2018/12/24 3:00 p.m.
――……分厚いガラスでできた球にでも閉じ込められたような息苦しさに、アルヴァは「うう……」と小さく唸りながら薄っすら目を開けた。
明るさが目を射す。
刺激に目をしばたかせながら、アルヴァはぐるりと周囲を見回した。雑踏だ。アルヴァは今、雑踏のど真ん中にいる。
なんでこんなところに、今まで私は何をして――。
そう考えながら、自分の体を見下ろしたアルヴァは、ぎょっと目を見張った。
「剣がない……!?」
剣が無ければ、皮の胸当てもない。白いシャツと、黒いズボンだけ。アルヴァが身に纏っているのは、それだけだった。
一体どういうことだ、とアルヴァは周囲にぐるりと目を向ける。
ひょろりと長い棒の上、鎮座する時計らしき物には数字が無い。が、その針はおおよそ三時の位置を示している。そこから目を上げ、目に映るのは背の高い建物。空には、春には似つかわしくない、今にも雪を降らせそうな雲が垂れこめている。
それから、その空の下、不自然に自分を避けていく人々。アルヴァの周りを往来する人々は、背を丸めていたり、薄い板を耳元にあてて何事か呟いていたり、と不思議な様子で――アルヴァなど見えていないように、しかし確実に彼女を避けて歩いていく。
流石のアルヴァも、動揺と混乱を隠せなかった。そばに誰もいないからなおさらだ。
誰か。誰か、私が見えている人はいないのか。
そう思いながら、アルヴァは早くなる鼓動を押さえて、周囲を見回す。そんな彼女の頬から冷や汗が宙を舞う。しばらくキョロキョロしていた彼女の黄色味の強い目は、くすんだ金の頭を見つけた。はぁっ、と強く息を吐いて、アルヴァはその金の頭の男のもとへ足を踏み出した。
彼女が駆け寄る足音に気が付いたのか、赤紫の目がアルヴァを映し、そしてほんの少し大きくなる。
「ケネス!」
「アルヴァ!」
互いに名を呼びあって、ほとんど抱き合うようにして相手を確かめる。寝る前と特に変わりのない様子に、アルヴァは安堵して、俯いて彼の肩に額を当てて息を吐く。
まるで長らく離れていたかのような振る舞いの二人に、そっと声がかかった。
「人込みで抱き合うのもアレだ。少し端に行ったら……」
驚いて顔をあげたアルヴァの視線の先、ケネスの肩越しに見えているのは、エクリクシス。いつからいたんだ、と言うアルヴァの声に、ケネスも首を回して後ろを見ている。
エクリクシスは曖昧に笑ってから、雑踏の向こう側、ショーウィンドウの方を指さしてフヨフヨと飛んで行ってしまった。
アルヴァとケネスは顔を見合わせて、彼の小さな背中を追って歩き出す。
雑踏を横切っても、アルヴァたちは道行く人々と袖一つぶつからなかった。
――まるで、私たちはここにいないみたいだ。そんな風に思いながら、アルヴァは唾を飲みこんだ。
「……で、これはどういうことだ?」
ケネスの声に、アルヴァは「わからない」と首を振る。ここがどこなのかも見当が付かない。
寝ている間に誰かに連れて来られてしまったのだろうか。弟たちは無事なのか。様々なことがアルヴァの頭に浮かんでは消えていく。
「ここがどこなのかもわからない。――ルカが居れば、もしかしたらここがどういう場所なのかわかったかもな」
あの子は頭がいいから、とアルヴァは周囲を見回しながら呟く。
灰色の多い建物は、空を突き破るように天に向かって伸びている。高さだけで言えば、アングレニス王国最大の城のイグナール城より大きいかもしれない。
――本当に、ここはいったいどこなんだ。
不安そうに眉を寄せながら、アルヴァはジリっと地面を踏みしめ――自分が何か踏んでいることに気が付いた。
そこにあったのは、足跡の付いてしまった、灰色の薄い紙の束だった。
見出し思しき大きな字には『都心』『初雪』と書かれているようだ。その横に細かい文字がびっしり。それから文字に囲まれて精巧な挿絵が入れられている。
右上には、『二〇一八年 十二月 二十四日』とあった。
アルヴァはその見たこともない文字に目を通し、「初雪か……」と呟いて、はたと動きを止めた。
――知らない文字を、理解できている。
違和感の一つもなく、この目の前の細かい文字は、アルヴァに内容を伝えてきている。
本当に、これは一体全体どういうことだ。
私達は、何に巻き込まれたんだ?
アルヴァは灰色の紙に目を落としたまま、粘着く唾をゴクリと飲み込んだ。