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幻影の逆封印

「きゃあっ!」


勇田花子の悲鳴が会議室に響き渡った。彼女の目の前には、コピー機から突如として現れた小型ドラゴンが、紙を食べながらニヤリと笑っている。


「またドラゴン!?」


私は驚いて椅子から飛び上がった。昨夜の居酒屋での出来事が頭をよぎる。


「落ち着け、粘田!」


間苧谷部長が叫ぶ。しかし彼自身も焦った様子で、ネクタイを締め直しながら小刻みに震えている。


「誰か対処してくれ!今日は重要な会議があるんだ!」


その言葉に、花子の表情が一変した。彼女の目に、かすかな金色の光が宿る。


「私が…」


彼女はデスクの引き出しから、なぜか剣型の氷嚢を取り出した。それは昨夜見た光の剣を模した形をしている。


「花子さん、それは…」


「さあ、悪い子には冷たいお仕置きよ!」


花子は驚くべき速さでドラゴンに駆け寄り、氷嚢を振り下ろした。


「ひゃあっ!」


ドラゴンは悲鳴を上げ、その場でピタリと動きを止めた。冷気で一時的に麻痺したようだ。


「さすが元勇者…」


小振田が感心したように呟く。


「いえ、これはただの応急処置です。OL時代の知恵ですよ」


花子は照れくさそうに笑ったが、その手から漏れる金色のオーラは消えていなかった。


「勇田、その力…」


部長が真剣な表情で彼女を見つめる。


「ええ、少しずつ思い出しています。勇者だった頃の記憶と力が…」


彼女の言葉を遮るように、会議室のドアが勢いよく開いた。


「おはようございまーす!」


村爆イカ郎が、やけに陽気な様子で入ってきた。彼の手には古びた紙切れが握られている。


「イカ郎、それは?」


部長が鋭い目つきで尋ねる。


「これですか?今朝、会社の裏庭を掃除していたら見つけたんです。なんだか気になって…」


イカ郎はその紙切れを広げた。そこには奇妙な文字列が書かれている。


「これは…古代魔術語だ」


部長が息を呑む。


「読めるんですか?」


私が尋ねると、部長は無言で頷いた。


「逆封印呪文…異世界の扉を閉ざす呪文だ」


「それって、昨日のような現象を止められるってこと?」


小振田が期待を込めて聞く。


「理論上はな。だが、誰がこんなものを…」


部長の言葉は途中で途切れた。彼の表情に、一瞬だけ不安の色が浮かぶ。


「試してみましょう」


イカ郎が明るく言う。彼はなぜか楽しそうだ。


「待て、危険かもしれん」


「でも、このままじゃ会社中がドラゴンだらけになっちゃいますよ?」


私が言うと、部長は渋々頷いた。


「わかった。だが、私が読む」


部長はイカ郎から紙を受け取り、深呼吸した。


「アンチ・ポータル・シジル・レヴァース」


部長の声が響き渡る。一瞬、会議室の空気が凍りついたように感じた。


そして——


「あれ?」


花子が驚いた声を上げる。彼女の手から漏れていた金色のオーラが、徐々に薄れていく。


「効いてる…?」


小振田が呟く。


コピー機の上で固まっていたドラゴンの姿も、まるで霧のように薄くなっていった。


「これは…」


部長は紙の裏面に目を向け、そこに書かれた最後の一文を読み上げた。


「『この力は元魔王の意志により転生を縛る』…」


その言葉を聞いた瞬間、私の体に激痛が走った。


「うっ!」


私は床に崩れ落ち、体が溶け始める。スライムの状態に戻りかけているのだ。


「粘田さん!」


花子が駆け寄ってくる。


「大丈夫…たぶん…」


私は必死に人間の形を保とうとするが、痛みが引かない。


「呪文を解除しろ!」


小振田が部長に叫ぶ。


「できん!一度発動した呪文は…」


その時、会議室のドアが再び開いた。


「お邪魔するわね」


居酒屋「魔王の宴」の店主、泡沫エルザが立っている。彼女の肩には昨夜の小さなドラゴン「まめ吉」が乗っていた。


「エルザさん!?なぜここに?」


部長が驚いて立ち上がる。


「あら、私だって会社員よ。今日から総務部に配属されたの」


エルザはにっこりと笑う。その笑顔の裏に何かを感じ取った。


「粘田さんの状態を見に来たんじゃないの?」


花子が鋭く指摘する。彼女の勘は鋭い。


「さすが元勇者ね」


エルザは私に近づき、手をかざした。


「この呪文、面白いわね。異世界との繋がりを弱めるだけでなく、転生者の『本来の姿』を引き出す効果もあるのね」


「直してください!」


小振田が必死に頼む。


「大丈夫よ」


エルザは懐から小さな瓶を取り出し、その中身を私の上に振りかけた。


「これは形態安定の秘薬。一時的だけど、人間の姿を保てるわ」


液体が私の体に触れると、不思議と痛みが引いていく。体が元の形に戻っていくのを感じた。


「ありがとう…」


私は立ち上がり、自分の手を確かめる。人間の手だ。


「でも、なぜ粘田さんだけがこんな反応を?」


花子が不思議そうに尋ねる。


エルザはその質問を受け流し、紙切れを手に取った。


「この呪文、誰が書いたのかしら」


「裏庭で見つけたんです」


イカ郎が答える。


「興味深いわね」


エルザはまめ吉を撫でながら、意味深な笑みを浮かべた。


「この呪文の最後の一文…」


部長が再び口にする。


「『この力は元魔王の意志により転生を縛る』…これはつまり…」


彼の視線が私に向けられる。その目に、私は恐怖を感じた。


「ねえ、部長」


私は勇気を出して尋ねた。


「あなたは本当に元魔王なんですか?」


会議室に重い沈黙が流れる。


「ああ」


部長はついに認めた。


「だが、それは過去の話だ。今は一介の部長に過ぎん」


「でも、この呪文と粘田さんの反応…」


花子が言いかけると、部長は手で制した。


「私の過去と粘田の転生には、何の関係もない」


その言葉に嘘はないように感じたが、どこか引っかかるものがあった。


「とにかく」


エルザが話を切り替える。


「この呪文のおかげで、しばらくは異世界の影響が弱まるでしょう。それを喜ぶべきじゃないかしら」


確かにその通りだ。会議室の空気が少し軽くなったように感じる。


「よし、それじゃあ予定通り会議を始めよう」


部長が席に着く。他のメンバーも続く。


会議が終わり、エルザが私に近づいてきた。


「あなたの体、完全には治っていないわ」


「え?」


「この薬の効果は一時的。根本的な解決には、あなた自身が自分の正体を受け入れる必要があるの」


「私の正体…」


「まだ巡り合わせは終わっていないわよ」


エルザはそう言い残して立ち去った。まめ吉が私に向かって鳴き、小さな炎を吐いた。


窓の外を見ると、空は晴れていた。しかし、どこか違和感がある。雲の形が、まるで異世界の文字を描いているように見えた。


「粘田さん」


花子が声をかけてきた。


「大丈夫?」


「うん、なんとか」


「私たち、これからどうなるんだろうね」


彼女の問いに、答えは見つからなかった。ただ、一つだけ確かなことがある。


私たちの日常は、もう二度と「普通」には戻らないということだ。

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