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解散と新たな兆し

「今回の件は…見なかったことに…」


間苧谷部長の声は震えていた。顔面は見る影もなく、青ざめている。


「会議は…中止だ。全員、解散!」


取引先の人々は混乱した表情で立ち上がった。記憶操作の効果で何が起きたのか覚えていないようだが、この異様な雰囲気だけは感じ取っているようだ。


「え、でも契約書の…」


「後日改めて!」


部長の怒声に、取引先の代表は言葉を飲み込んだ。


会議室から人々が次々と出ていく中、透は床から起き上がり、壁にもたれかかった。魔力の暴走による疲労で、体がだるい。


「粘田くん、大丈夫?」


天丼丸が駆け寄ってきた。


「なんとか…でも、あの黒い箱は何だったんですか?」


「魔力増幅装置だね。魔界では禁止されている代物さ」


天丼丸の言葉に、透は思わず目を丸くした。


「天丼丸さん、どうしてそんなこと…」


「ああ、私も元は魔界の住人だからね」


彼は何でもないように言ったが、透の背筋が凍った。


「え?」


「冗談だよ」


天丼丸はクスリと笑ったが、その目は笑っていなかった。


会議室の隅では、花子が倒れた間苧谷部長を介抱していた。部長の目は虚ろで、何かを呟いている。


「滅びよ…人間…滅びよ…」


「部長、しっかりしてください」


花子の声に、部長はようやく我に返ったように見えた。


「勇田…君か…」


「はい、私です」


「私は…何を…」


花子は優しく微笑んだ。


「大丈夫ですよ。ただの過労です。少し休めば…」


「いや…私は覚えている…」


部長の声が急に強くなった。


「魔王として…私は…」


その瞬間、部長の目から一筋の紫色の光が漏れ出した。花子は驚いて後ずさった。


「部長?」


しかし、光はすぐに消え、部長は再び意識を失ったように見えた。


小振田が近づいてきて、状況を見渡した。


「おっと、これは面倒なことになったな」


「どういうこと?」


透が尋ねると、小振田は首を傾げた。


「記憶封印の粉が効いていない。魔王の意識がまだ残っているってことだ」


「じゃあ、また…」


「そうさ、また何か企むだろうね」


社員たちが会議室を片付け始める中、四人は窓際に集まった。


「なんだか会社にいづらくなりそう…」


透が溜息をついた。


「でも透くん、すごかったわよ」


花子の目が輝いていた。


「床を滑るなんて…私、あんな技見たことない」


「そ、そうですか?」


透が照れると、小振田が肩を叩いた。


「ぷる男、お前のスライム時代の特性、なかなか役に立つじゃないか」


「まあ…でも、よく床や壁に張り付いちゃうのは困りものですけどね」


全員が笑った。緊張感が少しだけ和らいだ。


「でも不思議ね」


花子が窓の外を見つめながら言った。


「あの瞬間、私…何か思い出したの」


「何をですか?」


「剣を振るっていた感覚…勇者だった頃の…」


彼女の目が遠くを見ていた。


「ずっと忘れていたのに、あの黒服と戦った時、体が勝手に動いて…」


小振田と天丼丸が顔を見合わせた。


「転生者の記憶回復現象か」


小振田がつぶやいた。


「何それ?」


透が尋ねると、天丼丸が説明した。


「強いストレスや危機的状況で、前世の記憶や能力が蘇ることがあるんだ。花子さんは勇者としての力を少しずつ取り戻しているのかもしれない」


花子は自分の手のひらを見つめた。かすかに金色の光が浮かんでは消えている。


「これって…いいことなの?」


「状況による」


小振田が真面目な顔で答えた。


「力を取り戻すのはいいが、前世の記憶が全部戻ると、現世での生活がおかしくなることもある」


「え?」


「たとえば、突然『魔王を倒せ!』って叫びながら電車に乗ったりとかね」


「そんなことになったら…」


透は想像して身震いした。


窓の外では、夕暮れが深まっていた。新橋の街に灯りが点り始め、サラリーマンたちが家路を急ぐ姿が見える。


「今日の件で、取引先との契約はどうなるんでしょう?」


透が不安そうに尋ねた。


「キャンセルになるだろうね」


天丼丸は肩をすくめた。


「部長が急に中止を言い出したし、取引先も混乱してたし」


「でも、あの取引…」


「実はね」


天丼丸の声が低くなった。


「あの取引自体が怪しいんだ。私が調べたところ、取引先の会社、実は魔界の下請け企業だった可能性がある」


「え?」


「だから部長は彼らを選んだんだ。魂を糧にしやすいから」


透は背筋が寒くなった。


「じゃあ、別の取引先を探さないと…」


「うん、そうだね」


会議室の片付けが終わり、社員たちは次々と帰り始めた。間苧谷部長も、別の社員に支えられながら帰っていった。


「私も店に戻らないと」


小振田が時計を見て言った。


「コンビニ、今日は夜勤なんだ」


「お疲れ様」


透が頭を下げると、小振田は笑顔で手を振った。


「また何かあったら呼んでくれよ。からあげクーポンは常に準備してるからさ」


彼が去った後、残された三人は静かに会議室を見回した。


「闇の会議室…もう解体されたね」


天丼丸がつぶやいた。


「でも、これで終わりじゃないわ」


花子の声は強かった。


「間苧谷部長…いえ、サタン・マオダは必ず次の手を打ってくる」


「どうすればいいんだろう…」


透が不安そうに言うと、天丼丸は彼の肩を軽く叩いた。


「とりあえず、今日はゆっくり休もう。明日からまた新しい日常が始まるさ」


「そうですね…」


三人は会議室を後にした。


エレベーターに乗り込みながら、透は思った。

スライムから人間に転生して、まさか魔王の部下たちと戦うことになるなんて。


「ねえ、今日は飲みに行かない?」


花子が突然提案した。


「え?今日は…」


「私、なんだか勇者だった頃のことをもっと思い出したい気がして」


彼女の目が輝いていた。


「お酒を飲むと記憶が戻るんですか?」


「わからないけど、試してみる価値はあるわ」


天丼丸も頷いた。


「僕も行くよ。粘田くんも来る?」


透は少し考えてから、頷いた。


「行きます。でも…お酒を飲むと体が溶けそうになることがあるので、その時は止めてください」


二人は笑いながら頷いた。


エレベーターのドアが閉まり、三人の姿が見えなくなった。


会社の窓からは、夜の新橋の街が見える。どこかの飲み屋で、「滅びよ人間!」という乾杯の声が聞こえてくるような気がした。


明日はまた新しい一日が始まる。

スライムだった男の、不思議な会社生活は続いていく。

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