プロローグ ~一夜の過ち~
「うぃ~……もう動けねぇ~……」
そろそろ、大学では各部活やサークルなどによる新入生の勧誘合戦も落ち着いた、ゴールデンウィーク目前のある日。
空には月が煌めき、そろそろ日付が変わろうかというころのことだ。
一人ではしご酒をしていた俺は、下宿先の2階建て安アパートの外階段の途中で力尽きて倒れこんでいた。
別に、『その気になれば酔いなんていつでも醒ます』ことができるんだけど、そんな気分じゃなかった。
無性に酔っぱらいたくて、そのために一人で飲み歩いたんだから。
もう、このまま寝てしまおう。なに、『風邪をひいても、いつでも治せる』んだから、問題はない。
――その判断が、良くも悪くも俺の『今生の』人生を大きく変えることになるんて、当時は思いもしなかった。
「なあなあ、おっちゃん。そんなとこで、何してるの?」
「あぁん? こちとら、ピッチピチの大学二回生じゃい。確かに一浪しているが、まだまだ『お兄さん』だぞ、見知らぬ幼女」
「幼女じゃないよ、茜だよ」
ぐわんぐわんと揺れる視界の中でなんとか確認できたのは、階段のすぐ上の段にしゃがみ込む小さな人影。
Tシャツに短パン姿だけではよく判別できなかったが、かわいらしい髪留めをつけていたことから幼女と判断した。
「別に、お前の名前なんかに興味はねぇの。うぃ~……おら、幼女がうろついてていい時間じゃんぇんだから、早く帰れ帰れ」
「でも、おっちゃん。こんなところで寝てるのもダメだよ? どうしてこんなところで寝てるの?」
「……聞いてくれるか」
それは、普段ならば決して言わなかったこと。
しかし、今日はこの『秘密』を一人で抱え続けることに疲れ果て、ふと酒に溺れたくなった心境であり、その結果として酔っぱらって判断力が低下していたのが悪かったのだろう。
「幼女、お前は転生って知ってるか?」
「てんせい?」
「簡単に言うと、一回死んで、生まれ変わることだ」
幼女には難しすぎたのか、首を傾げてうんうん唸ってるが、気にせずに語り続ける。
「早い話、俺は転生したんだよ」
「うん? おっちゃん、死んだの?」
「そうだぞ。まあ、くっそつまらん色々の結果死んで、気付けば女神とか自称するくっそ怪しいやつの前に居たんだ」
「へぇー」
「そんでさ、チート付きで異世界転生させてやるとか言われたわけよ」
「ち、ちーと……?」
「桁違いの魔力だの、あらゆる魔術知識だの、無詠唱技法なんかのあらゆる魔術技法だの、色々と確かにくれてさ。まあ、無気力に生きてきた俺としても、テンプレ来たなってテンション上がったわけさ」
「え? おっちゃんって、魔法使いなの?」
「そうだぞ。ほれ」
「うわわっ!?」
指を鳴らすと同時、幼女の目の前をかすめるように火の玉が飛び去っていく。
その後も、どこからともなく流れる音楽に合わせて氷でできた人形たちが踊り、それを様々な色の光の玉が照らす幻想的な光景が繰り広げられた。
「すごいすごい!」
「おう、凄いだろ? ――凄すぎるんだよ」
指を鳴らすと同時にすべてが幻だったかのように掻き消える。
残念そうにする幼女に、事の重大性を理解できていない俺は、構わず話を続けていた。
「それこそ、異世界に行けてれば、凄いで済んでただろうさ。でもな、現代日本じゃ凄いじゃ済まないんだよ。それこそ、どっかの研究室でモルモットとか、危険視されて殺されるとか、どう考えてもヤバい方向にしか行かないんだよ。世界征服でもするつもりで派手にやれば違うんだろうけど、俺みたいな小市民に、んなことやれる度胸があるかってんだ。ほんと、『あ、間違えた』じゃねぇよ、あの自称女神め!」
「そっか……」
