氷の貴公子なんかじゃないわ!
二人の出逢いはごくありふれたものです。彼女が侯爵家の三女、彼はその遠縁に連なる子爵家の次男でした。
小さい頃の彼女は6歳上の“親戚のお兄様”に大変よく懐いていた……と侯爵家の面々は口を揃えて言います。しかしその後暫く二人の関係は途絶え、そしてかなり変わったのです。
それは、年に一度の王宮主催の舞踏会での出来事が切っ掛けでした。
舞踏会は国中の貴族を集めての催しですから、大変な数の人々が王宮の大広間に集まっていました。
この日のために気合いを入れた女性たちのドレスの色は多岐にわたり、巨大な花畑に色とりどりの無数の花が咲き乱れているかのようです。
その花畑の大広間を、人ごみを縫って進むひとりのご令嬢がいます。
サッ
サササッ
自身の薄墨色のドレスが他人に触れぬようギリギリの距離を計りつつ、最小限の動きで反対側の壁を目指す彼女はヴァイオレット・スライ侯爵令嬢。今年14歳になったばかりです。
(ふふふふ。誰も私には気づかないわね。私は影の存在。悪事を嗅ぎ取り、暴く【鼠】の守護獣なのよ……!)
大広間を端から反対の端まで横切り、誰にも声をかけられずに壁へ到達したヴァイオレットは持っていた扇子で顔を隠しました。興奮のために鼻息が荒くなるのを抑えきれなかったからです。
(今日の訓練は成功! ふふふふ。しかし優秀な【鼠】はこんなものでは満足しないのよ! 更に難易度を上げるわッ!)
彼女は顔を覆う扇子をそのままに、また人の波を縫ってもと来た道を戻ろうとします。
ササッ
ササササッ
(ふふふふ、これぞ奥義! 扇だけにねっ)
扇子で視界を大きく遮っても人の合間を器用に渡って行けた事に、ヴァイオレットは少々調子に乗りすぎたようです。
遂にひとりの男性とぶつかってしまいます。
「きゃっ……」
「おお、これは失礼」
「こちらこそ、大変失礼を………」
扇子を顔から外し、礼儀正しく詫びの言葉を告げようとしていたヴァイオレット。しかし相手の顔を見た途端、その喉に栓でも詰めたように言葉がぴたりと止まりました。
そこにいたのは、キラキラとした銀色の髪にアイスブルーの瞳、世にも美しい顔立ちと均整の取れた身体を持つ、誰もが見惚れるような美青年。
彼の両脇には妖艶な貴婦人や華やかな美女、愛らしいご令嬢など、何人もの女性が寄り添っており、その図はまさに『ハーレム』とでもタイトルを付けた絵画のようです。
「………っ」
「? どうかされましたか? 可愛いお嬢さん」
「!!」
にっこりと愛想笑いをした彼の美しい顔といったら! ヴァイオレットのようなまだあどけない少女なら皆、普通はぽうっと頬を染め言葉を無くしてしまうでしょう。
しかし彼女は凍りついていた表情を険しく歪め、その深緑色の瞳で睨み付けました。
「顔を忘れた私にまでそんな声かけをするなんて、噂は本当ですのね? ジョー兄様!」
小さい頃の彼女が彼に対して使っていた特別な呼び名に、彼……ジョージ・ラウリー子爵令息はキョトンとした顔を見せて彼女を見つめます。
「おや、まさかヴィオなのかい? これは驚いた。すっかり綺麗になったからわからなかったよ」
「うぐっ……」
ジョージの唇からするりと出てきた褒め言葉に一瞬だけ顔を赤らめたヴァイオレットでしたが、すぐに手の中の扇子をパチンと閉じて彼に向けます。
「そっ、そうやって数々の女性を誑かしているのね! 貴方の悪い噂は スライ家にも届いてきているのよ。迷惑だわ!」
「噂はあくまでも噂だよ。僕は女性を誑かしたりはしていないさ。この歳になっても妻はおろか、婚約者や恋人さえ居ないような冴えない男なんだから。ね?」
ジョージが自分の後ろにいた令嬢達に同意を求めると、美しい花達はクスクスと笑みを溢しました。
「あら、ジョージ様ったらヒドイわ。わたくしはいつでも貴方様と結婚したいと思っているのに。うふふふふ」
華やかな美女が愉快そうにそう言うと、妖艶な貴婦人は謎めいた微笑を浮かべて言います。
