ラビと獣人たちの密談
いつの間に隠れていたのか、ジゼルがノードのローブの裾からヒョコッと頭を出した。
「ジゼル、あの子はあなたのことも知ってるのですから大人しくしていてください」
「ノルトさんはあの子どもとお知り合いですか?」
モブが聞くと、「うちの団員」と先にゼンが答える。
獣人の男二人は中央のテーブルに座ろうと椅子を引き、ラビは少し離れたところで居心地悪そうにうつむいていた。
「ラビはノードにもゼンにも気づいてないみたいです」
あたしが様子を伝えるとノードはうなずいてローブの紐をほどき、溢れ出した魔力にモブが顔を引き攣らせる。フロアに流れていた打楽器演奏のピッチが上がったのは、どうやら魔法具に魔力が干渉したようだ。
ラビの背中が緊張で強張っている。獣人の男二人はヒソヒソと囁きあい、中央のテーブルをやめて窓辺左奥の席に向かった。
「ノルトさん、その魔力は……」
そろそろ限界という顔のモブ。「すいません」とノードはローブの紐を結びなおした。
「なるべく離れた席に座って欲しかったので、少し自己主張しました」
「少し、ですか。こういうときは魔力の影響を受けないゼンがうらやましい」
モブが言う通り、ノードが意図的に魔力を放出したことにゼンは気づいていないようだった。
「あ、そういえば忘れてました。ジゼル、平気ですか?」
ノードがペラっとローブをめくるとプルプル震える白猫が一匹。
「主ぃ」
「あっ、コラ、ジゼル」
涙目で飛びついて来たジゼルをあたしは咄嗟に受け止め、サッとテーブルの陰に隠れた。奥の獣人たちには気づかれなかったけど、モブとゼンにはしっかり見られていた。
「ジゼル、宙に浮く猫の噂で持ち切りになっちゃうよ」
あたしはノードの膝にジゼルを戻そうとしたけれど、ガシッと爪を立てて離れようとしない。
「猫が浮いてるのは魔術ですか?」
モブが潜めた声でノードに聞く。
「ええ、まあ。わたしから離れたいようですが、店を駆け回ってあの子に見つかると困りますから」
ゼンの視線があたしを探してフラフラさまよったけど、すぐ諦めたようだった。
「おれで良かったらしばらくジゼルを預かりましょうか?」
「そうしていただけると助かります」
あたしはジゼルを抱いたままテーブルの下をくぐり(モブはそれも魔術と思っているようだった)ゼンの膝の上に置く。ジゼルの震えはおさまったけど未だ興奮状態で、ゼンが触れようとすると牙を剝いてブツブツと文句を言いはじめた。
「絶対わざとだ。ぼくをからかって遊んでるんだ。このドS魔塔主め。主はあんなやつのどこがいいんだ? 魔塔の仕事だって手伝ってやってるのに、こんないたいけな仔猫を魔力で脅すなんて悪魔よりよっぽど悪辣だ」
魔塔主は愉快そうにニコニコ笑っている。
「ジゼル、あまり鳴き声を出さないでください。ああ、鳴き声じゃなくて泣き言でした」
「主、今のを聞いたか? ぼくの主はサラだけなのに、こんな男にこき使われるなんてうんざりだ。主、ぼくが早く人間になれるように協力しろ。絶対魔塔主よりいい男に変身してやる。そうしたらさっさとピアスを奪い返して魔塔を出るぞ」
「ピアス?」
ゼンがボソッとつぶやき、それは耳のいいジゼルとノードには聞こえたようだった。
「おまえ、召喚獣がいなくてもぼくの声が聞こえるようだな。そういえば、かすかにあの召喚獣の気配がする」
ジゼルがフンフンとゼンのローブの匂いを嗅いだ。言われてみると、ほんのわずかだけどコトラの魔力を感じる。
あっ!
もしかして超ミニサイズになって胸ポケットに入ってるとか? ――とあたしは勝手に想像してゼンのローブをめくった。
「あれっ?」
めくったあと、違和感に首をかしげた。どうしてローブに触れるの?