「へへ。生まれ変われば、前世と同じ日本でさ。前世の家族がどうなったかって気になりはしても、調べる度胸は結局なくて。しかも、チートなんて秘密を抱えたまま、一人でずっと悩んでさぁ……」
「ねえ、おっちゃん」
「あ? なんだ――」
そこで俺の言葉は止まってしまう。
突然、幼女の胸に包み込むように抱きつつまれ、思考が真っ白になってしまったのだ。
「……どういうつもりだ?」
「ママがね、わたしが泣いてるときにはよくこうしてくれるんだ」
「泣いてるって、俺は別に――」
「今まで頑張ったね。今は泣いてもいいんだよ?」
きっとそれは、意味も分からず、彼女の母親のマネをしてるだけなんだろうさ。
ただ、その時の俺には、あまりにも心に刺さりすぎてしまっていた。
「ママぁーっ!!」
「うんうん、よしよし」
朝である。
「……なぜ、俺はこんなところで寝ているんだ?」
気付けば、俺の住んでる安アパートの外階段で寝ていた理由を考えるが、そういや昨日の夜は酔いたくてはしご酒してたことを思い出し、それで酔って帰ったからだと結論付ける。
変な寝方をしてバキバキになった体を癒して痛みを取り、二日酔いもついでに消し飛ばすと、二階の自分の部屋へと向かう。
そうして部屋の前につき、カギを出そうとボケットを漁っていると、隣の部屋の扉が開く。
「あ、おっちゃんだ!」
「おい、誰がおっちゃんだ」
聞き覚えのない声だったが、反射的に答える。
で、改めてそちらを見るが、やはりその幼女に見覚えがない……いや、おい待て。
「茜、急にどうしたの?」
「あ、ママ! おっちゃんがいたの!」
転生やチートのことを話してしまうという今生最大の失敗を思い出して混乱する俺の前に、お隣の部屋の中からさらに現れたのは、母親らしき女性だった。
その人は、幼女をそのまま大きくしたような美人さんなのだが、母性というか、包容力を感じさせる人だった。
……別に、おっぱいが大きいから、とかいうだけの理由じゃないぞ。
その柔らかな笑みをはじめ、雰囲気そのものが自然と甘えたくなるようなものを感じさせた。
「おっちゃん? ああ、もしかして、昨日の夜にうちの娘の相手をしてくれた『魔法使い』さんかしら?」
「……!?」
ああ、そうだよな。
ママにしゃべってるよなぁ……。
クソッ、どうすればいい?
「えっと、確か、小森さんでしたっけ?」
「あ、はい。小森翔太です」
「私は、茜の母の土屋唯です。娘共々、よろしくお願いしますね」
「は、はい」
思ったよりも普通の反応に戸惑っていると、唯さんが俺の耳元へと突然近づいてくる。
なんかいい匂いがするとか、ほんと近くで見ても美人だとか、混乱しすぎて色々と考えていると、思わぬ言葉がささやかれた。
「小森さんは、手品がお得意なようですね。今度、私にもみせてくださいね?」
「え、手品……? あ、はは、そうなんですよ。また、機会がありましたら、ぜひ」
そうだよな、いくら自分の娘とはいえ、幼女が「魔法使いが居た!」って言ったところで、普通の大人は信じないよな。うん。
「じゃあ、またね。おっちゃん!」
そうして去っていく母娘を見送り、自分の部屋に入りながら考える。
どうやってあの幼女を口止めするべきか。
記憶を消したり、催眠状態にして命令を刷り込むとかもできなくはないけど、そんなピンポイントでどうこう出来るものでもないから、最悪は事実上の廃人になりかねないからやりたくないしなぁ……。
幼女がどれだけ騒ごうと大人が魔法とか信じるとは思えないし、当面は口止めだけして様子を見ることにして、部屋の中のお布団でもう一度眠りなおすことにした。
そのときの俺は、この出会いが俺の人生をすっかり変えてしまうようなものになるなんて、考えてもみなかったのだ。