イブナリア王族の末裔はイジワル
連れて行かれたのは家というには少々原始的な場所。洞穴だった。オクレール港近くの崖の上にある洞窟のように蔦で覆われ、石を積み上げてわざと入り口を狭くしてある。
ランタンがあるけど火は入っておらず、明かりといえば入り口からわずかに差し込む陽光だけ。その光で薄っすらとエメラルド色に輝いているのは兵士が落としていったマナ弾だ。サシャの腕を貫いた鹿角弾も一緒に置かれ、そばにはあたしが兵士から奪った銃が立てかけられている。
サシャは枯れ草の上にブランケットを敷いた簡易ベッドで眠っていた。ジゼルが脇に置かれた背負い箪笥をツンツンつついて鼻をひくつかせ、ヒョイッと飛び乗る。サシャの頭がわずかに動いた。
「痛みで気を失ったんじゃなかったのか?」
その声はサシャに「ニャー」と聞こえているはず。
「なあ、おまえジルだろ?」
「それは偽名だ」
「尻尾の数が違うけどラビと一緒にいたサーカス船の魔獣だよな?」
「尻尾は増やせるぞ」
サシャの知る二本尾の姿になるつもりなのかジゼルは詠唱をはじめる。その声もサシャにはニャニャニャと聞こえるらしい。
「なに喋ってるかおれにはわかんねーよ。やっぱりおまえ捕まってたのか? 逃げられたなら良かったけど、早くサーカス船に帰れよ。あのルースって人は無事なのかな。ラビはどうしてるんだろ」
答えを聞きたがっているというよりひとり言だった。そういえば、サシャはジゼルとスクルースが獣人居住区に向かってからのことを知らないのだ。
「まったく、一体いつの話をしてるんだか」
ジゼルは呆れたように言い、くるっとお尻を向けて増やした尻尾を振ってみせる。
「うわっ、尻尾が多過ぎると気持ちわるいな。ミミズみたいだ。何本あるんだよ」
「サービスしてやったのに気持ちわるいとは失礼なやつだ」
文句を言いつつジゼルはサシャの枕元に飛び降り、自慢げに尻尾を見せつける。サシャが「イチ、ニィ」と声に出して数えた。
「九本も尻尾がある魔獣なんて聞いたことないよ」
「おっ、九尾の魔獣か。オクレール領の伝説に出てくる聖獣が九本の尻尾を持ってるぞ」
蔦を避けて洞穴に入ってきたのは手桶を抱えたケイル。「水汲みに行ってたのか」とジゼルが駆け寄っていく。
サシャはまだケイルを警戒しているのか表情が強ばっていた。ケイルはそれに気づきながら構わずジゼルと会話を続ける。
「すぐ近くに川があるんだ。傷口を洗うのに汲んできたんだよ」
「治癒魔法には浄化の魔術式も組み込まれているが、おまえが使うのは治癒魔法ではないということか?」
「それは魔術師の使う治癒術のことだろう? おれは治癒師だし、グブリア帝国では魔塔に入らないと魔術を使えない。それに、治癒師が知ったところで魔力が足りないから使い物にならない」
「着古した小汚い服でもかなり高度な魔力抑制魔術が付与されてるのは分かっているぞ。そもそもこっちはおまえの素性を知っている」
脅すような口調でも声は幼い男の子。ケイルは苦笑を浮かべた。
「どうやら招かれざる客を連れ込んでしまったみたいだが、そっちの用件はこの子を治療してから聞くよ」
水桶をベッド脇に置いてサシャの傍に座ると、ケイルはランタンを引き寄せ手をかざす。ボソボソとひとり言を喋っていると思ったらポッと火が灯った。
「魔法だよね」あたしとジゼルは顔を見合せる。
「火炎魔法に違いないが、術式のわりに威力がおそろしく小さいな。最低レベルの低級魔術師でもお手玉サイズの火球にはなるはずだぞ」
あたしたちの会話にケイルはクッと笑い声を漏らした。
「だから治癒師では使い物にならんと言っただろう? わざわざ火を起こすのが面倒だから着火だけは魔術を使ってる」
「術式はどこで知ったんだ?」
「火球や水球くらいならそこら辺をうろついてる魔術師がいくらでも教えてくれる。ぼったくられるけどな。ちなみにおれの水球は銀貨一枚払って雨粒サイズだ」
