緩やかな変化
武家奉公人の中でも身分の低い《小者》は、朝早くから夜遅くまで働き続ける。栄養価の低い食事と残雪残る雪山からの冷たい地下水を使用しているためにあかぎれも酷い。そんな自己犠牲以外のなにものでもない働き方をする小者に花吹雪は興味を持った。
領地ごとに将軍への道のりは異なる。属国を二つほど持つ《富田》は強者が将軍となる。大船を積極的に造船する《広川》は知恵者が将軍となる。しかし、この国のように《星の輝き》という将軍の通名が国名となっているような世襲制の国では、生まれながらにしてたどり着ける地位は決まっていた。どのような功績をあげようとも地位に反映されないが、失敗すれば即座に降格が決まる。プラスはなくマイナスだけなのだ。つまり、目の前で歯を食いしばり夢を見る小者は、世の中を解かっていない愚か者なのだ。
花吹雪は、名も知れぬ小者のあかぎれの手を取り、作りたての傷薬をその手に塗った。驚くべきことに、効果はてきめんでひび割れた皮膚は修復し潤いを取り戻す。そして保湿効果が手を覆った。それに気が付かない小者は痛みが引いただけで大喜びだった。花吹雪の柔らかい手に触れられ、そして花のような何とも言えない甘い香りを放つ花吹雪に、小物たちはメロメロであった。
花吹雪としては、丁度良い薬の被験が見つかって満足してたのだが、小物たちの間では天女のような人物であると崇拝する者が現れた始めた。
検証結果を手に入れて終わったものだとばかり考えていたが、小者に近い《中間》にもその噂が届き始めると、試しに使ってみたいと言い始めた。しかし、試験的に作ったため量を確保できておらず、いささか面倒だったが父の役に立つだろうと気持ちを切り替え、量産に踏み切った。
季節が何度か変わり花吹雪が八歳になると、いろいろと生活にも変化が訪れ始めた。まず武家屋敷の引っ越しだ。将軍の家臣の一人、《月夜の林》が打ち首になった。《広川》と裏で繋がっていたのだ。花吹雪は猶予がさらに縮まってしまった可能性に憤った。その《月夜の林》の武家奉公人の中で、身の潔白が証明された者を父が受け皿となり引き取ることが決定したのだ。という訳で現在の武家屋敷では小さく大きな武家屋敷に引っ越すことになった。また父の遺伝子を継ぐ男子が早急に求められていた。
子が出来ない理由は、正室である母の問題と言うよりも父の問題であると、父は母を護るために公然にしていた。しかし、男の世界であるがため、それは握りつぶされた。と言うよりも将軍の一言により、原因は母、つまり正室となり……側室を設けることになった。元の世界でも貴族様は側室を設けるのは当たり前であったが、こちらは平民であったので、やはりどうも受け入れがたい。
また父が反対していた理由の一つに、私が含まれていたことに驚いた。
「お前も側室として指名が来る可能性がある。学べることは学んでおきなさい」
側室を儲けと側室の指名が来てしまうのだ。こんな悲しそうな父の顔を見たのは初めてだった。側室は国内と国外での扱いに大きな違いがある。きな臭いご時世である。戦の戦局を変える一手として国外に出される可能性もあるのだ。それはそれで国内に出されるよりも良いのではないかと思う花吹雪であった。それならば時間が稼げるのである。
「ここは母・《雪桜》に相談するべき」
母に会うのは半年ぶりである。まず母に会うためには父の許可がいる。父ではなく《影斬り》に対して、面会の許可のため書簡をしたためる。赤裸々に書かれた内容は父にとって胸が苦しくなるかも知れないが、そこは我慢していただこう。
返事が来るのは当分先だ。新たな薬作りに取り掛かった。これが成功すれば、側室など不要になるかも知れない。想定したレシピは、参百壱拾壱通りだ。傷薬から流用できる草花と、入手困難な花があった。
そのための資金調達として、花吹雪は大量に作った傷薬を、下町で売り出す計画を立てていた。父にも相談はしていない。下町で売るルートの確保のため、武家屋敷に出入りしていた商人の番頭を捕まえて直談判した。
「父には内緒ですよ。儲けは6、4でお願いします」
「この傷薬の質ならば、知れ渡るまで少々時間はかかりますが、知れ渡れば入荷と同時に捌けるようになります」
花吹雪は実演の素材として小者を連れて来ていた。その効果を間近で見た番頭は驚きながらも、儲けの予感に顔を綻ばせていた。