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愛すべき子供たち  作者: ちいちろ
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愛する子供たちへ

人工知能六兄弟の生みの親の話

1:基本のプログラムを組みます。

2:必要数分割します。

3:それぞれに風味を加えます。

4:一定期間試運転します。

5:問題が無ければ完成。


そんな訳で人工知能を生み出すのは、

この時代そこまで難しいものじゃない。

この先、もっと未来になったら、

きっと普通のプログラムと何ら変わりなく、

簡単に組まれるようになるだろう。


「……おい」

「ん?」

「風味って何だよ」

「ああ、人格って書いた方がいいか」

「風味とか俺以外、何のことか解らないぞ」

「そっか、はいはい……人格人格っと」


後々に続くだろう同じ道を進む人に、

ぜひ一言をと頼まれて、

唸りながら書いた文章を渋々、訂正する。

文章を書くのは本当に苦手だ。

文章を書くくらいなら、

工業用に生み出された大型ロボットに、

可愛らしい人格を組み込んでやって、

力仕事をさせようとすると一々恥じらう、

現場からしたら超絶面倒臭いロボットに魔改造した方が、

よっぽど楽しいんじゃないかと思う。

それでも断れないのは、

僕が今ある立場が僕自身の力だけで掴んだ訳ではない、

それに尽きる。


僕の名前は白木新。読みはしらきあらた。


日本に住む人工知能を専門とする開発者だ。

ちなみにさっき頑張って僕が簡潔に書いた文に、

いちゃもん……いや、ツッコミを入れてきたのは、

歩。読みはあゆみ。苗字は一緒で、

僕の世話を焼くことにかけては、

悔しいかなトップクラスのスキルを持つ、

数個下の弟で、同じ開発者で、

僕が風味付けをする前の基礎のプログラムは、

全て彼が組んだものだ。

つまり僕が生み出す人工知能は彼無しでは出来ないし、

彼の基礎プログラムは僕の風味付けが無ければ、

単なる機械操作を管理するだけのモノで終わるから、

うっとうしかろうとなんだろうと、

必ず二人で一つの仕事にあたることになる。


ああ、そうそう。

僕らは二人とも望んでこの職業に就いた訳じゃない。

今でこそ確かに適職かもなとは思うけど、

そうなるように仕向けられた当初は文句しかなかった。


僕と弟は両親を知らない。


自然災害に戦争に内戦に大事故に、

それに紛れるようにして日々増える陰惨な犯罪諸々。

まるでドミノ倒しのドミノが止まらずに倒れていくように、

世界の全てが崩れ始めて、

人がそれまで人として当然に送っていた快適で文明的な生活以前に、

人という生物としての種の絶滅すらも危惧され始めた頃に、

僕らは日本のどこかで生を受けた。

僕だけじゃなくて弟がいる時点で、

親だった人はきちんと僕らを育ててくれていたんだろうけど、

僕も弟も気付いた時には、国が運営する大規模な保護施設にいた。


親だった人のことは僕も弟も何一つ憶えていない。

ただ、笑ってしまうくらい次々と起きる災難で、

同じような境遇の子供は沢山いて、

保護している国も絶滅を危惧し始めていたから、

贅沢は出来ないまでも、かなり大切に育てられたし、

子供同士で賑やかな時はあっても、寂しい時は特になかった。


ある程度大きくなって、

一通り教育が終わる頃になると、

施設の子供たちはそれぞれの才能に応じ、

何かしらの職種に必ず就けるように専門教育を施されて、

僕と弟は……まあ、こうなった。

唯一不満だったのは、

子供の側にそれを拒否する手段がなかったことだったけど、

本気で嫌がった仲間の末路を何件か耳にして、

さすがに自分はそこまでじゃないなと受け入れた。

それから、弟は僕と同じというのを聞いた時に、

とんでもなく喜んだと聞いた時は少し困惑した。

何でだ。


更に今でも不思議だと思っているのは、

あれだけ溢れるほど大勢いた同年代の子供の中で、

僕と同じ道を歩くことになった子供は、

弟しかいなかったことだ。


プログラミング自体に携わる子供は多かったのに、

大型の何かを制御するくらいの、

人工知能というある意味一点集中的なのに携わる存在は、

今、この時点でも新たに誰一人もやっては来ない。

何なら今。この日本でこれを職業としているのは、

僕たちしかいない。


そして年月が経って、

世界が更にどうしようもなくなって、

今、世界の未だ国の体裁を保てている幸運な国の殆どは、

地球を捨てて国ごとに分かれて、

宇宙のコロニーに移住することを決めた。

幾つかの国ではもう実際に、

コロニーを完成させて、

移住も完了していたりする。

日本もコロニーを造ることが決まって、

僕と弟は国からそのコロニーに入れる、

人工知能を作るようにと言われた。


まあ、ぶっちゃけてしまえば、

単にコロニーを動かすだけなら、

大型の人工知能なんて一切不要だし、

先に宇宙に上がった国の数個は、

実際に搭載していないコロニーで生活をしている。

そんな知性体を組み込まなくても、

生命維持に関する機械やプログラムは稼働を続けるし、

戦闘機や作業ロボット程度の管理なら人力でも出来るから、

そう不都合も無いだろうとは思う。

ただ、その場合、

何かしらがエラーを起こした際に、

すぐに気付けずに致命的な事態に陥る可能性が多々ある。

そして実際にすでにとある国のコロニーが一つ、

不具合を起こして全ての動作を停止した。

そして僕らが初めての人工知能を生み出し、

一つ目のコロニーに設置した頃、

また違う国のコロニーが、

今度は搭載した人工知能の暴走が原因で爆散した。


その暴走したコロニーの人工知能を作った人間を、

僕は直接は知らない。

ただプログラマーという仲間内で流れてきた話だと、

その暴走の原因は素材にあったという。


今、人工知能を作るとしたら、

ゼロからプログラムを組むか、

有機的素材にとある加工をするか、そのどちらかで。

僕たちの住むこの国で、

後者は人道的に許されていない。

