17
ふと思い出したのは、数日前のことだ。
生まれて初めて、生きているカエルを締めて、自分の手で調理したあの日。
カガリの手で締められる、殺される直前までなんとか逃げようとしていた、あのカエル。
(俺は、あのカエルと同じだ)
強くないから。
弱いから。
食べられる存在。
レジナや、アーサー、そして王族達に見出された彼女達や、その彼女たちを表通りで待っているだろう男性陣とは違う。
能力値は低くて、才能はない。
弱いから、強いものに食べれられる自然界となにも変わらない。
それでも、自然界で生きる生き物は、その生存競争を勝ち抜くために進化して武器を持つようになった。
天敵から身を守るために、毒を持ったもの、周囲の風景に自分を溶け込ませる能力を持ったもの、本当に色々だ。
(あのカエルもそうだった)
なにもしなければ食べられてしまう。
死んでしまう。
あのカエルのように。
レジナに出会ったばかりの頃。
彼女が言っていた言葉を、何故か思い出した。
ーー君は、あたしからしてみれば、そんな心が死ぬような世界をどうやって楽しみながら生きてたの?
そもそも、楽しみはあった?ーー
そんな生き方をカガリは知らなかった。
惰性で生きてれば良かったから。
命のやり取りとは無縁の世界で生きてきた。
見下されても、殴られたり蹴られたり、刃物を突きつけられたりすることなんてなかったから。
でも今は違う。
命が危険に晒されている。
自分で動かなければ、自分で自分を守らなければ、きっとずっと、自分は殺されたことを死後も後悔すると思った。
まだ、自分はレジナの言う『楽しい』を知らないから。
それを知りたいと思っていたんだと今更、自覚する。
自分の心を死なせたくない、と、そう強く思った。
剣が迫る。
A子の剣が迫る。
両刃の刃物だ。
でも、そのスピードはやっぱり遅くて。
カガリは近くにいたB子の腕を掴むと、盾替わりにする。
何が起こったのか分からなくて、B子の顔がキョトンとしたまま、迫り来るA子の凶刃と向かいあう。
A子の方もいきなりB子を盾にされ、しかし振り上げた剣は止まらない。
寸止めにするには距離が近すぎたし、もとよりカガリを痛めつけるのが目的だったからか、力加減もしていなかったのだろうと思われる。
そもそも、手配書では生死問わずとなっていたからもしかしたらこの二人は最初からカガリを殺す気だったのかもしれない。
嘘でも二人いれば真実になる。
そういうものらしい。
これはアーサーが美人局の被害に遭遇した時の話だったか。
殺しにきたなら、こちらも死にたくないので必死になるだけのことだ。
A子の剣は、B子の体に叩きつけられ骨を砕いたようだ。
声を上げる間もなくB子はその場に倒れこむ。
一方、A子にはB子の返り血がかかる。
呆然となる彼女に構わず、カガリはB子の手にあったナイフを取り返す。
と、今度は泣き叫びながらA子がまたも切りかかってきた。
それを、カガリは自分の意思で、鞘に収まったままのナイフで受け止めた。
そして。
鞘からナイフを、抜き放つ。
黒い禍々しい刃がその姿を現す。
(あぁ、やっぱりだ)
何度か授業でこのナイフを使用している。
レジナからも説明を受けた。
このナイフは、前の持ち主の念が強すぎて、使用者の意識を奪う。
授業でも、何度も何度もカガリは意識と体を乗っ取られた。
少しずつ慣らして行けば、やがてナイフはカガリのものになるらしい。
その言葉の通りに、少し慣れてきたのか今は十数秒だけならカガリは意識を保っていられた。
頭に声が響く。
殺せ殺せと声が響く。
切り裂け、切り裂けと声が響く。
息を吸って、吐き出す。
死にたくはないから。
まだ、カガリは死にたくはないから。
そして、生きるためには奪うということも時にはあるのだと、今は知ってしまったから。
一度、二人はどちらともなく間合いをとる。
A子は困惑していた。
自分たちよりも下だと思っていた存在が、チンケなナイフで反抗してくる。
抗ってくる。
彼女が持つ長剣に比べれば、あまりにも短いそれ。
「風切りの刃っ!」
こちらの世界にきて、1ヶ月と少し。
A子はこの期間に習得した、風による攻撃スキルを発動させる。
いくつもの突風の刃が、カガリに襲いかかる。
しかし、カガリはそれをナイフを一閃させて切り裂く。
カガリの脳内にはやはり、声が響き続けていた。
タイムリミットは過ぎ、意識が黒く塗りつぶされる。
しかし、カガリは妙な満足感を得ていた。
全てを切り裂いたかに思われたが、一つだけ外していたようだ。
たった一つ残った突風の刃は、カガリを直撃する。
それは、カガリの服を切り裂き、巻いていたサラシも同じように切り裂いた。
顕になった白い肌と、二つの胸の膨らみにようやくA子は他人を襲っていたのだと知る。
しかし、時は既に遅かった。
突風の刃は、今は女性となっているカガリの肌も切り裂いた。
しかし、それは致命傷にはならなかったようだ。
自分の傷から流れでた真っ赤な血。
カガリはそれを掬いとって、舐める。
「ああ、いいねぇ、こういうの嫌いじゃねーよ」
そして、そんなことを言ったかと思ったらナイフをA子へと向ける。
「その首も切り裂き甲斐がありそうだな?」
明確で、純粋な殺気をカガリはA子にむける。
それは、たかだか1ヶ月程度の経験しかない少女には受け止めきれるものではなかった。
どんなに練習し、訓練しようと、数字に縛られた彼女にはまだ相手にできるものではなかった。
あまりにも経験値が足りなさ過ぎた。
武器や戦い方を教える存在が彼女達にもいた。
しかし、その存在を彼女を含めた王族パーティが心の何処かで見下していたから。
ただ見ただけで、その動きは覚えられた。
そして、訓練だと言うことを理解出来ていなかったため、彼女たちは教官であった存在に、自分たちの強さを見せつけ力を誇示することしかしなかったから。
何よりも、一度教えてもらっただけで覚えてしまえる不幸がここにきて現れてしまった。
覚えることは出来ても、完全に自分のものに出来ていないのだ。
そして、実戦の経験も、魔族に返り討ちにされた以外は格下を相手にしていた。
確実に勝てる相手としか実戦経験を積んでいなかった。
魔族の件も、カガリの手配書を見て自分たちにとって一番都合のいい考えしか出来なかった。
それが、今に繋がる。
「あ、あ」
恐怖に彼女の足が竦む。
思考が停止する。
実に楽しそうな歪んだ笑みを貼り付けて、カガリが一歩、彼女に近づく。
彼女は恐怖で立っていられなくなって、その場に尻もちをつく。
気にせずに、カガリはまた一歩、近づく。
A子はそれに体をビクつかせる。
死ぬかもしれない、殺されるかもしれない恐怖に、彼女は声すら出せなかった。
ただ、歯がカチカチと鳴っただけだ。
カガリがナイフを振り上げる。
そして、振りおろす。
そこに躊躇いはなかった。
そこに迷いはなかった。
思わず、A子は目を閉じた。
来るであろう衝撃と痛みと、そして終わりを待つ。
しかし、いくら待っても、それはこなくて。
代わりに、
「はい、そこまで。
ま、ギリ及第点かな。
もう少し、メニューを考えないと」
そんな少女の声が聴こえたのだった。