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研修と雨の予兆

窓の外には、夏の終わりを告げる土砂降りの雨が叩きつけていた。


透はデスクの上のカレンダーを見つめながら、大きく息を吐いた。今日は月曜日。先週の魔王ゼロスとの戦いから数日が経ち、街の被害はほとんど修復されていた。人々の記憶も不思議と薄れているようだ。


「おはようございまーす」


花子が元気よく透のデスクに近づいてきた。彼女の周りの光の粒子は今日はほとんど見えない。


「花子さん、おはよう。今日は光が出てないね」


「ええ、部長からもらったペンダントが効いてるみたい。でも、時々コピー機が勝手に動き出すんですよね」


そう言いながら花子は苦笑いを浮かべた。


突然、社内放送が鳴り響いた。


「緊急連絡。本日より『社内研修強化週間』を実施します。全社員、直ちに大会議室へ集合せよ」


間苧谷部長の声だった。いつもの低く重い声だが、どこか浮足立っているような印象を受ける。


「研修?聞いてないよね…?」


透が首を傾げると、周囲の社員たちも困惑した表情を浮かべていた。


大会議室に着くと、すでに部長が壇上に立っていた。その横には見慣れない大きな箱が置かれている。


「諸君、先週の『事件』を経て、我が社の体質改善が急務となった」


部長はそう切り出すと、箱の方を手で示した。


「これより、特別研修を開始する。担当は…」


部長の視線が会場を巡り、ついに透に止まった。


「粘田透!前へ出ろ!」


「え、僕ですか!?」


透は思わず声を上げた。周囲の社員たちから同情の視線を感じる。


「そうだ。お前は異界の力を理解している。適任だ」


しぶしぶ壇上に上がると、部長は箱から奇妙な装置を取り出した。それは小さなプロジェクターのようだが、レンズの部分が紫色に光っている。


「これは『現実拡張装置』だ。研修の効率を上げる」


部長はそう言うと、透の手に装置を押し付けた。


「え、どうやって使うんですか?」


「説明書はない。感覚で操れ」


部長は不敵な笑みを浮かべると、会場を後にした。残された透は、手の中の装置と大勢の社員たちを交互に見つめ、冷や汗を流した。


「あの、とりあえず電源を…」


透が装置のボタンらしきものを押すと、突然、会議室全体が紫色の光に包まれた。社員たちから驚きの声が上がる。


「うわっ!何これ!?」


光が収まると、会議室は一変していた。壁は石造りの城壁のようになり、床は緑の草原に変わっていた。社員たちの姿も変化し、それぞれが鎧や魔法使いの衣装を身にまとっていた。


