第五話 ~1+1=1(物理)~
とある平日の夕方のこと。
部屋でゴロゴロと漫画を読んでいれば、ノックされる扉。
「おっちゃん! あーけーてー!」
幼女の声に、居留守を決め込む。
これまでの短い付き合いから、放っておいても対応しても面倒ごとになると学習したのだ。
しばらく騒ぐんだろうと思っていれば、幼女の奴はなぜかすぐに諦めて扉の前から去っていった。
まあ、静かになるならいいかと放っておけば、ベランダの方から物音が。
ここ、2階だけど野良猫でも入り込んできたのかな? とカーテンを開けてみれば、ありえない光景に思わずガラス戸を開け放って叫んだ。
「おい、幼女! テメェ、なんでこんなとこに居るんだよ!?」
「あっちから来たよ」
そうしてランドセルを背負う幼女の指さす方を見れば、幼女親子の部屋との仕切りを、ベランダの外枠伝いに外側から回り込もうとしているこれまたランドセルを背負った真白ちゃんが。
「何やってんの!?」
「きゃっ! 小森さんったら、大胆ですね……」
俺の腕の中で、真っ赤な顔して妄言を吐く天使をベランダへと下ろす。
これはさすがに、説教タイムだ!
「お前らな! ここ2階だぞ!? 落ちて怪我したらどうする気だ! 打ち所が悪ければ死んでたかもしれないんだぞ!」
ほんとに、そんなことになったらどうするんだ、こいつらは!
俺は今まで、チート持ちだってばれないように振る舞ってきた。
使うときも、技術とか才能だって言い張れる範囲で、必要最小限度しか使わない(※なお、基準はガバガバ)。
それは、魔術なんてこの世界に存在しない技術体系を扱えるなんてことは、ただの小市民である俺に、不幸を呼ぶことはあっても、幸福を得るのは難しくなるだろうとの確信があるからだ。
だから、ちょっとしたことで動画を撮影され、「あれ? 物理法則に明らかに反してるよね?」なんてちゃんとした証拠付きで大々的に情報拡散されかねない現代社会で、我ながら過剰なまでにチートは封じてきたのだ。
それが、俺の手が届くところで、大怪我とか、最悪死なれたらどうだ。
治療だけなら、魂が肉体から完全に乖離しない限り、たとえ肉体的に死んでいても処置のしようはある。
だが、そんなところを誰かに見られれば、一発アウトだ。いや、見られただけなら、ちょっと精度は悪いが可能ではある記憶いじりを受けてもらい、最悪、数か月単位で記憶をなくしてもらえばいいが、監視カメラとか、映像に残されて拡散されるとどうしようもない。
世界中の注目を集めあちこちから身柄を狙われる高級モルモットか、いっそ世界にケンカを売って世界の帝王か。どちらにしろ、一般的な幸せとは程遠いところへ行かざるを得ないだろう。
つまり何が言いたいかというと――チートばれリスクか、目の前の命を見捨てるかって、究極の選択をせねばならないようなことはやめろぉっ!
「だって、おっちゃんが居留守なんてするから」
「それとこれとは関係ないだろうが!」
「関係あるもん!」
「なんだと!?」
「私が悪いんです! こんな危険なこと、親友の私が止めていれば……。ごめんなさい。うぅ……」
そのまま顔を覆い、泣き始める真白ちゃん。
え、いや、別に泣かせたかったわけじゃないんだけど、えっと……。
「あー、真白ちゃん? 分かってくれれば、それでいいんだよ、うん。これからは、部屋にいるときはちゃんと扉を開けるから、こんな危ないことはやめてくれたらなぁって」
「だって、茜ちゃん!」
「うん! ありがとうおっちゃん!」
そうして、部屋の中へと入っていく二人。
……う、ウソ泣きだって分かってたし? 大人として、子供の浅知恵に乗ってあげただけだし?
