01-10
一樹は時間が許す限り精神と時の部屋的な異空間での修行に励んだ。その間、九重が竹千代を修理してくれるとのこと。
貴志との修行は苛烈を極めた。何せ魂を外に放つということは「己を中身を曝け出すこと」とか言われてもなんのこっちゃというのが一樹の感想だった。それを伝えるや否や貴志は貴志の持つ真っ黒な試作型妖刀を一樹に握らせた。
その瞬間一樹は自我というか自分であるという意識をごっそり持っていかれた様な、自分が無くなるといった錯覚に囚われ、咄嗟に放した。
「それが魂が己の中からなくなる感覚だ。本来はしっかりと己の魂を知覚するところから始めなければいけないというのに九重の馬鹿はそういう基礎を全部すっ飛ばして道具だけ与えやがる。いいか小僧、生き残りたければ妖刀なしでも魂を扱えるようになれ。じゃなきゃ道具に食われるぞ」
貴志の言わんとしていることは分かる。この真っ黒い刀は確かに所有者を喰らうという表現がしっくりくる。けれど竹千代の時はなかったことだけに一樹は戸惑う。
「俺がそのままそれを握ってたらどうなった?」
一樹の質問に貴志はあっさりと「廃人確定だよ」と前置きして説明を加える。
「魂と自我は切っても切れない。魂を失うということは自我を失うということ。お前の存在がお前自身から消えてなくなり、残るのは何も考えられなくなった身体だけだ。ある意味死ぬより悲惨だぞ?これが本来存在する魂を扱う技術のリスクだ。しっかり覚えておけよ」
「マジかよ!なんも聞いてねーぞ!?」
「多分この手の制御は全て妖刀任せにしていたんだろう。確かに理解していなくても使える技術というものは便利だ。車然り、パソコン然り。けれどそれじゃダメだ。お前はプログラム言語も知らない人間がハッカーと電子戦して勝てると思うか?」
いきなり話が変わったが一樹は素直に「思わない」と答える。
貴志は「だろう?」と肯いて話を続けた。
「今のお前はまさにそれだ。生き残るためには魂に通ずる知識も無くてはならない。だというのにお前は使い方もそのリスクも何も知らない。はっきり言ってお話にならない」
貴志に言われて黙る一樹。
確かに一樹は何も知らない。九重に竹千代を渡され言われるがままに使っていた。一応説明は聞いていたが実感できていなかった。
そんな一樹の置かれている状況を考え、なおかつ九重の要望にも応えようとするのなら荒行しかない。そして荒行をするにしてもただ作業をしていれば身に付くというものではない、特に魂に関してはなおさらだ。ただ作業して身に付くのであれば、あんな無茶苦茶な能力が世間に普及していないはずがないのだから。
貴志が言うように魂を扱うにはまず、魂を知覚するところから始めなければならない。それが出来ない一樹はまさにお話にならない状態だった。けれど貴志はお話にならない状態の一樹に更なる無茶振りを科す
「今日中に放出と留め、出来れば纏いまで出来るようにしたい」
流石の一樹でもそれは無理であろうことは理解できる。「そんな簡単に出来るようになるのかよ?」と問うてやれば「出来なくはないが」と意味深な言葉を残し、貴志は解説を続ける。
「放出自体は簡単だ。その黒い刀を握れば嫌でも放出されるからその感覚を覚えるだけで体得できる。リスクとしてはさっき言った通り自我を失うかもしれないという程度だ」
「いやいや!さっきの説明と違くない?リスクを理解しろって話は!?」
「リスクを説明した上で、それでもやらなきゃならないって言ってんだろ。お前、これ体得出来なければどの道死ぬんだから構わずやれよ」
またこれだよ。頑張らなくてもいいけどやらなきゃ死んじゃうよっていう脅し。もっとイージーな奴にしてくれよ。一から教えるんじゃなかったのかよ。
そうして一樹は試作刀を握っては倒れ、握っては倒れを繰り返し、九重が竹千代を修理し終わるまでに物凄い勢いで技術を身に付けて行った。
ただしその弊害もちゃんとあった。
――――――――
修行を開始してから約二日、九重が修理を終えた竹千代を持ってやってきたときにその弊害は発覚する。
「いやー、お待たせ一樹君。竹千代はこの通。ついでに一樹君に合わせた改修まで行ったからこの間よりもずっと使い勝手が良くなっているはずだよ」
九重が竹千代を一樹に渡すが一樹は首を傾げて受け取る。その様子を訝しんだ九重が貴志に問うた。
「何か一樹君の様子がおかしいんだけど?」
貴志を見やればこれと言って普通にしている。なら気のせいかと思おうとしたとき貴志の返事に度肝を抜かれる。
「ん?ちょっとばかしハードな修行をしたからな。記憶がいくらか持っていかれているのかもしれん」
記憶がいくらか持っていかれている?はて?言葉の意味をどう解釈すればいいんだ?
