30 麦わら帽子
あの造船の投資からしばらく経ち、夏真っ盛りを迎えた。
今日は馬車に乗ってカリンと共に各投資先の挨拶を兼ねた視察に向かう。
「今日は馬車を使うんですね、ご主人さま」
「ああ、いくつか周る予定だし、この暑さだ。熱さにやられかねん」
カリンと投資先に向かうのはこれが初めてではないが、馬車での移動なので気分が良さそうだ。
おそらく奴隷として引き取った時以来かもしれない。
カリンは飽きもせず町中を眺め続けている。
「そんなに楽しいか?」
「はい、こちらの方に来るのは初めてですし、知らない道を通るのもワクワクします」
身を乗り出すといったことまではしていないが、目は輝いているように見える。
「そうかいそうかい」
楽しむカリンを尻目に、今朝読み切れていなかった新聞を読み始める。
西方との関係としては、あちらの非正規軍や民兵が各地で抵抗をしているらしく、締結した条約も各地に行き渡っていない様子だった。
あちらはまだまだ混乱が続いているようだ。
馬車の速度が落ちる。目的地に到着したようだ。
とっとと終わらせてしまおう。
最初に訪れたのは民間の警備組織だ。
衛兵による巡回や、留置所など町の公的機関としての警備も存在するが町全体を常時監視というのはやはり難しい。
そこで裕福層向けの事業としてここが成り立っているわけだ。
「お待ちしておりました、イワンさん」
「こんにちは。遅れて申し訳ない」
代表が挨拶をしてきた。まだまだ若く、リーダーとして全体を引っ張っていくような人間だ。
「まずは庁舎や設備をご覧になっていただけますか?」
「ああ、案内を頼む」
簡素ではあるが機能的な庁舎や詰め所、衛卒の訓練広場、厩舎も見せてくれた。
「初めて来たときは掘っ立て小屋みたいなのしかなかったのに、成長したもんだな」
「ええ。イワンさんのおかげですよ」
ここに投資し始めたのは季節が三つか四つ前のことだった。
衛兵の警備だけでは限界が来ると当時熱弁していた代表が懐かしく感じられる。
麦わら帽子を被ったカリンは厩舎の作業員に話しかけ、馬を撫でさせてもらっている。
「試験的ではあるのですが、あちらの方では犬の訓練も行っております」
「警備犬ってことか?」
俺が犬を苦手としていることを代表は知っているので今以上に近づくことは無く説明をしてくれる。
「ええ、夜盗に細く入り組んだ路地に逃げ込まれると、どうしても取り逃がしてしまうことも少なくないので」
「あっちはずる賢いからな」
「ええ、後は日中に犬と出歩くことで夜盗達に牽制をかけている効果も期待しています」
単純に犬が苦手な俺としてはありがたさを感じないが、夜盗たちは俺以上に迷惑な存在として認知しているのだろうか。
馬に満足したのかカリンがこちらに戻ってきた。
「警備犬としての犬もそうですが、番犬として貸し出すことも考えています」
「へえ、番犬くらいなら金持ちの家に既にいそうなもんだが」
「はい、ただその躾を行うのは使用人で上手く調教できなかったり、ただ乱暴な犬を飼うだけで誰に対しても大声で吠えてしまっているという事に困っている方も多いようでした」
使用人や近所の住人、配達人くらいなら判別が可能らしく、実際に効果もあげているとのことだった。
「試験的な配置を受け入れてくれるご家庭が近辺にいくつかあったので非常に助かっています」
今後の話をするために応接室に案内される。
途中、カリンがご主人さまも番犬を配置しませんか?と目をキラキラさせて聞いてきた。
「冗談はやめてくれ。お向かいさんの犬を撫でて満足してなさい」
「はーい」
カリンはそう返答されることがわかっていたかのように、少しだけ言葉を伸ばして返事をしていた。
応接室に着き説明が始まる。
「次に予定していることとしては、詰め所の数の増加ですね」
町全体の地図を机に広げながら代表は語る。
「こちらの赤丸のところが現在の詰め所の位置です」
