幸せになってね!
いよいよ来週に迫った兄さんの結婚。
私は子供を旦那に預け、親友で兄さんの結婚相手である伊藤美咲の家を訪ねた。
「おーす」
「栞、待ってたわ」
昔の様にインターホンを鳴らすと、弾けた笑顔の美咲が私を迎えてくれた。
すっかり所帯染みてしまった私と違い、美咲は昔と変わらずとても綺麗だ。
お互い30歳なのに、この差はどこでついたんだ?
「うむ、相変わらず綺麗ね」
「ありがとう...」
思わず出てしまった言葉に頬を赤く染める美咲。
前言撤回、昔より綺麗だ。
5年前に婚約を決めた前回時より遥かに...
「どうしたの?」
「ううん...」
いかんいかん、親友の顔に見惚れてどうする。
「おばさんは?」
「昨日から実家に帰ってるわ。
今頃式に来てくれる親戚に挨拶周りをしてると思う」
「そっか」
おばさん、ずっと心配してたもんね。
22年前に旦那さんを亡くして以来、美咲を女手一つで育てて来たんだもの。
「ようやくだね」
「うん...5年も掛かちゃった」
美咲が婚約破棄して5年だけど、あんな記憶は私にとっても悪夢でしか無い。
「違うよ美咲」
ここは訂正しよう。
「2年だよ」
「そうね、2年だわ」
美咲も分かってくれた。
兄さんと再会してから結婚まで掛かった時間こそが全てだ。
「さあ上がって」
「ありがとう、これ旦那からのお土産」
買い物袋を美咲に差し出す。
中にはワイン数本とおつまみのチーズや生ハムが入っていた。
美咲の家に訪ねるのを知った旦那が取って置きのワインコレクションから私に数本持たせてくれた。
「ありがとう!」
美咲もワイン好き、目を輝かせる。
おつまみも私達の大好物を用意したし、今日は気兼ね無く飲むぞ!
「それじゃ美咲と兄さんの結婚を祝って乾杯!」
「乾杯!ありがとう!」
リビングで早速ワイングラスを合わせる。
本来のマナーならグラスを合わせず、目線を合わすだけだが、今は良いよね?
いつもなら軽くグラスを回し、薫りを楽しむが今日は一気に口へと流し込んだ。
「美味しい!」
「本当!」
美味しい!いつものワインと全然違う。
値段か?いや、この幸せな気持ちが尚更そう感じさせるのだろう。
たちまち一本目のワインが空になった。
「それにしても大変だったね」
「何が?」
早速ほろ酔いの私達。
些か唐突に質問を美咲にぶつけた。
「聞いたよ、先週兄さんのマンションに...」
「ああ、修二さんの元婚約者が来た事ね」
「全く、何で知ってたのって話よ」
私に兄さんは言わなかったが、事の顛末は新しく搬入した家具や食器類の整理を手伝う為、助っ人に行っていた私達の友人達から聞いた。
こんな事なら用事を断って、私も行けば良かった。
「修二さんが前に居た会社の人を通じて知ったらしいわ。
元婚約者も以前同じ会社に居たそうだから」
「なんですって?」
「関連会社だから、どこからか修二さんが結婚する情報が漏れちゃったみたいね」
美咲は苦笑いだけど、
「大丈夫だった?」
済んだ事でも心配せずにはいられない。
女は喚いていたらしいが、直ぐに帰ったと聞いていた。
「まあ...散々言われたわ、
中古女だの、初めてを捧げ無かった売女だの、貴女なんか相応しくない今から別れなさい...とかね」
「...酷い」
なんて酷い事を言うのだ!
「大丈夫よ、全く堪え無かったから」
明るく笑う美咲にホッとする。
「で、何って言い返したの?」
下世話だけど思わず聞いてしまう。
「別に大した事は言ってないわ、
『良く調べましたね、その通りですよ。
貴女の方こそ、よくそこまで愛した人を裏切る事が出来ましたね?
