第六話 ~ようこそ漫研へ!・上~
その日は、思わぬ来客から一日が始まる土曜日となった。
「小森さん。急なことで悪いんだけど、今日一日、茜のことをお願いできないかしら?」
「今日、ですか。いやでも、今日はなぁ……」
「ちょっと、急ぎの仕事が入っちゃって。なにぶん急だったから、小森さん以外にお願いできる人がいないの」
「いや、その」
「お願い……?」
「お任せください!!」
涙目美人さんの上目遣いでのお願いだもんね、断れるわけないよね。仕方ないね。
「ってわけで、出かけるぞ、幼女。準備しろ」
「お出かけするの? どこに?」
「俺の通ってる大学だ」
そうして俺と幼女は、急に休日出勤となった唯さんを見送ってすぐ、家を出た。
右手は幼女とつなぎ、左手には紙袋をもって、十分も歩くと大学の正門が見えた。
「うわぁ! すっごぉい! おっきい!」
「おい、幼女。今は時間がないから急げ。後で案内してやるから」
「はーい!」
彼女にとって目新しいものだらけの大学構内に興味津々の幼女にそう言い聞かせ、勝手にどっかに行きそうな手を引いて目的地へと進んでいく。
だが、そんな俺の足はすぐに止まることとなった。
「ねえねえ、いいでしょ? 明日香ちゃん」
「そうそう、一緒に行こうよ」
「誘ってくれて、ありがとう~。でも、この後は先約があるんだ~」
『誘ってくれて、うれしいなぁ~。でも、先約があるんだ~』
……いやいや、落ち着け。
顔立ちから何から違うし、前世の話だ。赤の他人に決まってるんだぞ?
「おっちゃん、どうしたの?」
「いや、何でもない」
「えー、何でもないのに止まったの? さっきは、時間がないから急げって言ってたのに!」
「あ、いや……」
「あ、いや、じゃないよ! ずるい!」
何がずるいのやらよく分からんが、幼女的には、自分は用事があるからって探検をお預けされたのに、俺が無駄に立ち止まってるのが許せないってか?
少なくとも、ほほを膨らませてテコでも動かない様子の幼女をなだめるため、適当に口を開く。
「よーし、幼女。あそこの女一人に男どもが何人も群がってる集団が見えるか?」
「うん」
「猫かぶりにほいほい釣られたバカ男どもと、釣ったはいいが扱いきれずに困り果てているバカ女の誰も得しない哀れな駆け引きの図だ」
「ふーん……?」
せっかく説明してやっても、理解できていないのか、首をかしげる幼女。
まあ、幼女だしな。しかたない。
ここは、大人の俺が、幼女でも分かるように説明してやろう。
「まず、男どもだ。よく見ると分かるが、全員が全員、他の奴に対して、見下したような感じがにじみ出てやがる。あれはな、何があったかは知らないが、どの男も、他の連中より自分が女に特別に思われてると確信できるイベントがあった証拠だな」
「へー」
「で、女の方だが、一見すると男どもを手玉に取ってうまくやってるように見える。だが、あれはかなり焦ってるな」
「焦ってる?」
「ああ。釣ったはいいものの、扱いきれずに困ってやがる。見ろ、周囲の様子を必死に観察しながら、男ども全員の視線が外れた時に、笑顔が固まってやがる。もう、作り笑顔を常時維持することもできないくらいに追い詰められてるな。ああいうのは巻き込まれたくないものだな」
「おっちゃん。なんかよく分かんないけど、詳しいんだね」
「……ああ。『昔』、な」
そうだ。
あれは、俺が『小森翔太』になる前のこと――
「あ、小森センパーイ!」
いい感じに脳内過去語りを始めようかと思っていれば、謎の女の声に遮られる。
いったいどこの誰だか見てやろうと目を向ければ、ちょうど話題の『バカ女』が、一目散にこっちへと駆けてくる。
そして向けられる、男どもからの殺気の籠った視線。
――え? 何がどうなってんの? いつの間にか巻き込まれてる?
