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新・私のエッセイ:2号館(No.101~200)

新・私のエッセイ~ 第181弾 ~ ぼくの『死生観』~ 生あるものは、すべて死からのがれられない

 ・・・諸行無常しょぎょうむじょう


 あるいは、


 栄枯盛衰えいこせいすいという言葉があります。


 この宇宙のすべてのものは、ひとつの例外もなく、その姿かたちを変え・・・


 永久不滅・不変のものは、なにひとつ存在しない、という考えです。


 その一方で、


 「たとえ肉体が滅んでも、魂は永遠に生き続ける」という見方もあります。


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 「人間五十年、下天げてんうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」


 というフレーズを、皆さんも聞いたことがあるとは思います。


 幸若舞こうわかまい敦盛あつもり』の一節で・・・


 人の世の50年間というものは、


 天界の時間と比すれば夢幻ゆめまぼろしのようにはかないものだ、という意味合いなのですが・・・


 これには続きがあります。


 「一度ひとたび生をけ、滅せぬもののあるべきか」


 コレは、お題目で述べた、


 「生あるものは、すべて死から逃れられない」ということを意味しております。


 ・・・ぼくたちは普段、とくだん意識はしていないけれど、


 毎日毎日、


 1秒1秒・・・


 『死の瞬間』に向かって、誰もが進み、そして歩いています。


 これは、単純な『運命』なんていう生易なまやさしいレベルのものではなく・・・


 『宿命』です。


 誰しもが、


 いや、人間だけじゃない。


 動物も植物も、微生物も、


 都市も建造物も、文化遺産も世界遺産も・・・


 やがては、いずれは、


 形を変え、崩れて無くなっていきます。


 生きているものは、


 自分の家族、友人、持ち物にいたるまで、


 いつかは手放し、失い、すべての愛しいものに別れを告げるときがやってきます。


 ・・・永遠にいっしょにいられるわけではないのです。


 だから、


 最後の『死の瞬間』まで、精一杯生きなくてはならない。


 いま、この瞬間瞬間をムダにすることなく大切にし、


 生きている喜びをかみしめながら、


 しっかりと実感して味わいながら、


 懸命に生きなくてはならない・・・。


 この、ごくあたりまえのことを、


 今宵は、なぜか書きたくなりました。


 m(_ _)m

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