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Itan ジャンパー  作者: 三千
9/9


カフェを出て、もう今日は帰るねという、千沙ちゃんの後ろ姿を見届ける。


前から来る人に、どんっとぶつかったりして、謝りながら歩いていく。


そして、角を曲がっていった。


何だったんだ、さっきのは。


俺はどういうことが俺の身に起こったのか、よく理解することが出来なかった。


だってそうだろう、もし俺の立場だったら、お前だって動揺するだろ。


『私と、付き合ってもらえませんか』


「えええ、嘘だろ、おい」


俺はその場に座り込んだ。


これが本当だったら、これが夢じゃなかったら。


そりゃあ、もちろん。

俺はうおーっと叫んで喜びを身体中で表現するだろう。


けれど、直ぐにカーディガンを次に会った時に返すね、と伝え忘れたことに気付き。


慌てて、千沙ちゃんの後を追いかける。


そして。


角を曲がって、俺は立ち止まった。


かなり遠くに行ってしまったけれど、その後ろ姿は分かる。


あの男が隣にいた。

手を繋いでいた。


千沙ちゃんは、何かを楽しそうに話している。

すると、男が繋いでない方の手を、千沙ちゃんの頭に置いた。


笑った。


そして、そのまま歩いていった。

手を、手を繋いだまま。


俺はその場で立ち尽くすしかできなかった。


✳︎✳︎✳︎


誰とでも手を繋ぐんだ、俺だけじゃねえ。


それにいつも送り迎えしてるし、さも大切そうに頭に手をのせて。


兄妹かと思ってみたけど、千沙ちゃんに兄妹がいないことを、俺は施設で知らされていた。


生き別れの兄妹か、などと思ってみる。


けれど、そうやってぐるぐると考えてみても行き着くのは「恋人」というゴール。


「手なんか繋ぐかよ、兄妹が」


くそっくそっ、と何度も頭をガシガシと掻く。


俺と付き合って欲しいと言ってなかったか?

俺の幻聴だったのか?