そんな俺の大人な対応によって笑顔の二人に続いて部屋に戻れば、二人とも、テーブルの上にノートや教科書を広げている。
「おい、何やってんだ?」
「宿題だよ?」
「いや、そういうこと聞いてんじゃねぇよ、幼女。なんでここでやるんだって聞いてんだよ」
「だって、分かんないところあったとき、質問できるような暇な大人って、おっちゃんくらいしかいないし」
「失礼だな、お前!」
前から思っていたが、幼女の奴、明らかに俺のことを下に見ているよな?
だからこそ、ママ面とかもやってくるんだろうし。
「ねえ、おっちゃん。ここ教えてよ。掛け算って、難しいんだ」
「茜ちゃん、掛け算を知りたいの!? だったら、初心者はエンピツと消しゴムあたりから始めたらいいって、お姉ちゃんが言ってたよ!」
「? 今も、エンピツと消しゴムでやってるよ?」
「真白ちゃん。君のお姉ちゃんの戯れ言は、とりあえず今すぐ忘れ去ろう? な?」
顔を赤く、鼻息荒くしての真白ちゃんに、善意からの忠告をしつつ、考える。
幼女が俺を頼ってきてる現状は、チャンスではないか?
ここで俺が頼れる存在と見せつけてやれば、今後、ママ面なんてできまい。
とはいえ、そもそもが宿題を聞きに来てるわけで、普通に宿題を教えても効果は薄いだろう。
「ところでお前ら。1+1の答えって分かるか?」
「2でしょ?」
「2ですよね」
「いや、1なんだな、これが」
「おっちゃん、大丈夫? 算数、教えてあげようか?」
「うるせぇ! 説明するから、そんな哀れんだ目で見るな!」
そうこうして、アパート裏へとやってくる。
とりあえず、二人の反応を見る限り、エジソンが1+1を2じゃないと言ってた話は知らないようだ。
どうして1+1=1と考えられるのかから、柔軟な思考の重要性を教え込めば、尊敬されること間違いなし! 幼女のママ面ともおさらばだ!
「お前ら、俺の右手の泥団子と、左手の泥団子は見えるな」
「うん」
「で、これらを合わせると!」
そこで、二つの泥団子を一緒にして、一つの泥団子にしてやる。
「ほら、1と1を合わせて、1になった。だろ?」
会心のどや顔で言うも、二人の反応はよくない。
二人で顔を見合わせると、幼女が口を開いた。
「それ、最初の泥団子と大きさが違うから、『1』じゃないよね?」
「うぐっ……!」
「え、そこなの、茜ちゃん……?」
よ、幼女のくせに、痛いところを突いてきやがるじゃねぇか。
だが、大人として、ここで引くわけにはいかねぇ!
「いや、これは『1』だ。見てろよ。――うりゃぁぁぁぁあああああああ!!」
そうして、魔術によって最大まで強化された筋力によって、泥団子を押し潰し、その大きさを小さくしていく。
肉体の限界を超える強化に悲鳴を上げる肉体を常時治療しながらの行為。
だが、それでも足りない圧力を補うため、魔力を直接泥団子の周囲からぶつけ、そのベクトルを調整することで、形を壊さずに体積だけを小さくしていく。
泥団子が熱くなったりなんなりといろんな変化を見せるが、そんな現象も魔術で何とか押し切る。
そして、その時はきた。
「見ろ! 最初と同じ大きさの泥団子になっただろう!」
「本当だ! おっちゃんの言うとおり、1+1=1だったね!」
やり切ってやったぜ……!
勝った!!
「あの、何か違うような気がするんですけど……」
「おっちゃん! 今日、算数の小テストで、21+31を『51』って答えたら、違うって先生に言われたんだよ! 1+1=1だって言っても、全然納得してくれないんだよ!」
部屋に来て早々、そんなことを幼女がまくし立ててきたのは、数日後のこと。
なお、真白ちゃんは『52』って解答したんだとさ。