侯爵夫人もお美しいけれど……
◆◇◆◇◆
時は流れ、四年後のこと。
隣国との境界を領地とする、ボーンズ辺境伯のお屋敷でちょっとしたパーティーが行われました。
隣国の公爵夫妻がこの国の王宮に招かれたのですが、隣国の公爵領から王都迄は長い道程のため、馬の休息を兼ねてボーンズ邸に2日あまり滞在することになっていました。ボーンズ辺境伯は鼻息も荒くはりきってパーティーを開くことにしたのです。
はりきった理由のひとつは美しい公爵夫人の存在でした。8年前にはこの国一と美貌を讃えられ、今なおその美しさを損なうことの無いローズ。
多くの求婚者と信奉者を出し抜いて彼女を隣国へかっさらった公爵に対し不満を持った者も当時はいました。が、今はこの公爵夫妻は隣国との平和の象徴でもあり、絹製品等の商流の礎を築き、辺境伯は勿論、商流に関わる両国の多くの人間に富をもたらしてくれた恩人でもあります。
そのため、未だにこの国ではローズの人気は残っているのです。途中滞在するなら辺境伯領ではなく、是非我が領地で! と手を挙げた貴族は何人もいたことでしょう。
しかし彼らがボーンズ邸に滞在する事にした決め手のひとつは、辺境伯が持つ国境警備隊の第二隊長であるディノの存在も大きかったと言えます。彼は騎士であり、ローズの妹リリーの夫でもあるからです。
パーティーが始まり、楽団が美しいワルツの調べを奏でます。
フロアの中央にファーストダンスを踊る四組のカップルが進み出ました。ボーンズ辺境伯夫妻、そしてローズ達三姉妹の夫婦です。
その様子を、パーティーの来賓は皆うっとりとして眺めました。
輝くシャンデリアの灯りを受け、それを跳ね返すかのような煌めきを黒髪や瞳に見せるローズ。そして彼女の美貌を引き立てつつも自らの魅力も振り撒く公爵。
シャンデリアの灯りが透けて見えるような透明感と儚い美しさを持つリリー。彼女を確りと支える安心感と、時に俊敏さを見せる雄々しい馬のようなディノ。
そして。
さらりと流れる銀の髪に、天が作ったかのような完璧な顔かたちを持つジョージ。彼の涼やかなアイスブルーの瞳は、その手を握るパートナーだけを見つめています。
すみれ色の一風変わったデザインのドレスを着こなし、同じ色のアイシャドウを目蓋にのせ、銀の大ぶりな髪飾りを茶色の髪に挿した彼の麗しの妻。
誰もが美しいと認める、18歳のヴァイオレット・スライ侯爵夫人その人です。
一曲目が終わり、パーティー会場内から彼らへの惜しみ無い拍手が送られた直後。一人の女性がふらりと頭を傾ぎました。
「ヴィオ!」
「ごめんなさい……ちょっと気分が……」
ジョージの腕にもたれ掛かったヴァイオレットのもとへ、ローズとリリー、その夫達が駆け寄ります。
「スライ侯爵、私が夫人を控えの間にお連れします。夫人、失礼します!」
「ジョージ様、私がヴィオに付き添うから貴方は残ってらして!」
「あ、ああ……。気を付けて……」
屋敷の配置に最も詳しく力強いディノが素早く義妹を横抱きに抱え、リリーと共に退出してしまいました。
ぼんやりと彼らを目で追うジョージに、小鳥のさえずりのような心地よい声が投げかけられます。
「ヴィオが戻るまで一曲お付き合いくださる?」
「……ローズ。喜んで」
ジョージは曖昧に微笑み、ローズの手を取ります。
ヴァイオレットとリリー夫妻が突如退席したことでざわついていたパーティ会場は、再びダンスをする美男美女に注目が集まり落ち着きを取り戻しました。
ジョージとローズの美しさにため息があちらこちらから漏れだします。
「美しい……絵物語のようだ」
「ダンスもぴったりと息があって」
「……昔、スライ侯爵はローズ様に求婚なさった事がおありだとか」
「まあ! 侯爵夫人もお美しいけれど、やっぱりローズ様には敵わないわよね」
「でもスライ侯爵もなかなかやるな。あの綺麗な顔で妹の方を誑かして婿入りし、姉との繋がりを切らずにいるとは。確か昔は『ドロ沼の貴公子』とか言われていたと思うが、その名に違わぬ腹黒い男じゃないか?」