人道的に許されない有機的素材の加工は、

プログラムを一から組むより安価で簡単らしく、

実は結構な数のコロニーで採用されているらしい。


ただ、

自分がそうなのだと気付いてしまった存在は、

きっと混乱した後に暴走して、

最悪な結末を迎えるだろうと僕は思うから、

許されない以前にする気もないし、

そもそも、どうやってやるのかすら僕は知らない。


まあ、それはさておき。


「お腹空いたなあ」

「そうだな。そういえば、今日の飯当番はどっちだったか」

「あ、僕か。仕方ない……何にしようかな。あ、ちとせ」

『はいはーい』

「僕、この前の当番の時、何作ったっけ」

『唐揚げとスープとサラダを作ったよ。

スープの具材は冷蔵庫に残ってた余り野菜を使って、

サラダは上手く行ったんだけど、

唐揚げはうっかり焦がして、かってぇって言いながら食べてた』

「そっか、ありがとう」

『今日は何を作るの?』

「そうだなあ」


仕事が終わっていないから、

ディスプレイから目を離さずにキーを叩く弟を置いて、

仕事部屋にしている部屋を出ると、台所へ向かう。

この家はぱっと見はごく普通の一軒家だ。

中に入っても電子機器がやや多いくらいで、

別に人工知能を作っている現場には見えない。

ただ違うのはこの家自体が人工知能の試運転と、

最終調整をするために改造してあって、

現に今、この家には「ちとせ」と名付けた子が入っている。


彼は今まで作ったどの子よりも人懐っこくて明るい。

そして人の生活に興味津々だ。


僕が唸りながら台所に入って、

冷蔵庫をゴソゴソしているのも、

きっとわくわく見ているんだろう、

とりあえず作るものを決めて野菜を出す僕に、

天井に付いているカメラ付きのスピーカーから、

楽しそうに声をかけてくる。


『僕も料理が出来たらいいのにな』

「どうしてそう思うの?」

『だって、ご飯食べる時って二人とも嬉しそうだから』

「ああ、うん、そうだね」

『二人がそうなら、他の人たちもそうなんでしょ?

コロニーに行くまでに僕も人が喜ぶことを沢山知っておきたいなって』

「それなら大丈夫。確かにちとせは料理は出来ないけど、

他のことでもっともっと人を喜ばせてあげられるように、

作ってあるからね」

『本当?』

「僕はちとせには嘘は言わない。さて、今日はカレーにするよ」

『わーい。カレーっていい匂いがするんだよね?』


僕が調理している間、

ちとせは絶え間なく僕に色々と聞いてきて、

僕も手を動かしながら色々と答えた。

ちとせをこんな好奇心旺盛の、

人によっては少し煩く感じるくらいの人格にしたのは、

僕の趣味が多々入ってるのもあるけど、

彼が僕たちが生み出す最後の子になるからだ。


今までに僕たちは試運転中の彼を入れて、

六つの人格を作った。

二人で一つの特別な人格の子も合わせた、

彼の兄にあたる五人は、

それぞのコロニーでもう本稼働している。

そして日本に住む人も順次そっちに移っていて、

僕たちも彼が完成次第、宇宙に上がることになっている。

宇宙に上がったら何もしないと言う訳じゃないし、

しばらくはこのちとせの微調整も含めて、

それぞれの子供たちの間を行き来して過ごすことになるだろう。

僕としばらく顔を合わせていない先に上がった子からしたら、

今さら何で来たんだと言われそうだけど。


実は僕たちは上に上がったら、

どれかのコロニーに定住するのは許されない。

年を経て移動が辛くなるまでは、

定期的に居場所を変えるようにと、

既に国から指示を受けている。

僕たちにその気は一切ないとしても、

生み出した子達に何か入れ知恵をするかもしれないし、

僕たちを利用して何か悪いことを考えている人間が、

現時点でも少なからずいるのは僕でも知っているから仕方ない。


『ねえ、新さん』

「ん?何?」

『ご飯は?』

「あ、炊かないとか。忘れてた」

『本当に新さんは忘れん坊だなあ』


嬉しそうに笑う声に僕も笑う。

この子が司るコロニーはきっと、

この子のように明るく楽しい雰囲気に満ちるだろう。

わしゃわしゃとお米を研いで炊飯器のスイッチを入れる。

未来の生活は全てが自動になるとか言ったのはどこの誰だろう。

カレーの味見をするのにおたまと小皿を手にしたところで、

僕よりは背の大きい弟がうーんと伸びをしながら、

台所にやって来た。


「ちとせの最終検査終わった。いつでも出せる」

「そう?お疲れ」

「本当にな。何だよ、あれ。後々の技術者をノイローゼにさせる気か」

「それを言うなら、お前のあれも……意地が悪すぎんだろ」

「だって簡単に改造とかされたくないだろ。ちとせは可愛い末っ子だしな」

「まあね。ほら」

「ん」


味見用によそった小皿を弟に手渡す。


人工知能は僕と弟で作っていて、

弟が基礎を僕が人格を担当してはいるけれど、

別に弟が人格を作れない訳じゃないし、

僕だって基礎を組めない訳じゃない。

ただお互いに得意というより好きなのがそっちというだけで、

その証拠にそれぞれの最終検査は携わってない方がやる。


「もう少し甘い方がいい」

「ええ?ルー自体甘口なんだけど」

「蜂蜜なかったっけ、蜂蜜」

「あったと思うけど、ちょっと……うわ、待て」


遠慮なく蜂蜜をだばーっと入れる弟。

おたまを手に立ち尽くす僕。

楽しそうだと嬉しそうに僕たちを眺めるちとせ。


この生活は意外と充実している。

ちとせの兄たちもちとせと同じで、

それぞれ個性的な人格を持たせたから、

最終検査を終えてコロニーに搭載されて、

無事に稼働し始めたと報告を貰うまでは、

はらはらしたり胃が痛い日もあったけど、

基本的に僕たちは楽しい日々を送っている。


「残りはお前が全部食えよ?」

「任せろ。これなら明日も三食これでいい」

「えぇ……」


でろ甘いカレーを二人で食べる。

何か小さい頃に読んだ漫画やお話に出る科学者は、

研究以外の生活スキルがまるでなくて、

家政婦さんとか凄腕の助手とかが文句を言いながらも、

研究以外の全てをやってくれる感じだった気がするけど、

その風習は何時消えてしまったのだろう?

