32 念の為
昨日のカリンの宣言通り、今日の昼食の呼び出しはいつもよりだいぶ早いものとなった。
カリンは、多分今日は大丈夫だと思うんですけど、と付け加えて
「洗濯物は干しっぱなしで行くことになるんですけど、申し訳ないんですが雨のときだけ取り込んでいただけますか?」
と俺に頼み事をしてきた。
「ああ、わかった」
それくらいなら、まあいいだろう。
それに加えて帰りはいつもどおりになるとか、夕飯の仕込みは終わってるので楽しみにしててくださいとか、テキパキと教えてくれた。
本を荷馬車に積み込む作業がどれほどのものかはわからないが、今日のカリンは動きやすい服を選んだようだった。
「今日は昨日と違って涼しいからな、よかったな」
「はい、助かりますね、ご主人さま。」
「それでは行ってきますね!」
「ああ、いってらっしゃい」
昼食後、食器をすぐに片付けてカリンは図書館に向かった。
庭先では洗濯物が風を受けて気持ちよさそうになびいていた。
仕事部屋に戻って簡単な仕事から片付けていく。
昨日に引き続き、もらった資料をまとめて棚に戻していく。
一応、過去の取引の記録もパラパラと眺めて、今後の対応も思索しておく。昔してしまった失敗を繰り返すのは流石に避けたいものだ。
しかし面倒なのは税関系だ。
店をやっている場合と異なり、俺みたいな不労所得者は何で金を稼いでるかをある程度明示しなければならない。
実は違法なことをして金を儲けていたんじゃないかとか、禁止されているような高レートでギャンブルを行っているのではないかとか、そういったものでは無いということをある程度証明しなければならないのだ。
小銭程度ならいいが俺の場合は動く金が大きく、町から目をつけられている以上、面倒ながらもそういったことまでやらなければならない。
具体的には商談や視察などの活動をまとめた資料や、契約書の大雑把な写しを提出する必要がある。
まあ、それでも商店なんかは何を仕入れていくらで売ったとか管理しなければならないからそれもそれで面倒そうではあるが。
昔は忙しい中でこの作業をしていたもんだからミスや記入漏れなどが発生し、尚の事面倒な作業になっていく……。なんてことになっていたが、今となっては家事全般をカリンに任せているので時間に余裕がある。
「随分楽になったもんだ」
なんとなく独り言をつぶやき作業を進めた。
いつもならそろそろカリンが帰ってくる頃になった。
が、同時に、雨が降る直前のあのなんともいえない匂いが、冷たい風によって運ばれてきた。
ひとつため息をついて作業を中断し庭先に向かう。
既にポツポツと降ってきているようだった。肌に落ちる水滴は思いの外冷たい。
急いで取り込んで家の中に洗濯物を避難させる。
仕事の方は一段落ついていたので、洗濯物を畳んで時間を潰していても良いが……。
窓に目をやると雨が本格的に降り始めていた。
それを見て、色々と思い出し、少し考えてから俺はまず寝室に向かった。
玄関先の門が音を立て、続いて玄関のドアが乱暴気味に開かれた。
「ごめんなさい、ご主人さま!ただ今戻りました!」
玄関からカリンの声が聞こえる。
「ああ!玄関にタオルを置いといたから、さっさと拭いて着替えて、俺のベッドでくるまっててくれ!」
「え、いえ!でも!」
「いいから!」
俺は玄関にいないので大声で対応している。
少し経つとカリンが自身の部屋に走り込む音が聞こえ、その次に俺の寝室に駆け込む音も聞こえた。
キッチンにいた俺は従ってくれたかと一安心し、頃合いを見て鍋を火から下ろすのだった。
寝室に入ると俺がさっきクローゼットから取り出した毛布にくるまるカリンの姿があった。
「涼しいのが仇になったな」
「すみません、ご主人さま」
俺は今しがた作って持ってきたホットミルクをカリンに差し出す。
「ありがとうございます、ご主人さま」
少し震えながらカリンは口をつける。
「ご迷惑をおかけします、ご主人さま」
「まあ、噛み合わない日もあるってことだろ。気にするな」
そう言いながらカリンにおかわりを差し出す。
「だいぶ楽になったと思います、ご主人さま」
「ああ。念の為に雨が止んだらとっとと風呂に行くぞ」
そう言いながら俺は上着を取り出す。
雨は少しずつ弱まっていた。
「え。でも」
「いいから、これは命令だ」
振り返るとカリンはうつむいて押し黙っていた。
雨がやんだので共用風呂へ早足に向かった。
少し涼しい程度だったので俺はそのままの格好で問題なかったが、カリンには時期に見合わない俺の上着を着せている。
「念の為に言っておくが、ゆっくり入ってくるんだぞ」
そう言い聞かせてカリンを女子風呂に向かわせたのだった。
俺も風呂に入り体を休める。
といっても一日中座り仕事だったので大して疲れてはいないのだが。
