対峙する二人
リリーは身体が弱めの割に、ゲラです。
◆◇◆◇◆
「ジョー兄様!」
挨拶もそこそこに、10歳のヴァイオレットはジョージの寝室に飛び込みました。
少々はしたない真似ではありますが、ジョージが倒れたと聞いて飛んできたのですから無理もありません。
「……やあ……ヴィオ……」
ベッドの上の16歳のジョージは酷くやつれ顔色が真っ白で、まるで死神にでも取り憑かれたかの様でした。
「兄様! 何か食べて! 本当に死んじゃうわ!」
ヴァイオレットは泣きながら、寝ているジョージに取り縋ります。彼はローズの婚約を知ったショックで、もう2日間、何も喉を通らなくなっていたのです。
「いいんだ……僕はもう……ローズのいない世界で生きる意味なんて」
「イヤ! そんなこと言わないで! ジョー兄様が死んだら私も死ぬわ! 兄様……兄様には私がいるじゃない!!」
「……ヴィオ?」
ジョージはビックリして、曇った瞳をパチパチと瞬かせます。
「そうよ……私よ!」
ヴァイオレットには今、自分の口から咄嗟に出た言葉が素晴らしいアイデアの様に思え、ベッドの上掛けを握りしめて熱く語りました。
「いいことジョー兄様! 貴方の可愛いヴィオちゃんが、大きくなったら兄様と結婚してあげるわ! 私だって6年後はローズ姉様に引けをとらない筈よ!」
ヴァイオレットの自信満々な切り口上に、ベッドの上のジョージはポカンと口を開けました。そしてその口が閉じたかと思うと、徐々にごくわずかな笑みを作っていきます。
今まで曇っていた瞳は彼が瞬きをする度に色を取り戻し、やがて美しいアイスブルーが甦りました。
ジョージは面白そうに呟きます。
「ヴィオ……君が? 僕と結婚してくれるって?」
「そうよ! だから早く元気になって貰わなきゃ困るわ!!」
「……ふふふ……ありがとう。ヴィオ」
「こっ、この可愛い私が自ら求婚してあげたんだからもっと感謝して頂戴! ちゃんと長生きして私の事を大事にしてよねっ!」
「ふふ……くくくっ。わかったよ」
「えっと……あの、長生きのためには!……取り敢えず何か食べるものをお願いしてくるわ!」
ヴァイオレットは顔を真っ赤にしてジョージの寝室を飛び出して行きました。あとに残されたジョージは一人くすくす笑いをしながら、何故かその目の端には光るものが溢れたのです。
「ああ……なんて僕は愚かだったんだ……今までローズしか目に入っていなかった……」
◆◇◆◇◆
「うわああああ!! やめてええええ!!」
10歳の少女が初恋のお兄様の身を案じて求婚した甘酸っぱい想い出話。この話を聞いたなら誰もが微笑ましく思うでしょうし、当の本人ならば少し恥じらいつつも、美しい想い出として語る事もあるでしょう。
しかしヴァイオレットは両耳を塞ぎ、大声で拒否の叫びをあげながらサロンの長椅子に倒れこみました。
そのまま長椅子のクッションに顔を圧し当て、足をバタバタさせています。
「やーめーてー!! それは黒歴史だからあああ!!」
「えっ!?」
「ブフッ」
ヴァイオレットの心からの叫びに、その場にいた二人は正反対のリアクションをとりました。
ヴァイオレットに拒絶されたものと思い、一気に顔色を失くしオロオロするジョージ。一方、笑いを堪えつつ取りなそうとしますが、我慢しきれずに吹き出すリリー。
「え……ヴィオ、黒……?」
「ぶっ……ふ。大丈夫っふ……ですわ……兄様。く、黒歴史ねぇ……どっちかっていうと今の方が……ふふふっ、後で黒歴史になりそうだけど……」
「いいから二人とも出ていって!」
ヴァイオレットはクッションに顔を圧し当てたまま叫びますが、リリーはくすくす笑いながら彼女の横に座り、クッションからはみ出して見える真っ赤な耳を眺めて優しく声をかけます。
「ねえヴィオ。黒歴史だなんて言ったら兄様が可哀想よ」
「だってえええ!! あれは、あれは間違いなのよおおお!!」
「……ヴィオ、あの時僕にプロポーズしてくれたのが間違いだったのか? そんなに僕との結婚が嫌かい?」
「……!」