別れろ?バカですか?
あっそっか、バカだから裏切ったんでしたね』
私が言ったのはそれだけよ」
「...美咲」
笑顔のまま、淡々と話す美咲に恐怖を覚えてしまう。
美咲って、こんな女だったかしら?
「絶対に修二さんは渡さない」
「そっか」
兄さんを渡すまい、その強い意志がそうさせたのか、納得。
「よくやりました!」
「ふふ、ありがとう、女は遠方の親戚に預けられたから、もう大丈夫だって」
女に情報を洩らした奴は単なるお節介な女だった。
『由実可哀想じゃない!』
そう宣って全員から冷たい視線を浴びたそうだ。
何が可哀想だ!自分に置き換えてみろ!
寝取った男も会社での立場を失くし、出世コースから外され僻地に飛ばされた。
別に居た本命彼女の実家からも慰謝料を請求されたそうだ。
これで兄さんの身辺は安心。
「どうして二回も...」
更に酔いが回った頃、美咲が呟いた。
「何故かしら?
修二さんは優しくって、真面目だけじゃなくって楽しいし、稼ぎも悪くない...見た目だって...大好き」
「おーい」
こりゃ不味い、ペースダウンだ。
「はいお茶」
「ありがとう」
熱いお茶を淹れ美咲に渡す。
ゆっくりとお茶を飲む内にどうやら落ち着いたみたいだ。
「裏切った女の気持ちは分からないな」
「そうよね...」
お互い浮気の経験は無い。
もっとも、したくも無いが。
「でも相手の男の気持ちは少しだけ分かるって、この前旦那が言ってた」
「本当?」
やっぱり食いつくよね、私もそうだったから。
「おそらく嫉妬だって」
「嫉妬?」
「うん、兄さんって人から羨ましくなるんだって」
「羨ましい?」
今一つ理解出来てないか。
男である旦那から聞いたら説得力持つんだけど。
「つまり、頭が良くって、人当たりも良い、そんな人から幸せを、女を奪いたくなる奴もいるって」
「まさか?」
「まあ特殊な人種だと思うけど」
『貴方もそうなの?』
あの時は酔ってたから、かなり旦那に詰めよってしまった。
『俺は...お前という最高の女をあいつから奪っちまったからな』
もう!そんな事言うんだから!
「どうしたの栞、顔が真っ赤よ。
飲みすぎた?」
「な...何でもない」
いかん、落ち着こう。
「それで大切な人を奪うって、それに乗る女もバカじゃないの?」
「まあ、女も大概よね」
「真正のバカよね」
美咲も前回の婚約でバカ達から被害を被ったから言葉に実感があるわ。
そう言えば美咲の元婚約者も一度姿を現したらしい。
『待たせたな美咲!』
ヨレヨレのスーツに真っ赤な薔薇の花束を持って美咲の勤める会社前で叫んだ。
何が待たせただ?
当然警備員に摘まみ出された。
なんでもヤバい所からお金を借りていて切羽詰まっての行動だったと美咲から聞いた。
『あんなバカだったかしら?』
心底呆れた美咲の顔が印象深く残った。
「...飲もうか」
少ししんみりしてしまったので、再びワインを手にした。
「そうね」
今度はゆっくりと味わう。
やっぱり旨い。
「愛...感じてる?」
気にしてた事を美咲に聞いた。
兄さんに再会する前、
『何も感じなくなっちゃった』ってベロベロに酔った美咲が私に...
「栞何を...」
驚いた目で私を見る美咲。
だけど、知りたいよ。
「教えて」
「...うん感じてるよ、間違いなく」
「一番に?」
「当然よ、心から信じて愛してる...そうだからでしょうね」
「良かった」
真っ赤な美咲を見ていると、私まで心が満たされる。
「...おめでとう美咲」
グラス越しに視線を合わせた。