の体を見た。スライムとしての能力が復活している。
「つまり、私たちの能力を使って探せということ?」
「その通りです」
小振田が突然言った。
「あの、僕も手伝えますか?」
「小振田さんも?」透は驚いた。
「実は…」小振田は少し恥ずかしそうに言った。「僕も元は異世界の存在なんです」
「え?」
「元ゴブリンです…」
透と花子は驚きの声を上げた。
「だから、少しは力になれるかもしれません」
ハラスはモニターを指した。
「では、三人でこのミッションに挑戦してください。システムに再接続します」
透たちは覚悟を決め、モニターの前に座った。画面が再び光り始める。
「行くよ…」花子が言った。
透は深呼吸した。スライムとしての能力、勇者としての花子の力、そしてゴブリンだった小振田の知恵。この三人なら、きっと乗り越えられる。
「異世界と現代の狭間で、ビジネス秘伝の書を見つけ出せ!」
モニターから光が溢れ、三人の意識が仮想空間へと吸い込まれていった。
新たな冒険の始まりだ。