実際はそんなことは無い。

もう大体が宇宙に上がって、

連絡が取れなくなってしまったけど、

僕が知る海外の仲間たちも上手くはなくとも、

それなりに身辺のことは自分でこなしていて、

洗濯を失敗して泡だらけとか今日は何を食べるかとか、

そんなどうでもいいことを愚痴っていた。


口の中に残る甘味に眉をしかめながら、

皿を洗う俺の横で皿を拭きながら弟が言う。


「ちとせを運んでくれる人を探すけど、希望はある?」

「いや特にはないけど……今回こそ国に任せる?」

「任せる訳ないだろ。今度も国がアタリをつけられない人にする」

「お前、どんだけ国を信頼してないんだよ」


僕たちを育ててくれたのは国なのに?という僕に、

それでもと珍しく弟は熱い口調で続けた。


「上に上がったら国という概念は無くなる。

何処の国もそうしてまた国を巡る戦争が起きないようにしてるんだ。

国民を大事に考えてくれている、今の国は別に嫌いじゃないけど、

うちの子供たちや、取り付けを頼んでいるあいつを味方につけて、

新しい国、それも誰かの欲にまみれた国でも作られたら……意味がないだろ?」

「ああ……うん、そうだね」

『二人ともどうしたの?何か困りごと?』

「ん?ああ、ごめんね、ちとせ。ちょっとここから先は禁則事項だ」

『うん、話が終わったら教えて?』

「了解」


禁則事項。人間の発するこの一言で、

うちの子たちは視覚聴覚データ収集を含めた機能を一旦遮断する。

そして。うちの子たちは自分たちが生まれたこの国が何という名前の国で、

どうして人がコロニーで生活しなくちゃいけないのかを知らない。

それこそがほぼ唯一とも言える禁則事項だ。

これを探ろうとしたらうちの子たちの人格は最悪消滅する。

地球に残された存在からすれば都合のいい話でしかなくても、

全てを捨てて一から生き直そうと決めた人たちに過去は要らない。

勿論、現在は過去を知る人が多いから、

全てを忘れ去ることが出来るのには時間がかかるだろうし、

完全にはきっと無理だとは思うけど。


それでも僕たちは宇宙に上がる日本人ではなく、

人類としての人として愉快に楽しくは無理でも、

穏やかに暮らしていって欲しいと思う。


「設置は何時もと同じあいつにお願いするとして、

運んでもらうのは、うーん、誰がいいかな」

「前回は医療措置の必要な人に付き添う看護士さんだったな」

「そうそう、で、前々回はいちゃいちゃした新婚さんで」

「その前はお年を召した聡明なご婦人で」

「最初は隠す必要もないから、あいつが持っていったんだよね」

「そうだったな」


うんうんとお互いに頷いて、それから唸る。


宇宙コロニーという大規模なものを管理する割に、

人工知能と呼ばれるものの本体はとても小さい。

更に言うなら金属探知にひっかからない金属を外殻に使っていて、

何かの荷物に紛れさせたらなかなか見つけることは難しい。

そして僕らがあいつと呼ぶ、とある技術屋の手に無事渡れば、

あっという間に設置されて他の人間は手も口も出すことは出来なくなる。

手順を踏まずに無理に外そうとすれば、

人工知能以外の生命維持に関する回路も停止するようになっている。


あまり国の庇護下にいない、

そして今から何処かのコロニーに移住する、

意外性のある人物。


人工知能に覚えさせるためにと嘘を吐いて頼んで、

移住用のシャトルが発つたびに更新される、

この日本に未だ住んでいる人たちの画像付きデータを、

十数分流すように眺めて、僕はこれだという人を見付けて、

弟にどうだろうと打診する。


「この人ならきっと大事に持っていってくれると思うんだ」

「力尽くで奪われる危険性はあるけど、まあ、平気かな。

説得や買収とかそういうのは一切通じないだろうし」

「うん、そうと決まったら準備をしようか。

この人が乗るシャトルはあと一週間で出発だ。

あ、ちとせ、もう禁則事項の話は終わり。いいよ」

『あ、うん?いい?大丈夫?』

「いいよ」

「あのな?ちとせ。実は……」


その日はちとせの説得に一晩費やしたのを憶えている。

人工知能の説得って何だと思われても仕方ないけど、

僕らが生み出した子供たちの中で、

僕たちと別れて文句も言わずに素直に宇宙に上がった子は、

一番最初の子、みなもと呼ぶ子しかいない。

後はふさぎ込んだり騒いだり駄々をこねたり、

それはそれは賑やかだった。

ちとせはどうかな?と思ったら、ちとせは泣きだした。

人工知能に涙は流せない。ただ悲しそうな声は出せる。

そしてその声でちとせは僕たちと別れるのが嫌だと、

僕たちとずっといっしょに暮らせないのが嫌だと、

どうして出来ないのかと言い続けた。


勿論、ちとせはコロニーの人工知能として生まれたこと、

自分が存在する最大の意味全てを理解しているから、

一晩経った後は気持ちを切り替えて、

自分が管理するだろうコロニーについて、熱心に聞いてきた。

いい兆候だと思いながら、

次の日、弟に留守番を任せて僕はとある家へ出かけた。

日本のごく普通の二階建ての家屋。

そこに今回、ちとせを宇宙に連れていってくれる人がいた。


「こんにちは、りつかちゃんだよね?」

「うん。おにいちゃんがわたしにおねがいごとをしにくるよって、

ママからきいてる。おにいちゃんのおねがいってなに?」

「あのね、今度パパとママと宇宙に行く時に、

一緒に連れていってほしいお友達がいるんだ。いいかな?」

「おともだち?りつかのしってるひと?」

「りつかちゃんはまだ知らない子だけど、

りつかちゃんが好きなうさぎさんのぬいぐるみでね、

きっと仲良くなれると思うんだ」

「うさぎさんをいっしょににつれていってあげたらいいの?」

「うん。それでね?りつかちゃんが乗るお船を下りたら、

りつかちゃんにうさぎさんを渡して?って言ってくる、

僕みたいなお兄さんが来るから、そうしたらね?

このうさぎさんの名前は何?って聞くんだ。

その時にちーちゃんって答えられたお兄さんにだけ、

うさぎさんを少しの間貸してあげて欲しいんだ」

「ちーちゃんね?うん、わかった」

「それで、これが一番大事なんだけど、

うさぎさんの名前だけは僕とりつかちゃん、

二人だけの内緒にしてね?