九重はしばし考え、自身のたてた推測に顔色を変え貴志を問い詰める。
「は!?お前一体何した!?」
魂を扱うのに自我や記憶、感情といったものは深い関りがあるとされている。それは自身を構成する要素の一つだからだ。
もし本当に記憶に影響が出ているのであれば相当に魂が疲弊している証拠だ。
いくらかは回復できるとはいえ、障害が出る程の消耗となると快復しきるかはやってみなければわからない。
しかし、と九重は思う。記憶に障害が出る程の修行に心当たりがまるでない。何せ一樹は竹千代を持っていないのだ。どうすれば記憶に障害が出る程魂を消耗させられるのか。
貴志を置き去りに一樹の症状を読み取ろうとする九重。しかし、貴志はそんな九重の心配はよそに修行の成果を報告する。
「何って修行だよ。小僧は才能あったようでな、たった二日で放出と留めと纏いまで体得したぞ」
「ばっか!?お前!それって達人とかでも何年も修行して身に付けるもんだろうが!たった二日で身に付けるとか何やらかしてくれてんの!?」
確かに別れる前にそれらの技術について修行をつけてくれる話になっていた。九重としてはやり方を教えてもらい一樹にはぼちぼち身に付けてもらおうという考えだった。
しかし、それをたったの二日で三つも習得するというのは常軌を逸している。何も知らない一般人が放出を体得するだけでも年単位の修行を有する。達人と呼ばれる者達でも一生を費やしてどうにか留めを体得できるかどうかだ。
それをどうしてその先の纏いまでを一樹が体得するのか。それもたった二日で。
絶対まともな修行をしてない。
貴志を見れば何を驚いてんだと言わんばかりにマヌケ面を向けて答える。
「出来る限り早急にって言ってたじゃねーか」
貴志の言葉で嫌な汗が流れる。たった二日で体得させるような修行はまともな方法じゃない。外法や邪道などと言われる、何かと引き換えに身に付けるタイプの修行くらいしか思いつかない。
「やり方だけ教えてくれてれば後はぼちぼちやらせたっての!大丈夫かい一樹君!?何か不具合とかないかい?」
一樹に直接訊いてみるも首を傾げて何かを思い出そうとしている。
「あーあーあー、何だっけ?何で俺修行してたんだか思い出せないんだけど、とにかく纏いまでは出来るようになっといたぜ!」
記憶を失いながらも悲壮感の欠片も見せずやり遂げたような吹っ切れた笑顔でサムズアップする一樹を見て九重は事態の深刻さに衝撃が走った。
「うぉーい!記憶に障害が出てんじゃねーか!他には!?他に不具合はないのかい!?」
魂を扱うにあたって自我や記憶、感情などに影響が出る場合相当な重症である。何しろその人物がその人物たら占める構成要素なのだから。水を構成する水素か酸素のどちらかを抽出したらそれが水でないのと同じ、魂の構成要素が無くなったらその人物ではなくなってしまう。少なくとも魂的には全くの別物と言える。
一樹を見ればきょとんとした顔を見せる。
おかしい、この間までの一樹君ならこんな顔は見せなかった。もっと鬱屈としていて年相応に邪な思いを胸に秘めていたはず。
けれど今の一樹は本当に素直そうな表情を見せる。正に無邪気とでもいうように。
怪訝な表情で一樹を見つめれば、一樹は言われた通り何か思い当たることを考え始め、しかしすぐに考えるのを止めてしまった。
「他?何だろう、何か大切なことを忘れている気がする」
かなり危うい。何かを忘れているのは認識できているようだが何を忘れたのかを認識できていない。虫食い状態の記憶は情報が偏り感情が不安定になる。魂にとって感情は燃料であるが偏ると魂そのものが歪んでしまう。偏食で体調不良を起こすように。
早く何とかしなければ。
九重はこういった事態にもちゃんと対策は立てていたのだがその対策が手元にないときに陥ってしまうとは、と頭を抱えた。対策の対策は後で考えるとして今は治療が先である。
「とりあえず一樹君これを抜いてみてくれないか?」
九重は一樹に竹千代を抜くように指示した。
九重が用意していた対策とは妖刀に組み込んだ機能にある。竹千代に今の一樹の状態を診せることで適切に治療させるのだ。
九重に言われた通り、一樹は何も考えることなく竹千代を抜く。
次の瞬間、一樹は竹千代で己の胸を貫いた。
―――――
一樹は仰向けになって天井を眺める。胸から背中へ貫いた刀が自身の血液によって血だまりを作るも気にすることなくその血だまりに倒れる。大量の血液が一樹の服を真っ赤に染める。
一樹はじわじわと浸透する血液の温もりを確かに感じながら、今し方自分がやった行為について首を傾げる。何故自分が胸を貫いたのか、と。
これといって自殺願望があるようには思えない。ひょっとしたらあったのかもしれないけれど直前までそんなことを欠片も考えてはいなかった。
突発的に死にたくなった?何で?
