サーカス団員獣化騒動とそれぞれの行き先
朝っぱらからオクレール河港は人でごった返している。集まっているのはよそ者半分、オクレール領民半分。先日闘技場で感じたのと同じイヤ~な空気が漂っていた。
――獣人が出たんだってさ――サーカス団員らしいぞ――酒屋でヤギになったって――治安隊が来たんだろう? ――捕まえちまえばいいのに船に返したって――
あたしとノードとジゼルは噂話に耳を傾けながら人混みをふらふら歩き回っていた。船が出航するまでまだ少し時間がある。
「やらかしたようだな」
ノードの肩の上で、ジゼルがサーカス船を見上げて言った。
下から見るサーカス船は空を半分飲み込んでしまうくらい大きい。船体に靡いていた垂れ幕はすべて撤収され、公演中のような明るくきらびやかな雰囲気はなかった。降ろされたタラップの下にトラブル回避のためか治安隊らしい兵士の姿があるけれど、船に出入りする人の姿はなく、正面から乗船しようとしたら注目の的だ。
「リンカ・サーカス団は公演期間が終了したあと、出航前日に町一番の酒屋を借り切って団員と住民に酒を振る舞うんです。おそらく、その酒宴の席でのことでしょう」
「まったく、そんなに獣人が珍しいものか?」
「魔力感知できない人にとって、普通に生活していたら獣人はいないも同然ですからね」
「それもそうか」
周囲を見回すジゼルにはそこかしこに獣人の気配が感じられているのかもしれない。あたしが今感じられるのは近くにいるジゼルとノード、それとサーカス船から漂う魔力だけだ。
「あっ、ジゼル!」
耳なじみのある声に振り返ると、アイドル系キラキラスマイルを浮かべたイアンがヒラヒラと手を振っていた。ジゼルはストッと地面に降り立ち、待ち構えるイアンの横をすり抜けて後ろの護衛騎士に駆け寄る。
「相変わらずだなあ、ジゼルは」
イアンは笑顔を崩さない。
「おや、皇女殿下お気に入りの魔獣様ではありませんか」
イアンの護衛騎士であるオクレール卿の前にバリトンボイスの中年が割って入った。モブ顔に口ひげ眼鏡のオクレール男爵に抱き上げられ、ジゼルは鼻っ面に猫パンチを連打して脱出する。ハハッとイアンは声をあげて笑い、ノードは顔をそむけて肩を震わせた。その肩に男爵が目をとめる。
「おや、あなた様は先日皇宮でお会いした魔術師様ではないですか。我が領地にどのようなご用事で?」
振り向いたノードはいつもの穏やかな微笑。
「お久しぶりです、オクレール男爵様」
彼の視線が男爵の手首をチラッとうかがったのは、魔力感知魔法具の腕輪を警戒したようだった。以前つけていたのと同じ、魔力量で色の変わるマナ石の腕輪。今、マナ石は黄みがかったオレンジ色をしているけど、男爵が腕輪を気にする様子はまったくなかった。
「改めまして、わたくし魔塔所属の魔術師ノルトと申します。この度サーカス船のメンテナンスを魔塔主様に命じらました」
「ああ、なるほど。それはご苦労さまです。これほどの船となるとメンテナンスも大変でしょう? わたしの魔法具はずっとサーカス船の魔力に反応してしまって役に立ちません」
ほら、と男爵はノードに腕輪を見せる。なるほど、それでノードの魔力に疑いを持たなかったのか。
「ところで、オクレール卿は魔力があったのですね」
ノードは静かに控えるオクレール卿に近づいて彼のマントに触れた。あたしでも彼の魔力をビシバシ感じられるということは、おそらくマントには魔力抑制魔術が付与されていないのだろう。聞きたいのはオクレール卿が魔力を隠すのをやめた理由だ。
オクレール卿とイアンがチラッとアイコンタクトを交わし、口を開いたのはイアンだった。
「オクレール卿にもともと魔力はなかったはずなのですが、こっちに来てから男爵邸にある魔力感知魔法具に反応したのです。しばらく魔力抑制マントを羽織って隠していたようなのですが、同じ邸内で過ごす人間に隠しきれるものではありませんから」
「堂々としていればいいものを、まったくバカ息子が」
イアンが喋っている途中なのに、オクレール男爵の無作法ぶりは相変わらずだ。
「ノルト様、一斉魔力測定で魔力が検知されなかった場合でも、後になって魔力を錬成できるようになることもままあると聞きます。そうですよね」
「ええ」
低級魔術師ノルトは穏やかに首肯する。
