砂丘
勇者一行から目をずらして、
どこか遠くを想ってみれば、
どうなるでしょうか?
はー死にそー、
死にそうになると人って変わるものなはずで、
極限状態が精神にもたらす負荷をどうやって分散するのか、
見ものにしてる輩もいるぐらいですから、酷いもんです。
勇者一行の場合どうでしょうか?
マサシンドに対する怒りによって我を忘れて突き進む、
ということが出来てるようですが、
流砂にのまれて臨死体験を終えた後の身の上です。
慎重にならざるを得ない。
サルシャ姫は未だ死の恐怖を知りません、
なので彼女が死にそうになると、どう変わるのかが?
まったくもって未知数です。
死というものを体感した時、人はより生に執着するようになります。
それはそれで厳しいものがありますが、
それでも生きていたいと思うものですから仕方ありません。
膨大な量の砂と、うずたかく積もった砂丘を見て何を想うかは自由、
なれどその砂を食むような思いをして、
なおも進むことが出来る、
胆力を持ち合わせているのが人なのでしょうか?
人はそんなに強くなれるのでしょうか?
それでも僕らの勇者一行は、
砂漠のリッチ、マサシンドに挑むため、
そしてサルシャ姫を助け出すために、
必死懸命にさ迷い歩き続けます。
先に何が待ち受けてるかも分からないのに。
真に強い意志を持てていることで勇者と呼ばれます、
でも知っています。
そんなに強くなってどうするの?
強くなることだけが生きる術なの?
本当は弱くっちゃだめなの?
弱者にとって果てしなく生きづらい社会において、
強者適正の社会が紡がれつつあるんじゃないか?
弱いことにかまけて何が悪いんだろう?
あまり戦いに長けないサルシャ姫でさえ強い、
サルシャ姫なら彼女の能力でチートしてればいいはずが、
それをしません、勇者と同じ目線で冒険をしています。
強者として能力を使わない選択を得、
これを基本として前に進もうとする。
弱者にとっては全然、分からないことです。
弱者は別にスーパーマンになりたいわけじゃない、
弱者であると周りに認めてほしいのです。
庇護の対象であると保護を求めたいのです。
だからあなたが弱った時も、
強者であることよりも弱者であることが貴重ですし、
あなたは弱いと自分を認めることから始めるのが、
どちらにしても一番なのです。
勇者一行と冒険を続けることで、
強くなれたような気持ちにはなれますが、
勇者一行とは絶対的に隔絶された、
弱さを人は持っています。
弱いのですから、勇者達に守られるわけです、
人はそんなに強くなれたりしません。
急に強くなることはもちろんありません、
いつだって弱者です。
周りの人に支えられて生きています。
それを想う度に私たちは謙虚になります、
勇者にはなれない私たちは、
彼らの冒険が類い稀なものだと悟ることが出来ます。
いくらゲームで勇者を操っても、
自分は強いわけではないですから、
そこに全てはありません。
いつまでたっても未熟で弱体化した自己が、
ちらついて見えて、それは存在し続けます。
人は弱い生きものです、弱い弱い生きものです。
特にこうやって執筆をつづける時、
その弱さを露呈して周りのことを忘れて、
没入することで、本当に弱くなってしまっている。
生きたいと望むことさえ執筆の中に食われてしまってる。
砂漠の砂丘に想いを馳せて思うのです、
無限の言語の砂の前には、
勇者達は蟻のように進むしかないのだと。
人は蟻よりも弱い生きものです、
自分から望まなければ自然に回帰出来ない脆い生きものです。
弱いからこそ、人で在り続けます。
強くなってしまったら、
僕は今ここで、
執筆なんてしてないかもしれない。
それはそれで苦悩です。
リッチのマサシンドは死を操る敵です、
死に関して知り尽くしているといっても、
過言ではないでしょう。
そんな敵を相手にして、
どう戦い抜くのでしょうか?
砂漠の砂は無限に広がってるようにも、
思えます。
結局また冒険に戻ってしまいますが、
それでも疲れることは必定と、
私たちの旅は急激には進めません。
弱さを互いに認め合うことで、
出来ない部分を補うしかないのです。