嫉妬で気が狂いそうになる。

嫉妬と猜疑心とで、か。


けれど、考えてみる。

いや、兄妹か? 親戚か?、とかそういうことじゃねえよ。


もうそれは良いんだ、あり得ないって結論に至ったんだからな。


そうじゃなくって、千沙ちゃんにはあの男がお似合いだっていうことだ。


背も高くてイケメンだし、強面だけれど、千沙ちゃんには優しいみたいだ。


暴力は振るわない、もし振るわれていたら、千沙ちゃんの様子で分かるはず。


比べたくはねえけど、比べたりしたら、もう結果は分かりきっていた。


断ろう、ってか、もう無かったことになってたりしてな。


俺はもう何本目か分からないビールの缶を空にすると、シンクにガコンと音をさせて放り投げた。


スマホがメールの着信音を鳴らす。


今度、いつ会えるかな


遠慮がちな、千沙ちゃんからのメール。


俺は少しの間考えて、返信した。


今度の土曜日の十二時に、今日待ち合わせした銅像の前で。


カーディガンを袋に入れて、用意する。


これを返して終わりにしよう。


もう終わりにするんだ。


心臓が、ひどく痛んだ。


✳︎✳︎✳︎


土曜日の昼前、早めに着くように電車に乗った。


待ち合わせの銅像からは、少し離れた所にある花壇の縁に座る。


俺は手で顔を覆った。


今、絶対に醜い顔をしている。

歪んで、酷い顔をしている。


顔を上げると、二人が並んで歩いてくるのが見えた。


やっぱりそうか、今日も送り迎えだ。


相手の彼氏は千沙ちゃんとちょうど良い背丈。


繋いだ手を、彼氏のポケットに入れている。

少し、肌寒い日。


もう駄目だ、完全にもう終わりだ。


千沙ちゃんとも、今日でもう会わない。


そう思うと、なんだろう、哀しくて哀しくて。


今までにだって、突然の別れがあったはずだ。


俺は、それでも生きたんだから、今日で千沙ちゃんとの繋がりが終わったって、生きられるはずだよ。


けれど、この前までの幸福感と、今、身をもって感じさせられている絶望。

この落差は半端ねえ。


千沙ちゃんが顔を上げた。


俺がもう来ていることは分かっていただろうに。

それでも、彼氏の手は離さなかった。


千沙ちゃんが隣の彼に何か話すと、彼は振り返って行ってしまった。


千沙ちゃんが、待ち合わせの女の子の銅像の前を通り過ぎ、俺が座っている花壇へと歩いてくる。


手を少し前に出して、軽く振りながら。


「トオルくん、早いね。私も少し早く来ちゃった」


早く来るのは、彼氏に送ってもらうのを見られたくないからか。


俺は酷い顔を崩さずに、そのままで言う。


「千沙ちゃん、これ借りていたカーディガン。長い間、ありがとう」


「え、あ、そうだった。今日でなくても良かったのに」


泣きそうになる。


「今日じゃないと……駄目なんだ」


その言葉で、千沙ちゃんの表情に陰りが差す。


「あの、トオルくん、もしかして、この前の返事って、」


良かった、無かったことにはなってなかったんだな。


俺は少しだけ微笑むと、


「ごめんね、」


千沙ちゃんが、その大きな瞳を真ん丸にしている。


俺の愛した黒い瞳。


「つ、付き合うのがダメなら、たまにご飯食べたりとか、一ヶ月に一回とかでも良いから、」


「俺に付き合う暇があったら、彼氏と会った方が良いんじゃない」


ついに言ってしまった。

言い方も、本当にどうしようもない。


俺は本当に、どうしようもないヤツだよ。


「か、彼氏は居ないから。誰とも付き合ってない。善ちゃんは友達で、」


俺は遮って言い捨てた。


「もう良いよ、そんなの。千沙ちゃんにはあの人の方が似合ってるんだから、そんで良いんだよ。俺はもう会わない。もう二度と会わない。カーディガンも返すし、」


カーディガンの袋を押し付ける。


「一年に一回でも良いの、お願い、トオルくん。トオルくんが好きなの。もう二度と離れたく、ない」


涙が。


次々に流れて落ちていく。

肩を震わせて。


けれど、俺にはもう限界なんだ。


「好きとか、思ってもないこと言わなくて良いよ。なんだよ、昔親切にして貰ったから、その恩返しみたいな? そんなこと、しなくて良い。俺は千沙ちゃんが彼氏と仲良く幸せになってくれれば、そんで良いんだ、満足なんだよ」