「粘田さん、これ…」


花子が近づいてきた。彼女は今や輝く鎧に身を包み、背中には大きな剣を背負っている。完全な勇者の姿だ。


「どうやら、現実拡張装置は文字通り現実を…拡張したみたいだね」


透は自分の姿を見下ろした。半透明のゼリー状の体。完全なスライムの姿に戻っていた。


「なるほど、これが研修か…」


振り返ると、そこには魔王の姿をした間苧谷部長が立っていた。黒い鎧に身を包み、頭からは角が生えている。


「部長、これはどういう…」


「我が社の真の姿を体験させるのだ。異界の力を持つ者たちよ、本来の力を取り戻せ!」


部長は高らかに宣言した。


「でも、研修の内容は?」


透が尋ねると、部長は不敵な笑みを浮かべた。


「簡単だ。この世界で生き残れ。チームビルディングだ」


その時、会議室のドアが開き、コンビニの制服を着た緑朗が入ってきた。


「おはようっす!あれ?なんでみんな仮装してるっすか?」


緑朗の姿だけは変わっていなかった。しかし、彼が一歩踏み出した瞬間、緑色の肌と尖った耳を持つゴブリンの姿に変化した。


「うわっ!俺、元の姿に戻ってるっす!」


緑朗は自分の手を見て驚いた。


「小振田、お前も参加しろ。チームの一員だ」


部長はそう言うと、会場の中央に移動した。


「よし、今日の研修内容を説明する。我々は模擬戦闘を行う。チーム対抗だ」


部長は社員たちを四つのチームに分け、それぞれにミッションを与えた。透と花子、緑朗は同じチームとなり、「宝の箱を探せ」というミッションを与えられた。


「時間は3時間。成功したチームには特別ボーナスを与える」


部長の言葉に、社員たちの目が輝いた。


「では、開始!」


部長が手を鳴らすと、会議室の壁が消え、広大な草原が広がった。遠くには森や山、城らしき建物も見える。完全な異世界の風景だ。


「これ、本当に研修なの?」


花子が不安そうに尋ねた。


「さあ…でも、宝箱を探さないと」


透はぷるぷると動きながら言った。スライムの体は思ったより動かしやすい。むしろ、人間の体より自然に感じられた。


「よーし、俺が先導するっす!ゴブリンは嗅覚が優れてるっすから!」


緑朗は鼻を鳴らし、森の方へ走り出した。透と花子も彼の後を追った。


森の中は薄暗く、時折奇妙な鳴き声が聞こえる。透は木の幹にくっついたり、地面を滑ったりしながら進んだ。スライムの特性を活かした移動だ。


「粘田さん、その動き方、すごく自然ですね」


花子が感心したように言った。


「うん、なんだか体が覚えてるみたい。スライムだった記憶が…」


その時、森の奥から大きな音が聞こえた。三人は身構える。


「なんだっすか?」


緑朗が警戒するように周囲を見回した。


茂みが揺れ、そこから現れたのは…営業二課の山田さんだった。彼は今や巨大なオークの姿をしている。


「おまえたち…宝箱を渡せ…」


山田オークが唸るように言った。


「まだ見つけてないんですけど…」


透が答えると、山田オークは困惑した表情を浮かべた。


「え?俺たちのミッションは『他のチームから宝箱を奪え』だったんだけど…」


四人は顔を見合わせ、思わず笑いが漏れた。


「部長、わざとミスリードしてるっすね」


緑朗が言うと、空から部長の声が響いた。


「当然だ!ビジネスの世界は情報戦だ!」


その声を聞いて、全員が空を見上げた。雨は止んでいたが、空には紫色の雲が漂い始めていた。


「あれ…この雲、前にも…」


透が不安そうに呟いた時、雷鳴が轟いた。


「研修、第二フェーズに移行する!」


部長の声と共に、森の地面が揺れ始めた。木々の間から何かが這い出してくる。それは…コピー機だった。しかし普通のコピー機ではない。触手のような配線が伸び、紙トレイが牙のように並んでいる。


「あれは!私の宿敵!」


花子が叫んだ。


「コピー機…動いてる…」


透は驚きのあまり、体が半分液状化した。


「よし、俺が倒すっす!」


緑朗が前に出ようとした時、山田オークが彼を制した。


「待て、ここは協力しよう。チーム対抗はやめだ」


四人は頷き合い、モンスター化したコピー機に立ち向かう構えを取った。


「私が前に出ます!」


花子は背中の剣を抜き、光り輝かせた。透はスライムの体を伸ばし、コピー機の動きを封じようと試みる。緑朗と山田オークは両側から攻撃の準備をした。


「いくよ、みんな!」


花子の掛け声と共に、四人の攻撃が始まった。コピー機は紙を弾丸のように発射してくるが、透はそれを体で受け止める。


「このコピー機、前に部長が魔界から持ってきたやつだ!」


山田オークが叫んだ。


戦いが激しくなる中、空の紫色の雲はさらに濃くなっていった。そして雲の中から、何かが降りてくる。それは…


「第三フェーズ、開始!」


部長の声と共に、巨大な影が森に落下した。埃が舞い上がり、視界が一時的に遮られる。


埃が晴れると、そこには間苧谷部長が立っていた。しかし通常の姿ではなく、完全な魔王の姿だ。


「真の研修、始めるぞ。お前たちの力を見せてみろ!」


部長は高らかに宣言した。


透は花子と緑朗を見た。三人の目が合い、微かな笑みを交わした。


「やれやれ…」


透はスライムの体を大きく膨らませながら呟いた。


「これが本当の『社内研修』…か」


雨は止んでいたが、紫色の雲は広がり続けていた。何かが始まろうとしている。それは単なる研修ではなく、もっと大きな何かの予兆だった。

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