36 働き者
翌日の朝、カリンはこんなことを聞いてきた。
「ご主人さま、お仕事のことなんですけど」
「お、何かやってみたいこととか見つかったのか?」
カリンは町や市場の店主から声をかけられているらしく、そちらの方で働いてみたいと説明する。
俺の家で学んだ家事の能力を生かして、どこかの家のお手伝いさんになるのも良いかと思ったらしいが、場合によっては日を跨ぐ事になるかもしれないし、奴隷である私が他の家の使用人というのもよくわからないことになりそうなので避けたいそうだ。
「あとは、慣れた場所でのほうが色々と都合が良いかなとも思ってます」
「ああ、それで良いんじゃないか。どこのお店から声をかけられてるんだ?」
カリンは指折りをしながらそのお店を教えてくれる。
よく見ると、こちらの国ではそれほど見ない、西方の国では一般的な順番で指折りをしている。
「どこで働きたいってのは絞ってあるのか?」
「いいえ、まだです」
その中で稼ぎやすいとなると、店も大きく客数も多い市場中央の青果店か、それほど大きくはないが一回の売買で動く金が大きめの宝石店あたりだろうと俺は軽く説明する。
しかしそれを聞いたカリンはいまいち浮かない顔をしていた。
将来妹を買い戻す資金となることを理解しているとは思うが、他に考えていることもありそうだ。
「本当は働きたいと思っているところがあるんだろ?」
「はい、ご主人さま」
「どこか教えてくれるかい」
「昨日ご主人さまと一緒に行った、おばあさまのところの青果店です」
働いてくれないかと直接的に言われたわけではないらしい。
しかし、腰が悪く店に出るのが少し辛い日もあることや、せっかくうちの旦那が残してくれたお店なのだからもう少しどうにかしたいと言っていたことがあったそうだ。
カリンのことだから、どうにかして店を続けたいという婆さんの気持ちも汲み取っているんだろう。
「ただ、それほど繁盛していないので人を雇うのも難しいとも仰っていました」
要は賃金があまり出そうにないということだ。
妹のためにはお金が必要だが、目の前の人もできることなら助けたいという葛藤にカリンは悩んでいようだった。
話を聞いた俺は食後のデザートを食べながら少し考える。
昨日の出来事と話を思い出し、手元の果実に目を移す。確認は必要ではあるが、まあ大丈夫だろう。
「カリンがあの婆さんのところで働きたいと思ってるならそれが一番の選択だろう」
「でも、それですと……」
「いや、賃金の話は多分だが大丈夫だろう」
これでも俺は投資家で先のことを読むことが得意なんだと付け加える。信頼性はまあ、そこまででは無いかもしれないが。
「はい、ご主人さま。背中を押してくださってありがとうございます。早速ですが今日、おばあさまとお話をしてきてもよろしいでしょうか?」
「ああ、早いほうが良いだろう。行ってきなさい。あとそれとだ、カリン」
俺は気になったのでカリンに付け加えておいた。
「確かに最初は奴隷と思っていたこともあったが、今はそんなこと無い。それこそ優秀な使用人あたりだ。家の中でも自分から奴隷だなんて言わなくて良いんだぞ」
「はい、承知しました。ありがとうございます、ご主人さま」
カリンはそう言いながらいつもとは違う笑顔を見せるのだった。
働く時間などについては、家の基本的な家事と図書館や俺と一緒にやる商談の仕事に影響が出なければ頑張れるだけ頑張ってきなさいと伝えて俺はカリンを送り出した。
しばらくして帰ってきたカリンが報告をしてくれた。
働く時間はとりあえず昼の前後くらいで、図書館業務や俺の付き添いについては事前に言ってくれれば問題ないそうだ。
「ああ、頑張るんだぞ」
「はい、ありがとうございます。早速明日からです。ご主人さま」
それからカリンは図書館と青果店の仕事を掛け持ちするようになった。
昼前には行ってしまうので、俺の昼飯は作りおきのものとなっている。
かと言って適当なものを用意しているわけではなく、いつもと変わらぬ美味しさを保っている。
火のかけ具合を俺が間違えるようなことをしなければ問題は無さそうだ。