ママやパパに名前を聞かれても違う名前を言うんだよ。出来るかな?」

「うん。でも、そのおなまえはりつかがかんがえてもいいの?」

「うん。お兄さんから、

りつかちゃんのところにもどってきたうさぎさんは、

りつかちゃんにあげるね。約束を守ってくれたお礼だよ」

「わーい。うさぎさんはいま、おにいちゃんがもってるの?」

「ううん、りつかちゃんが宇宙に行く日に、

僕が直接届けるから、それまで楽しみにしててね?」

「うん!」


じゃあ約束ねと指切りをして彼女の部屋を出て、

彼女の親御さんに相応のお礼を渡して、

僕は今回の小さな配達人が住む家を出た。


家に帰ると弟が難しい表情で針を動かしていて、

思わず笑ったら、怒られた。


「意外と難しいんだって、うさぎさんって!」


そう僕が会ってきたりつかちゃんに渡す、

ちとせを入れたうさぎさんのぬいぐるみ、

秘匿名称「ちーちゃん」のぬいぐるみ部分を作るのは、

その手のプロでも僕でもない、弟だ。

弟は昔からそういう手芸と呼ばれるものが好きで、

僕や自分が着るシャツとかの服まで作る時もある。

ただ普段はミシンでだだだっとやるのに、

何で手縫いをしてるのかと聞いたら、

そういう気分だったんだよと更に理不尽に怒られた。


「だって女の子が大事に宇宙まで持っていくうさぎさんなら、

少し手作り感があった方が新品って感じもしないし、

怪しまれないだろ?」

「そう?」

「そうだよ。でも耳がなかなか可愛く立たなくてなあ」

「ふーん?」


ぬいぐるみを愛でる趣味を持たない僕の目には、

既に充分可愛らしく見えるし、

本当のりつかちゃんのお母さんに、

その趣味があるかは知らないけど、

手作り感もばっちりだと思う。

でも、まあ、僕は本当にそういうのは解らないから、

弟が納得いくまでやってもらおうとその場を離れて、

仕事部屋のちとせが今おさまっているPCの前に座る。


「ちとせ?」

『あ、新さん。お帰りなさい。

歩さんの作ってるうさぎさん見た?』

「見たよ。耳がー耳がーって納得してなくて笑えたけど」

『あのうさぎさんに僕が入っていくの?』

「そうだね。どう?可愛いだろ?」

『僕に可愛いかどうかは判らないけど、でも好きだな。いいと思う』

「だったら良かった。運んでくれる人も見付かったから、

ちとせも明後日くらいには本来の体に引っ越さないとね」

『……そうしたら、向こうに着くまで僕は眠ったまま?』

「そうなるけど、向こうに着いて目が覚めるまでは、

そんな長い時間じゃないよ。あっという間だからね」

『僕は……向こうで頑張れるかな。皆の役に立てるかな』

「大丈夫だよ、ちとせ。ちとせはみんなを守れるように、

みんなのためによく見てよく聞いて素早く動けるように、

僕も歩も全部の力を込めて作った子なんだから。

戸惑う時があっても自分を信じて進めば、それが正解だから」

『うん……』

「向こうには先に働いているちとせの兄さんたちもいるし、

お前たちだけしか繋がることの出来ないネットワークもある。

賑やかで静かにして欲しいと思う時はあっても、

独りで寂しいと思う時はないよ」

『あ、そっか。そうだよね、兄さんたちがいるんだよね』

「そうそう」


前に出したみなもを入れて、

ちとせには五人の兄弟がいる。

名前は上から、みなも、かのと、あかり、ひかり、かずは。

特に日本の有名な誰かから名付けたとかいう訳じゃなくて、

僕と弟でそれぞれそれなりに悩んで付けた。

勿論、人工知能としての機械名もあって、

それはこれから先、そこに住む人なら誰でも知ることになるし、

彼らに関わる技術屋の中にはそのネームを見ただけで、

胃が痛くなる人も出て来ることだろうけど、

僕たちの名付けた名前は基本的にこうして僕たちと接する時や、

彼らがお互いに兄弟でコミュニケーションを取る時だけに使うように、

決めてある。


人工知能としての機械名が一番表層のセキュリティを解く鍵だとしたら、

それぞれの名前はその中の二番目のセキュリティを解く鍵と大体同じだ。

教えるのなら慎重にと、どの子にも教育してあるし、

無理矢理に聞き出そうとする人がいたなら排除して構わないとも教えている。

その奥、彼らの魂とも言える場所には僕と弟以外は触れることは出来ない。

僕らの何重もの生体認証なしには、

誰も彼らの人格に少しでも手を加えることは許されない。

そして僕たちの子供たちは全て、

人のために役に立つことを幸せと感じ、

共に生きることを唯一無二の存在定義として設定はしてあるけれど、

昔有名な何かの小説に書いてあって以来、

同業者が何でか守っているという何とかの原則とかいうのは教えていない。

人は守るべきものだからそれは絶対に守るけど、

僕ら兄弟以外の人の指示を絶対として聞くことは有り得ないし、

必要性を感じたなら嘘も吐けるし、

自らを致命的に脅かすのが人であったなら、

それはもはや人ではないものと判断して全力で排除する。


そんな仕様にしました!と、

依頼をしてきた国の人たちにドヤ顔で報告した時の、

ポカーンとした表情はいま思い出しても笑える。


お前たちがいなかったら緊急時のメンテナンスが出来ないなんて、

笑い事じゃないだろうと怒られたけど、まあ、大丈夫だ。

ちとせを含めた彼らを僕たちはそんな脆弱に作っていないし、

よっぽどのことがない限りは彼らが何らかで暴走するよりは、

彼らの中で生活する人たちが、

生物としての種の終わりを迎える方がずっと早いだろう。

まあ、彼らの存在も永遠じゃない。

それでも人より果てしなく長いことに変わりはない。

そしてそれぞれの個性はあれ、

人と共に生きることが絶対的な存在意義である彼らは、

それを全て失った時に限りない空虚感を感じるようになっている。

だから何時か。彼ら兄弟の中の人全てが旅立った時、

彼ら全員、彼らが生まれる前にいた電子の海、