モブに見られないよう慌ててローブをなおすゼンの手があたしの手に触れ、彼は目を見開いた。
マズい。
相手に見えない状態で服をめくるなんて、透明マントに隠れて痴漢をはたらくのと同じだ。
「主、手を放してやれ。その魔力は隠しておいたほうがいい」
動揺していたあたしはジゼルの声で我に返る。ゼンが首からぶら下げた琥珀色のマナ石がコトラの魔力を漂わせていた。
あたしが手を離すと、ゼンは首元からシャツの中にマナ石を滑り込ませ、めくれていたローブをきっちり直す。
「なるほどな。召喚獣の魔力をマナ石に込めたのか。その程度の魔力量なら獣人には気づかれんだろうが、外では気をつけた方がいいぞ。そもそもおまえは魔力を感知できないん……」
背後の気配にジゼルがパッと振り返った。
「モブ、ジョッキが空いてるようだが何かいるかい?」
声をかけてきたのはラビたちの席から戻ってきた店員。魔力のない普通の人間のようだけど、ボディービルダー並みに筋肉ムキムキだ。
「じゃあビールをふたつと、この猫に干し肉をもらえるか?」
「了解」
立ち去ろうとした店員をモブが「ちょっと」と呼び止めた。
「あの奥の客はよく来るのか?」
「来るようになったのは最近だが、おまえとは同業みたいだな。子どもは初めて見る顔だ」
マッチョくんの表情を見る限り、同業とは「商会の買付人」という意味ではなく「獣人」という意味だろう。
「同業ってのは直接本人に聞いたわけじゃないだろ?」
「当然」
「まあ、そうだよな」
空のジョッキを手にマッチョくんがテーブルを離れると、モブが「そろそろおれも」とおもむろに腰をあげた。
「ビールはふたつ注文したので二人はごゆっくり。おれはちょっと用事を思い出しました」
「盗聴ですか?」
ノードの鋭い視線に一瞬怯んだようだったけど、モブは「さあ?」と誤魔化して階段を下りる。ノードはテーブルに置き去りにされたリス皮を手にとり、テーブルの陰で手品のようにパッと消した。
「まあ問題ないでしょう。こっちにも盗聴係がいますから」
「ね?」と麗しい笑みがあたしに向けられる。
べつに断るつもりもないし、正直なところさっきから向こうのテーブルが気になって仕方ない。
「報酬はビールでお願いします」
「樽で差し上げますよ」
本気で樽を渡されそうだけど、まいっか。
そんなことより、ラビは今まさに悪の組織に引き込まれようとしているのかもしれない。こんなところで油を売ってるわけにいかないのだ。
「じゃあ、樽で」
ノードの苦笑に見送られ、あたしはスパイ活動を開始した。
窓際の四人がけテーブルにはビールジョッキがふたつとオレンジジュースとおつまみ。窓に防音結界が施されていて、幽霊のあたしでも押せば簡単に開きそうだった。
「なあ、急に涼しくなった気がしないか?」
獣人のひとりが「魔法具かな?」とキョロキョロと周囲を見回した。冷気の源はあたしです。
「それにしても、あのとき逃げた坊主がサーカス船に乗ってるとは驚きだよ。ウサギは足が速いって聞いてたが、持久力も相当なもんだな。港までけっこう距離があったはずだが」
男たちはニヤニヤ嫌らしい笑みを浮かべている。ジャンに似た髪色の金髪男はもしかしたら獅子の獣人なのかもしれない。もう一人は明るい茶髪に黒のメッシュ。エドジョーと同じチーターの獣人か、それともジャガーかヒョウか。
いずれにしろ男二人は猛獣の獣人の可能性が高そうだった。モブは「バルヒェットの魔獣ハンター」と言っていたけれど、バンラード王国から流れて来たのかもしれない。
それにしても「逃げた坊主」というのはどういうことだろう?
ラビを男の子だと勘違いしてるのは間違いなさそうだけど、「逃げてきた」というのはどこから?
