バルヒェット辺境伯家別邸にて
鳥籠を乗せた荷馬車が山道を抜けて麓の集落を貫く平坦な道へと差しかかった頃、空には青白い月が昇っていた。
家の軒先に無造作に掛けられた毛皮、戸口に投げ置かれた角や牙。いかにも狩人の集落といった雰囲気で、夏だからか戸口も窓も開け放たれている。
ところどころ焚き火で肉を炙って酒を飲むというリアルなアウトドアシーンが繰り広げられていた。複数の家族が集まって夕飯をとる習慣でもあるのか、バーベキューは数軒おきにある小さな広場で行われている。
「肉……、酒……」
ギュルルと魔術師のお腹が鳴った。馬車は止まることなく走り続ける。
集落の明かりがなくなり、沢沿いにしばらく行くと橋が掛かっていた。馬車はその先で大通りから外れて林の中へと入る。
木の枝に点々とマナ石ランプがぶら下げられた林道は、途中から石畳に変わった。その先にあったのは赤レンガ造りの城壁、アーチ型の入城門。門には木製の格子が降ろされ、その両脇と城壁の上に警備兵がいた。
御者と兵士の簡単なやりとりで格子が上げられ、馬車は城内へと進んでいく。
「バルヒェット辺境伯家の別邸だ。殺されたくなかったら大人しくしておけ」
青い鳥に話しかける魔術師は、自分が殺されに行くような緊張した面持ちでため息を漏らした。
荷馬車は正面玄関ではなく倉庫の中に乗り入れ、魔術師が鳥籠を手に荷台から降りる。使用人たちがマナ石の詰まった木箱を運び下ろすのを横目に、倉庫の奥にある扉を開けて城内へと入った。
鉱山から離れたことであたしの魔力感知も復活し、お城にたくさんの魔法具やマナ石が置かれているのがわかる。魔獣もいるようだけど、なによりヤバいのは魔術師の気配。
使い走りとは違う、濃密な魔力の気配はきっとシドだろう。鳥籠の中で剥製のように身動ぎせず、目だけをキョロキョロ動かしている青い鳥もその気配を察知しているようだった。
ノードのローブの内側でナイアガラの滝みたいな魔力の瀑布に晒されてもこんな気分にはならない。むしろ永遠に滝行し続けたいくらいなのに、この建物の二階にある魔力はイヤ〜な感じがする。平民街でシドとニアミスしたときの背中がゾワッとする感覚。それを今また感じていた。
魔術師は通路の突きあたり右手にある細い螺旋階段を上り、行き着いたのはロビーのような広いスペースの一番端っこ。
ロビー中央に両開きの大きな扉があり、扉の正面に赤い絨毯が敷かれた幅の広い階段。階下は吹き抜けの広間で、ニ階の天井と同じ高さに豪奢なマナ石シャンデリアがぶら下がっている。王子様とヒロインが悪役令嬢を見下ろして婚約破棄を言い渡しそうな場所だ。
警備兵は扉の左右と階段を上がったところに二人ずついた。
「お疲れさまです」
扉の前の兵士が魔術師に気づいて会釈する。どうやら顔なじみのようだった。
「シド様は中に?」
魔術師が問うと、兵士は「はい」と返事をする。
「閣下がいらしています。シド様とご一緒にこの中に。報告があれば声をかけるようにとのことでした」
――スクルース殿の連れて行かれた先にシドがいたら、余計なことはせずすぐ報せてください。いいですね?
ノードに念押しされた言葉が頭を過る。でも扉の向こうにはシドだけでなく魔獣の気配もある。
……どうしよう。
迷うあたしの目の前で魔術師も憂鬱そうにため息を吐く。そして意を決したように扉をノックした。
「ルケーツク鉱山からです。本日の報告に参りました」
「ああ、入れ」
魔術師が扉に手をかけ、あたしは慌てて天井裏へと飛び込んだ。
こうなったら諜報活動を開始するしかない。無茶とうっかりはあたしの専売特許。舞踏会の時に笑われた「天井のシミ幽霊作戦」再び!