「それはたしかに使い物にならん。だが、おまえの魔術の威力が極端に小さいのは魔力量の問題ではなく魔力の質のせいだろう? そもそも魔力ですらないからな」
返事を避けるようにケイルは患者の方へ向き直った。傷を覆った布に彼が手をかけると、サシャは「ウッ」と顔をしかめる。
「弾が貫通して良かったな。体の中に残ってたらほじくり出さないといけないところだぞ」
「えっ……!」
サシャの反応が期待通りだったのかケイルはニッと笑う。ふと、オクレール卿の治癒をしたときの悪女ナリッサが頭を過った。存外、イブナリア王族の末裔はイジワルかもしれない。
「お嬢さん、悪いがそこの布を入り口に掛けてくれるか。外に光が漏れるとマズいんだ」
「光?」
サシャは不思議そうな顔をしている。光を発するということはやはり金色のオーラを使うのだろう。
行李の上に畳まれた土色の布を掴んでみると幽霊でもちゃんと持ち上がった。広げるとシーツくらいの大きさ。入り口に張られた縄にあたしが布を引っ掛ける様はサシャにとってポルターガイストらしく、ポカンと口を開けている。
「ケイルさん、付与されてるのは魔力抑制魔術ですか?」
「ああ、よく分かったな」
「マナか魔力を帯びてるものじゃないと触れないんです。この布は魔力を感じないけど触れるから」
「ふうん、なんでもかんでも触れるわけじゃないのか。不便だな」
「幽霊なので仕方ないです」
ケイルが普通に話しかけてくるからこっちも普通に返していたら、サシャが「おじさん」と躊躇いがちに口を開いた。
「誰と話してるんですか?」
「幽霊らしいぞ」
エッ、とサシャの顔が歪むとケイルはまた愉しそうに笑う。
「悪霊じゃなさそうだから気にするな。そろそろ治療を始めよう」
「あ、……はい」
不安と警戒心のせいかサシャの視線は落ち着かない。ケイルはお酒の匂いがする液体を手にもみ込み、以前ナリッサがしていたように胸の前で両手を合わせてボソボソと詠唱をはじめた。金色の光がボウッと彼の両手を包み、まるで蛍光灯を点けたように明るくなる。
「すごいな」
ジゼルは感心した顔で洞穴を見回している。
光を保ったままケイルは患部周辺を両手の中指と薬指でなぞっていった。痛みが増すことはないらしく、サシャはされるがままにその光景を呆然とながめている。
「ジゼルのやってた治癒魔法とは全然違うね。さっきのは魔術の詠唱?」
「いや、魔術が発動するものではないから詠唱とは言えんな。強いて言えば念仏といったところか。以前ナリッサが〝浄化のおまじない〟とか言っていたやつだ。おそらくイブナリアの一族に伝わるものだろう。施術者自身の体内のマナ循環を整え、魔力操作能力を上げている。まあ、ナリッサの場合は魔力だったが、この男の場合は当然金色のオーラだ」
ケイルの反応を見たかったのか、ジゼルは手持ちの情報をペラペラと喋った。
ケイルにはジゼルの声が聞こえているのかいないのか、集中して治療にあたっている。傷口は時間を早回ししたみたいに瘡蓋になり、あっという間に瘡蓋が剥がれた。
「興味深いな」
ジゼルは鼻息を荒くして喋り続ける。
「グブリア帝国の治癒師はごく限られた簡単な魔術を使うことが許されている。もちろん、治癒師の少ない魔力量で使えるものばかりだ。だが、ローズは聖女と呼ばれるほど優れた治癒師だったわけだろう? だから、彼女の一族は治癒魔法も使えるのではないかと考えていたのだが」
「魔力じゃなくてオーラなのに?」
「魔塔主が以前言っていただろう? 金色のオーラが魔力とオーラの両方の性質を持っていると。だったら金色のオーラで魔術を発動できるかもしれないじゃないか。実際、ケイルはさっき火炎魔法を使った。だが、ケイルがやっている治癒はサシャのマナ経路に自分のオーラを流して循環を整えているだけだ」
