2018/12/25 0:00 a.m. エピローグ――クリスマスの魔法は解けて――
――最後にもう一度、今日この日に、見上げてほしかったんだ。
そう言った『誰か』の姿が歪む。
エクリクシスの姿を借りて、赤を纏っていたその――精霊は、アルヴァたちの前で、本来の姿に戻って見せた。
灰褐色の肌。緑の髪。顔と声の若さとは対照的に、手は、今にも朽ちてしまいそうなほどに乾燥して、ひび割れていた。
「僕、今年が終わったら――伐り倒されてしまうんだ」
ぽつ、と溢した『誰か』――いや、とアルヴァは静かな瞳で目の前の精霊を見つめて、静かに口を開いた。
「君は、モミの木の精霊だったんだな……」
『誰か』は――モミの木の精霊は、静かに首肯した。それから、満ち足りた微笑みを見せながら、アルヴァとケネスを見つめる。
「そう。僕は、ここに生えている――モミの木」
それから、モミの木の精は、アルヴァたちをここへ呼んだ理由を話し始める。
「僕の体、もう駄目なんだ。今は、夢の中だから、元気な姿を見てもらえているけれどね、もう駄目なんだ」
星が降るように、光を纏いながら舞い落ちる雪。その淡い光に照らされて、モミの木の精は年若い顔に、人生を満足に終える老人のような笑みを浮かべている。
「倒れたら危ないから、僕は来年――ううん、もしかしたら、明日にでも伐られてしまうかもしれない」
アルヴァもケネスも何も言わない。それを、目の前の精霊が求めている気がしたから。
「――伐られるのはね、別にいいんだ。僕を見上げてくれる人間たちが、もし僕のせいで怪我をしたら嫌だから。ただ――ただ、僕は……最期に、と願ってしまった」
精霊は、モミの木を、自分の半身であるモミの木を見上げる。
「――昔ね。本当に、昔のことだよ。僕が、まだもう少し小さかったころ。仲のいい夫婦がね、僕を飾り付けてくれたことがあったんだ」
そう、とモミの木は大切そうに言葉を紡ぐ。
「――十二月、二十五日。クリスマスのこの日に。モミの木なのにこの日に裸は寂しかろうって」
アルヴァは、自分とケネスの手の中で輝く星を見つめてから、静かに目を上げる。と、アルヴァの黄色味を帯びた琥珀と、モミの木の精霊の深緑が交差した。
「――もう一度。もう一度だけでいい。同じ日に、同じように――見上げてほしいと、僕は、そう願ったんだ」
そうしたら、と精霊はゆっくり静かに、うれしそうに――微笑みながら、口を開く。
「僕の最期の願いを、誰かが――ふふ、もしかしたらサンタさんかな……とにかく、誰かが聞いてくれてね」
そこでモミの精霊は、申し訳なさそうに視線を落とす。
「僕の夢に引っ張るって形で、人を二人――あの夫婦のように、仲のいい人間二人を、呼んでくれたんだ。だけど、まさか、違う世界から呼んでしまうとは思わなかった……」
君たちには迷惑をかけたね、と言う精霊に、アルヴァは微笑みながら首を横に振る。
「――いや、楽しかったよ。楽しい、夢だった」
なあ、とケネスに声をかける。彼も、柔らかく微笑んでいた。
ポロポロ、と精霊の目から光が落ちる。
「……ありがとう、本当に、ありがとう」
静かに涙を流す精霊の、その言葉に呼応するように、アルヴァとケネスの手の中の星の輝きが強くなる。
その星に目を落とし、輝きの眩さに目を細めた二人は、星から顔をあげ――目を見開いた。
いつの間にか、周囲は白一色の空間に変わっていた。そこにあるのは、アルヴァたち二人と、それから、先ほどよりも背の低くなったモミの木だけ。
湿り気と焚き火の燃える匂いを含む春の匂いと、冬の匂いが周囲に漂っている。
『お願い。僕の頭に、星を――』
乞われるままに手を伸ばせば、届くはずなどないのに、モミの木のてっぺんまで手が伸びる。二人は静かにそっと――戴冠式のように厳かに、そこに星を置いてやった。
アルヴァとケネスは、寄り添うように手を繋ぎながら、星をてっぺんに輝かせるモミの木を見上げて静かに微笑む。
同時に、ああ、と涙ぐんだ声が聞こえて、星の光が強くなった。
モミの木も、アルヴァたちさえも飲み込む光の洪水の中でアルヴァの耳は、確かに、声を聞いた。
『ありがとう、ありがとう……! 最期に僕を見上げてくれて、ありがとう……!』
その嬉しそうに震える声に混ざるように、聞きなれた声が聞こえ始め――アルヴァは、ふっと目を開けた。
☆☆☆☆☆
「――ねうえ、姉上。起きてください」
目を開けたアルヴァの前に映ったのは、薄暗い岩壁と、それから、弟の顔だった。
「ん、む。……!?」
アルヴァはビクンと体を跳ねさせる。膝にかかっていたストールがペロンとはげて、地面に落ちる。
