01-22
ソレは突如として空へと飛んだ。
魔法少女失踪事件の犯人と思しき鬼武者討伐のために二百人以上の大軍勢で私たち魔法少女は向かった。
個々の能力よりも単純で簡単だけれど効果的な戦術を以てして一方的に蹂躙する。誰もがそう思って疑わなかった。
魔法による遠距離攻撃が可能な魔法少女が陣形を組み、しっかり連携を取れば軍隊にだって負けやしない。これは事実だ。魔法という手段が現実の軍隊とはあらゆる基準で上回っている。何より結界による分断がある以上、結界を破る術を持たない者が勝つことは不可能だ。
けれどソレは違った。
終始魔法を撃ち込まれ続けて身動き一つ出来なくなっていたはずの鬼武者は突如として空へと跳んだのだ。上空にいる部隊に届くまで一秒もなかった。
この行動は予想外だ。私たちの想定では地上部隊のどこかへ突撃をかけると思い、空中に待機している遊撃部隊の二つが向かう手はずになっていた。そのため真上に陣取る航空部隊への強襲は想定されていなかった。だからこそ一瞬対応が遅れた。そしてその一瞬で全てが片付いてしまった。
上空へと跳んだ鬼武者から謎の触手が飛び出すと、その触手は魔法少女を貫いた。すると貫かれた魔法少女の変身が解けてしまった。まるで桜の花びらが散る様にドレスは空へと舞っていく。
その光景を目の当たりにして更に対応が遅れた。
触手は魔法少女を掴んで離さない。鬼武者と私たちとの射線上に変身が解けた少女達が並べられていた。
まさか、盾にする気か。
きっと誰もがそう思ったことだろう。変身の解けた魔法少女などただの人間だ。私たちの魔法が当たればそれだけで死んでしまう。その事実に私は身が竦んでしまった。
魔法少女の中には人殺しをする者も少なくない。けれど私はしたことが無かった。咄嗟に周囲の魔法少女を見てどう動くのか判断を委ねてしまった。
その時地面が揺れた。鬼武者から伸びた触手が地面に突き刺さっている。
一体何?
予想外のことが次から次へと起こる中、どうすればいいのか分からなくなったのは私だけではなかったらしく動揺が全体へと広がるのが分かった。
誰か教えて、何をすればいいの?どうすればいいの?部隊長は何をしているの?早く指示を出して。
けれど教えてくれる人はおらず、そうしている間に鬼武者は上空から落下し始めていた。
そこで違和感に気付く。鬼武者の落下速度が速い。自由落下の加速度を大きく上回っていた。
落下速度のこと私が疑問に思っていた時、別の誰かは違うことを叫んだ。
「アイツ!このまま落下して捕らえた少女達を地面に叩き付けるつもりか!?」
言われて気付く。上空の部隊は全員鬼武者に捕らえられており、変身が解け魔法が使えない。そんな状態で上空百メートル以上の高度から地面に叩き付けられたりしたら万に一つも助からない。
早く助けないと。
そう思って魔法を撃とうとした私はそこで手が止まった。鬼武者は落下が始まった今も捕らえた少女達を射線上へと配置して盾にしている。
私以外も躊躇っていた。けれど躊躇わない者もいた。
放たれた魔法は落下してくる鬼武者へと向かって行く。それを鬼武者は予想通り捕らえた少女を盾にした。
魔法が直撃し、少女の腹が吹き飛び、空中に捨てられる。
鬼武者は加速し、地面へと激突する。
揺れる地面。
響く轟音。
舞い上がる砂埃。
視界が奪われ身構える魔法少女達。
そこへ上空から飛ばされた魔法が砂埃を吹き飛ばす。被害に遭わなかった遊撃隊の者だろう。
「何をしている!今やらないでいつやるんだ!今なら集中砲火が可能だぞ!」
そう叫ばれてハッとした。
個々では決して敵わない化物をみんなと力を合わせて倒す。そのために私たち来ているのだ。今やらずしていつやるというのか。
私は魔法を放つべく落下地点で立ち上がる鬼武者を見据える。
鬼武者以外に動く者はおらず、周囲には潰れた肉骨が散らばっていた。