カリンにとっては珍しく裏目に出てしまった日だったのだろうと、なんとなく想像しながら足を伸ばして湯に浸かっていた。
まあ、俺としても我慢を必要とされているが、仕方ない。
長めに時間をとって風呂から上がると、長椅子に座るカリンの姿があった。
いつもどおりの良い姿勢だったので、体調は問題無さそうだろうとなんとなく安心する。
「待たせて悪いな」
声をかけるとカリンは慌てて立ち上がる。
「いえ、私も今上がったところです。それよりもご迷惑をおかけしてすいませんでした」
「いいや、気にかける必要はない」
帰り道、俺の上着を着て歩くカリンはうつむいて一言も喋ろうとしない。
察するに、今回のことをどう言っても言い訳らしく聞こえてしまう可能性があるからか、自分からは言い出しにくいと感じているのだろう。
「今回は災難だったな」
俺は話しかける。
「昼の天気の勘が外れたところから色々ずれてしまったのかもな。まあ、今回のは通り雨だったから、予想も難しかったのか?」
「はい、ご主人さま」
カリンは薄く反応を示す。
「で、図書館からの帰り道、雨が降り出した事に気がついたお前は、走って帰ることを選択したんだ」
俺は続ける。
「普段なら雨が止むまで待ってたかもしれないが、特に今回はな。昼飯はだいぶ早かったし、夕飯を楽しみにしててくださいなんて言ってしまった手前、俺が間食もせず腹を空かせて待っているかもと考えてしまったんだろ」
カリンに目をやると黙ってうなずいていた。
「通り雨じゃなくてしばらく降るとしたらずっと足止めだし、もしかしたら強い雨にならないかもとも考えたんだろ。しょうがないさ。で、結果的にずぶ濡れになって帰ってきたと」
カリンからの反応は特にないが勝手に喋り続ける。
「それなのに家についたら、ベッド行きなさいと言われ、さらには先に風呂に行くと言われ。夕飯のために急いで帰ってきたのに、迷惑をかけるは夕飯は遅くなるはと裏目裏目にでてしまったんだよな」
少し間を置いてカリンは返事をする。
「その通りです、ご主人さま。申し訳ありませんでした」
「まあ仕方ないさ。さっきも言ったが噛み合わない日もあるんだ。気にする必要は無い」
そう言って俺はカリンの頭を撫でる。
しっかり念入りに拭いてきたようで、少しだけ湿っている程度だった。
しばらくするとカリンはこちらに振り向いた。
「ありがとうございます、ご主人さま。私が思っていたことを全部仰ってくださいました」
少し元気を取り戻したような表情を見せる。
「ああ、それで良い。もしも風邪なんか引かれたら、使用人の面倒を主人が見るなんてことになるしな」
「それもそうですね」
そう言いいながらカリンは少し微笑む。
「でも、本当に助かりました、ご主人さま。ありがとうございました」
「ああ」
別に何かしらの被害が出たわけでもない。せいぜい風呂のときに腹が減ったのを我慢していた程度だ。
「私の体調の方は大丈夫です。体も軽いですし、咳もくしゃみも出てません」
「そうか。それならそれでいい。夕飯楽しみにしてるぞ」
「はい、ご主人さま!」
心身共に元気になったようだ。
「それにしてもカリン」
「はい、なんでしょう」
「元気になったって言う割に、いつまで俺の上着を着ているつもりなんだ?」
えーっと、と言ってカリンは言葉をつまらせる。
「念の為です、ご主人さま」
俺が何回か口にした言葉を使ってカリンは返事をする。
自分が言ってしまっていた手前、返してもらうのは難しそうだ。
サイズは当然あっていないため、上着の袖からはカリンの指だけが見えている状態だった。
しかしながらそんなことに気を止める様子もなく、カリンは嬉しそうな表情をしている。
「さ、とっとと帰って夕飯の準備を頼むぞ」
「もちろんです、ご主人さま」
腹が減っているからか、いつも以上に夕飯が楽しみだ。
もしかしたらカリンも同じことを考えているかもしれない。
そんなことを思いながら、家路につくのだった。
(追記 セリフで終わるのがどうしても気になってしまい、投稿一時間後に最後に三行付け加えました)
お読みいただきありがとうございます!
(本当は傘を使ってカリンを迎えに行くという話にしたかったものの雨傘の概念は想像していたよりも後の時代だったのでためらってしまい、かと言って家の風呂を使うとなると上水道が存在していないので時間がかかりすぎてしまうということになり、話の流れどーするよと悶ながら書いてました。しかも前回の話で夏真っ盛りなんて書いてしまっていたので雨降ってもカリンのことをそんなに心配しなくて済んじゃうじゃんと思い、随所に冷たいなどの言葉を悶ながら書き加えました。書いてる途中、ブックマークが1000件を超えて要ることに気が付き悶てました。書き終わると予想外の長さになっており、セルフ校正しながら悶ています。)




