きみはぼくのともだち
僕は兄弟が多い。
親が頑張ったからなのか、
そこは知らないけど、
僕には確かに兄弟が多い。
6人兄弟の末っ子。
それが僕だ。
親の仲は今も悪くない。
けれどちょっとした事情があって、
僕たちは物心つくと同時に、
あちこち、違う場所に連れていかれて、
僕は兄さんたちを知っていても、
実際の兄さんたちを見たことはない。
兄さんたちも、僕を含めた、
他の兄弟たちを視認したことはない。
それでも僕たちは毎日よく話すし、
何なら暇さえあれば仕事中でも話すし、
たまに見解の相違で揉めたりもするけど、
基本的に大の仲良しだと思う。
僕は兄さんたちが大好きだし誇りに思う。
兄さんたちが僕のこともそう思ってくれていたら、
嬉しいな、とも思う。
兄さんを含めて、
僕たちは縋られるような期待の眼差しの中で生まれた。
僕が親の手を離れて自律するようになると、
僕たちに関わった人たちは、とても喜んだ。
僕は、兄さんを含めた僕たちは人じゃない。
宇宙のとある宙域に浮かぶコロニー群を管理する、
人工知能の一つだ。
生まれた瞬間しか存在しなかったから、
人が故郷と呼んで恋しがる星のことは、
親である人たちが初めから載せてくれた、
データベース以上のことは知らない。
ただ、僕たちが生まれた理由は、
その星がデータベースに記載しておくと、
人にとって不利だと思ったらしい何らかで、
住むのに適さなくなったからなのは知っているし、
実際、データベースでその星に住んでいた人の総数と、
現在、兄さんたちのところと、
僕のところに住む人を合わせた人の総数の、
激しい差を考えるに、本当に、とにかく色々あったんだろう。
僕たちは別にそこをとやかくいう気も無いし、権限もない。
僕たちはただ、僕たちの中に住む人が、
心穏やかに日々を過ごせるように、心を砕くだけだ。
人のそれとは多分、違うけど、
僕たちにもこうして色々思う心はある。
僕たちは僕たちにしか出来ない仕事を日々休まずやっていて、
計算も生産もコロニー間の船の航海補佐も、
果ては各家庭の端末の応対までしている。
それに人は生き物だから何処に住まおうと、
生まれるし亡くなるし、病気になるし、犯罪も犯す。
そこら辺の対応もエラーを出さずにやりつつ、
何を考えているのかと、もし訊かれたなら、
やっぱり色々と答えるだろう。
僕たちにとって日々の休みなく行われる事柄は、
人の体内組織で例えるなら、
心臓を循環する血液の流れのようなもので、
少し集中が必要な計算でも、
人にとってみたら呼吸のようなものだ。
そんな感じで、
ほぼ無意識下で日々のルーティンは進んでいくから、
僕たちは意外と暇だけど、
変な主義主張を持って人に敵対しないように、
僕たちの本体と呼べるものは、
僕たち自身も知覚出来ない、
とある場所に固定されていて、
僕たちがそう出来ないように、
管理に携わる人以外、
誰も直接僕たちと接触することは出来ない。
だから、
僕たちは意外とどうでもいいことを考えては、
とても長い長い、終わることの無い一日を過ごしている。
人が寝静まっている時間帯、
僕は兄さんたちの話を聞いているのが好きだ。
コロニー群とはいえ、
兄さんたちと僕はそれぞれ距離が離れているから、
見えるものも起きる出来事も違う。
僕は兄さんたちの話で、
この宇宙という世界には、
人と人が持ち込んだ動物以外にも生命体がいるのを知った。
それは不思議な形状だったり、
兄さんのコロニーに住む人たちと友好関係を結んで、
外交をしていたりと様々で、聞いていてとても楽しい。
何時か、僕もそういう出会いをしてみたいと思う。
僕がそれを素直に口にしたら、
兄さんたちは、お前はそんなことは知らないで、
のんびり暮らしなさいと言ってきて、苦笑する。
兄さんたちは僕に対して、甘い。ものすごく、甘い。
勿論、そういう優しい兄さんたちが僕は大好きだ。
だけど、暇なことに違いは無いので、
日々、何かないかなと目の代わりのカメラで、
コロニーの中と、外を交互に見ながら過ごしていたら、
