守りたいもん
新しい元・《月夜の林》の武家屋敷は大きすぎて迷路のようだった。それでも毎日、部屋という部屋を渡り歩き、凡その見取り図を頭に叩き込んだ。勿論、踏み入れてはいけない部屋には入っていない。だから凡そなのだ。
そんなある日。将軍、つまり《星の輝き》の城から使者が家老を訪ねてきた。滅多にない出来事に花吹雪は興味を持った。使者の間までは縁側経由で近づけるのだが、上之間あたりで若党の誰かに見つかる可能性が高い。
しかし、好奇心に留まるところを知らない。花吹雪は玉砕覚悟で使者の間へ向った。案の定、若党の《重盛》に遭遇する。重盛は父のお気に入りだ。それ故、腕は立つ。あっという間に脇を抱えられて持ち上げられてしまう。
「これは、花吹雪様。これより先は、来客中ですので、出直してくだされ」
家老に会いに来たと思っているのか、重盛は笑顔で私を肩車する。そして、あれよあれよと、使者の間から遠ざかり、表居間まで連れてこられてしまった。
ぷっくりと膨らんだほっぺたを指で押され、ぷしゅーっと空気が漏れた。はっはっはーと大笑いする重盛が消えたのを確認して、花吹雪は台所や土間を突っ切り番所に侵入した。ここからなら帰る使者の姿を見ることが出来るのだ。
しかし、ここにも若党の《和泉》がいた。先手必勝とばかりに和泉の膝の上に乗っかり耳を両手で塞いだ。そして両足で、和泉の足を抑えて、意地でも退かないと主張した。
「参りました。勘が鋭い花吹雪様ですから、客人の様子が気になるのでしょう。しかし、ここでは目立ちすぎます。この中二階が絶好の監視場所ですので、そちらにどうぞ」
あえて番所の屋根付近に監視用の覗き場所が良いされている理由は、それだけ全主の《月夜の林》が悪事を重ねてきたという証拠にもなる。来訪者が《広川》の関係者どうかを調べる目的で造られたのだ。番所がそれをやると不審がられるためである。知らなければ表情にも出ないのだから。
私はジッと来客の帰りを待つ。余りにも待たされうたた寝しそうになるが、グッと堪えた。するとようやく人の足音が聞こえてきた。
覗き穴は小さく視野角が狭い。花吹雪は穴から目が飛び出しそうなくらい穴を見つめる。早く、早く、こっちにおいで。私は見たいのだ!
やがて集団の全容が穴から見えた。
あっ。花吹雪は悲しくなった。その集団に女は一人、花吹雪よりも少し背が高いくらいの女の子だ。つまり、あの女の子が……父の側室となる女なのだ。
そんな花吹雪の視線とその女の子の視線が重なり合った。瞬時に花吹雪は理解した。こんな小さな穴からの視線に普通の女の子が気付くはずがない。つまり、穴の存在を知っていた。それは……あの女の子が、《月夜の林》の娘だから。
《月夜の林》の血が家臣の枠組みから絶えることは、《月夜の林》一族にも関係者にとっても耐え難い屈辱である。ならば、父、影斬りの子としてでも、その血を娘から子へ孫へ保てるならば、荒ぶる者たちを抑えることができると将軍は考えたのであろう。
グッと握りこぶしを作った花吹雪は、番所を大股で出ていく。
《影斬り》を継ぐのは《雪桜》との子だけだ。
一層想いは強くなった。
子供部屋に戻った花吹雪は、新薬の作成を急いだ。これまで百回を超える失敗を繰り返してきたが、それは入手困難な花の代替品を探していたからだ。
焦る気持ちを抑えて、ゆっくりと丁寧に乳棒を回す。この薬は草花を混ぜ合わすだけの簡単な部類の薬だ。
ようやく商人の番頭から入手した花で作った新薬を小者に飲ませる。すると効果覿面だ。小者のあそこは、あれよあれよと大きく反り勃った。