「坊主、一人だけ逃げのびた気分はどうだ? おれらの呼び出しに応じたってことは罪の意識に苛まれてるんだろう?」
「そっちがしつこいから相手してやっただけだ」
「仲間のウサギのところに戻りたければ一緒に連れて行ってやる。捕まったやつらはべつに奴隷にされたり虐待されてるわけじゃない。家と仕事を与えられて何不自由なく暮らしてる」
「そんなの嘘だ。おまえらは獣人を狩ってたじゃないか」
強がって言い返しているけど、ラビはずっとうつむいたままだった。テーブルのオレンジジュースにはまったく口をつけない。
「仕方ないだろう。ウサギの姿をしてたら獣人だなんて思わないじゃないか。おれらだって食わなきゃ生きてけないんだしさ」
ラビが「うっ」と口元に手を当てた。
「ぼくはおまえらの餌になるつもりはない」
「おれらだってそんなつもりはないさ。森の中では不慮の事故も起こるが、辺境伯様が準備した居住区なら家だけでなく仕事ももらえて金が稼げる。食うために野生動物を狩る必要はないんだ」
「必要がなくなってもおまえらはウサギを見たら狩るだろう?」
男二人はラビの発言に顔を見合わせ、ケラケラと笑った。ラビは膝の上でこぶしを震わせている。
「おまえらみたいなのが来たせいで、バルヒェット南部はもう普通の獣人が暮らせる場所じゃなくなったんだ」
「おれらは普通じゃないって?」
「人前で獣化して平然としていられるのは猛獣だけだ。ぼくらみたいな普通の獣人の敵はおまえらだけじゃない。人間だってぼくらの天敵なんだ」
ラビは男たちの勘違いを利用して男の子のフリをしているようだった。
肩につくくらいの髪はあたしには女の子に見えるけど、この世界では男の子のボブカットも珍しくない。顔立ちは中性的だし、男の子ということにした方が安全だという判断だろう。
金髪の男が隣に座るラビの髪をクシャクシャとなでた。
「あっちもこっちも敵だらけのウサギちゃん。味方はサーカス団にいるんだろう? サーカス団員が獣人だっていうのは本当かい?」
ラビはサッと顔をうつむける。
「……知らない。そうだとしても獣人が正体を明かすわけないじゃないか」
「帝国の獣人は憶病だからなあ」
男二人はまた嘲るように笑ってビールを煽った。
「まあいい、その話はまた今度にしよう。今週末でオクレール公演は終了、その次はバルヒェットだろ? バルヒェットに戻ってきたらとっておきのショーにおまえを招待してやるよ」
「ショー?」
ラビは興味を引かれたのか顔をあげ、男たちが笑みを深くした。どう見ても詐欺師。
「バルヒェット領では伝統的なショーだ。伝統とはいえ大衆向けの娯楽には目新しさが必要だからな、最近はリンカ・サーカスを見習って観客参加型のプログラムを用意してる。それがかなりの好評で、噂を聞きつけた貴族たちが遠方からお忍びで参加するくらいなんだ」
「バルヒェットに住んでたけど、そんなショーは聞いたことがない」
「山の中に籠ってたウサギ獣人が知るわけないだろ。ウサギちゃんは繁華街に行ったことがあるのか?」
ラビが押し黙ると、金髪男が「だからさあ」と肩を抱き寄せる。
「おれたちが大人のショーを教えてやるって言ってるんだよ」
ニヤニヤ笑う金髪。大人向けで観客参加型とはずいぶんいかがわしいけど、金髪の次の言葉であたしの想像とは違っていることに気づいた。
「ウサギちゃんはせっかくサーカス団にいるんだから、銃の練習でもさせてもらっときな。そうすればもっと楽しめるだろうよ」
どうやら性的な意味でのR18ではなく暴力的な意味でのR18っぽい匂いがする。しかも、そのショーには銃が使われているようだ。
銃が出回り始めたのは最近のことだから、つまりバルヒェットの伝統的で暴力的なショーに銃を使った観客参加型のプログラムが加わった――ということか。