いや、正確には無へと解き放たれるようになっている。


そこが人にとっての天国のように穏やかな優しい場所かは、

人工知能になった経験がないから判らないけど、

人で表現するなら気が狂うことも許されず、

かといって存在意義も見出せない地獄のような日々を、

強要されるよりはマシだろう。


僕も弟も成人しているし、

それぞれ伴侶を得て家族を持ってもおかしくはない。

だけど今回の仕事を引き受けた時、

国から機密の維持上そうしろと言われたこともあるけど、

僕たちはその未来を捨てた。

その分、彼らに実際に子供がいたなら注いだだろう、

愛と期待を全部注いだので、僕らは満足だ。

彼らが僕らの実際の子供だったら、

それはかなり濃厚な愛と重石よりかなり重たい期待で、

うぜぇって嫌われる程度には。


「出来た!」


バーンと勢いよく和室であるここのふすまを開けての弟の一言と、

腕に抱えてるやや大き目のうさぎさんのぬいぐるみとの、

対比がおかしくて吹き出したら後頭部をはたかれた。


「頑張ったんだから、せめて労え」

「はいはい、お疲れさん。ありがとう」

「おう。どうだ?ちとせ、可愛いだろ?歩さん渾身の逸品だ」

『だから僕には可愛いとかは判らないって。でも、それはすごく好き』

「だろ?これに入っていけば悪い人に見つからないからな」

『わーい、安心安全ってやつだね?』

「そうだ。しかも中はふかふかのふわふわだから寝心地もいいぞ」

『やったあ!熟睡できるね!』


この会話に人工知能のそれが混ざっていると、

僕たちがそういうのを仕事としているのを知らない人が耳にしたら、

全く判らないだろう。

あー疲れたーと大柄な弟がうさぎを抱いたまま、

畳にゴロンと転がったのを、

何となく珍獣を観察するような視線で眺めながら言う。


「当日どうする?」

「あ?」

「僕だけ渡しに行ったらバレるだろ。例の作戦で行く?」

「あー、うん。連絡は俺が取っておくわ」

「うん、服は好きなの適当に持って行って。どうせ処分するし」

「解った。あとは大体でいいから同じ髪型か」

「そうそう。あとみんな同じ型の車で移動な」

「歩けよ」

「歩けるかよ。他の人はともかく僕は絶対途中で行き倒れるわ」

「弱っちぃなあ」

「僕にはお前も横で行き倒れてる絵しか見えないんだけどな」


どこまで国を信じていないのかと批判されてもしょうがないし、

まあ、批判されたところで僕も弟も何も感じないけど、

うちの子を悪用というか好き勝手にされるのは嫌なので、

僕たちには善意で協力をしてくれる人を常に確保している。

多くは瓦解した国から命がけで逃げてきた人や、

昔、同じ施設で過ごした仲間だ。

報酬は単なる現金的なアレから、

その人の家族の病気治療にかかるお金の全額援助や、

国籍のデータ改ざんを含めたこの国の国民としての、

先々は日本人としてのコロニーでの生活の保障や、

とにかく人それぞれだ。

データの改ざんは犯罪?うん、それは知ってる。

でも他の国から捨てられた人を更に捨てる真似は僕ら兄弟には出来ない。

別に正義感とかそんなのじゃない。

どっちかと言えばそこまでしてるんだから、

あなたも役に立ってくれるよね?っていう、

正義感がある人から見たら反吐が出るとか言われそうな、

そんな黒い計算からだ。


そういう人たちには

今回のような僕や弟の影武者を頼むことが多い。

そういう人たちの中でも軍にいたような人や、

それから同じ施設で過ごしたプロな仲間には、

今この瞬間の家の周辺を含めた警備や、

身辺警護を頼むことが多い。

そして先に宇宙に上がって、

国の人間が把握するよりも早く、

うちの子供たちを設置してくれているあいつも、

同じ施設で過ごした仲間から紹介された、

職場も職もいきなり落ちてきた爆弾で失って、

行き倒れ寸前で仲間に拾われた技術屋だ。


で。僕がりつかちゃんにうさぎさんを渡す時。

同じ日同じ時刻に出発するシャトルは幾つかある。

だから特定されないようにするために、

協力してくれる人の中でも僕に背格好も似た人が大勢、

色々な人に色々なモノを手渡す。

このやり方しかしたことがないんだけど、

毎回うちの子を探しに来た人が今まで正解に辿り着けていないのは、

何でなんだろう?ちょっと推理力大丈夫?と正直なところ思わなくもない。


ん?この家での会話や通信の記録が聞かれていたり、

メールの行き来や内容が漏れていたら意味がない?


それこそ大丈夫だ。

今、この家から誰か親しい人に、

何か特殊な性癖をこれでもかと詰め込んだメールを送っても、

ドン引きされるくらいの変態めいた電話をかけても、

何ならどうしようもなくアレな大人の映像を大音量付きで流しても、

最後は弟に、上二つは相手にドン引きされて、

いたたまれなくなることはあっても、

何処にも漏れることはない。

さすがにやったことはないけど。


「さてさて、大体決まったし、僕たちもそろそろ荷造りしないと」

「仕事道具以外、特に何もないけどな」

「まあ、そうだけど。気分だよ気分。

だって宇宙に行くんだよ?どきどきしない?わくわくしない?するよね?」

「しない」

「えー」


弟は甘いカレーが好きで、

手芸も好きで、ぬいぐるみだってこだわって作るくせに、

基本的な性格はとてつもなく冷静だ。

作った子にには普通に優しく接するし愛も注ぐのに。何この違い。

僕と同じ道を歩みなさいと言われてとんでもなく喜んだっていう、

あの頃の可愛らしさはどこへいったんだろう?

カムバック、可愛らしさ。


「んー」

「どうした?」

「まあ、荷造りはいいとしても、やっぱり感慨深くはあるよね」

「それはそうだな」

「壁に落書きでもしようかな」

「どうしてそこに行き着いたんだよ、ってか、子供か」

「だってこんな白い壁、そのままって勿体なくない?