「オクレール卿が魔力を得たのはマナ環境の変化によるものかもしれません。国境に近いオクレール領のマナは帝都と質が異なります。マナコントロールに慣れていないと辺境地ではマナ滞留を起こしやすいですし、魔力の再測定をした後に治癒師の元で魔力錬成と治癒術を学ぶことをお勧めします。騎士とはいえ、治癒師の知識があれば役立つことは間違いありません。よろしければ知り合いの治癒師を紹介しますよ」
頭にパッと浮かんだのはクラリッサ。彼女がオクレール卿のそばにいてくれたら、男爵がまた弱小魔獣との血の契約を結ばせようとしてもハニートラップで何とかしてくれそうだ。
「実は、息子の魔力測定はすでに済ませたのです。平均的な治癒師レベルということだったのですが、魔力錬成を学べば魔力量は増えるものでしょうか?」
もみ手の男爵。魔力量が増えたら今度は聖女降臨の儀式を息子にさせそうで心配。
「その可能性はありますが、治癒師が魔術師になったという話は聞いたことがありません。期待されないほうが良いでしょう。それに、魔術師になると完全に魔塔の管理下に入り爵位を継ぐことができなくなります。あまり欲張らない方が身のためですよ」
「ああ、失念していました。跡継ぎがいなくなるのは困りますな。今回の測定で魔術師と判定されなかったのは幸いだったようです」
思案顔のオクレール男爵。おそらく今後オクレール卿の魔力が増えて魔法具に強い反応があっても再測定はしないだろう。
ところで、とノードは周りをぐるっと見回した。
「この混雑、一体何があったのですか? 治安隊がどうのと騒いでる人がいましたが」
男爵が「実は」と言い訳じみた感じで眉を顰めた。
「昨夜少々もめごとがあって、その件で領主のわたしも様子を見に来たのです」
「ベルトラン卿も?」
「ええまあ、調査中の案件と関係があるかもしれないので」
苦笑を浮かべるイアンに、「それで一体何が?」とノードが被せ気味に問いかける。男爵に説明させると余計な主観と愚痴が混ざりそうだし、たぶんノードも同じことを思ったのだろう。
イアンが説明してくれた〝もめごと〟の一部始終はこうだった。
ノードの予想通り事件が起こったのはリンカ・サーカス団が借り切った居酒屋。その席でサーカス団員の一人が獣化してヤギの姿になった。その後すぐに人の姿に戻ったけど驚いた領民たちは騒然となり、店員が治安隊に通報。かといって犯罪に該当する行為はなく、治安隊は団員全員に船に戻るよう要求し、団員は大人しくそれに従ったということだった。
「領民たちは騙されたとか詐欺サーカスだとかワーワー騒いでいたようです。もしサーカス団が皇室公認でなかったら、言いがかりをつけて駐屯所に連行されていたかもしれません。治安隊としては穏便に済ませたかったのでしょう。一夜明ければサーカス船は出航するわけですし」
「ヤギ……」
ノードが引っかかったのはそこらしかった。ヤギはウサギと違ってさすがに小動物とは言えない。
「ノード。ヤギさんが獣化したのってマナ環境のせいじゃないですよね」
あたしが尋ねるとノードはわずかに首を上下させる。
もしかしたら先日ラビに接触して来た獣人たちか、彼らの仲間が意図的に獣化させたという可能性もある。だって、鹿角を浸しておけば水だってワインだって獣化誘発剤になるのだから。
「獣化した理由について何か分かっていますか? 酒宴の余興でヤギになったわけではありませんよね」
答えたのはそれまで静かに控えていたオクレール卿だった。
「昨夜治安隊から状況説明を受けたのですが、サーカス団員がヤギになる直前、隣に座っていた領民のペンダントで怪我をしたらしいのです。怪我といっても手のひらの皮が少し剥けた程度ですが、それで興奮して獣化したのではないかと」
獣人は興奮して獣化するわけじゃないのに。
「鹿角のペンダントだったそうですよ」
イアンがさりげなく言い足した。オクレール父子に何の反応もないところを見ると、彼らは獣化の誘発要因を知らないようだ。
「鹿角を加工して小さな鹿の角の形にしたものが飾りとしてついていたそうです。鹿角は高級品。首から外して自慢していたところ、酒に酔っ払ったサーカス団員が立ち上がった拍子にふらついて、テーブルに置かれたそのペンダントの上に手をついたのだとか」
つまり、誰かの作為で獣化したのではなく偶然の出来事。ノードが密かにホッと息をついた。
「鹿角が無事だったのが幸いですな」
