『可愛い』と『可愛らしい』で使い分けている ※ジョージside
ジョージsideです。今回は少し短めです。
「まあ、まさか」
一歩。
「本当にジョージ様を」
また一歩。トリクル侯爵夫人がしゃなりしゃなりと距離を詰めます。
「皆さんで取り合いされていらっしゃるの?」
芝生の上を、まるで滑る様ななめらかさで歩を進める夫人。
その妖艶で、数々の男性を虜にしてきた微笑みの奥には、冷血な捕食者にも似た獰猛な瞳の光が見え隠れしています。
言い争いをしていた令嬢達は揃って青ざめ、後退りする者までいました。
「…………大変! うちの庭にドロ沼ができてしまうわ! うふふふっ」
夫人はそう言って笑いました。先日の『沼の貴公子』騒ぎの証人の一人でもある彼女が自ら冗談にした事で、張りつめた空気が少し緩みます。この状況を緊張した面持ちで見守っていた周りの招待客はホッと息をつきました。
が、夫人は言い争っていた令嬢達までが気を抜くことは許しません。妖艶な微笑を崩さぬまま、彼女らにひたと視線を据え、更に近づいて行きます。
ジョージは真っ先に夫人の前に出て謝罪をしました。
「夫人、パーティに水を差して誠に申し訳ない。僕がこちらのご令嬢の申し出に、つい曖昧に応えてしまった。その為に大きな誤解を生んでしまったようだ。責任は僕にある」
「えッ、誤解って……」
なかなか肝の太い男爵令嬢は、侯爵夫人の迫力に怯えながらも思わず口を挟もうとしました。が、夫人は彼女をひとにらみで黙らせ、ジョージにはにっこりと愛想よく返答します。
「そうねぇ。ジョージ様はあの可愛いお嬢様にも誤解されて不名誉な称号を戴いたものね。うふふふ。あの時は傑作でしたわ」
楽しそうに笑う夫人。しかしまたチラリと令嬢達を冷たく眺めながら話を続けます。
「……そう言えば、ジョージ様のアレも誤解を生みやすいわね。今まであなたが女性達に言ってきた『可愛らしい』のお言葉!」
「ああ……そうかもしれない……」
「あなたはハッキリ『可愛い』と『可愛らしい』で使い分けているけど、違いに気づいている方がどれだけいらっしゃるのかしら?」
「「「「……」」」」
侯爵夫人の最後の語りかけは言い争っていた令嬢達にハッキリと向けられました。しかし誰も彼も目を逸らし、口を開こうとはしません。
「気づいていらっしゃらないようだから教えて差し上げますわ。ジョージ様は紳士ですから、まだまだ伸び代がある未熟な女性に向かって『未熟だ』なんて仰らずに『可愛らしい』と表現されるのよ。……だからわたくしにはその言葉は使わないのよね?」
彼女はつい、と彼に向かって手袋を嵌めた手を差し出します。彼は薄い苦笑いを唇に浮かべました。
「……ああ、トリクル侯爵夫人、貴女は完璧なレディだ。僕が貴女に『可愛らしい』なんて言える訳がない」
彼は侯爵夫人に完敗とでも言いたげに、その手にごく軽い接吻をしました。その図は白く美しい蛇に屈服し囚われた銀の天使の絵画を思わせます。
令嬢達は息をのみ、そして自分達は夫人よりも遥かに低いレベルの争いをしていたのだと理解し項垂れました。夫人は悪戯っぽく笑います。
「うふふふっ。無理やり言わせちゃったかしら?」
「とんでもない。僕の本心ですよ」
「そう。じゃあ完璧なわたくしに似合う、完璧なドレスの生地を新たに見立ててくださる? さっき話していたどなたかの専属契約とやらは誤解なんでしょう?」
彼女はそう言ってジョージへ片目をつぶって見せ、次いで自らの左後方へ流し目を送りました。ジョージはそれが何を意味するのか即座に理解し、思わず力説します。
「ええ! 僕はある女性のために生地の勉強をしていますが、誰かの専属になることはありえません!」
トリクル侯爵夫人はわざとらしく大声で驚いて見せます。
「まあ! その幸運なある女性の専属になる気もないの? 今までみたいに、他の女性に似合うドレス生地を探してあげたり、完成したドレスの御披露目でエスコートしていたら、その女性がやきもちを妬きそうだけれど!」
「!」
ジョージは顔色を変えませんでしたが、夫人が目の奥でニヤニヤ笑いをしているのを見てとり、更に苦笑しそうになりました。
この悪戯好きでほんの少しサディストの気がある妖艶な侯爵夫人は、答えを知っていながらわざとこんな事を訊いてきたのです。
ジョージはここは正直に答えたほうがいいと思い、思いをそのままさらけ出しました。頬に軽く血が上る感覚をおぼえます。
「いえ……彼女はやきもちなど妬いてはくれません。僕はずっと彼女を想ってますが、口説けるような立場ではありませんから……」
侯爵夫人はにっこりして周りに語りかけます。
「あら、皆様聞きまして!? 『沼の貴公子』様は女性に人気で、あちこちで誤解されるような言動をされていらっしゃるくせに、実は本命には愛を語ることはできないんですって! お相手はどこの高貴なお姫様なのかしら? うふふふ。面白いと思いません?」
夫人の問いかけは、この騒ぎをパーティの余興として収めつつ、ジョージの不名誉な称号は主に誤解によるものだという印象を招待客に植え付けるものでした。
しかし、それだけでは終わらせません。
先程からヴァイオレットの存在に気づいていた夫人がくるっと左後ろを向き、彼女と真っ直ぐ目を合わせました。
「そういうワケなのよ。貴女がジョージ様を探っても、何も出てこなくってよ? スライ侯爵令嬢」