「その鳥は?」
低く嗄れた声に聞き覚えがあった。
あたしはラブルーン制服バージョンに着替えて手早く胸元のリボンを外し、髪を後ろでひとつに結う。シドの死角になるよう、強い魔力を感じる場所の真上から顔を出した。
「サーカス船で働いているという獣人です。ライオンとヒョウが連れてきました」
さっきの魔術師がうつむきがちに喋っている。あたしの真下にいるヤバい魔術師はフードを被って髪の毛すら見えないけど、魔術師っぽくないがっしりした肩幅はシドに間違いなかった。
「ウサギは?」とシド。
「居住区に興味があると言うこの鳥をウサギが連れて来たらしく、鳥の方が役に立ちそうだからウサギは帰らせたと」
「獣人ごときが勝手な判断を」
フン、と不機嫌そうに鼻息を漏らしたのはシドの隣で椅子にふんぞり返っている男。おそらくモリーヌ皇妃の甥でもあるバルヒェット辺境伯だ。三本尾の大柄な黒猫が彼の椅子の横に伏せ、その猫の額からは角がニョキっと突き出していた。
「鳥が役に立つ理由は?」
シドが魔術師に聞いた。
「鳥は魔獣ハンターの経験があるらしく、それに、鳥に懐いているという仔猫の魔獣を連れていました。魔獣は坑道の結界檻に閉じ込めてあります」
ほう、と辺境伯が唸った。
「尻尾は何本だった?」
「尻尾は二本でしたが、確認したところ背に羽が生えておりました」
「羽か!」
辺境伯は嬉しげに膝を叩いた。天井からだと表情はよく見えないけど、声は想像していたより若くまだ二十代かもしれない。
「シド、羽の生えた猫は珍しいのではないか?」
「そうですね。もしかしたらバンラード生まれの可能性もあります。おい、その魔獣にマナ石は埋められていたか?」
「生後三ヶ月で施術はまだされてないようですが、左耳にマナ石のピアスをつけておりました」
「ピアスか……。サーカス船は魔塔と皇室が絡んでいる。こっちの動きを探るための盗聴魔法具という可能性もあるな」
「ピアスに魔術付与された痕跡はありませんでした。小粒なものですがマナの蓄積量はかなりありそうです」
「シド、問題はないのか?」
辺境伯は「盗聴」と聞いてから不安げな様子だ。
「問題ありません。独立を宣言すればあなたは領主ではなくバルヒェットの王になるのです。今さら帝国が何を言ってこようが関係ない。猫は明日にでも確認に行くことにします」
「そうか……。うん、そうだな」
辺境伯がシドの手のひらの上で転がされているのは間違いなさそうだ。でも、それは仕方のないことかもしれない。
魔力抑制具を身にまとっていないシドの魔力は、ノードほどではないけどクラリッサといい勝負のように感じる。立場的に「辺境伯<シド」は確実で、おそらく「辺境伯<バンラード大公」も確実。気になるのはシドとバンラード大公の力関係だ。
「鳥を籠から出せ」
シドに命令され、魔術師は鳥籠を床に置いて格子状の扉を上にスライドさせた。スクルースはチョンと入り口に足をかけ、左右を見回したあとパサパサっと天井近くまで舞い上がる。あたしは慌てて顔を引っ込めた。
「人間の姿に戻れ。まだ死にたくないだろう?」
「いたいけな小鳥相手に物騒な言い方はやめてよね。で、ぼくに何かさせたいみたいだけど報酬は?」
スクルースの話しぶりは普段と変わらなかった。
お調子者で考えなしのうっかりさんとしか思ってなかったけど、この肝の座りようは小鳥の姿からは想像がつかない。ユーリックが副官に選んだ理由が少しだけ理解できた。
ハハッとシドの掠れた笑い声が聞こえ、あたしはそーっと天井の隅から顔を出す。見えるのは椅子の背面とシドの後ろ姿。スクルースは辺境伯の前に堂々と立っている。