「そんなショー、行きたくない」
ラビが吐き捨てるように口にした。
「そう言うなって。サーカス船がバルヒェットに着いたら迎えに行くから、楽しみに待ってな」
「そろそろ出よう」と男二人は立ち上がり、ラビが慌てて後を追ったのは、一人店に残ったら男たちの分も支払わされると思ったのかもしれない。
ラビの姿が見えなくなったとき、あたしはフロアのどこにもノードとゼンの姿がないことに気づいた。階段近くのテーブルに中途半端に飲み残されたビールジョッキがふたつとおつまみ。
ちょうど窓際にいた客も席を立ち、あたしは完全に一人になった。
ジゼルとノードの気配が外にあるのを感じて両開きの格子窓を押し開ける。防音結界が解除されて音が外に漏れ出し、路地を歩く人々が一斉にこっちを見上げた。
ジゼルはたぶん屋根の上。ノードの気配は真向かいの店の前にあり、あたしは窓から飛び下りようとしたけど彼の隣に女性がいることに気づいて思いとどまった。
その女性は親しげにノードと腕を絡め、あたしを見上げてまっすぐ視線を合わせる。そして、種明かしするように肩にかけていたストールを脱いだ。
ノードには及ばないけれど、他の魔塔の魔術師たちからは感じたことがないくらいの魔力。
「……クラリッサ?」
緩やかなウェーブを描く橙色の艶やかな髪、着ているのはドレスではなく白シャツにパンツスタイル。豊満な胸をギュっとノードの腕に押し付け、ニッと笑う唇は挑発するような紅色。
腹立たしいのはノードが一瞬たりともこっちを見ようとしないことだった。しかも、あたしから逃げるように細い路地に入ろうとしている。
「主」
ジゼルの声が聞こえたと思ったら、白猫がストッと窓の桟に降り立った。
「あの女が来て魔塔主は慌てて出て行ったんだ。女が体に巻いていたあの布だが、この魔力を抑制してたんだからかなりの高級品だぞ」
いや、問題はそこじゃない。
彼女があたしに見せびらかそうとしてるのは高級魔法具でも上級レベルの魔力でもなく、お色気むんむんのナイスバディ。挑発するようにヒラヒラと手を振って、その手でグイッとノードを引き寄せ彼の左耳に唇をつけた。あたしのピアスがついてる、ノードの左耳に。
ケケケッとジゼルは笑う。
「ジゼル、あれ、クラリッサだよね?」
「ゼンはそう呼んでいたぞ」
ちょうど名前の出たゼンがクラリッサの腕をノードの反対側から掴み、三人は楽しげに何か言い合いながら路地に姿を消した。
――ひどい。
いくらなんでもひど過ぎる。
あたしは一人でちゃんと盗聴任務を遂行してたのに、一言も声をかけずに店を出て、しかも行き先も告げず女連れでどっか行っちゃうなんて。
「主、後を追うか?」
「追わない。もう知らない」
「それがいい。別にあいつに頼らなくてもやっていけるし、あいつの近くにいないほうが好き勝手できる。こうして猫が宙に浮いても文句を言われずに済むしな」
ジゼルは優雅なジャンプであたしの肩に乗り、クラリッサがノードにしたようにあたしのピアスをペロッと舐めた。
「おい! なんだあの猫」
「猫が浮いてるぞ!」
階段を上がって来たばかりの客が二人、こっちを指さして言った。
窓枠に手をかけてヒョイと外に飛び出したあたしの向かう先はもちろんノードとは正反対。浮く猫が噂にならないよう得意の数秒移動で二区画ほどすっ飛ばし、ふと覚えのある気配がして近くの屋根に降りた。
「主、ついて行ってみるか?」
さすがジゼル、以心伝心。
「行ってみよう」
ついさっき見たばかりの金髪と茶髪メッシュの獣人ふたり。店を探しているのかキョロキョロあたりを見回しながら路地を歩く彼らのそばにラビの姿はなかった。