――ああ、そうだ。そうだった。さっきの世界は夢だったな。
アルヴァは緊張した体から、吐き出す息とともに力を抜いた。
「もう朝か」
ぽつ、と呟く彼女が思い浮かべるのは、先程の世界のこと。
先ほどまで歩き回って、食べて飲んで楽しんだ世界を思い出し、アルヴァは口元にほんのりと微笑みを浮かべる。
あとで弟にも話して伝えたい楽しい世界だったけど――とアルヴァは隣でいまだに眠っているらしいケネスに目を向けた。
――ずっと手を繋いでいたっていうのは、隠しておこうかな。ほんのちょっと、気恥ずかしい。
そんな風に考えているアルヴァの前で、弟は柔らかく微笑みながら口を開いた。
「ええ。ぐっすり休んでいただけて、良かったですよ」
弟は、嫌みも何もなく本心でそう言っている。続く「霧の制御で忙しいフォンテーヌに、睡眠導入用の霧まで用意してもらう必要なくて本当に良かった」という低く呟かれた言葉が何よりもそれを表している。と、そこでケネスも目を覚ましたようだった。
先ほどアルヴァと弟が交わしたようなやり取りを行ってから、彼は眠りの余韻に浸るように、優しい顔で岩壁を見つめている。
「王室魔導士もいるし、これからは、みんなで一緒に行動ですからね。時間も限られてるし、ちゃっちゃと朝飯食って、また『おばけ草』探しに行きますよ」
そう言った弟の目が、ふいに、ツツと下を見る。それから、弟はその可愛らしい顔にニンマリと意地悪そうな笑みを浮かべてアルヴァを見た。
「……手なんか繋いじゃって、随分いい夢見たようですねぇ?」
その言葉に「まさか」と思いながら自分の右手を見たアルヴァは、一瞬だけ身を固くして、それから困ったように微笑んだ。
――まさか、現実でも手を繋いでいたとは。
ケネスと自分の間にある事実に、アルヴァはいやにリアリティのある夢だった理由を知ったような気がした。
ケネスの手の暖かさ――夢の世界でアルヴァの右手を包んでいたのと違わぬ暖かさに、アルヴァは、ほわり、と心が温かくなる。しかし、その手は、慌てたように離れていった。ケネスが彼女の手を離して立ち上がり、誤魔化すように体を伸ばし始めたからだ。
温もりの離れた手のひらが何だか寂しくて、アルヴァはその気持ちを宥めるように自分の右手を優しく握りこむ。それから、ニマニマしている弟を見上げた。
こういう時の弟に隠し立てしたり照れて見せたりすると逆効果なのは、十三年も彼の姉をしていればわかることだ。
幼馴染で付き合いは長くとも、やはりケネスはまだまだその辺わかってないなぁ、とアルヴァは心の中で呟いて、ニカリと笑ってみせた。
「うん、いい夢だったとも。面白い夢だったぞー。異国の夢だった。建物の背が高くてな、お前だって見たこと無いような花があってな――」
そうやって説明する横で、ケネスがギクンと動きを止めてアルヴァの頭を見下ろしたことには、流石の彼女も気が付かない。アルヴァの話を聞いている彼女の弟だって気づかないまま、二人は会話を続ける。
「面白そうだけど、続きはおばけ草が見つかってからで。さっさと朝飯にしますよ」
「それもそうだな。ノエルが薬を待ってる」
アルヴァは夢の記憶を、ひとまず心の中の宝箱に大切にしまい込むことにした。
見上げてほしがっていた彼と、それから、ケネスと楽しんだ時間。その記憶には、竜歴を歩むこちらとは違う、あちらの世界の日付を付けて、そっとそっとしまい込む。
そうして、アルヴァは再び祠巡りの冒険へと――まずは、直面している『「鱗吐き」の病気に苦しむ少年を助ける』ための冒険へと、戻っていくのだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
アルヴァとケネスが過ごしたクリスマス、いかがでしたでしょうか?
自分としては、自分の思うクリスマスをありったけ詰め込めたので、大満足の作品となりました。
読んでくださった皆様が、少しでもクリスマスらしさを感じてくれたなら、とても嬉しいです。
☆☆☆☆☆謝辞☆☆☆☆☆
企画を主催してくださった、社登玄さま、陸一じゅんさま。本当にありがとうございました! 宣伝や画像・動画作成、イラスト作成など、ご自分の執筆を抱えながらも完璧にこなしてくださった二人には頭が上がりません……!
こんなにも素晴らしい企画に参加できて、この作品を書き上げられたことこそが、私にとって最高のクリスマスプレゼントです。
重ねてお礼を申し上げさせてください。本当に、本当にありがとうございました。この企画のおかげで、過去最高に楽しい12月を過ごすことができました。
拙いですが、以上を感謝の言葉として受け取っていただけましたら、幸いです。