そんなある日、俺はある家を訪れた。
カリンの背中を押してしまった手前、確かめておきたいことがあったからだ。
「はい、どちら様でしょう」
「突然申し訳ありません。初めまして、私、イワンと申します。少しお伺いしたいことがあるのですが……」
食事のときや風呂の行き帰りなどでカリンが話す内容は、働いてるときのものが多くなっていた。
婆さんの所で働き始めた当初はお客さんが少ないのでどうしようだとか、とりあえずお店のお掃除から頑張っていますとか、そんな話が多かった。
しかし夏が終わりの頃になると、お客さんが多くて助かっていますとか、おばあさまも元気そうですとかそういった話が多くなった。
とある夕食時、カリンは俺に疑問を投げかけてきた
「でもどうして、それまでは全然だったのにここまでお客さんが増えてくれたのでしょうか」
「ああ、それはだな」
逆に俺がカリンに問いかける。
「カリンは果物の良し悪しって判断できるか?」
「いえ、色々やってみてはいるんですけど、正直わかってないんです」
いつだったか、叩いたり香りを確認したりするもよくわかっていない様子だったカリンを俺は思い出す。
「その割には、食卓にあがる果物は甘く、香りも良い」
「はい。上手く選べてたのかなとは思う一方で、正直私自身も出来すぎなのでは変に思ってました」
「それについてな、一応確認のため聞いてみたんだ。勝手にやってしまって悪いとは思っていたんだが」
「誰に何を聞いたのですか?」
「あの婆さんの息子夫婦だ」
あの日俺が訪れた家は息子夫婦の家で、婆さんの青果店について少し話を聞いていたのだ。
息子夫婦の言うところによると、自分たちの仕事はうまいこと安定しているらしく、母親にあたる婆さんには比較的上等な果物を卸していたそうだ。
「そんなからくりがあったんですね」
カリンはそう言いながら果物を口にする。
婆さんのところで働き始めてからは給料とは別に、余って傷んでしまったら勿体ないからとただで貰ってきているものも多数あった。
給料については俺も一応確認しているが、商売繁盛となったので低賃金ということでもなく、どちらかというと付近の相場よりもだいぶ多く貰っているようだった。
「上手くいって本当によかったです、ご主人さま。おばあさま所で働くことを勧めてくださってありがとうございました」
「ああ、よかったな」
カリンとしては困っている人を助けることが出来たし、お金も十分に貰えて満足な結果となっている様子だった。
ただ、商売繁盛となった理由はもう一つあると思っている。
カリンが町で働くとなるとカリンの知り合いが多く来たはずだ。そこから美味しい果物が売っているお店があると人伝に広がっていったんだろう。
これについてはカリンが今まで町や市場で笑顔を振りまいて、多くの人と良い関係を築き上げてきた結果が現れたものだ。
もちろん、働く中で新しく知り合った人とも上手くやっているのだろう。
しかしながら、カリンにこのことを伝えた所で否定されてしまいそうなので、言おうか少し迷っていた。
ただ、お向かいさんの助言もしっかり受け止めようということで、今しがた考えていたことをカリンに伝えた。
「ありがとうございます、ご主人さま。でも、そんなことありませんよ」
やはりカリンはそう笑顔で否定してくるのだった。
「それよりも」
カリンはうってかわって怪訝な目をして続ける。
「息子夫婦さんの話こそ先に聞いておきたかったんですけど」
そう言うカリンは少し口を尖らせていた。
「あ、ああ。すまなかった」
俺はこの後言い訳にもならない説明をすることとなった。
お読みくださいましてありがとうございます!
ノートパソコンでカタカタ書いてるのですが、キーボードの「z」が反応しなくなり始めたので恐怖を感じています。ざ行とCTRL+zが使えるなくなるのは辛い…。
(物語はイワン目線なのに、カリンが日中働くとなると書くことがなくなるので、展開が早くなるのでは?と今更になって気がつく先の見えていない著者)




