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暴走する転移の代償

床が揺れた。いや、揺れたのは床だけじゃない。ビル全体が巨大な生き物のように震えている。


「な、何が起きてるんだ?」


透は慌てて机の下に潜り込んだ。地震?テロ?それとも…


「粘田くん!大変だ!」


天丼丸が勢いよく部屋に飛び込んできた。その顔は青ざめている。


「天丼丸さん、これって…」


「間苧谷部長の転移魔法が暴走してる!会議室に結界が張られて、中の様子が全然わからないんだ!」


透は思わず唸った。前回の儀式失敗からわずか一週間。サタン・マオダこと間苧谷部長の次の一手はこんなにも早かったのか。


「花子さんは?」


「すでに現場に向かったよ。でも結界が強すぎて、彼女の力だけじゃ突破できないみたいだ」


透は立ち上がろうとしたが、足が床にべったりと張り付いてしまった。緊張するとスライム時代の粘着性が出てしまう癖が、今も治っていない。


「くっ…またくっついちゃった」


「今はそれどころじゃないよ!早く行こう!」


天丼丸に引っ張られ、靴下を床に残したまま透は廊下に出た。


十八階の会議室前は、すでに騒然としていた。社員たちが右往左往し、中には泣き出している者もいる。そして会議室のドアの前には、鎧姿の花子が立ちはだかっていた。


「花子さん!」


「透くん、来てくれたのね!」


花子の顔は汗で光っていた。彼女の前には、濃い紫色の霧のような結界が会議室のドアを覆っている。


「何度攻撃しても、結界が強すぎて突破できないわ」


透は恐る恐る紫の霧に手を伸ばしたが、触れる前に激しい痛みを感じて手を引っ込めた。


「これは…高位の結界魔法ね」


花子が眉をひそめる。


「でも、なぜ部長はまた…」


その時、結界の向こうから悲鳴が聞こえた。透たちは顔を見合わせる。


「中で何かが起きている!」


天丼丸が叫んだ。


「そうよ。実は今日、重要な取引先との会議が入っていたの。部長と営業部の精鋭たちが参加する予定だったわ」


花子の言葉に、透は背筋が凍った。


「まさか…取引先の人たちを人質に?」


「可能性は高いわ。前回の失敗を取り返すために、より強力な力を得ようとしているのかも」


花子が短剣を構え直す。


「もう一度、結界を破る!」


彼女が短剣を振りかぶった瞬間、結界が突如として波打ち、紫の霧が廊下に溢れ出してきた。


「危ない!下がって!」


天丼丸が透を引っ張り、三人は急いで後退した。


霧が晴れると、そこには黒ずくめの集団が立っていた。十人ほどの男女が、全身を黒いスーツで固め、サングラスをかけている。


「我々は魔王サタン・マオダ様の使者である」


先頭の男が低い声で告げた。


「邪魔をするな。さもなくば、会議室内の人間どもの命はない」


花子が歯を食いしばる。


「取引先の方々を巻き込むなんて、卑怯よ!」


「卑怯も何も、これが魔界のやり方だ。人間どもよ、諦めて立ち去れ」


黒服の集団は廊下に広がり、透たちを取り囲み始めた。


「どうする?」


天丼丸が小声で尋ねる。


透は頭を抱えた。このままでは取引先の人々が危険だ。かといって引き下がれば、間苧谷部長の計画を止められない。


「どちらにしても時間稼ぎが必要ね」


花子がささやいた。


「援軍を呼べる?」


「小振田に連絡してみるよ」


天丼丸がスマホを取り出したが、黒服の一人がそれを指差した。


「通信は許可しない」


スマホが突然、黒い炎に包まれた。


「うわっ!」


天丼丸は驚いて端末を落とす。炎に包まれたスマホは、瞬く間に灰となって床に散った。


「くそっ…」


絶体絶命のピンチ。透は床に視線を落とし、必死に考えた。


「諦めろ。お前たちに勝ち目はない」


黒服の男が一歩近づいてきた。


その時—


「いらっしゃいませ〜!」


明るい声が廊下の端から響いた。全員がその方向を見る。


コンビニのユニフォームを着た小振田緑朗が、両手を広げて立っていた。


「小振田!」


透の顔が明るくなる。


「おっす、ぷる男!ちょっと通りかかったら、すごい魔力を感じたからな!」


小振田は軽快に黒服の集団に近づき、一人一人にパンフレットのようなものを配り始めた。


「何だこれは?」


黒服の男が怪訝そうに紙を見る。


「本日限定!からあげ半額クーポンでございます!」


小振田の笑顔は輝いていた。


「魔界の皆さんも、人間界の美味しいからあげはいかがですか?」


黒服たちは一瞬、混乱したように立ち止まった。


「馬鹿な…我々は魔王の使者だぞ!そんなものに興味はない!」


リーダー格の男が怒鳴るが、すでに数人のメンバーがクーポンを興味深そうに見ている。


「本当に半額なのか?」


「からあげって何だ?」


「人間の食い物も悪くないと聞くが…」


隙を見て、小振田は透たちに目配せした。


「今のうちに!」


透は咄嗟に床に身を投げ出した。スライム時代の習性を思い出し、体を限界まで平たく伸ばして床に張り付く。


「透くん、何してるの?」


花子が驚いた声を上げる。