どこかで聞いたことのある話。
「それって、マナ滞留症状の治療と同じってこと?」
「ああ、ナリッサがオクレール卿にした治療と同じだ。平民街でやった腰痛治療もそうだし、粗悪麻薬による麻痺症状患者に施したのも薬は併用したが基本的には同じ」
「怪我も病気も同じやり方で治してるのかな?」
「それはどうか知らんが、今見ていたらオーラが患部に集中していた。体全体の循環を整えつつ部分的に自己治癒力を高めているようだった。感覚的なコントロールが頼りなのは銀色のオーラと同じだな。それにしても、修復の速さと精度が異常だぞ」
あっという間に瘡蓋の痕もなくなり、最初から傷などなかったような完全回復。ほどよく筋肉がついたピチピチの二の腕。
ケイルが患部から手を離し、ひと仕事終えたというように長い息を吐いた。金色の光もスーッと消え、洞穴にはランタンの明かりだけが残る。そのオレンジ色の光をたよりに、ケイルはサシャの腕を上げ下げして異常がないか確認した。最後にサシャのおでこに手のひらをあてる。
「熱もないし問題なさそうだ」
「……ありがとうございます。治癒師ってすごいですね」
「普通の治癒師なら薬を塗って痛み止めの治癒術を施すだけだぞ。おれの力は少々特殊で、見つかるとマズいから隠れて治癒している」
「もしかして未登録魔術師ってやつ?」
「まあ、そんなようなもんだ。治療代は請求しないから口外しないでくれ」
「言わないけど治療代を払わないわけには……」
サシャはポケットをまさぐり、チャリと音をさせて銅貨を二枚差し出した。
「今はこれしかないんだ」
ケイルは苦笑しつつそれを受け取ると、「口止め料だ」とそのままサシャの手に握らせる。
「そこにいる猫の正体も言うなよ。悪魔と関わったと知れたら君が危険だからな」
「……その猫、リンカ・サーカス団の魔獣なんです。もしサーカス船に潜り込んで悪さしようとしてるんだったら放っておけないけど」
サシャがそう言うのも無理ない。グブリア帝国では悪魔の召喚は禁忌とされてる黒魔術だ。
「サシャにはこの猫が悪さするように見えるか?」
ケイルの問いかけに、サシャは迷うことなく首を振った。
「父さんが言ってた。悪さをするのは悪魔のせいじゃなくて、悪魔を使って魔術師が悪いことをしてるだけなんだって」
「おまえ分かってるじゃないか。ぼくは悪魔じゃなくて聖魔だしな!」
エッヘン、と胸をそらすドヤ顔の白猫。ケイルがたまらず吹き出し、猫語が分からないサシャは困惑している。
「サシャ、この猫は聖魔様らしいぞ。ということは、こちらのお嬢さんは聖獣を連れた聖女様だな」
「聖女?」
あたしは思わず聞き返した。
「聖女様に自覚はないようだが、ニラライ河沿いの何箇所かの土地に伝説があるんだ。遥か昔、魔獣をつれた聖女が降臨して災いを鎮めたって話だが、オクレール領ではその聖獣の尻尾が九本あって九尾と呼ばれている」
ニヤニヤ笑いのケイルは本気であたしたちを聖女と聖獣だとは思っていないようだけど、災厄を回避しようと奔走している今の状況が妙に聖女伝説と重なる。
「ケイル、九尾というのはこれのことだろう?」
ジゼルが亜空間からあたしのネックレスを取り出した。何もないところから突然現れたネックレスにサシャが「ふゎぁ……」と言葉にならない声を漏らし、ケイルも興味津々でのぞきこむ。
「オクレール領で売ってる土産物のマナ石ネックレスか。そうそう、この模様が九尾の魔獣を表わしてるんだが、……もしかしてこの石は特殊な石なのか? まったくマナを感じないぞ」
ケイルはマナ石をつまむとランタンに近づけて観察する。ジゼルはどこか楽しげだ。
「そのマナ石には魔塔主がちょっと細工をしたんだ。マナや魔力を吸収しないよう魔術付与してある。蓄積されてるのは世界樹の精霊力とサラの霊力だが、ケイルには感知できないようだな」
