救出の始動
公園の木々の影に身を隠し、私たちは黒いローブの集団を観察していた。円陣の中心では、佐伯さんを含む会社の同僚たちが地面に横たわっている。その上空には、異様に大きく輝く月。
「なんか…月が近すぎません?」私は思わず声をひそめて言った。
「闇井の連中が月の力を増幅させているんだ」間苧谷部長が唸るように答える。「儀式を始めるつもりだな」
黒ローブの一人が手を掲げると、円陣から青白い光が立ち上った。横たわる同僚たちの体が浮き上がり始める。
「もう始まってる!」花子が焦った声を上げた。「どうするんですか?」
部長は一瞬考え込み、「作戦を立てる」と言って私たちを引き寄せた。
「花子、お前は右側から回り込め。剣を使えるか?」
「はい、なんとか…」花子は渡された短剣を握りしめる。「でも、コピー機すら使いこなせないのに…」
「コピー機と剣は違うだろ!」部長が思わず声を荒げた。「お前は元・勇者だ。体が覚えている」
「小振田」部長は続ける。「お前は左から。ゴブリンの特性を生かして素早く動け」
「は、はい」小振田は額の角を触りながら頷いた。「でも僕、コンビニのレジしか…」
「今夜はコンビニじゃなく戦場だ!」部長が遮る。「粘田、お前は…」
私を見た部長の表情が複雑に変わる。
「お前は…正面から行け」
「え?一番危険なところじゃないですか」
「お前のスライム能力が必要だ。攻撃を受け流せ」
その時、円陣から異様な呪文が響き始めた。
「月よ、還れ、転生の魂よ、覚醒せよ…」
「くそっ、もう時間がない」部長が立ち上がる。「行くぞ!」
部長が前に出た瞬間、驚くべき変化が起きた。彼の背後に巨大な影が広がり、角の生えた恐ろしい姿が一瞬現れたのだ。
「滅びよ人間!」
部長の叫びと共に、黒ローブたちが一斉にこちらを向いた。
「魔王!?」彼らの驚きの声。
その隙に、私たちは一気に飛び出した。
花子は驚くべき速さで右側に回り込む。短剣を構えた彼女の姿は、もはやOLのそれではなかった。
「はぁぁぁっ!」
彼女の剣筋が閃き、黒ローブの二人が吹き飛んだ。
「やった!」花子が喜びの声を上げる。「体が勝手に動いた!」
一方、小振田も左側から素早く動いていた。コンビニ店員とは思えない俊敏さで黒ローブの間を縫い、円陣の結界を破壊していく。
「レジ打ちよりずっと簡単です!」小振田が叫ぶ。
私は正面から進むはずだったが、足がすくんで動けない。黒ローブの一人が私に向かって何かを放った。青白い光の塊だ。
「粘田!」部長の声。
反射的に腕を交差させて身を守ると、腕が透明なスライム状に変化していた。光の塊が腕に当たるが、吸収されてしまう。
「え?」思わず声が出た。
「お前の本質はスライムだ!魔法は効かん!」部長が叫ぶ。
その言葉に勇気づけられ、私は前に進み始めた。黒ローブたちの攻撃が次々と私に向かってくるが、体の一部がスライム化して全て吸収していく。
「こいつ、何だ?」黒ローブたちの動揺が広がる。
円陣の中心まであと少し。だが、そこに立ちはだかる最後の一人。他のローブより一回り大きい。
「粘田透…ついに会えたな」
声に聞き覚えがある。フードを脱ぐと、そこには見知った顔。
「闇井さん!?」
会社の総務部長だ。
「なぜ…こんなことを」
「月の民の使命だ」闇井が冷たく言う。「転生者たちを本来の姿に戻し、この世界を変える」
「でも、みんなを傷つけて…」
「犠牲は必要だ」
闇井が手を掲げた瞬間、背後から部長の声が響く。
「闇井!お前こそ本来の姿を思い出せ!」
振り返った闇井の顔に驚愕の色が走る。部長の姿が変わりつつあった。角と翼を持つ巨大な魔王の姿へ。
「魔王間苧谷…」闇井が呟く。
「お前は月の民ではない。ただの操られた駒だ」
部長の言葉に、闇井の表情が揺らいだ。その隙に、私は円陣に飛び込んだ。
横たわる同僚たちに近づき、佐伯さんの手を取る。冷たい。
「佐伯さん!」
反応がない。他の同僚たちも同様だ。魂を抜かれたように横たわっている。
「どうすれば…」
途方に暮れていると、花子が駆けつけてきた。
「粘田さん、剣を!」
彼女が短剣を差し出す。それを受け取った瞬間、剣が青く光り始めた。
「スライムの浄化能力と勇者の剣…」花子が興奮した声で言う。「浄化の光を放って!」
直感的に剣を掲げると、眩い光が放たれた。円陣が砕け散り、月の光が弱まっていく。
同時に、佐伯さんが目を開いた。
「粘田さん…?」
次々と同僚たちが意識を取り戻していく。
その頃、部長と闇井の対峙は続いていた。
「思い出せ、闇井。お前は月の民ではない」部長が迫る。
「違う…私は…」闇井の顔に混乱の色。
「お前は単なる経理部の係長だ!」
その言葉に、闇井の体から黒い霧のようなものが抜け出し、夜空に消えていった。彼はその場に崩れ落ちる。
「部長、これは…?」
「闇井は操られていただけだ」部長が人間の姿に戻りながら説明する。「本当の黒幕は別にいる」
花子と小振田も合流し、私たちは同僚たちを起こし始めた。全員無事だった。
「でも、なぜ会社の人間ばかりが狙われたんですか?」小振田が疑問を投げかける。
部長は月を見上げながら答えた。
「偶然ではない。俺たち転生者が集まる場所には、必ず"何か"が起きる」
「じゃあ、会社は…?」
「ああ、転生者を集めるために作られた場所かもしれん」
その言葉に、私たちは言葉を失った。
「今夜の件は終わったが、これで全てではない」部長が続ける。「本当の黒幕はまだ動いている」
佐伯さんが弱々しく口を開いた。
「あいつらは…私たちの力を使って、何かを呼び寄せようとしていました」
「何を?」
「わかりません。でも、"王"と呼んでいました」
部長の表情が一瞬こわばった。
「やはりそうか…」
救急車のサイレンが遠くから聞こえてきた。誰かが通報したのだろう。
「とりあえず、今夜はこれで終わりだ」部長が言う。「だが、明日からが本当の戦いの始まりだ」
私は空を見上げた。月はもう普通の大きさに戻っていた。しかし、何かが変わったような気がする。この世界の見え方が。
「明日も出社…するんですよね?」私は恐る恐る尋ねた。
「当たり前だ」部長がいつもの厳しい顔に戻る。「明日の営業会議の資料、まだ作ってないだろう?」
「あ…」
一瞬の沈黙の後、私たちは笑い出した。世界の危機が迫っていようと、明日も仕事は続くのだ。
スライムに転生した私の、平凡でいて平凡でない日常は続く。