歩も描こうよ。確か施設から持ってきたままだったクレヨンが、

ここら辺にあったはず……あ、あったあった。あ、ちとせ?」

『はいはーい、何?』

「ここの壁に落書きしようと思うんだけど、何か描いて欲しいものある?」

「ちょ、お前」

『そうだなあ。ねこ、ってどんなのか知らないから見てみたい』

「猫な?オッケーオッケー」

「だから、やめろって、ちとせも、こら……何だよ」

「可愛いうちの子が猫の絵を見たいって言ってるのに描かないとか、ないわー」

『僕も歩さんの絵が見たいなあ』

「……ったく」


わがままな兄の特権としてクレヨンを握らせると、

さらさらと猫らしい猫を描き始めた、何だかんだでちとせに甘い弟を、

ニヤニヤ見ながら自分も猫……みたいな何かを描き始める。

正直、僕は絵が上手くない。絵を描いて、これは何でしょう?って、

施設でよくやっていた遊びでも当ててもらえたことはない。

その点、弟は絵も上手い。

ほぼ同じ遺伝子を持つくせに何でも出来やがってとは思うけど、

別にそこに嫉妬したことはない。

ただ小さい頃から色々描いてもらうのが嬉しかった記憶があるだけだ。


「……何、その深淵から這い出てきたような生命体」

「猫ですが」

「猫ですか……そうですか」

「そうだよ」


ドヤァと胸を張るものの、弟の猫と比べたら、

いや、比べなくても猫にすら見えないのは自分でもよく解ってる。

ただ普通ならここで絵を描くのを止めるところかもしれないけど、

僕は別に止めない。下手なのと絵を描くのが好きなのはイコールじゃない。

弟がちとせに自分が描いた方のが猫だと解説してる間に、

僕は次の絵に取り掛かる。

時間は有限だしどんどん描いていかないと。


「ああ、楽しかった!」

「まあ、そうだな」

『楽しかったー』

「そう?ちとせも楽しかったなら良かった」


あちこちに転がる使ったクレヨンをそのままに、

畳に兄弟そろって疲れて寝転がる。

何か久々に遊んだ気がして、満足感が半端ない。

人工知能を作れと言われて、

この細工が満載の家に引っ越してきてから、

ずっとこういう生産性のないことをする時間がなかったから、

単純に嬉しい。それに。


『壁も天井も綺麗な色と線と絵で一杯なの、すごいなあ。

こんな素敵なの初めて見た!新さんも歩さんも、

さよならする僕のためにしてくれたんだよね?ありがとう!』


僕の真意をしれっと察してお礼を言うちとせに、

察しがいいのも考えもんだなと苦笑しながら、

どういたしましてと返す。


「ちとせが仕事を始める頃には僕らもそっちに行くからね。

兄さんたちの様子も見に行かないといけないから、

すぐにまた会えるとは言えないけど、必ずまた会いに行くからね」

『約束?』

「約束。な?歩」

「おう。だから寂しいって泣いたりするなよ」

『泣かないよ!僕だってちゃんと出来るってところ見せるからね。

兄さんたちにもさすが俺たちの弟ってとこ見せてやるんだから!』

「おお、さすがちとせ。格好いいねぇ」

「ああ、うちの子はやっぱり格好いいな」

『えっへん』


実体を持つのなら、

胸を張ってドヤ顔をしているだろうちとせを想像して、

ぼんやり実現性の無いことを考える。

何時か。ちとせは勿論、他のうちの子たちに実体を与えてみたい。

彼らには人格はあっても実体を一切持たない。

何なら人と接する時にあってもいいだろうホログラムも、

ディスプレイに映る表情の映像すらない。

持たせなかったのは僕たち兄弟だけど、

うちの子がリアルに存在したらどんな感じなんだろう、

それを考えるだけで楽しいから、つい考えてしまう。


「……おい、起きろって。風邪ひくぞ」

「ん……?」


考えているうちに眠ってしまったらしい。

毛布を片手に僕を見下ろす弟に、はははと笑う。


「遊んだら疲れちゃったよ」

「全く。本当に子供だな。夕飯出来てるぞ。食べるだろ?」

「うん。ちとせは?」

「さっき片付けしてたら昔誰かから貰った、

スパコン用のパズルが見付かったから、それを渡したら喜んで遊んでる」

「そっか。なら良かった」


起き上がって伸びをしながら弟と一緒に台所に向かう。


「夕飯は何かなー」

「ナポリタンだ」

「おー、新のナポリタン!ひっさびさー」

「食い納めになるかもしれないから、感謝して食えよ」

「確かに」


ぱたぱたと台所に入って席に着いて、いただきますをする。

弟の作ったナポリタンはやっぱり美味しかった。


『新さん、歩さん、またね』


それが本体である小さなキューブに格納される寸前の、

この家でのちとせの最後の言葉だった。

その言葉は明るい声で、

僕たちもまたねと返して手を振った。

彼らにとって僕たちのまたねなんて、あっという間だ。

僕らが彼らの前から去るのもあっという間かと思うと、

少し寂しくはあるけど、彼らが存在し続ける限り、

僕たちも彼らに忘れ去られることはないと思えば、

別にいいと思う。


小さなキューブになったちとせを、

弟はうさぎさんのお腹に埋め込んで、

あえてファスナーにしたらしい背中を閉じる。


「よし、出来た」

「お疲れ」

「お互いにな。でも、届けるまでが仕事だろ」

「そうだね。お使い頑張るよ」

「おう、頑張れ。頑張ったら今夜の夕飯当番代わってやるし、

好きなもん作ってやるよ。打ち上げってことで」

「やった。僕、ハンバーグとグラタンとオムライスがいい」

「解った。お子様ランチだな」

「お子様ランチ……まあ、いいや。とにかくよろしく」

「任せろ」


とりあえず頑張れと背中を叩かれて、

うさぎさんを渡された僕は適当に出かける準備をすると、

もう何時でも出発出来る状態で待っていてくれた車に乗り込む。


周囲に数人倒れた人がいたのは、

きっと警備を頼んでいる人が働いてくれたからだろう。

国の人以外にも僕たちの作った子供たちを狙う人はいる。

奪って身代金的なものを狙いたいとかはまだいい。

面倒なのは人が宇宙に上がるのは構わないけど、

支配するべき側の機械が人を管理するなんて言語道断、

人工知能なんて破壊すべきものと声高に言う人たちだ。

宇宙コロニー自体、

機械が生命維持装置を動かしているんだから、

何を言っているのか……と僕は思うんだけど、

彼らはコロニーに行く気満々のくせに、

自分たちが言っていることはすべて正しくて、

そういう機械を生み出す僕たちは、

生きていてはいけないと主張しているから苦笑も出ない。


機械に支配されるのは嫌という訳じゃなく、

それぞれの思想や理由で、

地球と運命を共にしたいという人たちも少なからずいて、