心底悲しそうに言うジョージの声に、ヴァイオレットの動きが止まります。
あれだけ騒がしかったサロンに、しん……と静かな空気が満ちますが、リリーもジョージも口を開かずヴァイオレットの様子を見ていました。
「……」
ヴァイオレットはモソモソと身を起こしますが、その顔はクッションで隠したままです。
「あの……そうじゃないの。ジョー兄様が嫌なんじゃなくて……その……あの時の私………………」
徐々にその声も、その身も小さく縮み、最後には消え入りそうな声でなんとか呟くヴァイオレット。
「…………じ、自分の事を可愛くて、ローズ姉様のような特別な存在だと思ってたから……!」
彼女がジョージに求婚をしたのは、家族の肖像画が完成するよりも少し前の出来事。そして完成した後、ヴァイオレットは美しいジョージに向かって「可愛い私が自ら求婚してあげた」と言った事を何よりも恥じたのです。
「だから……あの時の私は勘違いって言うか……身の程知らずって言うか……!」
「ヴィオ」
優しいジョージの声にヴァイオレットはびくりとしました。そのままじっとしていると、ジョージが近づく靴音、小さな衣擦れの音が聞こえます。
視界はクッションで大きく遮られていますが、その端でジョージが再び膝を折るのが見て取れました。
「あの時から、僕にとって君は世界で一番可愛い、特別な存在になったんだ。それじゃダメかい?」
「……」
ジョージの言葉に無言を貫いたままのヴァイオレットですが、その両手はクッションの端を改めて強く握りしめています。
ジョージは彼女から拒否の言葉が出なかった事に微笑み、続けます。
「それに、身の程知らずと言うのならそれは僕の方だ。僕はラウリーの家から継げるものは何もない。この身ひとつだけで、君と将来結婚したいなどと大それた事をスライ侯爵に申し入れたんだから」
「えっ……?」
ヴァイオレットは思わず顔の前のクッションを下げましたが、ひざまずくジョージと目が合った途端真っ赤になり、またパッとクッションで顔を隠します。
「お父様が……この事を知ってたの……」
リリーが再びクスクス笑います。
「お父様どころか、スライ侯爵家のみんな知ってるわよ。兄様は貴女の為にこの四年間努力してこられたのだから」
「努力……?」
「『もしもうちに婿入りしたいならば、領地内を把握もしていない者では検討にすら値せん』とお父様が仰って、ジョージ兄様は領地や絹の事を一から学ばれたのよ」
「! ……じゃあ、兄様がドレス生地の勉強をしていたのは、ローズ姉様のためじゃ、なくて……」
リリーは、その問いには直接答えません。代わりに楽しそうにこう言います。
「今では、絹の知識や生地選びのセンスだけなら若い人ではジョージ兄様の右に出る人は居ないぐらいなのよ。もう完全にお父様の右腕よね、兄様?」
リリーの言葉に、ジョージは少しだけ皮肉めいた微笑みを浮かべます。
「こんなに色々と噂が付いて回るような汚れた右腕では侯爵の迷惑にしかならないと思うがね」
「ふふっ。兄様の、好いた女性以外はどうでもいいと思う癖だけは直した方がいいわね。熱心に生地を売り込むあまりに勘違いしちゃった女の子達が少しだけ可哀想」
「そうだね。これ以上ヴィオに誤解されたら……それ以上に、僕のせいでヴィオが酷い中傷を受けるなんて耐えられないし。今後は気をつける」
「ほら! やっぱりヴィオしか見えていないわ!」
リリーは一層楽しそうにころころと笑うと、ヴァイオレットの肩に優しく手を置いて囁きます。
「でも、一番大事なのは貴女の気持ち」
「え……」
「兄様も、父様も母様も、私だって。皆、ヴィオの気持ちが一番大切だと思ってるの。だから今まで婚約の申し入れは秘密にしていたのよ。でも本当に嫌だったら、ちゃんと断ってあげなさいね」
リリーはゆったりとサロンを出て行きました。後に残されたのは、クッションを挟んで対峙する二人。
氷の貴公子、沼の貴公子と揶揄されたジョージと。
容姿へのコンプレックスを拗らせたあまり、十二病を患ったヴァイオレット。