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迷宮研修の幕開け

部屋の電気が点いたとき、私は床にへばりついていた。また粘性が出てしまったらしい。


「とおる、大丈夫か?」


小振田が心配そうに私を見下ろしていた。彼の緑がかった肌は朝日を浴びて少し輝いている。


「ああ、なんとか…」


床から身体を引き剥がすと、カーペットに人型の跡が残った。最近こういうことが増えている。


「今日の研修、絶対におかしいよ。俺なんて御社の人間ですらないのに」


小振田は眉をひそめた。彼のゴブリン時代の特徴が出るとき、眉毛が一直線になる。


「とにかく行くしかないよ。間苧谷部長、昨日は目が赤く光ってたし…」


「赤く光ってた?それって…」


小振田の言葉は玄関のチャイムで遮られた。ドアを開けると、花子が立っていた。


「粘田さん、一緒に行きましょう」


彼女は普段より緊張した面持ちで、腰に何かを下げている。よく見ると小さな剣だった。


「それって…」


「ええ、異世界から持ってきた勇者の剣です。縮小版ですけど」


三人で会社に向かう道中、不吉な予感は強まるばかりだった。会社に着くと、エントランスには「研修参加者はエレベーターBで地下へ」という看板が。


「来ちゃったね…」


小振田がつぶやいた。彼の額には緊張で汗が浮かんでいる。


エレベーターに乗り込むと、「B」ボタンの横に普段はない「BX」というボタンがあった。


「これかな…」


花子がそのボタンを押すと、エレベーターは通常より長く下降し続けた。


「変だよ…この建物、地下1階しかないはずだよ」


私の言葉に二人も頷く。


やがてエレベーターが停止し、ドアが開くと、そこは想像を超える光景だった。


広大な空間に、まるで古代遺跡のような石造りの会場。天井は高く、壁には確かに花子の言っていた奇妙な紋様が描かれている。


「これは…魂の試練場だ」


花子の声が震えた。


会場の中央には巨大な円卓があり、すでに何人かの社員が着席していた。そして円卓の向こうには、間苧谷部長が立っていた。


「よく来たな、粘田、勇田、そして小振田」


部長の声は普段より低く、響きが違う。


「座席表に従って着席せよ」


恐る恐る近づくと、確かに私の名前札は円卓の中央にあった。花子と小振田は私の左右に配置されている。


全員が着席すると、突然ドアが閉まり、重い音を立てて鍵がかかった。


「密室チームビルド研修を始める!」


部長の宣言と同時に、会場の照明が暗くなり、床の魔法陣が青白く光り始めた。


「皆の衆、今日はいつもと違う研修だ。我々は全員、異世界からの訪問者だ!」


部長の言葉に、会場がざわめいた。


「私は魔王間苧谷京一!かつて人間界を滅ぼそうとした者だ!」


部長が自己紹介すると、次々と他の社員も立ち上がった。


「私は勇者勇田花子!魔王を倒した者です!」


「俺はゴブリン族の小振田緑朗!」


次々と驚くべき正体が明かされていく。そして最後に、鳴神占蔵が立ち上がった。


「私は次元の管理者、鳴神占蔵。皆さんを一堂に集めたのは私です」


会場が静まり返る中、鳴神は続けた。


「この世界に異世界の者が増えすぎました。そこで今日、全員にこの選択をしていただきます。人間界に残るか、元の世界に戻るか」


突然、会場の中央に巨大なポータルが開いた。そこには異世界の風景が見えている。


「これが帰還門です。今日限り開きます。戻りたい者は今すぐ」


混乱の中、一人の経理部員が立ち上がり、「俺はもう人間の税金計算にうんざりだ!」と叫んでポータルに飛び込んだ。


「待って!これはおかしい!」


私は思わず声を上げていた。


「なぜ私がここにいるんです?私はただのスライムだった…」


鳴神が不思議そうな顔で私を見た。


「粘田さん、あなたこそが鍵です。スライムは次元の狭間を自由に行き来できる唯一の存在。あなたがいなければ、このポータルは開けなかった」


その時、突然会場に異様な風が吹き始め、床から黒いモヤモヤが立ち上った。


「これは…闇の乾杯術の副作用!」


間苧谷部長が叫んだ。


「誰かポータルを不正に操作している!」


黒いモヤモヤは徐々に形を成し、巨大な魔物の姿になっていった。


「スライムキング…」


小振田が震える声で言った。


「粘田さん、あなたを探しに来たんだ…」


巨大スライムは私を見つめ、触手を伸ばしてきた。


「粘田さん!」


花子が勇者の剣を抜いた瞬間、会場の照明が一気に消え、真っ暗になった。


「みんな、動くな!」


間苧谷部長の声が闇の中から聞こえた。


しばらくして再び明かりが灯ると、そこにはもうスライムキングの姿はなく、代わりにチョコレート色のスライムの跡が床に広がっていた。


「これは…」


私はその跡に近づいた。触れると、確かにスライムの感触がある。そして何より、この感触は懐かしい。


「私の…故郷?」


ソファの下からも同じスライムの跡が続いている。それはまるで、異世界への入口のようだった。


「次元の狭間だ」


鳴神が私の横に立った。


「粘田さん、あなたの選択次第で、両世界の運命が決まります」


「私の選択?」


「そう。あなたはスライムとして生まれ、人間として生きている。二つの世界の架け橋なんです」


鳴神はポケットから小さな紙を取り出し、私に手渡した。


「これが本当の指示書です。よく読んでください」


紙には「明日、同じ場所に来てください。本当の試練はそこから始まります」と書かれていた。


「つまり今日は…予行演習?」


「いいえ、今日は選別の日です。本当の力を持つ者だけが、明日招待されます」


鳴神の言葉が終わるか終わらないかのうちに、突然会場のドアが開き、普通の蛍光灯の明かりが差し込んできた。


「皆さん、研修の準備はまだですよ」


現れたのは人事部の平凡な社員だった。


「え?今日は会場設営の日ですよね?研修は明日ですよ」


混乱する私たちを尻目に、人事部員は淡々と続けた。


「間苧谷部長、プロジェクターの設置を手伝っていただけますか?」


部長は一瞬困惑したように見えたが、すぐに普段の威厳ある表情に戻った。


「ああ、もちろんだ。皆も手伝え!」


私たちは言われるがまま、普通の会議室の設営を手伝った。魔法陣も紋様も見当たらない、ただの会議室。


会場を後にする時、花子が私に囁いた。


「粘田さん、さっきのスライムの跡、まだありますよ」


振り返ると、確かにソファの下からチョコレート色のスライムの跡が伸びていた。そして不思議なことに、その先には小さな光の粒が浮かんでいる。


「明日、本当の試練が始まるんですね」


花子の言葉に、私は静かに頷いた。


「準備しておかないと」


帰り際、小振田が私の肩を叩いた。


「とおる、明日もコンビニの制服で来ていいかな?」


「ああ、もちろん」


スライムの跡を最後に見つめながら、私は明日への不安と期待を胸に秘めた。

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