ロボと浣腸と月震と固形食料
23XX年。水星まで生息圏を伸ばした人類の総人口は、おおよそ200億人を越えようとしていた。無謀とも思えたこの移民計画を後押ししたのは、前世紀の終わりに完璧な栄養食品である錠剤があったからだ。
しかしそれももはや前世紀の話、人類の総数はもはや横ばい。長過ぎる春休みを迎えた人類は、再び多くの娯楽を求めた。そしてその王様こそが、食である。
C.U.B.E。Current Unable Best Energy。非エスペラント語圏の会社が作成したその酷すぎる名前の固形の、五年前に発売されたキューブ状の食料に人々は夢中になった。長らく封じられていた味覚の刺激に、老若男女熱中した。失われた数々の料理が再現された新商品が陳列されるたび、店の前には長蛇の列が作られた。
元国連海兵隊中佐であり現静かの海中央都市市長ハリー・ハリケーンも、CUBEに夢中になった一人であった。
だが。
「……なんだこれは」
いつもの公務、見慣れた書類。錠剤とプロテインで鍛えられ、齢120を超える今も衰える事を知らない肉体。何もおかしな事はないと、ハリーは一人執務室で頭を振った。
「ふっ……」
思えば遠くに来たものだと彼は自嘲する。水星移民の三世として生まれた彼は、泥を啜りレーザーの嵐を超えて、母星である地球と火星の中継地点である静かの海中央都市市長にまで登り詰めたのだ。もはや恐れる物などない、そう自分に言い聞かせる。
だが、彼が体に違和感を覚えているのは事実。そこで彼は秘書ロボットを呼びつけ、静かな声でこう言った。
「ジャック、すまないが過去文献を当たって……この辺の痛みについて調べてくれないか?」
「畏まりました、ハリー」
ハリーが訴えている症状は腹痛だった。しかしこの23XX年、腹痛を見れる医者など存在しない。だがジャックは優秀だった。優秀すぎるがゆえ、この都市の秘書ロボットとして入札されたのだから。
「特定しました、ハリー。それは便秘の可能性があります」
「便秘……とは何だ?」
「便が出ない事です」
ハリーは首をかしげる。便の意味が理解出来なかった。後にわかることだが、彼はCUBEによる世界初の便秘経験者である。長きに渡る進化の末腸内細菌のバランスが崩壊した今、その数は爆発的に増える事となる。
が、そんな先の事はハリーの腹痛に関係ない事だった。
「何でも良い……痛み止めを出してもらえるか?」
「いいえハリー、痛み止めでは根本的な解決になりません」
「ならどうすればいいジャック……」
ため息混じりにハリーはつぶやく。もはやその痛みは額に脂汗をかかせている。だからジャックは最適な結論を導き出した。
「浣腸をしましょう、ハリー」
「浣腸……? おい待て俺はそんな変態じゃない上に欲求不満じゃないぞ」
浣腸。それはこの23XX年において、アナルセックスの隠語となっていたのだ。それは良かったのだが、問題は本来の意味をジャックも検索出来なかった。つまりジャックはハリーを抑え、そのズボンを下ろし始める。
「や、やめろジャック!」
「いいえこれは医療行為です、ハリー。ご安心下さい私には貴婦人を喜ばせる機能も充実しております」
ジャックの右手が変形し高速回転を始める。ドリルと化したそれはそのままハリーのアナルに近づいたその瞬間。
揺れた。
月震、それは月における地震。しかしその威力は地球のプレートのズレとは比にならない。揺れる棚、崩れ落ちるハリーのトロフィー、プルプルと揺れるアナルとドリル。
「だ、大丈夫ですか市長!」
と、その時。やって来たのはちょうど市長にサインを貰いに来た新入職員のクロエだった。防災担当者である彼女は、いの一番に市長の心配をしたのだ。
「あっ」
だが、余計な心配だった。何せ市長と秘書ロボットの情事を目撃してしまったのである。
――こうしてハリー・ハリケーンの華々しいキャリアは終わり、C.U.B.Eは不謹慎として発売停止。
人類が本当の食事にありつけたのは、それから200年ほど先の事であった。