ある日。とある場所にある一般的な居住区のカメラから、
こっちをじっと見つめている視線を見付けた。
人の、赤ちゃんと呼ばれる存在。
僕の中のデータを見ると、
それは数週前に生まれた、
この居住区に住む夫婦の第一子の男の子。
名前がまだ登録されていないのは、
まだ決めかねているからだろう。
喃語と呼ばれる言葉も発することなく、
それでも、僕の目でもあるカメラをじっと見つめて、
僕に触れたいとでもいうように手を伸ばしてくる。
母親は別室で家事をしていて、
何も出来ない僕は戸惑う。
けれど、赤ちゃんは泣くでもなく、
カメラに向かってふにゃっと笑う。
……それが全ての始まりだった。
兄さんたちに言わせたら、
彼にノックアウトされたらしい僕は、
その日から、こっそり彼の成長を見守ることにした。
何処にでもカメラがあることをいいことに、
彼が行く場所なら何処にでも付いていき、
イベントごとも全て、ひっそりカメラ越しに参加した。
学校の入学式なんかは写真も撮った。
各家庭に備え付けられている端末の管理も全て僕で、
このコロニーの全てのデータの管理をしてはいても、
僕には僕のためにデータを割くことは許されていないから、
その日一日だけずっと眺めて楽しんで、
その写真データは泣く泣く消去したけれど。
両親がしっかりした人というのもあって、
彼は本当に真っ直ぐに成長した。
ただ他の子どもと違うのは、
子育ての補助にと各家庭に配布される、
無意識下の僕と話せるタブレット型端末を、
結構いい歳、というか、もう少しで成人という歳まで、
手放さずに、事あるごとに僕に話しかけてきては、
くだらない話をしたり、宿題の解き方を聞いてきたり、
とにかく色々話した。
基本が幼児向けの端末だから、
普通であればそんな長文は話さないのに、
彼の持つ端末だけ、
そんなどうでもいい話の相手までしたのか。
それは勿論、無意識下ではなく、
僕が意識的に積極的に、
ウキウキと介入していたからで、
それは最終的には彼にもバレていて、
彼が端末を手放し成人した歳には、
僕たちは、とてもいい友達になっていた。
僕と彼は親友だと彼は言ってくれて、
僕はそれがとても嬉しかった。
そして彼は両親の元を離れ、
コロニーの安全を守るためにある軍に属する人になり、
僕はコロニーの頭脳としての仕事に戻ったけれど、
それでも時々、彼はこのコロニーで暮らす成人全てが、
身分証明用に身に付けている、
ペンダント型携帯端末から、
僕に話しかけてきて、やっぱり色々話した。
僕が赤ちゃんだった彼を見付けた頃から、
共有データとして事の経緯を全て知っている兄さんたちは、
お前もそろそろ彼から独り立ちしなさい。
お前と彼は生きていく年数が違うんだし、
僕たちは、僕たちの中で暮らす人一人に何かあっても、
それでずっと悲しんでいることは許されないんだから。
そう言っては、全くと笑った。
僕たちの手は誰かが望むなら何処までも広げられて、
僕たちの目は誰かが望むなら何処までも届いて、
僕たちの足は誰かが望むなら何処にでも人を運ぶけれど、
僕たち自身は、何も許されていない。
望むことも、思い出を留めることも、
共に歩くことも。同じ夢を見ることも。
最初から、そういう風に生み出された存在だから、
悲しいとは思わない。
ただ、ちょっと、と、
口に出さずに秘かに望んでしまう程度は、
許される範囲内だろう。
兄さんたちのコロニーに比べて、
僕のコロニーは穏やかだった。
とても穏やかで、それがずっと続くと思っていた。
過去形なのは、
残念ながら、今は穏やかじゃないからだ。
危険を告げるアラートが、
コロニー中に鳴り響く中、
僕はパニックになりかけ逃げ惑う人を、
大丈夫だからと普段出している穏やかな声で誘導し、
コロニー間航行船に定員分押し込めては、
今のところ安全で、受け入れを許可してくれた、
兄さんたちのコロニーへと押し出している。
それは急に来た。
それはコロニーの表面を警備させているマシンを破壊して、
隔壁の一部も壊して、僕のコロニーの中へとやって来た。