人間って潰れると跡形も残さないんだ、なんて的外れなことを思いながら、鬼武者を見やる。
鬼武者は魔法が飛んで来ようとまるで気にした様子がなく、時折混ざる強力な物だけ手に持つ刀で叩き切る。
どれだけ撃っても有効打に見えな。有効打になりそうなものだけに反応している鬼武者の観察眼に驚愕。少しでも隙を突こうと連射のタイミングは時折変えているというのに。
あまりにも完璧に対処されるために視線は鬼武者に釘付けだ。
そして気付く。鬼武者が空を見上げていることに。
視線を辿ればそこには「火力が足らない、もっと撃て」と怒鳴る空中にいる遊撃部隊の魔法少女。
いけない!そう思った時には手遅れだった。
鬼武者から伸びた触手は叫んでいた魔法少女を貫く。
先程同様に一瞬にしてドレスが消し飛ぶと、変身が解かれた少女をそのままひっ捕らえて鬼武者の元へと引きずり込んだ。
変身が解けて抵抗も出来ないまま少女は地面に叩き付けられる。不幸中の幸いか余り高い所を飛んでいなかったから少女の命は無事だった。
けれど叩き付けられたダメージは確実にあり、呻くだけで動き出せずにいる。
注目が少女に集まる中、鬼武者はうつ伏せに倒れる少女の背中を踏みつけ、空いた左手で髪を引っ掴んで顔を上げさせた。
潰れた鼻の穴から鼻血が蛇口の様に流れてあっという間に鼻から下を真っ赤に染め上げる。前歯が折れた口からはヒューヒューと擦れる息遣いが聞こえてきそうだ。顔も右と左で形が違うのがはっきりと分かる。
少女の痛ましい姿に心を抉られたような気持になる。血塗れでボコボコになった顔を私たちに見せつけ、まるでお前たちもこうなるんだぞと、脅されている気分になる。
思うにあの鬼武者は魔法少女を盾にすることで私たちの動揺を狙っているのではないだろうか。今まではそれにやられた感があるが流石にもう何度目だと思っているのか。
あの少女は助からない。ならば少女ごと吹き飛ばすことに躊躇はいらない。
そう思ったのは私以外にもいたらしく、多数の魔法が鬼武者の元へと飛んでいく。集中砲火を浴びせて少女もろともここで確実に滅する覚悟だ。全員の魔法が放たれれば鬼武者は再び身動きが取れなくなる。そうなれば再び持久戦に突入する。そう思っていた。
鬼武者は少女へと飛来する魔法を全て刀で払っていた。
そんなことも出来るのか、と驚愕する面々。
攻撃を躊躇った少女達は鬼武者のその行動に疑問を持ってしまったのか手を緩めてしまう。
手数が減ってより鮮明に鬼武者の行動が分かるようになると、徐々に攻撃の手数が減っていった。
やがて全員が攻撃を止めてしまった。
だってあの鬼武者は魔法から少女を守っていたのだ。
ひょっとしたら話し合いで済ませられるんじゃないか、とかそんな淡い希望もあるんじゃないかと幻想してしまった。
全ての攻撃が止むと鬼武者は改めて少女の髪を持ち上げ少女の顔を周囲に見せる。
いや、違う。アレは私たちに見せているんじゃなくてあの踏みつけられた少女に見せているんだ。
一体何故、そう思ったとき少女の口が動いた。
まるで何かを話し掛けているようにパクパクと動いている。
やはりあの鬼武者には言葉が通じると理解したその時、鬼武者は踏みつけていた少女の首を斬った。それは見事なまでにスパッと。
少女の髪を掴んでいたので頭が落ちることはなかったが、頭部を失った身体は落ちるように倒れた。
鬼武者は立ち上がり、持っていた少女の頭部を放り投げる。
放物線を描いて、少女の首は私たちの部隊の目の前に落ちた。
転がりながら先頭にいた少女の足元へ。
先頭にいた少女は思わず後退る。
転がった首が止まる。
注目が集まり、静寂が訪れる。
その静寂を破る様に鬼武者は呟いた。叫んだわけでもないのに、静寂故に鬼武者の声は良く聞こえた。
「次は誰だ?」
次?次とは一体何のことだろう?