自身でも知らないうちに心に闇を飼っていたのかとあほなことを考えるが、それはないなと否定する。
では何故、と考えるが途中でどうでもよくなってきた。というより眠くなってきた。
九重が何か叫んでいるような気がするが全く聞こえない。
一樹は眠気に負けて瞼を閉じる。
心地よい闇が一樹の意識を埋め尽くす。
目を覚ませば一樹は見知らぬ空間に一人寝こけていた。真っ白な空間がひたすらに広がり色彩というものは一樹にしか存在しない空間遠近感覚が狂いそうになる、そんな空間にただ一人大の字になって倒れていた。
いや、もう一人か?
一樹の視界の外、おそらく頭の方に誰かがいる気がする。けれど一樹は確認をせずに目を瞑る。全身が怠くてとにかく眠かったからだ。
眠気に負けて無視しているとそこにいた誰か近付いてくる足音が聞こえる。近付いてくる足音が頭上で止まる。
瞼を開いて確認しようとしたその時、顔面にガツンと衝撃が走る。
「痛っ」
苦痛に顔を歪める一樹。鼻を攻撃され思わず抑えようとする一樹の手を近くに居た何者かが払いのけ、再び顔面に衝撃が走る。それを攻撃だと一樹は認識した。
どうやら近くに居たのは敵性存在だったようだ。
相手が敵だと判断できれば後は早かった。腕の振りで勢いをつけて転がるようにして起き上がり、その敵性存在を確認しようとしたとき、再び死角からの攻撃が一樹を襲う。
側頭部に攻撃を喰らいブレる視界。一樹はそこで踏ん張らず、攻撃された勢いに従って転がるようにして距離を置く。その際にちらっと覗いて、攻撃をしてきた敵の姿を確認する。
そこにいたのは改造ミニ浴衣を纏った長い黒髪の美しい女だった。
浴衣から除く生足の脚線美を見ればそれが一般人のそれとは違う。まるで研ぎ澄まされた刀のような鋭さを感じる。
あの脚はやばい。性的な意味ではなく、攻撃力的な意味で。
一樹は己の魂を全身に流し込みそれで留め、美女の蹴りを頭で受け止める。今度は先程のような衝撃はなく体勢は崩れない。
美女は驚愕する。その隙を一樹は見逃さない。
蹴り出した足を一樹が頭部で受け止めたら、美女は片足立ちにならざるを得ない。
一樹は片足立ちの美女の軸足を掴み、駆け抜けながら振り回す。
美女は掴まれた軸足を中心に姿勢を制御し、フリーの足で掴んでいる一樹の手首を狙い振り下ろす。
それを見た一樹は己の手に更に魂を流し込み纏う。力を増した握力が美女の足首を握り潰すも、振り下ろされた蹴りによって一樹の手首も砕かれる。
一樹から解放された美女は空中に投げ出された。
一樹は歯を食いしばって痛みを無視し、空いた左手で宙に浮いた美女の首を掴んで締め上げる。
首を絞められた美女は構わず一樹を蹴ろうと足を振り回す。振り回された足は一樹を蹴るが先程のような力強さはない。
このまま締め上げて終わらせようと思ったとき、ふと一樹の意識にこの美女の名前が浮かんだ。
「竹千代?」
口に出しておきながら、いやいやと首を振る。竹千代は刀であり人ではない。
けれど美女は竹千代の名前に反応し、暴れるのを止めて、首を絞めている手をタップしている。その姿には先程攻撃とともに向けられていた敵意が微塵も感じられなかった。
初めて見たはずの美女がどうしても竹千代としか思えないという変な状況に陥っている一樹はとりあえず美女を開放し、そっと距離を取る。
解放された美女はぜぇぜぇと荒い呼吸を整えるように深呼吸を開始した。
