古の社内決戦
月曜日の企画プレゼンに向けて週末出勤した透だったが、会社の地下資料室で思いもよらぬ事態に巻き込まれていた。
「まさか、あの資料がない…?」
透は冷や汗を流しながら、埃まみれの段ボール箱を次々と開けていく。昨日、花子と一緒に徹夜で完成させた企画書の根幹となる市場調査データが見当たらないのだ。
「花子さん、見つかりました?」
「ううん…でも私、この前ここに置いたはずなんだけど…」
花子は混乱した様子で頭を抱えている。彼女の記憶によれば、確かにこの地下資料室の奥の棚に保管したはずだった。
「おかしいな…」
透が首を傾げていると、階段を降りてくる足音が聞こえた。振り返ると、間苧谷部長が両手を背中で組み、威厳に満ちた姿で立っていた。
「どうした粘田くん、花子くん。月曜のプレゼン資料はできたのか?」
「あの、それが…市場調査データが見つからなくて…」
透が言葉を絞り出すと、部長の表情が一瞬で変わった。目が赤く光り、オフィスの蛍光灯がちらついた。
「何だと?」
「すみません!絶対にここにあったはずなんです!」
花子が必死に弁解する。部長は深いため息をついた後、突然笑顔になった。
「ふむ…これは困ったな。実は、明日のプレゼンには零越商事の零越強力も参加するらしい」
「零越強力?」
透は聞き覚えのない名前に首を傾げた。
「ライバル企業の敏腕営業マンだ。前回のコンペでも我々を出し抜いた男…」
部長の声には明らかな敵意が含まれていた。
「彼が…資料を?」
「断言はできんが、可能性は高い。奴は手段を選ばん男だ」
そう言いながら、部長は不敵な笑みを浮かべた。
「よし、決めた。今日は『古の社内決戦』だ!」
「え?」
透と花子は顔を見合わせた。部長の目が再び赤く光る。
「我々は資料を探し、奴らの陰謀を暴く。粘田くん、君のスライム時代の直感を頼りにする」
「でも部長、僕はただの平凡な…」
「言い訳無用!君の前世の能力が必要なのだ!」
部長の剣幕に、透は思わず「はい!」と返事してしまった。
「私も手伝います!」
花子が元気よく手を挙げる。
「勇者の直感で敵を探り出すわ!」
彼女は胸を張ったが、その拍子に近くの棚にぶつかり、古いファイルの山が崩れ落ちた。
「あ、ごめんなさい!」
「…勇者の力は控えめに頼む」
部長は額に手を当てながら言った。
三人は広大な地下資料室を手分けして探索することにした。透は奥の暗い一角を担当することになった。
「ここか…」
懐中電灯を手に、埃まみれの棚の間を進む。スマホの時計は既に午後3時を回っていた。明日のプレゼンまで時間がない。
「見つからなかったらどうしよう…」
不安を抱えながら棚を調べていると、突然背筋に冷たいものが走った。何者かの気配を感じたのだ。
「誰かいますか?」
返事はない。だが確かに、棚の向こう側で何かが動いた気がする。
「花子さん?部長?」
再び沈黙。透は恐る恐る棚の端を回り込んだ。
「うわっ!」
突然、何かが透の足首に絡みついた。見ると、床から伸びる黒い影のようなものが足を捕らえている。
「な、何これ!?」
慌てて振りほどこうとするが、影はどんどん上へと這い上がってくる。透の体が徐々に床に沈んでいく感覚。
「助けて!誰か!」
その時、透の体に異変が起きた。皮膚がぬるっと変化し、床に張り付いた足が突然伸び始めたのだ。まるでスライムのように。
「え?」
驚く間もなく、透の体は床から離れ、壁を伝って天井へと張り付いた。黒い影は透に追いつけず、床に残されたまま蠢いている。
「これは…僕の能力?」
自分でも驚きながら、透は天井から下を見下ろした。すると、暗がりから一人の男が姿を現した。
「へえ、面白い能力だね」
スーツ姿の男は、にやりと笑いながら透を見上げている。
「君が粘田透くんかい?噂には聞いていたよ、スライムから転生した男がいるって」
「あなたは…零越?」
「正解。零越強力だ。よろしく、粘田くん」
零越は片手を上げて軽く挨拶した。その手から黒い影が伸び、再び透に向かって伸びてくる。
「うわっ!」
透は反射的に天井を這って逃げ出した。
「逃げても無駄だよ。僕は元々『影喰らい』だったんでね。お前みたいな小物スライムとは格が違う」
零越の声が背後から迫ってくる。透は必死に天井を這いながら、頭の中で叫んだ。
(助けて!誰か!)
その時、廊下の向こうから怒号が響いた。
「零越ーっ!出てこい、卑怯者!」
間苧谷部長の声だ。零越の表情が一瞬こわばった。
「ちっ、魔王か…」
零越は透を追うのをやめ、素早く暗がりへと姿を消した。
「部長!こっちです!」
透は天井から叫んだ。すぐに部長と花子が駆けつけてきた。
「粘田くん!また天井に!?」
花子が驚いた顔で見上げる。
「いや、これは違うんです!零越が現れて、黒い影で攻撃してきて…」
「零越が来たのか!」
部長の目が再び赤く光った。
「奴め、やはり資料を盗んだな!」
「でも、どうやって見つければ…」
透が天井から降りようとしたその時、不思議な感覚が全身を包んだ。床の下、さらに深い場所から何かが呼びかけているような…。
「部長、この下に何かあります」
「下?ここは最下層だが…」
部長が首を傾げる。
「いえ、確かに何かある。スライムの直感です」
透は床に降り、手のひらを床に当てた。すると、指先がぬるりと床に溶け込み、隙間から下へと伸びていく。
「これは…!」
部長と花子が驚いた顔で見守る中、透の手は床下から何かを引き上げた。それは防水ケースに入った資料の束だった。
「見つけました!市場調査データです!」
「やったー!」
花子が飛び上がって喜ぶ。部長は満足そうに頷いた。
「さすが粘田くん。スライムの能力が役に立ったな」
「ありがとうございます…でも零越は?」
「奴は逃げたようだな。だが明日のプレゼンでリベンジだ!」
部長は拳を握りしめた。
「滅びよライバル企業!」
「そのフレーズは飲み会だけにしてください…」
透は苦笑いしながら言った。
三人は資料を手に地下室を後にした。だが、彼らが去った後、暗がりから再び零越の姿が現れた。彼の背後には、さらに大きな影が忍び寄っていた。
「次は負けないよ、粘田透…」
零越がつぶやいた瞬間、背後の影が彼を包み込み、闇の中に消えていった。
月曜日のプレゼンに向けて、透たちの戦いはまだ始まったばかりだった。