「あら、酷い臆測ね。スライ侯爵は夫人にベタ惚れって噂よ。……あのすみれ色の素晴らしいドレス! あれも侯爵が奥様のために特別に作らせたって聞いたもの」
「じゃあ何故侯爵はそのベタ惚れの奥方に付き添わず、かつての想い人と呑気に踊っているんだ?」
彼らを見つめていた客の中には、美への称賛から徐々にゴシップめいた噂話へ移行して行く者もいます。手にしているワインの酔いもあり、より無責任で勝手な臆測を楽しんでいるようです。
ジョージはそれらを感じとりながらも、聴こえないフリをしてローズに微笑みかけます。
「やはり君はダンスも一流だね」
「ふふっ。懐かしいわね。小さい頃はよく侯爵家で一緒にダンスの練習をしたわ」
「ああ、覚えているかい? 次のターン」
「勿論」
二人は複雑なステップでフロアの中央へ進みます。ローズが大きくターンを決めると、そのドレスが花の蕾が開くかのように膨らみます。
ターンのあと、ジョージが確りと彼女を抱き寄せました。広がったドレスの裾は波のように余韻を残してから元に戻り、シャンデリアの灯りでなお一層煌めいています。一連の動きに噂を口にしていた人も再度見惚れ、黙りました。
曲が終わり、彼らが礼を取ると大きな拍手が起こりました。
ジョージにもローズにも、次のダンスの相手の申し込みが殺到しますが二人は少しだけ休みたいと言って断り、連れだってフランス窓に寄ります。そこからバルコニーへ出られるのです。
「あらあら、やっぱり良い雰囲気?」
「ほらだから言っただろう」
「まあ、まさか公爵の目の前で堂々と浮気をするわけないわよね」
「いやいや、表向きは義理の姉弟なんだ。二人きりになったとて咎められることもない……」
再び下世話な事を言い出した客が手元のワインをぐいとあおり、そばにいたメイドにおかわりを要求します。
灰色のお仕着せをピシッと身に付けた地味なメイドは新しい杯が三つ乗ったお盆を客の方へ差し出しました。客がそこからひとつを取ったのを確認して、音もなくサササッと離れます。
「おい、そこのメイド」
彼女はまた別の男に呼び止められました。眼光の鋭い男のもとへお盆を持ったまま近寄ると、男はつい、と手を伸ばしバルコニーの方角を指差します。メイドはそれにつられて彼の指先を見つめ、お盆への意識が少しだけ逸れました。
「あのバルコニーに、二人の男女がいるのが見えるだろう」
「はい」
「ダンスを立て続けにしたから喉が乾いているはずた。その飲み物を持っていってやれ」
「かしこまりました」
メイドはソバカスだらけの頬の上にある、深緑の目をほんの少し歪め……いえ、微笑んでバルコニーの方へ向かいました。
男はその後ろ姿をジッと見つめます。途中、人混みに流されそうになったメイドがふらつきましたが、お盆の上で背中を丸めるようにして杯を守り、なんとかこぼすことはなかったようです。
「侯爵様、こちらを」
「ああ、ありがとう」
「まあ……ありがとう」
バルコニーで会話を楽しんでいたジョージとローズのもとへたどり着いたメイドがお盆を恭しく差し出し、ジョージはその上の二つの杯を受けとります。ローズはメイドの仕事ぶりに感動したようで、薔薇がほころぶかのような笑顔を見せます。
「パーティーの成功と、旅の無事を祈って」
「乾杯」
二人は星空へ杯を掲げ、同時にそれを口にしました。すると―――――
「ゴフッ!?」
「ゲホッ、ゲホッ、ああっ……!」
ワインをひとくち飲むなり、咳き込み、苦しみだすジョージとローズ。
「ぐっ! ワインに……何を……ゴホッ」
苦しむジョージが目を潤ませ、消え入るような声でメイドに向かって言うと、メイドは少し演技がかった叫びをあげました。
「きゃああああ~」
次でラスト、大団円!の筈です。
読んでくださった方、
ブクマ、評価、誤字報告をくださった方に深く感謝します。