表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

本厄のお祓いを、なめてはいけない

作者: 久賀 広一

昨日行ってきましたよ。


実のところ、僕は神様なんてものは信じていませんでした。

僕がいま確信させられているのは、厳然と世界に存在する”物理法則”と、何度も書いてきましたが”因果応報”だけです。


云わば、それが自分にとっての神様でしたし、現在でもそうかもしれません。


……しかし、どうも今年に入って、面倒なことが立て続けに起こってたんですよね。

これもしつこいぐらい書いてきましたが、自治会長をやらされて、多くの人の日常の一部に関与しなければならないせいかもしれません。


自衛隊時代に人を指揮するのはそこそこやってきたんですが、何しろ”地域清掃”や”防災訓練”など、およそ仕事とは関係ない、やらなくても死なない、皆が嫌がる指揮をとるというのは、かなりストレスが溜まります。


「じゃあアンタがやれよ!」と言い返したくもなる、いわれのない文句をつけてくる人も多い。


それで、これまでは比較的平穏にやってこれた人生が、いきなり「あれ? 面倒事はあるにしても、これは酷くない?」という状態になってしまったんですね。


そして、これもだるいから行かなかった「厄落とし」が、どんどん頭をもたげて来ました。

今年41で、年明けからずっと迷ってたんですよね。


友達が前厄の歳に「いやあ、車でとうげ越えてたら、鹿が飛び出してきて、フロントべっこりいっちゃったよ。7万取られた」と嘆いていたので、こりゃあ本厄はヤバイかな、と感じていたのです。


しかしまあ、何冊か本を読ませていただいた斎藤一人(ひとり)さんが、”厄年なんか、気にすることないよ! そんなもの、頑張ってる人には『飛躍』の年さあ!!”と言っておられたので、まあいいか、俺頑張ってるし、とか思ってました。

すみません。


……それで、これはあまりにおかしいんじゃないか、というゴタゴタが続いたんで、月(いち)で行く散髪のついでの城郭散歩で、それに隣接している神社のお祓いに行きました。


値段を聞いて、やるのかやめるのかを決めようとしましたが、『五千円』。

財布をもつ手が止まる、微妙な値でした。


けど、もう巫女さんは思いっきり”受ける”態勢だったので(こっちの事情なんかあまり聞いていない)、財布に五千円札が入っていたこともあり、お願いしました。


くわしい言葉は聞き取れませんでしたが、「お祓い入ります。受け付けに一人お願いします」とまるでパチンコ店のような連絡を後ろにして、彼女が進行役を務めてくださることに。


まだ若いけど、しっかりした進行でした。

しかし、後から出てきた宮司さんも相当に若くて、「大丈夫か、おい! こんな6月の季節外れの厄落としだから、だいぶ客なめてるな」と感じましたが、なんとその青年がなかなかの声で朗々と文言を唱え上げてくれることに。


感心して、しばし心がなごみました。

しかも祈祷を頼んだのは僕一人だったから、名前と、記入した住所の番地までしっかりと読み上げてくれ、(これ、混み合う正月でも読んでくれるもんなんですかね?)お得感と御利益の両方を上げていただいたような思いが。


それで、お神酒にちょっとだけ口をつけて、お土産みたいな袋に、本厄落としの御守りと、厄札を割った残りの半分の福札、それに饅頭までいただいて、「五千円でこれなら安かった」というぐらい、満足できた内容だったんです。

まあ、時間にしてみれば向こうは経費のぞいて20分で3500円くらい稼いだんで、「ちょっと高い床屋さん」という感じですかね。


それで、買っておいた弁当ホットモットを帰りに近くの花見公園で食べて(もちろん桜はすべて葉桜、人なんてほとんどおらず、カラスと僕くらいのさみしいものでしたが、そういうの好きなんで)、帰宅しました。


めでたしめでたし、なんですが、凄かったのはそこからです。

別に、いきなり良いことがあったとか、そういうのではないんですが。


若い方には特に伝わりづらいかもしれませんが、心身が異様に軽くなったんです。


以前、般若心経の写経についてのことを書いたんですが、あれをやると、何故か心がスーッと晴れていく感覚があります。

もちろん個人的なものかもしれませんが、本にされてるくらいだから、多くの方にも効果あると思います。


それを久しぶりに思い出したような、「知らない間に、自分はこんなによどんだものを抱えてたんだな!」というのに気付かされたような、ものすごいスッキリ感でした。

(最初から写経してたら良かったんですが、何しろあれはあれで、めんどくさい)


こんなに楽になってテンション上がるんだったら、毎年五千円納めに来るよ!と言いたくなるほどで……けど知らないうちに人の怨みやら何やらを、抱えていたのかもしれませんね。


経験上、この感覚がずっと続くということはまずないんですが、とりあえず翌日の今日もすごく心が軽いんで、相変わらず面倒事は抱えてますし、来年もお祓いに行きたいと思います。


偉い宮司さんにはやってもらえないかもしれませんが、また季節外れで一人の時にw


というわけで、神様を信じない方が他にもおられれば。

本厄の厄落としだけは、それでも行く価値はあるかもしれません。


いつか、テレビでアイドルさんが「何もかもうまくいかない時に、母から”あなた、最近お祖母ちゃんのお墓参り行ってないんじゃない?”と言われて行ってみると、ものすごい運の巡りが良くなった」という話をされてたくらい、効果があるかもしれません!(長い!!)









冒頭の「神様」の定義の元ネタは、マンガ『ぼくらの』の、


「神なんてのは、ただの数式だよ。未だ解かれない物理法則だ」


というセリフです。

話題になった残酷な物語ですけど、このセリフにはしびれた憶えがあります。


しかしそれと同じくらい、不可思議で完璧な偶然に何度も出会ってるので、50(フィフティー)/50(フィフティー)という感じですね。物理ですべての生き物の感情の流れまで解き明かせたら大変なものですが……


どちらも神がかってることには間違いないと(個人的には)思います。






※数年経った現在では、しばしば神に祈る人間になりました…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 厄年というのは、男女それぞれが人生の中で仕事の責任や出産のリスクなどを負って疲れやすくなる年、と聞いたことがあります。 その疲れを神様にお預けすることで、無事に大役(大厄)を乗り切れますよう…
[良い点] 私は初厄の時でしたが、厄払いで心身が軽くなる感じは覚えがあります。元日から電車は止まるわものは落とすわ、散々だったんですが、ピタリとおさまりました(笑)
[一言] 聖職者にお祈祷とかしてもらって体が軽くなるとかいう事って、実際「気」とかあるかも知れませんね。 私も以前、建物の中でお坊さんの講話を聴く事になってた時に、時間があるからちょっと目をつむって…
2019/06/19 21:30 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