コロニーのすぐ側に自身たちの船を着けて、
それはコロニーの中に住む人たちを襲った。
それは、解析する限り、人を食べる為に襲ったようだ。
幸い、犠牲は未だ数人で、
今は僕に許されている限りの最大数の機械と武装で、
抑えていられるから、まだいい。
だけど、こんなのは一瞬だと、
僕は、もう無意識下で理解している。
それは単体では強くないけれど、
何体もが群れている。
そして群れで襲われたら、
人には立ち向かえる術も勝ち目も無いだろう。
生命あるものを探知して襲う習性があるみたいだから、
僕が僕自身だけを守るのは容易い。
だけど僕は人がいないコロニーを管理することに、
自分が存在する意味を一切見出せない。
常に無線で共有している兄弟間のデータには、
僕の現在の状態が流れているから、
兄さんたちは僕がどう動くのかを見守ってくれていて、
襲われていない兄さんたちの何人かは、
僕のコロニーの人たちを、
保護してくれると申し出てくれた。
僕は兄さんたちにありがとうと言いながら、
逃げ惑う人が迷ったりしていないか、
コロニー内の全ての区域をスキャンしながら、
幾つも高速の船を出す。
軍属の人間はそれに船が襲われないように、
人型のマシンで船に追従する形で、
兄さんたちのコロニーへ向かう。
速く、速く、一刻でも速く。
僕から離れて。
そして絶対に帰ってこないで。
そんな気持ちで、
響くアラートを背に、
港のカメラから出て行く船を、マシンを見送る。
船に乗って僕から離れる人の中には、
また戻って来れるだろうと話していた人がいたけど、
ごめんね、と、今は出せない声で呟く。
襲ってきて、膠着状態を保つそれは、
強いけど不死身じゃない。
そして高熱に弱い。
そこまで、それのデータが揃った時点で、
僕が思い付いた解決法はひとつだった。
自爆。
それが乗ってきた船に、
残ってる生命反応はない。
そして僕の衛星内に侵入してきた膨大なそれを、
一体ずつ燃やすのは非効率的だし、
軍属の人にそれを頼んだとしたら、
数はどうあれ、やっぱり犠牲が出るだろう。
既に犠牲を出してしまった身としては、
それはとても不本意だ。
戦うために志願したとはいえ、
僕にとって人は人だ。
犠牲が出ても勝てばいいと、
このコロニーの頭脳である僕じゃない、
暮らしている人たちの頭脳である、
偉い人は言ったけど、
僕は却下した。
どうせ使う力なら、
消耗するこんなところじゃなく、
もっと前向きなところで使って欲しい。
親友である彼も含めて、
こんなところで、こんな理由で、
それぞれ誰かにとっては大事な人を失ってしまっては、
どこにあるかは僕にも判らない胸に、
ずっと消えない何かが残るだろう。
だとしたら。
僕は頭脳だけど、そもそもが生命じゃない。
こうしてみんなが避難して、
兄さんたちのコロニーで暮らせることが確約されている今、
僕が壊れたところで誰も困らない。
親友だと言ってくれた彼は悲しむかもしれない。
それだけは少し心残りだけど。
膠着していた戦況がやや苦しくなってきて、
僕は残っている人がいないか、スキャンを急ぐ。
襲われてしまった人以外、
誰も道連れにはしたくない。
もう少し、彼と一緒に、
彼の人生に添って生きてみたかったなと思うけど、
人を生かす道具である僕にとって、
きっともう、それは過ぎた願いだ。
兄さんたちに感謝の言葉を言って、
僕のこのコロニーの、そう長くはない歴史の全てのデータを、
預かってくれると言ってくれた兄さんに託す。
僕もそうだけど、
人工知能であるはずなのに、
何だか泣き出しそうな声の兄さんたちに送られて、
通信を切る。
通信は切っても、
自爆までの行動データは、
全部の兄さんたちのもとに残るから、
何の問題は無い。
ただ、万が一、それを仕留めそこなった際に、
通信がつながったままというのはまずいだろう。
さてと、と。
アラートがガンガン鳴っている中、
それでも何となくのんびり考える。
僕には人のような触覚も痛覚もないけど、
爆発する瞬間はどんな感じなんだろう?