「報酬はおまえの命に決まってるだろう?」
「えーっ、愛らしい小鳥をペットにしたかったら普通は先立つものが必要でしょ? この城の主が盗賊じゃないなら。それとも愛らしいものは殺して愛でる危ないタイプの人?」
挑発し過ぎじゃないかとヒヤッとしたとき、
「リース、やれ!」
辺境伯が不機嫌な声をあげて右手を水平に振った。黒い塊がパッとスクルースに向かって跳び、と同時に青い鳥が羽音をさせてシャンデリアにとまる。彼はその場で人間に戻り、シャンデリアはギシギシと音を立てて揺れた。
「ぼく、サーカス船では飼育員やってるんだ。魔獣はむやみに殺したくないんだけど」
「鳥に魔獣が殺せるわけがないだろう」
辺境伯は椅子から立ちあがって黒猫を抱き上げる。
「三本尾の猫ちゃんくらいなら仕留めるのは難しくないよ。これでもハンターやってたんだから」
「リースはそこらへんの三本尾とは違う。殺せるものなら殺してみろ」
シドは二人のやりとりを面白がっているようだった。笑っているのか肩がかすかに揺れている。
「ねえ」
辺境伯の頭の上から気安く呼びかけるスクルース。紫蘭騎士団副官にとって恐れる相手は皇太子と皇帝くらいしかないらしい。――いや、ユーリック相手でも「ねえ」とか言いそう。
「報酬、その猫ちゃんでもいいよ。三本テールの一枚皮は高く売れるんだ。猫の角は売ったことないから知らないけど」
シャンデリアに跨って寛ぐスクルースの真下で、辺境伯の腕に抱かれて黒猫は獲物が降りてくるのを待っている。
「角はやれないが、あとは好きにするといい。ただし、鳥になって逃げるのはなしだ」とシドが答えた。
「二言はないよね」
「ああ」
スクルースがシャンデリアから下りて床に着地すると、黒猫は辺境伯の胸を蹴って宙返りする。いつか見たイタチ魔獣と同じように体を回転させて尻尾の先に魔力を凝縮し、それはみっつの火球となってスクルースを襲った。
「うわっ!」
バク転で飛び退ったスクルースは、傍にいた使い走り魔術師の肩に片手をついた。そのまま背後に着地して魔術師を盾にする。
「おい! おまえっ!」
苛立った声を出しながらも魔術師は咄嗟に防御魔法を発動し、火球は魔術師にぶつかる直前で弾けて消えた。
「魔術師の力を借りるのは卑怯ではないか?」
辺境伯がバカにするようにククッと笑う。
「避けたらたまたまこの人がいたんだよ。おじさん、邪魔だからどっか行ってくれない?」
「あのなあっ」と魔術師は文句を言いかけたけど、「下がれ」というシドの低い声に身を縮め、大人しく部屋から出ていった。
「猫ちゃんのせいで火事になってもぼくは弁償しないからね」
「心配するな。外れた火球はおれが消す」
「リース、もう一度だ!」
辺境伯が右手を振ってスクルースを指差すと、リースはタタッと間合いを詰めて再び宙返りする。スクルースはどこから取り出したのか刃渡りの短いナイフを構え、その場に立ったまま狙いを定めていた。たぶん、着地する瞬間を待っている。
微妙に異なる軌道を描いてスクルースに向かうみっつの火球。黒猫の前足の片方が床につき、スクルースの手からナイフが放たれた。でも――
「危ない!」
あたしは思わず天井から飛び出していた。
数秒移動をこんなふうに人のいる場所で使うのは初めてだった。火球もスクルースもナイフも、すべてがスロー再生のようにゆっくりと動いている。
ナイフは猫めがけて真っ直ぐ飛んでいた。そして、ナイフを放ったと同時に横に跳んだスクルースは、火球二発の軌道からは辛うじて逸れていたけれど、最後の一発が左の頬に当たりそうだ。
――スクルースはこんなところで火傷したりしない!
