31 カリンの疲れを取り去ったのは
それから二つ投資先を周った。支援施設と馬車交通だ。
進展具合や問題点を聞いても特に異常は無さそうで、こちらも順風満帆と言った様子だった。
あったとしても西の国との情勢関係でうまく出来ないかとかその程度だった。
家につく頃には日が暮れようかといった時間帯で、カリンは馬車内で寝てしまっていた。
他の家主だったらどうするものだろうか。主人の前で寝るのは何事かと一喝するのかもしれないし、使用人が複数いる家ではすぐに解雇となったりするのだろうか。
カリンが家に来る前はずっと一人でいたので、その距離感が今でもわからない。
そんなことを思ってカリンに目をやると、いつの日かお向かいさんが言っていた、大きなお人形さんみたいという言葉を思い出した。
活発に動いているとあまりそうとは思えないが、今みたいにじっとしていると言いたかったことが分かる。
馬車の窓枠に肘を置き、顎に手を当てて何を考えるわけでも無くその姿に見とれる。
睫毛が長く、前髪が目にかかるほどの長さになっていた。普段の生活では気にもとめていないことだった。
道のくぼみに車輪が引っかかり、馬車がガタンと揺れた。
カリンがその衝撃ではっきりと目を覚ましたようだ。
俺はとっさに目を逸らす。
「すいません!ご主人さま」
寝てしまっていたことをカリンは謝る。
「別に構わないさ。日中はずっと付き合ってもらってたからな。」
よく知る道に差し掛かった。そろそろ家につきそうだ。
「あ、ご主人さま、もう少しで家に着きますよ」
カリンも同じことを考えていたらしい。
「夕飯は家を出る前にあらかた仕込んでおいたので、直ぐにできます。少しだけお待ち下さい」
家につくとカリンは素早くキッチンに立つ。
俺は今日の資料と成果をまとめるために仕事部屋に向かった。
しばらくすると階下のカリンから声がかかった。
香ばしい匂いに釣られるように食堂に向かう。
夕食時、今日のことをカリンは多く話してくれた。
警備組織で撫でて遊んでいた馬の性格がどうとうか、本気を出せばどれくらいの速さがでるとか、楽しそうに教えてくれた。
「馬車交通さんでも馬を撫でさせてもらったんですけど、やっぱり毛並みが違うんですね」
「どう違うんだ?」
「なんというか、お金持ちや貴族を乗せることもあるので、馬車の馬のほうがよりお手入れされていてつやつやでした」
ふーんと適当に生返事をしながら食事を続ける。
そうだと思い、試しにカリンに聞いてみた。
「図書館勤めの後に仕事につくならどれがいいとかあるか?口利きなら簡単にできるぞ」
唐突な質問にカリンは少し考えてから返事をする。
「逃げる泥棒を追いかけて捕まえられるかっていうと難しそうなので警備組織さんは無理そうですし、支援施設さんもどちらかと言うと私が支援されている感じですし、馬の扱いは全くやったことないですし、かといって馬の世話も私の背の高さから考えると難しいかなと思うので……」
せっかくのお誘いを申し訳ありません、とカリンはうつむいてしまった。
「いやいいんだいいんだ、お前の良いところは人の良さとか西の言葉も使えるとかそういったところだ。馬のお世話とか泥棒退治ってのはあわないだろう。忘れてくれ」
「はい、ご主人さま。あ、」
何かを思い出したかのようにカリンは話し始めた。
「明日は図書館でお手伝いの予定なのですが、行ってもよろしいでしょうか」
「ああ、もちろんだ」
「そのお手伝いなんですけど、本の交換をするんです」
「交換?どことだ?」
「隣町の図書館とです」
街道をずっと行った先にある隣町と本を共有することによって知見を広め合おうということらしい。
全部の本を交換というわけではなく特定の種類の本を出し合うという形式だ。
「それなのでいつもより早く家を出たいので、お昼ごはんの時間を早めてもよろしいでしょうか」
「ああ、いいぞ」
二つ返事で答えてしまったが、考えてみるとカリンが一人で早くに食べて図書館に行くという選択肢が抜かされていたことに気がつく。
「ありがとうございます、ご主人さま」
ま、それくらいはいいだろう。
「さ、とっとと食べたら風呂に行くぞ。今日は汗がひどかったからな」
珍しく俺から風呂に関する声をかけた。
お風呂に向かうカリンの足取りはいつも軽い。
いつの間にか自身で使うお風呂セットも買っていたようで、必要なものが桶にコンパクトにまとめられている。
校正のお金で買ったのだろう。良い使い方というか似合った使い方だと感じた。
なんとなく眺めていると、視線に気がついたようだ。
「どうかしましたか?ご主人さま」
カリンは首をかしげて聞いてくる。
「いや、なんでも無い。ただ今日は疲れたからゆっくり入りたい。カリンも長めに時間をとっていいぞ」
ありがとうございます、と言うとカリンは続けて
「優しいんですね、ご主人さま」
と付け加えるのだった。
長風呂から上がるとカリンの姿はなかった。
今まででも何回かあったが、今回は俺が長椅子で待つ係となった。
その間に頭の中で仕事の整理を行う。
今回訪問した投資先よりも古いところは大体契約が完了していて、たまに菓子折りを持って家に挨拶に来るくらいだ。
現在の投資先は造船を含めて四つとなっているが、支援施設か馬車交通のほうはそろそろ大丈夫ですと声をかけられそうな雰囲気を出していたし、もう一つくらい新しいところを探すべきなのか。
でもあいつのことだからこちらも結構な金額を用意させられそうだし、まあ稼いでおけば悪くはならないだろう。
「あ、ご主人さま」
こちらに気がついたカリンがやって来る。
「お待たせしてすいません」
「いや、俺も今あがったところだ」
言いながらカリンに目をやると、どこか雰囲気が変わっている。
「カリン、何か変わったか?」
「どうでしょうか?ご主人さま」
変わったことは否定しないが、どこが変わったかは教えてくれない。何が変わったんだ?
なんとなく眺めていると馬車の光景が思い出された。
「ああ、前髪を切ったのか」
「正解です!ご主人さま」
家への帰り道、並んで歩きながらカリンは教えてくれた
「たまになんですけど、更衣室でご近所のお母さんが前髪だけ切って整えてくれるんです」
「なるほどね」
「でもご主人さまよく気が付きましたね」
「ん、まあな」
「もしかして、」
カリンは言葉を区切るとニコリと笑いながらこちらを見る。
「ご主人さま、普段から私のことをよく見てくださってましたか?」
そう言うと、三歩ほど俺の前を歩き始めた。
後ろからではカリンの表情はもちろんわからない。
ただ、帰りの方が行きよりも、足取りがより軽くなっている様子だった。
気がつけば30話をこえていまいた。ここまでお読みくださりありがとうございます。本当に嬉しいです。
また、感想や誤字訂正をいただけて助けられているとともに創作へのモチベーションがあがっております。
さらに、ブックマーク登録や評価の星が増えるのを見ると毎回小踊りしております。
お話はまだ続くと思いますが、これからもよろしくお願いいたします。
(行きよりも帰りのほうが足取りが軽い、という最後をこれまでにやってきたんじゃないかと思って探してみるも見つからず、それでもどこかでやった気がする呪縛から抜け出せない著者)