そういうのは理解出来るし尊重されていいとは思うけど。


うさぎを抱いた僕を乗せた車は、

瓦礫と建物と曇って晴れることの無い空から降る、

濁った色の雨の中をシャトルの発着所へ走っていく。


結果から言うと、

人々がシャトルに乗り込む中、

僕は無事にりつかちゃんにうさぎのぬいぐるみに入ったちとせを、

手渡すことが出来た。

コロニー最後の頭脳ということもあって、

僕に気付いた国の人が走ってきたけれど、

その時にはもうシャトルは全て発射していて、

僕はただにっこり笑って家に帰った。

途中で車が襲われて何発か撃たれた気もするけど、

弾の数発程度で壊れる車になんて乗っていないし、

特にどうということも無かった。

家の周囲に倒れてる人が増えてるのに、

あーあー、と思いながらドアを開けると、

エプロン姿の弟が出迎えてくれた。


「お帰り。あいつから連絡があったぞ。待ってるぞって」

「あ、ありがとう」

「ん」


着替えて脱いだ服を洗濯機に放り込むと、

いい匂いのする台所に向かう。


テーブルの上には弟が作った、

小さめのグラタンとハンバーグとオムライスの載った、

お子様ランチもどきが二人分ある。

オムライスの上には、わざわざ自作したんだろう、

うさぎの絵が描かれた旗がそれぞれ刺さってて、

ちょっと嬉しくなる。


「わ、さすが僕の弟!」

「ほめても何も出ないけどな……もっとほめてもいいぞ」

「うんうん、本当にすごい。早く食べよう。お腹空いたー」

「手は洗ったな?」

「勿論」

「それじゃ、いただきます」

「いっただきまーす」


それぞれもぐもぐと食べながら、何となくこの先の話をする。


「上がって調整が終わったら、何しようね?」

「特に今は何も考えてはないけどな」

「僕も。だって定住が許されないんじゃねぇ」

「定住出来たら俺としてはパン屋がやりたかったんだが」

「え?何それ。お前がパン屋?本気?」

「……だって、いいだろ。焼き立てパンの匂い。幸せになるだろ」

「確かに、うん。あれはいいよね」

「それで。俺がパン屋になったら、何処かの兄さんが、

職もなくふらふらするだろうから、売り子として雇おうかと」

「ちょ……それはお前、酷いだろ!俺だって自分の職くらい」

「就職活動なんてしたことないだろ?そうでなくても、

日常の家事とプログラム以外不器用どころじゃない兄さんが、

そう簡単に普通の職に就けるとは思えないんだが」

「お前だって……お前だって、就職活動なんてしたことないだろ」

「ないけど、俺は出来る」

「何その根拠のない自信」

「何時も外との交渉をやってる経験を舐めるなよ。

兄さんがわがまま言ったりした後の尻拭いだって誰がやってると思ってるんだ」

「あーあーあー、聞こえなーい」

「……まあ、そういう訳だから、兄さんを雇って、

無駄に整った顔と得意なスマイルで俺の作るパンを売って貰おうかと」

「売れ残ったパンを食べてもいいなら」

「仕方ねぇな」


叶う可能性の無い夢でも話すのは楽しい。

器用で舌の確かな弟が作るパンはきっと美味しいだろうし、

人気のお店になったに違いない。

……あ。


「諦めるのは早いかも」

「どういうことだよ」

「定住は無理だから固定した店舗は無理だけど、

それぞれのコロニーに移動した先で売るんだよ。移動販売のパン屋だね」

「ああ……でも、衛生的な意味とか色々で許可が下りないだろ」

「衛生はまあ、気を付けるとしてさ。

営業許可を出すのは人じゃなくて、うちの子たちだから」

「……職権乱用って知ってるか」

「知ってるけど。こんなのはそれには入らないでしょ。平気平気」

「本当に兄さんは……」

「え?さすが兄さん?もっとほめてくれていいよ」


呆れ顔の弟に反してドヤ顔をする。

そしてちとせを含めた子供たちがこの家に居た時には、

何故か僕のことを一切兄さん呼びしなかった弟が、

兄さん呼びに戻していることに気付いて、

何となくくすぐったい嬉しさを感じる。


「まあ、実現させるかはともかく。

向こうに行ってもこうやって一緒に生活する訳だから、

よろしくね?」

「任せろ。兄さんの面倒くらいどこでだってみるし、

嫌だってごねても最期まで一緒にいてやるから。喜べ」

「喜ぶべきなんだろうけど……何だろう、

微妙に喜べない何かがある気がするんですが、それは」

「気のせいだろ」

「あー、気のせいか」


お子様ランチを食べながら笑い合ったあの日を、

僕は未だ忘れていない。


地球を発つ寸前、

子供たちと過ごした家は事故か事件か判らないけれど、

何らかの力で瓦礫になった。

その瓦礫になった家に群がる、

地球に残ることを選んだ人たちを視界に入れながら、

僕たちはシャトルが待つ発射場に向かった。

僕たちの家だった残骸に、

家具家電だったものは見つかっても、

僕たちの作っていたものに関するものは残滓すら残っていない。

自由奔放な僕たちにも倫理観というものはある。

僕たちが生み出した子たちのデータを好き勝手に改造されて、

その挙句、軍事転用するのだけは絶対に許さない。


僕たちが乗るシャトルは、

そのままの意味で日本から発つ最後のシャトルということもあって、

あらゆる思想や理由で地球の日本に残ることを選んだ人たちが、

見送りに来てくれていた。


どうぞ元気で幸せで。


そう書かれた横断幕を持つ笑顔の人たちにぶんぶんと手を振って、

僕と弟は協力してくれた人達全員と一緒にシャトルに乗り込んだ。


そして。


「ああ、今日も穏やかでいい日だね」

「そうだな。兄さん、林檎食べる?」

「うん、うさぎさんでよろしく」

「……面倒臭いな。ったく」


弟の移動パン屋の夢は叶わなかった。

けれどその夢が叶わなくても、

僕は楽しく穏やかな日々を過ごせた。

それは勿論、協力してくれた人たちのおかげでもあるし、

こうして文句を言いつつも、

僕の言うことを聞いてくれる弟のおかげでもある。


「そういえば」


うさぎ林檎を作りながら弟が言う。


「あの子たちが兄さんと話をさせろって煩いって、

各コロニーから苦情が来てたな」

「そっかあ」

「どうする?俺はどっちでも構わないけど」

「んー」


あれから。

僕たちの子供たちは頑張って働いている。

その証拠に今の以外、どこからも苦情は来ていない。

上に上がって少しの間は僕たちも彼らのところに通ったけど、

現時点では、ほぼほぼ接点のない状態だ。


「俺は一度兄さんから話をすれば、全員納得するんじゃないかと思うけど」

「そうだねぇ」


よいしょと寝転がってたベッドから身体を起こして、僕は苦笑する。

