ハル様
「ハル様……、家では皆そう呼んでいました」
離れに籠もっては居たが、ハルは一家の主であった。
ハルの弟(ツトムの祖父)は年が離れていたのもあって
生涯独身の姉に、(頭がおかしくなってからも)、頭が上がらなかった。
「大抵、着物でしたね。豪華な刺繍の着物。いつも赤い口紅塗って、大きな指輪を幾つも付けていましたよ」
普通で無いのは一目で分かる老婆だった。
だがハルは子供には優しかったので
多少不気味ではあるが強い嫌悪は感じなかった。
「20年前に、事故で足を痛めて、それから寝たきりです。お婆ちゃんと母が介護していました。寝たきりになっても着物や宝石を買い続けていました。母さんは、ハル様は心が壊れてる、と言ってました」
「20年前……妹さんが、その頃に事故死したと楠本酒店の婆ちゃんに聞いたけど?」
サオリちゃんが池で溺れたと聞いた。
「ハル様は離れの2階の窓から飛び降りたんです。頭を打って意識が戻らなくて」
救急搬送された先で集中治療室に運ばれた。
危篤状態だ。
「すぐに東京からスズカ叔母さんが、ススム兄さんと来ました。
大人は交替で病院に付き添って……自分たちは3人で居たんです」
ツトムは小学一年生だった。
サオリは1つ違いの5才。
ススムは中学生。
「ススム兄さんの言うことを聞くように、母に言われました」
夏の最中で、蝉が鳴き、外遊びは熱い。
自然に水辺に足が向いた。
「近くに居たのに……サオリが池に落ちたのを見ていないんです。自分は亀を捕まえて嬉しくて。部屋で飼おうと、1人家の中に」
納屋でバケツを捜し亀を入れ
台所で餌になるモノを捜し
そうこうしてるうちに
日が暮れてきて
大人達が、揃って病院から帰ってきた。
「ハル様が奇跡的に持ち直した。もう大丈夫、と」
付き添いの疲れを癒やそうと
祖父は寿司を出前した。
命に別状は無い。
足を骨折しているので暫く入院になるが
峠は越えた、
良かった、良かったと、明るい宴会が始まった。
その時になって初めてサオリがいないのに
誰とも無しに気がついた。
「皆で捜したけど見付からなかった。村中に声を掛けて、通報もして……」
池も見に行った。(まだ遺体は浮かんではいなかった)
「どれ位経ってサオリが池に浮いていたのか……はっきり覚えていません」
金原一家はハルの危篤にざわついていた。
子供から目が離れるタイミングを狙っていたかのように
死に神は、一番幼い命を奪ったのか。
「ススム兄さんは皆に責められていました」
お前は何をしていた?
サオリを最後に見たのは?
え?
どうして?
なんで面倒を見なかった?
「兄さんは責められ叩かれても、泣きませんでした。弁解もしませんでした。替わりにきっぱり言いました。ハル様が池に、水の上に立っているのを見たと」
紫色の着物を着て
金色の帯をだらりと下げて
おいで
おいで
と手招きしていたと。
自分は恐ろしくて逃げた、と。
「その話はとても怖かった。でも、そんなの嘘だと自分は思った。嘘つきは叱られる、兄さんはもっと叱られると」
だが大人達の反応は違っていた。
「生き霊だと、ハル様の生き霊がサオリを呼んだと……」
ハルが2階の窓から飛び降りたとき
紫の着物、金の帯、だった。
その日初めて着た着物。
家族も初めて見た。
しかし東京からかけつけた
スズカは見ていない。
当然ツトムも知る筈が無かった。
「兄さんは普通の子では無いとスズカ叔母さんが、言うんです。
この子は霊が見える。
ハル様の生き霊が、お気に入りのサオリを連れて行こうとしたのだと」
でも、あの世に自分は同行しなかった。
自分は生き返った。
ならば
サオリの命をとって生き返ったのでは?
金原家はサオリの死という悲劇と共に
ハルへの恐怖を背負うことになった。
ハルは手術したが立つことも歩くことも出来ない身体になった。
それでも毎日綺麗に化粧し髪を結い上げ
着物を着て
リクライニングベッドに身体を横たえていた。
「ヘルパーを嫌がって、結局祖母と母が介護です。自分も時々は食事を運んだりしましたね。正月だけは離れから出て皆と一緒におせちを食べていたけど、後は離れから出ようとしなかった。行こうと思えば車椅子で出かけられたのに。
通院も嫌がって訪問治療受けてた。糖尿病になって心臓も悪かったみたいです。
10年前に昏睡状態になって、また救急車呼びました。搬送されたときはさほど深刻な感じじゃ無かった。一度状態が悪くなって、持ち直して……1週間くらい入院しましたね。その間に、今度は、両親が交通事故で亡くなったんです」
病院から危篤の連絡が入り
向かう途中の事故だった。
「運転していたのはスズカ叔母さんです。叔母さんは離婚して一緒に住んでましたから」
「叔母さんは無事だったんですね?」
「命はね。怪我で済んだんです。伯母と兄さんは」
「ススムさんも乗ってたんだ」
「ええ。でね、ハル様の生き霊を、また見たんですよ」
ススムは助手席に乗っていた。
「急にガタガタ震えだし、バックミラーにハル様が映ってると、そう言ったと叔母さんが。でも本人は覚えていない……恐ろしいでしょう?」
「うん。また生き霊が出たんだ。そして今度は2人亡くなった。君は家族全員亡くしてしまったのか」
聖はツトムに深く同情した。
重なる不幸。
同じタイミング。
ハルが自分の身代わりにあの世に送ったと
思っても無理は無い。
そりゃあ噂にもなるだろう。
「またハルさんが死にそうで……君の従兄弟は、犬を殺せとアドバイスしたんだね」
「ええ」
「君が殺される前に犬を身代わりに差し出したと、そういう感じかな?」
<金原雪丸>
犬に名字を付けて、
いかにも家族の一員だと言いたげではないか。