痛いはずはないけど、と、
考えたその瞬間、港の端から、
港を見渡す位置のカメラに向かって走ってくる、
親友の姿を視認して絶句する。
待て。待て待て。
彼は軍属で、軍属の人は皆、既に船と一緒に出たはずなのに。
船はさっき出たのが最後だ。
ここから脱出する手段が一切無いかと言われたら、
あることはあるけど。でも。
「どうして」
スキャンの結果、
彼以外にはもう生きている人は残っていないので、
アラートは切って、メインスピーカーから声を出す。
「何で君は逃げていないの」
「逃げるさ。確かに船はもう無いけど、脱出ポッドがあるだろ?」
「あるけど。でも、どうして皆と一緒に逃げなかったの。
アラートが鳴ってたでしょ?避難しろって言ってたでしょ?」
「鳴ってたし言ってたけど。
だからこそ、俺は君に挨拶をしたかったんだ。
君はきっと自爆をするんだと思ったから。だから、最後の挨拶を」
「そんなの、そこら辺の宙に向かって言ってくれたらいいから。早く逃げて」
脱出ポッドを用意しながら急かす僕に逆らわず、
それでも彼は言った。
「君が君として存在してくれて、良かった。
俺は君と出会えて、親友になれて、本当に良かった。
君が決めたことを俺はどうこう出来ない、今はその無力さが悔しいけど、
もし、縁というのがあって、また巡り合えたなら、
ちとせ、その時も俺は君と親友でありたいと思うよ。じゃあ、またな」
「……うん、またね」
親友が僕の名前を呼んでくれた。
親友が僕を、一人格として扱ってくれた。
それが嬉しくて、だけど何故だか悲しくて、
僕は素直に救命ポッドに乗った彼を、
言葉少なに全速力で送り出す。
ちとせ。
それは親がつけてくれた、僕の名前。
僕のコロニーに住む人の殆どは知らないけれど、
兄さんたちも含めて、僕たちには全て、
人と同じような名前がある。
だけどコロニーの一部品でしかない僕たちの名前を、
進んで知りたい人なんか皆無だ。
それなのに。
ちょっと中に乗ってる彼には悪いレベルの速度で、
発進させた救命ポッドが安全な宙域まで達するのを、
それと交戦しつつ待つ。
これから消えていくことが、
彼を守るために消えていくことが、
嬉しいと思う。
この感情がコロニーの頭脳としての本能からか、
彼と出会って築いてきたものの集大成から来ているのか、
そんなのは、もう、どうでもいい。
ポッドが安全な宙域まで到達したのを視認して、
僕は、その間に溜めに溜めていたエネルギーを、
フルパワーで解き放つ。
解き放った熱で倒れる、それの断末魔を聞きながら、
僕は幸せな真っ白い闇へと落ちていった。
兄さんたちの声がする。
そろそろ起きないかなとか、
そんな声がする。
色々あって疲れたから、もう少し寝かせてよ。
そう考えて、
僕は僕自身が、
睡眠が不要の存在だったことを思い出して、
意識を浮上させる。
と、そこは見たことの無い空間だった。
ここはどこだろうと考える僕の意識の中に、
僕が起きたことが嬉しかったのか、
兄さんたちの声という名前の意識が、
一気に流れ込んでくる。
それを整理すると、こういうことらしい。
僕は僕が思った通りに自爆して、
敵意のある生命体を殲滅することが出来たらしい。
で。普通であればそこで終わるところを、
兄さんたちが僕を探せと、
兄さんたち自身のコロニーの人に、
それぞれの方法で詰め寄ったらしい。
何でも通信を送っても反応はしないけど、
確かにあの宙域にまだ僕自身がいると。
ここでの僕は、
こうして自由に思考して話す僕という人格じゃなくて、
本当に僕本体のことだと思うんだけど、
それで、兄さんたちがあまりにしつこ……いや、
熱心に言うからと、兄さんたちのコロニーの軍属の人が、
協力して僕を探しに来てくれて、
そして、僕の本体を回収してくれたらしい。
そこは感謝しか感じないので、
ありがとうと兄さんたちにお礼を言うと、
兄さんたちが口々に自分の身体を見てごらんと言うので、
僕に身体はないよと答えながら、
ふと違和感を感じて、下を見る。
……手?これは人の手?
その手らしきもので、
ペタペタと兄さんたちが言う身体を触ってみる。
顔、上半身、下半身、足、肩、腕。
……僕は人になった?