鬼武者の言葉を理解出来ずに思考が停止した。
再び訪れた静寂。
それを破るのはやはり鬼武者だった。
鬼武者が一歩踏み出したその足音で世界は再び動き出す。
その合図は甲高い悲鳴だった。
悲鳴が上がった方向へ一斉に視線が集中する。
一体何があったのか。
しかし何もない。
ただ悲鳴をあげた少女が理解してしまっただけだ。
鬼武者の言った次とは何かを。
駆け出したのは悲鳴を挙げた少女だけではなかった。
悲鳴を聞いて理解に及んだ者全てが駆け出した。
未だ理解出来ずに思考が止まったままの少女達は動けずに逃げ惑う少女達をただ眺めていた。
私はゆっくりと逃げた。鬼武者に背だけは見せないように。
それが幸いした。
次の瞬間、鬼武者の全身からまたも触手が伸びて、駆けて行った少女達を捕らえる。
私は背を向けていなかったため辛うじて回避に成功した。
囚われた少女達は尽く変身を解かれて、抵抗も虚しく引き摺られて戻ってくる。
身動き一つ出来ずに眺めていた少女達の真横をズルズルと引き摺られる少女達。
引き摺られながら必死に叫び、助けを求めるもそれを見送る少女達の思考力は未だに回復されておらず身動ぎ一つしない。
必死の叫びは届かない。助けようとする者はもうここにはいない。
阿鼻叫喚が響き渡り、一人一人断末魔と共にその首が胴体と別れを告げる。
鬼武者は何を思ってそれをしているのだろう。
まるで草刈だ。
ただ淡々と刀を振るう。
その度に雑音が一つ消えていく。
雑音が消えると他の雑音が音量を上げる。
その景色を眺めているうちに私は分からなくなってしまった。
人間の命は本当に尊いものなのかどうか。
だって私の目の前で、雑草を引っこ抜くように首を斬られて死んでいく少女達が文字通り山を築いている。
目の前で起こっている現象を理解出来ない、いやきっと理解出来ないのではない。理解することを拒絶した少女達は思考力を失い認識すら出来ていないのだろう。
その瞳にはもう何も映っていないのだ。
理解を拒んだ少女は目の前の死から眼を背けた。
今消えた断末魔を見なかったことにして、死の恐怖が過ぎ去るのをじっと待っている。
けれど目を背けても聞こえてくる阿鼻叫喚の叫びは空気を振るわす。
聴覚だけでなく触覚にまで訴えかけている命の絶叫。
やがて限界に達した少女は走った。
鬼武者からは逃げれない。だから鬼武者へと向かって行った。
助けが来る、捕らえられた少女達の表情に一瞬希望の光が差した。
けれど違った。
走った少女は鬼武者から伸びてくる触手をあっさり受け入れ、あまつさえその触手を掴むと自身の心臓を横切る様に動かした。
膝から崩れ落ちた少女は自らの血で出来たカーペットに寝転がる。
それを見て今度は泣き叫び助けを請うていた少女達が黙る。
思考が停止した。
理解が追い付かなかった。
あの少女は何がしたかったのか分からないといった具合だ。
私は分かった。
あの少女は自ら死を選んだのだ。
踏みつけられ、いつ来るかもわからない背後からの攻撃に怯えながら死ぬよりも、正面から攻撃を見据え、歯を食いしばって、そして自ら死を招き受け入れた。
自殺に逃げた。
でも仕方ないと頭の隅では思ってたりする。
魔法少女の魔法が効かない敵とかどうやって戦えっていうの?しかも攻撃を喰らうと変身が解けて魔法が使えなくなるとか、一度捕まれば終わりじゃない。そりゃ逃げたくもなるわ。
私が途方に暮れている間も鬼武者は首狩り作業を止めなかった。
既に阿鼻叫喚は消え失せて、泣き叫ぶ断末魔もない。
夥しい血が地面を濡らし、魔法少女の身体は山を築き、夏の日差しが死体を焼いた。
噎せ返る死の匂いに鼻がひん曲がってしまった。もう何も臭わない。
生きているのは鬼武者の強行を目にしながらも身動ぎ一つしなかった者だけ。
闘争も逃走も等しく触手が対処し、行動に移した者は鬼武者の元へと運ばれていった。
動く者全てを虐殺し、鬼武者は未だ動かぬ不動の像と成り果てた少女に近付いては首狩り作業を開始した。
一人、また一人と首が刎ねられていくがそこに悲鳴はない。
首が断たれた身体が力なく地面に倒れ伏す音だけが空気を振るわす。
誰一人としてそれに反応する者はない。
理解を拒絶し、恐怖を拒絶し、生きることさえ拒絶した少女を鬼武者が終わらせる。
そうして私の番がくる。
どうして私は動けなかったのだろう。逃げてしまえばよかったのに。頭ではそう思えた。けれど心ではもう生きて行けると思えなかった。まさか死神が鎧武者の姿をしているとは思わなかった。
きっと心が死を受け入れたことで身体との繋がりが断たれてしまったに違いない。
私は首のなくなった私の身体が倒れるところを空から眺めた。
それが最期に見た景色だった。