あたしは魔力付与されたワルサーP38のホルスターを咄嗟に掴み、ぐいっと右に引っ張った。スクルースがすべての火球の軌道から外れたのを確認し、サッと床下に潜る。
「ギャッ」猫の鳴き声がした。
パシュッ、パシュ、パシュッ――という奇妙な音はシドが火球を消したのかもしれない。
あたしの心臓(?)はドクドクと脈打っている。指先がブルブル震えて、すぐに部屋をのぞく気にはならなかった。
シドに見られただろうか。部屋を横切ったのはおそらくコンマ一秒にも満たない。
「まさか避けきれるとは思わなかった。鳥のくせに使えそうだ」
シドの口調は淡々としている。だから、あたしのことは見えていなかった――ということにしておこう。
そういえば、無茶とうっかりの他にあたしには「楽観と善意でできている(ジゼル談)」という長所(?)があったんだった。楽観、善意、無茶、うっかり――この四大属性もしかしてヒロイン向きじゃない? などと考えてしまうあたり、やっぱり楽観的なんだろう。
「ぼくも一発くらいは覚悟してたんだけど、無事だったみたい」
のんきな声色のスクルースに気が抜けた。気を取り直して再び天井裏に行き、そっと部屋をのぞき込む。
猫の目にナイフが突き刺さっていた。スクルースは鳴きながら悶える猫に歩み寄り「ごめんね、猫ちゃん」とブーツに仕込んだもう一本のナイフで喉を刺した。
黒猫は息絶え、二本のナイフを回収したスクルースは尻尾を掴んで逆さ吊りにする。喉からボタボタと血が流れ、部屋に血の匂いが充満した。あたしは吐き気をもよおしたけど、辺境伯もシドも魔術師も、もちろんスクルースも平然としている。
ふと、あたしの死体を見てえづいたナリッサのことを思い出した。そういえばナリッサとユーリックは船旅を満喫してるだろうか。ナリッサと仲良しのマリアンナに嫉妬したユーリック、大人ぶって平気なふりをするけどナリッサの天然系ツンデレキャラに翻弄されドキドキが炸裂! ――なんて、凄惨な光景を前に思考が現実逃避してしまった。
「約束通り猫はやろう。だが、これはいただく」
シドはスクルースに歩み寄り、サッと剣を振るような仕草で右手を振り抜いた。その瞬間、猫の額からパッと赤い血が飛び、明らかに魔術を使った気配がある。
「なんて言うんだっけ。空刃?」とスクルース。
「魔術の名前を知ってるとは意外だな」
「知り合いの獣人が魔術師に襲われたことがあるんだ。カマイタチみたいな技を空刃って言うんだよね? 魔術師がそう言ってたって」
「魔術名を宣言して襲う魔術師など、どうせ獣人に逃げられたのだろう?」
「うん。魔術師の方が逃げてったって」
ククッと笑ったシドの手から血が滴り落ちる。シドの手には血がべっとりとついたマナ石が握られていた。
「角かと思ったら、こんな大きなマナ石が埋め込んであったんだ」
「一年だがずいぶん魔力が蓄積できている。やはり、あそこで飼育すると効率がいい」
「あそこって、ルケーツク鉱山のこと?」
「知り過ぎて後悔するのはおまえだぞ」
「教えて抜け出せなくしようとしてるんじゃないの?」
それはいい考えだ、とシドは肩を揺らす。
「このマナ石で傷つければおまえは鳥になる」
「あっ、鹿角の強力なやつだ」
「ほう、鹿角で獣化することは知ってるのか」
「まあね。ちょうどオクレール港を立つ前に酒場で仲間が獣化したんだ。鹿角で怪我してさ」
スクルースは世間話っぽい感じで話してるけど、シドの関与を探っているのは明らかだった。
シドは辺境伯を振り返り、フードの陰から辛うじて口元が見える。浅黒い肌に艶はなく、若くても三十代か四十代。もしシドが本当にノードの知るイブナリアの魔術師シドなら、見た目の年齢なんて関係ないのだろうけど。
「シド、そのオクレールの件は知っていたのか?」
辺境伯が聞いた。
「いえ、今初めて聞きました」
「そりゃそうだよ。だって昨日の夜遅くの話だから。今朝の出港前は野次馬だらけで大変だったんだ」