「床を滑るんです!」


透は自分の体を床に密着させ、粘液のような状態で会議室の方へと滑り始めた。黒服たちの足元をすり抜け、紫の霧の下をくぐり抜ける。


「あいつ、床を…滑ってる?」


黒服たちが混乱している間に、透は結界の内側まで潜り込むことに成功した。


会議室内の光景は、想像以上に異様だった。


中央のテーブルを囲んで、取引先と思われるスーツ姿の男女が凍りついたように座っている。その全員の目は虚ろで、意識がないようだ。


そして、テーブルの上には巨大な魔法陣が展開され、その中心に間苧谷部長が立っていた。


「魔界転移プログラム、起動率85%…」


部長は両手を広げ、赤黒い魔力を操っている。彼の周りには複数の魔法装置が浮かんでおり、それらが紫色の光を放っていた。


「部長…」


透はかつてのボスを見上げた。


間苧谷は透に気づき、目を細めた。


「粘田か…よくここまで来たな」


「やめてください!取引先の方々を巻き込むなんて!」


「黙れ!前回の失敗は許されん。今回は万全の準備を整えた。この取引先の魂を糧に、私は真の魔王として復活する!」


透は床から体を起こそうとしたが、魔力の重圧で動きが鈍い。


「動けんだろう?この結界内は重力魔法を展開している。スライムの粘着力も通用せんよ」


間苧谷が嘲笑う。


「くっ…」


透は必死に体を引きずり、テーブルの下に潜り込んだ。視線を上げると、テーブルの裏側に何かが取り付けられているのが見えた。


「あれは…」


小さな黒い箱。そこから紫色の光が漏れ出ている。


「結界の魔力装置?」


透は手を伸ばしたが、届かない。


「もう少し…」


廊下からは花子と小振田の声が聞こえる。彼らは黒服たちと戦っているようだ。


「からあげクーポンなら、もっとあるぞ!」


「勇者の剣を食らえ!」


透は再び床に身を伏せ、体を限界まで伸ばした。スライム時代の柔軟性を思い出し、腕だけを異常なほど伸ばす。


「届け…!」


指先が黒い箱に触れた。


「何をする!」


間苧谷が気づき、透に向かって魔力の弾を放った。


「うわっ!」


透は咄嗟に体をくねらせ、魔力弾をかわす。しかし、次の瞬間、彼の手が黒い箱を掴み、強く引っ張っていた。


「やめろ!」


間苧谷の悲鳴とともに、箱が外れた。


一瞬の静寂—


そして、爆発的な光が会議室全体を包み込んだ。


透は目を閉じ、体を丸めた。耳をつんざくような音と共に、魔力の波が部屋中を駆け巡る。


「ぐああああっ!」


間苧谷の絶叫が聞こえた。


数秒後、光が収まり、透は恐る恐る目を開けた。


会議室内の魔法陣は消え、紫の霧も晴れている。テーブルを囲んでいた取引先の人々は、混乱した表情で周囲を見回していた。


「ここは…?私たちは何を…?」


彼らの記憶は消されていたようだ。


間苧谷部長は床に倒れ、苦しそうに呼吸をしていた。彼の姿は完全に人間に戻っていた。


「失敗した…また…」


彼の声は弱々しかった。


ドアが開き、花子と小振田、そして天丼丸が駆け込んできた。


「透くん!」


花子が透に駆け寄る。


「大丈夫?」


「なんとか…」


透はよろよろと立ち上がった。


「黒服たちは?」


「からあげクーポンを持って逃げていったわ」


花子が肩をすくめる。


「なんだそりゃ」


透は思わず笑った。


取引先の人々は依然として混乱していたが、花子が素早く対応した。


「申し訳ありません。突然の停電で会議システムがダウンしてしまいました。少々お時間をいただけますか?」


彼女の自然な対応に、取引先の人々も少しずつ落ち着きを取り戻していった。


小振田は倒れた間苧谷に近づき、何かの粉を振りかけた。


「記憶封印の粉だ。しばらくは大人しくしているだろう」


「ありがとう、小振田」


透は感謝の言葉を口にした。


「いやいや、たまたま通りかかっただけさ。それにしても、ぷる男、お前の床滑り作戦は見事だったぞ!」


小振田が親指を立てる。


「スライムの特性、活かせましたね」


天丼丸も微笑んだ。


透は照れくさそうに頭をかいた。


「でも…これで終わりじゃないよね」


花子が真剣な表情で言った。


「ええ。間苧谷部長…いや、サタン・マオダはまた動き出すでしょう」


四人は倒れた部長を見つめた。


「次は何を企むんだろうな」


小振田がつぶやいた。


窓の外では、夕日が沈みかけていた。オフィスビルの灯りが一つ一つ点り始める時間。


透は深く息を吸い込んだ。


「とりあえず、今日の危機は去ったね」


「そうね。でも油断は禁物よ」


花子が短剣をしまいながら言った。


「次の戦いに備えなきゃ」


透は頷いた。スライムから人間になった自分が、魔王と戦うなんて想像もしていなかった。でも、今はもう後戻りはできない。


「みんな、ありがとう」


透の言葉に、仲間たちは笑顔で応えた。


夕暮れの会議室で、彼らの新たな戦いの幕が下りた。

しかし、これは終わりではなく、始まりに過ぎない。

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