「『冴えない男』だなんて嫌味ねぇ。こうしてわたくし達と遊ぶのはお好きだけれど、本気で言い寄る女性には冴え冴えとした態度で袖になさる癖に……」
可憐なご令嬢が悪戯っぽく笑いながら言いました。
「うふふっ。誰にもジョージ様の心は融かせないから『氷の貴公子』って当て擦った方もいらしたんでしょう? そんなに恨まれるなんて怖ぁ~い♪」
その隣のたおやかな女性は頬に手を当てて言います。
「でもわたくしも、ジョージ様と結婚は無理でも、ずっとお側にいて下さったら……と夢見る事はあるもの。その気持ちが暴走して悪口を言うのもわからなくはないわね」
その隣の艶やかな美女がヴァイオレットを横目に言います。
「ええ、わたくしも!……でも無理ね。こんなにお可愛らしいご令嬢が相手では、わたくし達に勝ち目はなさそうよ」
「うふふふ、そうね。でもせめて、どなたかとご結婚された後も時々はわたくしと会って下さいましね?」
「あら、ずるい。わたくしもよ、ジョージ様?」
「わたくしも!」
「わたくしも、ね」
ご婦人やご令嬢が皆結託してそう返したものですから、常に涼やかな微笑みを浮かべているジョージも流石にこれには困ったような顔を見せました。
「君たち……ヴィオの前でそんな言い方は無いだろう?」
「あら。わたくし達、本当の事しか申しておりませんのよ」
「そうよね。うふふふ」
「……ふっ、不潔だわ!!」
とても楽しそうなご婦人達の言葉を受け、顔を赤くしてぷるぷると震えるヴァイオレット。それは怒りのためでしょうか、それとも恥じらいのためでしょうか。
「なに? 遊ぶとか、結婚もしないで側に居るとか、逆に他の人と結婚しても逢うとか……不潔よ!」
「ヴィオ、違うんだ、彼女達は……」
「ジョー兄様の不潔! ふしだら! 兄様なんて『氷の貴公子』なんかじゃないわ!……沼! どろっどろの『沼の貴公子』がお似合いよ!」
「……沼……」
とんでもない渾名に愕然とするジョージ。その後ろの美しい花達は一斉に扇子で顔を隠して肩を震わせました。
「ドロ沼……確かに……くくくっ」
「今この状況にぴったりね……くすっ」
「うふふふふ、面白いわ……! 最高!!」
「流石、話に聞くお嬢様ね!」
「ええ、言葉選びが独特で……ふふふっ」
勿論彼女達は余所に聞こえないように小声で話していますから、そんな事を言われているなど気づかないジョージとヴァイオレット。ジョージはその美しい眉を寄せ、こう言います。
「誤解だよ。本当に噂だけなんだ。彼女達と僕は……君が思うような関係じゃないんだ。信じてくれよ。僕の可愛いヴィオ」
「ぼっ……!! だっ、黙って! 噂だけで証拠がないからごまかす気なのね!? このままでは一族の恥になりかねないわ!」
真っ赤になり興奮したヴァイオレットは、たたんだ扇子を今一度ジョージに向け、こう言ったのです。
「見てなさい! この【鼠】に暴けぬ秘密など無いのよ! 兄様のふしだらな証拠を揃えてラウリー子爵に突きつけるわ!」
「えっ?」
「わが王と精霊の名にかけて! 風紀を乱す悪は成敗よ!」
その扇子を天に向け、決め台詞をビシリと言ったヴァイオレットはドヤ顔で去って行き、後に残されたのはポカンと呆気にとられた顔のジョージと、彼の取り巻きの(肩を震わせ続ける)美女達。
妖艶な貴婦人は目尻に涙を浮かべてジョージに話しかけます。
「ああ面白いわっ……あれが、以前貴方が仰っていたスライ侯爵家の末のお嬢様ね?」
「ああ、その筈なんだが……随分と会わないうちに変わったみたいだ」
「変わったって綺麗になった事? それともまだ可愛らしいかしら?」
「ヴァイオレットは元々可愛いよ! だけど……【鼠】って一体……?」
たおやかな女性が微笑みながら口を挟みます。
「あれじゃないかしら? “十二病”」
「……十二病?」
「ええ。一時期うちの弟も感化されて、『わが王と精霊の名にかけて~』って言って【竜】の真似をしていたわ。今は黒歴史みたいだから、その事を言うと顔を真っ赤にして怒るのだけれど……」