様子を見ていれば呼吸を整えた美女は涙目で一樹を睨みつけてきた。まるで一樹が悪いとでも言いたげな視線に一樹は言葉で返す。
「いや、お前が攻撃してきたのが悪いんだろう」
そういえば美女は「いいえ、忘れる一樹が悪いんです」と返し、握り潰された己の足首を整え始めた。
表情を苦痛に歪めながらも作業する美女を眺めて一樹は思い返す。そういえば竹千代のことをすっかり忘れていたな、と。
何故忘れたのかなんて考えるまでもなかった。修行が原因だ。起こるであろうリスクもしっかりと説明されていたはずだが、竹千代を見るまでは影も形も思い出せずにいた自分に首を傾げる。
魂の技術を扱う際のリスクについては説明を受けていたはずなんだけど、そういうのは知っていようがいなかろうか影響が出たら関係ないようだな。
今一度リスクの恐ろしさを再認識した一樹は目の前の美女と化した竹千代に話を聞くことにした。
「で、どうして俺は思い出せたんだ?」
一樹がそう訊けば竹千代は溜息を吐きながら一拍おいて説明しだした。
「妖刀にはそういったリスクを避けるための機能があります。これは互いに共有したものに限りますが私についてのことであれば全て解決できます」
「何で俺が修行していたのかは?」
「もちろん知っています」
それから竹千代が知る限りのことを教えてもらった。
一樹の魂を構成するものを竹千代も把握しており、一樹が失ったとしても竹千代の方で補完する。そうして時間をおけば魂の方から勝手に修復していくと。いわばこの修復方法は一樹の外にバックアップを取っておく外部メモリと同じ役割を妖刀が担っているようだ。
ちなみに精神汚染の応用らしく、この修復の際に違う記憶データを紛れ込ませることで洗脳が可能となるとか。ただし、本人の記憶とかけ離れ過ぎるとバグとなり脳機能を損なう可能性があるらしい。
竹千代との共有した記憶を補完した一樹は今の自身の状況を一気に把握した。
そうそう魔法少女と戦う力が必要だってんで修行に励んでいたんだった。
とはいえ思い出したからどうこうってこともなく、一樹はそういう面倒臭いことを考えるのを止めた。修行している間に理解したことを優先するとむしろそういった常識的なことがこと、魂に関しては邪魔以外の何物でもないことを理解してしまったからだ。
記憶を消失したおかげでこれまでの人生で培っていた常識的な思考は一時的にだがなくなり、その間に魂の本質に触れられたことでぐぐっと上達した。それが纏いまでを習得した秘訣でもあった。今更常識とか持ち合わせたところで常識のために手放すには惜しい技術を一樹は手に入れてしまった。
とりあえずの方針は売られた喧嘩は買いましょう。敵は残さず殺しましょうでいいだろう。
「それじゃあそろそろ目を覚ましてくださいね」という竹千代の言葉に首を傾げる一樹。目を覚ますも何も今こうやって目の前で話しているじゃないかと。
「ここは一樹の知っている言葉で言い表すと『精神世界』みたいなものです。一樹の精神が作り出した意識だけの世界。そこに私が介入し、一樹が失った記憶の一部を補う形で存在したことで一樹の記憶も多少は修復されました。残念ながら私が知らない何年も前の記憶までは修復できません。
とにかく目を覚ましてください。修行のせいかとやらを私が監督しますから」
そういうと竹千代は今度こそ一樹の目の前からすっと消えた。精神世界らしいのできっと一樹の中から出て行ったとかそんな感じなのだろう。
一樹もいつの間にか蘇った眠気に逆らうことなく、微睡みに意識を委ねて目を瞑る。