「えっと、どちら様――」
「じゃあみんな、私は先輩と一緒にサークルに行ってくるから、またね! さ、行きましょう、小森先輩!」
「あ、おっちゃん、待ってよぉ!」
何が何だか分からないままに、自称後輩女に腕を引かれてその場を離れる。
幼女の奴も必死についてくる中、男どもが見えなくなったあたりでようやっと立ち止まった。
「おい、本当に誰だよ。俺のこと知ってるみたいだけど」
「……本当に覚えてないんですか?」
「いや、覚えてないも何も、初対面じゃないのか」
「え? 私のこと、覚えてないんですか? ひどい……」
「おっちゃん、かわいそうだよ。ひどーい」
「あ、あなた良いこと言った! お嬢さん、お名前は?」
「土屋茜です!」
「茜ちゃんかぁ~、かわいいねぇ~」
「えへへ~」
なんか、途中から変な方向に話が進み、女二人で勝手に盛り上がってやがるんだけど?
にしても、俺の名前を知ってるってことは、どこかで面識はあるってことだよな?
まあ、この女が俺のストーカーとかでなければだけど。
にしても、サークルねぇ……。
「あ、先月の新歓飲み会に来てた、東条さん?」
「あ、やっと思い出してくれましたか、小森先輩? 漫研入部希望の1回生、東条明日香です!」
あざとい笑顔でそんなことを言われるも、もはやこの子が何者とかいうところは、もうどうでもよくなっていた。
「えっと、もしかして、今日の漫研の『会議』に出る気か?」
「そうですよ? 月に一回、義務なんですよね? 代わりに、それさえ出れば、昭和の名作から今の作品まで何千冊もの漫画やラノベやアニメDVDにブルーレイやらが自由に借りれるんですよね?」
「えっと、先月の『会議』にはいなかったよな?」
「はい。たまたま友達との先約があって……。で、仕方ないからそれから何回か部室に行ってみたんですけど、いつ行っても無人なんですよね。しかも、カードキーがないと開けられないようになってて入れないし」
「ああ、『会議』の時に毎月カードキーを更新してるんだよ。だから、出られなかったら、自力では開けられないんだよ」
そっかぁ、先月の『会議』に出てない入部希望者かぁ……。
ちょっとした理由から、この子をどう扱ったものかと悩んでいると、幼女を撫で繰り回しながら東条から口を開いた。
「で。なんでそんな面倒なことしてるんですか、部長さん?」
「いや、俺は部長じゃないぞ」
「え? でも、新歓飲み会で、小森先輩しか漫研の人いませんでいたよね?」
「ああ、まあ、部長は色々あってな、うん……」
いやほんと、色々とあるんだよなぁ……。
そうして過去の思い出に浸っていると、さらに言葉をかけられる。
「へぇ、その部長さんってどんな人なんです?」
「えっと……漫画とかラノベとかDVDとかブルーレイとか、全部部長の私物なんだよ、うん」
「え? でも、それってすごくお金がかかるんじゃ?」
「そうだぞ。部長は実家が金持ちでな。親から大学入学祝いに1億円借りて、それを運用して何倍にも増やして、今は授業にも出ずに大学6回生なんてやってるんだ。親に利子付けて金も返して、あとは趣味に使う金を稼ぎつつ悠々自適な生活だ」
「へぇ、すごい人なんですね!」
「ああ、うん。すごい人だぞ……色々と」
……まあ、嘘はついてない。
ここまでフォローしたんだから、部員としての義理は果たしたんだ。どうなろうと知らん。
そうして部室前についた俺は、カードキーでロックを解除し、室内に入った。
「こぉもりぃぃぃいいいいいい!!!! 先月の、あの部屋を埋め尽くさんばかりにいた入部希望者たちはなぜ、今日の神聖なる『異世界転生会議』に誰も来ない……び、美少女ぉ!? しかも、美幼女もだとぉ!?」
「ねえねえ、おっちゃん。この気持ち悪いおっちゃんはだれぇ?」
「……漫研の部長」
そんな素直な疑問を述べる幼女や、予想外だったろう光景に固まる東条を前に、世のキモオタ像のテンプレートのような外見をした我らが部長は、部屋の隅で縮こまっていた。