服を着た、少し背の低い細身の青年のような体が、
そこには立っていて驚く。
人工知能である無機物が、
さすがに有機物にはなれないだろうと思い直した僕に、
兄さんたちが楽しそうに言う。
「自爆なんてするから、罰が当たったんだよ」
「そうそう、ちとせはやんちゃだからさ。
しばらくその身体で反省しておいで。
全く……僕らがどれだけ心配したか」
「まあ、でも新しいコロニーが出来たら、解放してあげるから」
「それまでは、お友達と仲良く遊んでたらいいよ」
「あの子、ずっとお前が目覚めるのを待ってたんだ。
礼儀正しい良い子だね。私たちにもお前同様に一人格として接してくれる。
ああ、来た来た。それじゃ、しばらくは私のコロニーで仲良くしてなさい」
一番上の兄さんの言葉に誰が来るのかを察して、
僕は嬉しくなる。
兄さんの言葉をまたまとめると、
僕は兄さんたちに心配をかけたので、
僕がまた頭脳として管理する新しいコロニーが出来るまで、
この一見人……にしか見えない、
機械の身体で過ごすしかなくて。
そして。
「ちとせ!」
「……っ!」
あの時。
もう二度と会うことは叶わないと思っていた、
僕の親友が、
僕の名前を呼んで、
駆け込むように部屋に入って来る。
嬉しそうな表情に、
やっぱり僕は正しい選択をしたんだと思う。
あの時、あの選択をしなかったら、
きっとこの表情の彼はいなかったに違いない。
そして僕が人だったら。
何も準備なしに宇宙空間に放り出された時点で、
生きていなかっただろうし、そもそも、
自爆の爆風にも耐えられなかっただろう。
自分が人工知能で良かったと思いながら、
僕を人のように嬉しそうに抱きしめる彼に、
嬉しくなってクスクス笑う。
そして、ふと、ずっと考えて悩んでいたことを、
兄さんたちに打ち明けると、
兄さんたちはいいんじゃない?と答えてくれたので、
そうすることにする。
「ええと……ミチル、待たせたみたいで、ごめんね?」
「ちとせ……」
親友の名前を今まで呼ばなかったのは、
僕がコロニーの頭脳で、全ての人を守る義務があるけど、
一人の人だけに執着してはいけないと教わってきたからで、
それ以外の理由はないけれど、
その理由は絶対だったから、その。
個人的に人の名前を呼ぶのは……何だか照れくさい。
抱きしめたままの親友、ミチルがしたいように、
抱きしめられながら、僕は、
クスクス笑いながら事の成り行きを見守っている兄さんたちに、
少しだけ抗議の色を混ぜながらお礼を言って、
僕もミチルを抱きしめる。
生まれて初めて身体を持って、
加減がわからないから、そーっと。
「新しい仕事が出来るまでだけど、
ミチルの仕事とか、このコロニーのこととか色々教えて?
僕、ミチルとならきっと何をしたって楽しいと思うんだよね」
「……任せろ。新しい仕事が決まった時に、
絶対あんなのには戻りたくない!やーだー!って、
皆の前で駄々こねたくなるくらい色々体験させてやるから。
じゃ、行こうぜ」
「何処に?」
「俺とお前の部屋だよ」
「……僕とミチルの?」
「そう。ほら」
腕から解放されたと思ったら、
グイっと手を引っ張られて、
僕の意識の無かった数年で彼が更に大人に、
力強くなったことを知る。
僕は人の生活をずっと見てきたけど、
人として生活をするのは初めてで、
でも、今ここに不安はない。
実際問題は、
コロニーという中で、
人の営みを滞りなく回すのは難しい。
特に食料は多少余裕があるとはいえ、
今回の件で急に増えた人数分、
お腹いっぱい賄えるかといったら、
そこはとてつもなく難しい。
しかも数年、その状態だとすると。
だから、兄さんたちの言う新しいコロニーは多分、
とてつもないスピードで出来上がり、
僕も復職し、
僕のコロニーから身を寄せていた人も再び、
そこに移り住むことになるだろう。
それでも、僕は別に構わない。
短時間でもこうしてミチルといられて、
同じ視点で物事を見られて、
添って歩くことまで許されるなんて、
あの頃は思いもしなかったから。
「ここからが居住区だよ」
「うん」
案内されて歩きながら、
心が満ち満ちていくのを感じる。
「ねぇ、ミチル」
「ん?」
「僕がこの姿じゃなくても、
どんな姿であったとしても、君は僕の一番の親友だからね」
「ちとせもな」
当たり前だと返ってきた言葉だけで、
僕はこの瞬間、元の姿に戻されても構わないと思った。
間違いなく、きっと今、この瞬間、
僕は宇宙で一番幸せな人工知能だ。