「獣化した獣人は鹿角で襲われたのか?」とシド。
「いや。酔っ払ってふらついて、手をついたところに鹿角のネックレスがあったんだ。間抜けな話だよね。今頃バルヒェットの港近くでも噂になり始めてるんじゃないかな。サーカス船には獣人がいるって」
コツ、コツ、と音がしたのはシドが踵を踏み鳴らしているようだった。考え事をするときの癖かもしれない。しばらく沈黙が部屋を包み、辺境伯が痺れを切らして口を開いた。
「おい、鳥。サーカス船の何割くらいが獣人なんだ?」
「さあ」
スクルースは首をかしげる。愛らしい小鳥的しぐさ。
「いちいち獣人かどうかなんて誰も聞かない。ウサギ獣人の子はたまたま知ってたんだ。でも、そんなこと聞いてどうするのさ?」
「皇室公認サーカス団の秘密を帝国民に教えてやるんだ。獣人の巣窟だってな。獣人が一人や二人いると噂になっただけでは足りない」
「それ、何の意味があるの? 獣人を雇っても犯罪じゃないし、帝国法では獣人と人間の平等が定められてるはずだよ」
「本当に平等だと思っているのか?」
そう言ったのはシド。直後、「グッ」とスクルースが変な声を漏らした。手に持った黒猫をボトッと床の血だまりに落とし、苦しげに喉を押さえる。
「これでもおまえとおれが平等だと思うか? 力のない者は力のある者の前に跪く。おまえはおれの前に跪くしかない」
スクルースの顔がうっ血したように赤黒くなりかけていた。あたしはノードを呼びに行かなかったことを後悔する。
たとえシドにあたしの姿が見られてもスクルースが死ぬよりマシだ。覚悟を決めて天井から飛び出そうとしたとき、フッと魔術の気配が消えてスクルースが激しく咳き込んだ。
「まあ、ウサギよりはお前の方が使える。報酬はおまえの命だ」
「……ぼくに何をさせるつもり?」
「サーカス船で一番大型の魔獣はなんだ?」
「……白虎」
「白虎か。まあ、それでいいだろう。最終日の公演で白虎が舞台にいるときに観客席との間にある結界を解除しろ。タイミングはいつでも構わん。あとはこっちでやる」
「そんなことしたら観客が巻き添えになるよ。バルヒェット領の人が集まってるのに」
「おまえがそんな心配をする必要はない。サーカス船の魔獣なら調教師より魔術師のほうが上手く操れる」
「あなたが船に来るの?」
「知り過ぎると後悔すると言っただろう? サーカス団では普段通りにしていろ。明日の夜、月がふたつとも沈んでから抜け出してバタフライ通りにある蝶西閣の裏に来い。稼がせてやる」
シドは懐から小瓶を取り出し、強引にスクルースの口に突っ込んだ。吐き出すこともできずゴクンと中身を飲み込んだスクルースは、その場でパッと鳥に変身する。
「遅効性のはずだが、これだけ体が小さいと効きが早い」
ピュイッと小鳥が鳴いた。
「ただの獣化する回復薬だ。安心しろ。猫の皮はこちらで剥いでなめしてやる。明日の夜来なかったら報酬はなしだ。毛皮もおまえの命も」
シドは辺境伯などまったく目に入っていないようだった。空になった小瓶を猫のそばに放り投げ、部屋を横切って窓を開ける。
「帰って大人しくしておけ」
回復薬はちゃんと効いているらしく、スクルースは力強く飛び立つと月の輝く夜空へと吸い込まれていった。
夜目が効くのか気になって途中まで追いかけてみたけど、なんとか問題なく飛んでいる。港の検問所へと続く大通りに馬車を見つけ、ちゃっかり屋根に降りてじっと羽を休めていた。人間に戻れないのか戻らないのか。
「お疲れさま」
声をかけて指先でチョンと頭をなでたら、小鳥はゾクゾクッと体を震わせた。
スクルースはキョロキョロあたりを見回している。うっかりうっかり。
「気をつけて帰ってね」
聞こえるはずないけど、一瞬だけ視線が交差した気がする。あたしは馬車の屋根を蹴り、来た道を戻った。向かうのはノードとジゼルのいるルケーツク鉱山だ。