ケイルがギョッと目を見開いたのは〝世界樹〟という言葉が出てきたせいだろう。
「……とりあえず、聖魔様と聖女様が想像以上に面倒な客だというのは理解した。なぜここにいるのか聞いてもいいか?」
サシャがいるせいかケイルは慎重に言葉を選んでいる。
「行方不明のサシャを探していたらおまえがいたんだ」
「なんだ、依頼されておれを探していたわけではないのか」
「おまえのこともいちおう探してはいたが、バルヒェット辺境伯のきな臭い動きのせいですっかり忘れていた。ナリッサがおまえに会いたがってるぞ。おまえがローズに送った手紙はガルシア公爵から彼女の手に渡った。皇帝には内緒でな。自分の素性を知ったナリッサがおまえに会いたいと思うのは当然だろう?」
ケイルは表情を強張らせて黙り込んだ。あまり驚いた様子がないということは、治療中もあたしたちの会話が聞こえていたようだ。ジゼルは数秒の沈黙で痺れを切らし、面倒くさそうにフンと鼻を鳴らす。
「バルヒェット領に閉じ込められたらナリッサに会いに行くこともできなくなるぞ」
たしかにジゼルの言う通りだった。辺境伯が今日独立宣言してもおかしくない状況だし、港から遠く離れたルケーツク鉱山にいたらバルヒェット領からの脱出はかなり難しくなる。
「バルヒェットに閉じ込められるとはどういう意味だ? 辺境伯が独立を企てているという噂があるが、それのことか?」
ケイルの口から出た「独立」という言葉にサシャが身を乗り出した。
「おじさん、たぶん辺境伯は数日中に独立を宣言すると思う。そのあとはバンラード王国に乗っ取られるだけだ。おじさんも早いうちにバルヒェットから出た方がいいよ」
切羽詰まったサシャの様子にケイルは少々面食らっている。
「サシャは独立計画の邪魔になるから鉱山に連れて来られたようだぞ」
ジゼルがサシャの言葉を捕捉するように辺境伯の動きと今朝あった子爵襲撃事件、その裏側をかいつまんで話した。ケイルは悩ましげにひとつため息をついたあと、リオの事件のことをサシャに伝える。
「戻らなきゃ……」
血の気の引いた顔で立ち上がるサシャの腕を、ケイルが掴んで無理やり座らせた。
「今はまだおまえを探してるやつらがうろついてる。捕まれば父親と同じように利用されるだけだ」
「でも……」
ケイルは「どうしたもんかな」と髪をくしゃくしゃと掻いた。赤っぽいけど、どちらかといえば茶色に近い髪。ナリッサと同じなのは旧イブナリア王国領に多いという緑色の瞳だ。
「サシャはヒョウ獣人の息子だが人間だろ。獣人のように身体能力が高いわけでもないし、魔力もない。まずはどうやって港町に戻るか考えるのが先だ。ここら辺を行き来する馬車はすべて鉱山絡みだから、乗ったら即捕まると考えた方がいい」
ケイルの言葉をサシャはうつむいて聞いていた。ベッドの縁に座って、膝の上で握りしめたこぶしを見つめている。そのこぶしにジゼルがヒョイと飛び乗り、九本の尻尾でサシャの手首をくすぐった。
「あまり心配するな」
なんだか聖魔っぽいご発言。
「じきに魔塔主と皇太子が帝国の騎士団を連れてくる。それまで辺境伯が大人しくしていればいいが、もしリオに危害を加えるようならぼくがやっつけてやる」
猫語をサシャのために通訳するケイルの表情は驚きと困惑に満ちていた。証拠だというようにジゼルは亜空間から紫蘭の紋章がついた真鍮タグを取り出して見せる。
「悪魔が皇太子と繋がってることも驚きだが、どうして面倒事に首を突っ込んでまでサシャとその父親まで助けようとするんだ?」
「主が望んでるからな」
「さすがジゼル。以心伝心」
あたしの言葉に「やっぱりお嬢さんが召喚者か」とケイルがうなずいている。
「違うぞ。ぼくを召喚したのは」
「ジゼル!」
あたしが強引に遮ると、ジゼルはシュンとなってミミズみたいな尻尾をイジイジ触りはじめた。ケイルは怪訝な目であたしを見ている。