契約している家が増えるにつれて巡回距離が長くなるなどの結果、警備が薄くなる場所が発生するのは避けたいと言う。
追加する予定の詰め所の数は多くないものの、主要地点を抑えているようだった。
「なるほどな。いいんじゃないか」
「ありがとうございます」
時折視界に入るカリンは、少し不思議そうな表情をしている。
代表は他に計画していることとして、衛卒を貸し出す予定もあるというのも教えてくれた。
「金持ちのところの門番とかは、基本お抱えだったり珍しいところでは使用人と同じように代々続いてたりするからな」
「そのとおりです。少なくても夜盗の騒ぎが沈静化するまでとか、旅行でしばらく家をあけるので不安があるとかそういったご家庭に売り込めればと考えています」
なにかと上手くやってるんだな。心配という心配は特にない。
「追加出資の希望は?」
「いえ、今のところは順調なので大丈夫です。イワンさんへの返済も滞りなく行う予定です」
「そうか、ありがとうな」
「いえいえそんな、こちらこそお礼を申し上げる立場です」
話も一段落ついて頃合い時となった。
「じゃあそろそろ失礼させていただくよ。他にも周る予定なので」
「はい、本日はありがとうございました」
代表はご丁寧に馬車まで見送りに来てくれた。
それではまたと言い残し、次の目的地へ向かう。
馬車内でカリンが話しかけてきた
「ご主人さまって話す相手ごとにだいぶ言葉を変えてらっしゃいますよね」
「ああ、まあそうだな」
読みかけの新聞越しに返事をする。
「出資先の相手によってはかなり丁寧なこともございますが、今の代表の方とのお話では一方的に砕けた感じでお話されてました」
「そりゃあ、まあな」
馬車に揺られながら話を続ける。
「代表からしてみたら俺は歳上で出資者だ。そんな人間に丁寧な対応されたら、あの代表のことだからそれ以上の丁寧さで対応しなくちゃいけないと思いそうだ。そっちに頭を回されたら話も上手く出来ないだろ」
建前半分本音半分といったところの説明をする。
正直なところ、丁寧な対応するのが面倒だと俺が思ってしまっているからという理由も大きい。
カリンはその説明を聞くと、こんなことを尋ねてきた。
「ご主人さまは私に対しても砕けた言葉遣いをなさいますが、私のことをどうお思いですか?」
その言葉を聞いて俺はなんとなくカリンに目を向けた。
投資先の挨拶まわりということで、今日カリンはいつもと違い、いわゆる外行きの服を着ている。
改めて見てみるとここ最近の日差しによって、少し前までは白かった肌が少し焼けているようだ。
外では麦わら帽子を被っていたが、今は膝の上に置かれている。
首筋にはすこしだけ汗が見られた。
「ご主人さま?」
カリンに声をかけられて我に返る。
カリンは不思議そうにこちらを見つめていた。
「さあ、どうだろうな」
使用人なんだからそんなの適当に決まっているだろ、と答えれば良いものを、なんとなくはぐらかして返事をする。
ただカリンの方を向くのにはなんとなくためらいがあり、俺は外の流れる風景を眺めていた。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
あらすじに追記をしたのですが、ジャンルを現実恋愛から異世界恋愛に変更しました。
ご迷惑とご不便をおかけして申し訳ありませんでした。
(衛卒という単語の使用について、衛兵だと町の仕事として巡回している人と被るし、警備員だとALS◯K的なのを連想しちゃうし、そもそも兵がついてる言葉だと兵隊って感じがしちゃうし、歩哨とかだと現代の軍人ってかんじがするし、見回りだと職業感がないし…ということで衛卒という単語を採用したものの果たして伝わっているか微妙だし、卒という漢字だと一兵卒を思い出してなんだかんだ軍人っぽい感じもするし…と延々と悩む著者の図)(図略)