男爵は口ひげを撫でながら言う。
「皇室公認サーカス団相手に弁償だなんだの話になったらややこしいですからなあ。しかも相手は獣人です」
長くなりそうな男爵の話を遮ったのは、野次馬の向こうで起こったざわめきだった。サーカス船の奥に停泊している中型旅客船のタラップを続々と乗客が降りてくるのが見える。
「あれは往復航路の船ですね」
下船する乗客を眺めていたイアンが、何かを見つけて「えっ」と目を丸くした。いつの間にか彼の肩に乗っていたジゼルは、その何かを確認して「ああ」と人間ぽい声を漏らす。
「アアァ、ニャア」
オクレール卿がいるのを思い出して猫の鳴きまねで強引に誤魔化そうとするジゼル。オクレール卿は怪訝な表情で白猫を見たけど、イアンはそんなことはそっちのけで「行ってくる」と突然歩き出した。
「ベルトラン卿、どちらに?」
男爵が聞いた。
「知り合いが見えたんです。ニール研究所の人たち」
足早に中型船の方へ向かうイアンの後ろをオクレール卿が慌ててついて行く。ジゼルはイアンの肩に乗ったままあたしを振り返り、「どうしよう」みたいな顔で首をかしげた。
「先に行っていいよ」
あたしがそう言うと、白猫はそのままイアンと一緒に人混みに紛れた。
取り残されたノードと男爵。男爵はニコニコと笑みを浮かべて魔術師の機嫌をとろうとする。
「ところでノルト様、さきほど言われていた息子の治癒師のことですが」
「ああそうでした。ご子息に治癒師のことを話さなくてはなりませんでした。わたしもオクレール卿を追うことにします。では男爵様、わたしはここで」
「えっ、あっ、ノルト様……」
取り付くしまもなく置いて行かれるオクレール男爵はいかにも小説の悪役モブみたいな情けない顔をしていた。けれど、近くにいた領民に話しかけられると気さくな態度で応対する。
「ちゃんと領主やってるみたいですね」
「サラさん、歩かなくてもいいからせめてちゃんと前を向いて下さい。魔法具を身に着けている人もいるんですから」
文句を言いつつ、ノードは魔法具を避けながら人波の中あたしを曳航する。右の手首を掴まれて、ゆらゆらゆらゆら。
オクレール男爵の姿はすぐに見えなくなった。しばらくすると視界から野次馬らしい質素な服の領民が消え、代わりに大荷物を持った旅装の人たちが周りを埋め尽くす。
「いました」
ノードが歩調を緩め、あたしはようやく前を向いて人間っぽく歩くことにした。人と人の隙間に見えるのはイアンとオクレール卿。その向かいに立っているのはこげ茶色の長い髪をした小柄な女性。
地味なチュニックとスカート。ボストンバッグと帽子を手に持ち、ベルトラン公爵令息の顔をまっすぐ見据えるニール研究所研究員で皇女ナリッサの家庭教師ゾエ。彼女の服装は以前ガルシア領へ行った時とほとんど同じだったけど、違っているのは髪を下ろしていること。
イアンの手がゾエの髪の毛をひと房とり、アイドルスマイルで何か話しかけた。その直後ゾエの能面が若女から般若に変わり、イアンの楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「イアンは素直じゃないなぁ」
「わたしにはゾエさんのほうが頑なに見えますが」
ひとり言のつもりだったのに、意外にもノードから反応があった。
「ノードが他人の恋愛話に興味があるとは思いませんでした」
「恋愛話というよりも、二人の立場の話です。ガルシア公爵とベルトラン公爵が互いに牽制し合っているのは事実ですが、ゾエさんの態度は少し過剰な気がします。ガルシア公爵への恩義から来るものなのでしょうが」
家門同士の関係もさることながら、なんと言ってもイアンはグブリア帝国宰相の息子であり、惚れた腫れたで結婚するわけにいかない立場の人間。
「そういえばイアンが言ってました。ナリッサとの婚約話が持ち上がるかもしれないって」
ノードがピタと立ち止まり、視線はイアンたちに向けたまま「なるほど」とつぶやいた。
「デビュタントでのこともありますし、そう予想している貴族も多いでしょう。ですが、おそらくその話は実現しないと思います」
「イアンもそう言ってました。金色のオーラをベルトラン公爵家に手渡すことになるから陛下が許さないだろうって」
ニャアと聞こえ、目の前にゾエがいるのに気づいた。彼女の足元でジゼルが「案内してきてやったぞ」という感じで褒めて欲しそうにあたしを見上げている。なでなで。