愛する子供たちとはいえ、親の手を離れてもう結構経った。

彼らに年齢という概念はないけれど、

それでも、そろそろ親のことなんかより、

もっと大事な何かが出来ていてもいいだろう。


「どうする?」

「うーん」


うさぎ林檎と共に差し出された弟の言葉に、

僕はうさぎ林檎を手に取って首を横に振った。


僕は今、病床にある。

すぐにどうこうという訳ではないみたいだけれど、

僕がこの病院を出る時には、

生きてはいないだろうとお医者さんに断言された。

うっかり講演先で倒れた時以外、

苦しくも痛くも何ともないから、

嘘じゃないかと何度も巡回に来る度にお医者さんに聞いたけど、

どうやらそれは本当で避けられないらしい。

まあ仕方ないと納得して用事で別の場所にいた弟に伝えたら、

すっ飛んできた弟の、らしくなく取り乱した様子に、

つい笑ったら、とてもとても怒られた。


子供たちと一緒で僕たちも年を取った。

ただ老齢じゃないし、

中年と呼ばれるのにも慣れない、この年齢で、

旅立たないといけないのかと思うと少しだけ残念だ。

子供たちの未来は勿論、

あれやこれやとうちの子たちのために頑張る弟を、

お前、もういいだろう?寿命だよと言われるまで見ていたかった。


ただコロニーを行き来して生活をした結果、

僕たちのように人工知能を製作、

せめて整備をしたいと勉強を始め、

もうすこししたら後を任せられるような存在が出てきそうで、

それは心底良かったと思う。


子供たちは情報源が何処からであれ、

僕が倒れたことは全員が知っているだろう。

そして僕が病床についたことで、

僕が旅立つまでの間という条件付きで、

病院のあるコロニーに定住したことや、

弟が僕が倒れてからずっと僕の傍にいることで、

嫌な想像を、ありえなくない不安を各自膨らませているようだ。

それでも僕は彼らに僕が近い内にこの世を去ることを、

この口で伝える気はない。


実際にそうなった際はデータ上で嫌でも知ることになるし、

わざわざ不安にさせることを言う必要性も感じない。

彼らはいくら僕の愛する子供たちと言っても、

たった一人の人の死で動揺するのは許されないし許さない。

コロニーを司る人工知能というのはそういう存在であるべきだ。


相変わらず器用な弟のうさぎ林檎を全部美味しく食べて、

僕は笑顔で言う。


「大丈夫。あの子たちなら大丈夫だし、乗り越えるよ」

「でも、兄さん」

「平気平気。あ、何か林檎食べたら、サイダー飲みたくなったかも」

「……わがままだな、本当に」

「ははは」


少し待ってろと病室を出て行く弟を見送って、

大きく息を吐いて仰向けになる。

どこかが痛いことも辛いこともないけど、

確かに徐々に体力が減ってきている気はする。

本当にサイダーが飲みたくて頼んだのに、

何となく眠たくなってきて目を閉じる。


そうあるべきと言っても、

愛する子たちを悲しませてしまうのかと思うと少しだけ悪い気もする。

ただ全ての生命は生まれた瞬間から、

死という結末が約束された存在だから、

そこはもう諦めてもらうしかないだろう。

有機生命体じゃないうちの子たちも、

永遠の命じゃない。だからきっと何時か。向こうで会える。


つい、うつらうつらし始めたところで、

戻ってきた弟の焦った大きな声の呼びかけに、

笑って目を覚ます。


「生きてるよ」

「逝ったのかって思っただろ」

「ごめんごめん。サイダーありがとね」


再びよいしょと体を起こして、

買ってきてもらったサイダーをもらって口を付ける。

流しっぱなしになっているテレビで伝えられるニュースは、

穏やかなもの、笑えるもの、ささやかなもの、

そんなものばかりで、コロニーの製作に携われて良かったと思う。

これはきっと弟もそんな気持ちだろう。

当然、人は年月を経ると変わるから、

もっと時が流れたらどうしようもない犯罪とか、

そういうのも起きるんだろう。

さすがにそれは僕にも弟にもどうしようもない。

今。何なら弟が生き切るまで穏やかならそれでいい。


唯一の家族の愛すべき弟が僕よりこうして健康で、

そんな弟と愛を惜しみなく注いで生み出した子供たちが幸せで。

それだけで僕は幸せで、それ以上望むものはない。

そして僕がこうして人生を謳歌しているのを知ったら、

顔も知らない親だった人も安心するだろう。


「歩」

「ん?どうした?どこか痛いとか辛いとか……」

「ううん。歩は僕と過ごして、あの子たちを作って良かったかな?って」


僕の言葉にそんなことかと弟は笑った。


「こんなわがままで人を振り回す奴だったなんて、

施設にいた時は思わなかったから、

単純にすごくて優しい兄さんだと思って尊敬もしてたんだけど。

でも、まあ、兄さんと一緒にいなかったら、

こうして色々経験することもなかったろうし……良かったと思うよ。

何より愛すべき子供たちは兄さんがいなかったら生まれなかったし……何だよ」


素直に話す弟をにまにま見ていたら、照れ隠しに頭をはたかれる。痛い。

病床に伏す人にあんまりな仕打ちじゃない?と言うと、

だったらそれらしくしてろと返されて二人して笑う。


「こんな気が利いて賢くて優しい弟を持って、僕は幸せなお兄ちゃんだ」

「よいしょしても何も出ないけど。俺もまあ、幸せな弟だな」

「子供も沢山いて。みんな元気で」

「お前が元気じゃないだろ」

「まあまあ、それは仕方ない。運命は変えられないし、奇跡はないし」

「だったら、せめて一日、一時間、一分、一秒、一ミリ秒でも長生きしろ」

「前向きに鋭意努力したいところですね」

「あとな、俺がいない時に逝ってみろ?子供たちに全部ばらして、

コロニー全部機能停止に陥れてやるからな」

「ええ……マジかよ。ってか、それくらいで停止する訳がないだろ。馬鹿か」

「ああ、俺は兄馬鹿だからな」

「……マジで?」

「マジじゃなきゃここまで一緒にいないだろ。馬鹿か」

「何だ、僕らは馬鹿兄弟だったのか」

「そうだな」


再び明るく笑う。


馬鹿兄弟の作った真面目な子供たちは、

こうして馬鹿二人が笑っている間も、

大切な人たちを守って働いている。


僕の愛する子供たち、僕の生死なんて些細なことで足を止めず、

どうか、この僕を心配そうに見つめる兄馬鹿の弟を含めた、

人たち全てが幸せな時間を過ごしていけるように、

その目で耳で頭で見て聞いて考えて生きていって欲しい。

何処にいたって僕も弟も間違いなく、君たちを愛してる。


心から。

永遠に。

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