「お久しぶりです、魔と……じゃなくて、今はノルトさんですか?」
ゾエの隣にはイアンとオクレール卿、そして彼らの後ろにいる男性二人組も連れのようだった。ノードの正体は分かっているらしく緊張で強張った顔をしている。
「ここは人が多いのでノルトでお願いします。後ろのお二人はニール研究所の方ですか?」
「ええ。オクレール領で聖女伝説について調べるんです。噂を小耳に挟んで興味を引かれたものですから」
「噂というのは?」
「聖女降臨の儀式が禁止されたという話です。帝国南部に聖女伝説があることは把握していたのですが、イブナリア王国があった場所からはかなり離れているのでこれまであまり重要視していませんでした。ですが、研究が停滞していて、縋るような気持ちでここまで来たんです」
ふむ、と漏らし、ノードはイアンに笑みを向けた。
「聖女降臨の儀式なら、ベルトラン卿の手元に資料があるはずです。使用されていた魔法陣が魔法陣の体を成していないので魔術資料としての価値はありませんが、魔術ではないからこそ閲覧するのは難しくないと思います」
「本当っ?!」
ゾエは目を輝かせてイアンの肩を揺さぶった。イアンは「面倒なことを」とでも言いたげにノードを見る。
「ベルトラン卿、ニール研究所の方々が調査に協力してくれると言っているんですよ。今後儀式の取り締まりを強化する上でも有益なことと思いますが」
イアンは「ああ」と苦笑を浮かべ、あまり見たことのない憧憬の眼差しのような視線をノードに向けた。
「やはり、ただの魔術師ではなく組織を束ねる人なんですね。ノルトさんは」
「組織のボスであるノルトさん。以前わたしと約束した調査協力も忘れないで下さいね」
ゾエの貴重な愛想笑い。イブナリア研究のためなら営業スマイルどころか腹踊りでもしそうだ。
「わかりました、ゾエさん。今関わっている案件が終わったらお渡しできる資料を見繕ってみましょう」
「本当ですか?」
「その代わり、ゾエさんもオクレールでの調査結果を教えてください」
ゾエは「う〜ん」と唸ったけれど、悩んだのは一瞬だった。後ろの二人と目配せしあい、「わかりました」と力強くうなずく。
「目的地に着いて早々、幸先のいいスタートだわ」
「ぼくに会えたから?」
ゾエが「どの口が」みたいな顔でイアンを見る。軽口の応酬はたぶん喧嘩するほどなんとやらってやつだろう。イアンの両手はゾエの手荷物でふさがっている。
「ノード、おじゃま虫はそろそろ消えませんか」
あたしの意図は伝わったらしく、ノードがかすかに微笑んだ。たとえ二人きりになれなくても邪魔者は少ないほうがイアンも嬉しいはず。
「わたしは出航の時間がありますのでそろそろ失礼しますが、ゾエさんにひとつ提案させていただいてよろしいですか?」
「提案、ですか?」
首をかしげたゾエの髪が揺れ、いつもより格段に女らしく見える。イアンの視線がその髪を追っている。
「現在、皇室が求めているのは獣人に関する情報です。獣人について魔塔ではほとんど研究が進んでいません。その分野において成果をあげることができれば、爵位の授与もありえると思います」
「爵位ですか? そんなのわたしは……」
ゾエの視線が隣のイアンに向かいかけ、ハッと我に返って目を伏せた。
「そういうことですので、博識なベルトラン卿も良かったら彼女に協力して差し上げて下さい。ではまたいずれ」
ペコッと会釈するノードにイアンは「あ、はい」とぎこちない返事を返した。ジゼルが華麗な跳躍でノードの肩に飛び乗り、ケケケッと笑う。
「まさか魔塔主が他人の色恋に手を貸すとはな」
イアンたちの姿はすでに人混みの中。
「別に色恋に手を貸したわけではありませんよ。ベルトラン公爵家とガルシア公爵家が繋がるのを見てみたくなっただけです。爵位を与えられるほどの研究成果など簡単にあげられるものではありませんが、彼らが獣人について調査してくれたらこちらもありがたいですし」
「イアンの恋心を利用するなんて」
あたしが言うと、「ベルトラン卿だけでしょうか」と返ってきた。
ゾエに爵位があればイアンの恋の障害はひとつ取り除かれる。それはゾエも望んでることなのだろうか。
そうだったらいいな、と思いながらあたしはノードに手首を掴まれて曳航されている。ゆらゆら、ゆらゆら。