「善ちゃんは、違うの、友達で……」


「友達と手なんか繋ぐかよっ‼︎」


しまった、と思った。


千沙ちゃんの身体がびくりと震える。


声を荒げてしまって、こんないい歳のおじさんが嫉妬で狂っておかしくなるって、あり得ないだろう。


俺は何をやってる。


冷静に、カーディガンを返して、もう会わないと言うだけのつもりだったのに。


「もう良いよ、ごめん。怒ってるとか、そういうんじゃないんだ。でももう、二度と会わない。俺なんかに会ってちゃ駄目なんだよ」


これで終わりだ。


俺の、千沙ちゃん。千沙ちゃん。千沙ちゃん。


愛してるんだ、心から。

もうずっとずっと、昔から。


「じゃあ、ね」


俺は踵を返すと、元来た道へと足早に歩き出した。


振り返らず、振り返らず、歩いて歩いて。


涙は出なかった。


身体中のそこかしこに力を入れていたから。


途中、駅ってどっちだったかな、一度だけそう思って、何かを考えた。


それだけは覚えている。


✳︎✳︎✳︎


駅の入り口で切符を買う。


一瞬どこに帰るのか忘れてしまって、指をぐるぐると回しながら該当駅のボタンを探す。


見覚えのある字で止まって押したけれど、本当にあっているかどうか。


ホームに出ると、電車を待った。


俺はずっと遠くを見ながら、ぼんやりとしていた。


ぼんやりと、けれど、見ているかと言ったら、どうなんだろう。


見てないと言った方が合っているのか。


もうそういうのはどうでも良い。


壊れたロボットのようになっているんだ、俺は。


「おいっ‼︎」


耳元で声がしたかと思うと、肩をぐいっと引っ張られて我に返る。


「お前、千沙をどうしたっ」


ああ、お前か、イケメンのにいちゃん。


俺は皮肉も混ぜて、言い放った。


「安心しろよ、もう会わねえから。今まで邪魔して悪かったな」


俺は向こう側のホームに向き直った。


もうすぐ電車が来る、はずだ。


「お前、バカか‼︎ 千沙は目が見えないんだぞっ‼︎」


一瞬、何が起こったのか分からず、え、と思う。


何だって?

今、なんて言った?


俺はアホ面で男を見た。


「あいつ、目の前の範囲が少し見えるだけで、あとはよく見えねえんだ。お前、よくもそんな千沙をひとりにしやがったな、くそったれ‼︎」


走って行こうとする男の肩をぐいっと引っ張る。


「でも、ちゃんとっ……‼︎」


見えていたぞ、映画だって見たんだと言い掛けて、ぐっと言葉を呑む。


だから、手を繋いだのか?

そうなのか?


「知らなかったのかよ、千沙に聞かなかったのか? とにかく急いで探すんだ、あいつ周りが見えねえから、何度も車に轢かれそうになってんだ‼︎」


俺は、ぞくっと背中を何か冷たいものが走っていくのを感じた。


男の後を急いで追い掛ける。


切符を窓口に置いて、すみません、急用を思い出して、と説明し通してもらう。


男は切符を改札機に通すと、すごいスピードで駆けていく。


俺は、彼の後ろをひたすらついていった。


待ち合わせの銅像まで、息を切らせながら辿り着く。


はあ、はあと何度も息を吐き、早く動いて仕方がない心臓を押さえる。


待ち合わせの場所には居なかった。


見えないのに、見えていないのにどこへ行ったんだ。

あちこちを見渡す。


男はさっきから繰り返し電話をしているが、応答がないようだ。


くそっと言いながら、スマホを何度も操作しながら、キョロキョロとして探している。


「おい、たまき、千沙の場所を教えてくれ。居なくなっちまったんだ、頼む」


誰か別の人に、居場所を見つけてもらおうとしているようだ。


「南、か? 距離は? そんなに離れてない? 分かった、サンキュ」


スマホをポケットに入れると、俺の顔を見てから走り出す。


俺も一緒になって走った。


少し広い交差点に出る。


「おい、千沙っ‼︎ 赤だぞっ‼︎」


男が叫んだ方角を見る。


俺は、ひゅっと息を飲んだ。


赤信号を渡ろうとしているその後ろ姿。


一歩一歩、車道へと進んでいく。


もちろん、赤なんだから信号の前で止まるだろうと、当然のようにスピードを緩めない車が、次々に横切っていく。


「千沙ちゃんんっ‼︎」


俺はその時、何を考えたんだろう。


後になっても覚えていなく、確認する術ももう無いのだけれど。


身体が熱くなり、一瞬浮いたような気がする。


あとは覚えていない。


「千沙ちゃん、千沙ちゃん‼︎」


俺の、腕の中。


千沙ちゃんが目を開ける。


漆黒の瞳。


俺は、彼女を抱き締めていた。


抱き締めて泣いていた。


千沙ちゃん、と何度も名前を呼んだ。


君を愛してるんだ、俺はこんなにも君を。


「トオルくん、」


俺は千沙ちゃんの、天使の声を聞いた。


「トオルくん、好きなの、大好きなの」


黒い瞳が、俺を見ていた。


✳︎✳︎✳︎


「お前が知らないなんて、計算外だった。千沙、何で言わなかった?」


少し怒って言う男に、千沙ちゃんはごめんと言った。


「トオルくんに、鬱陶うっとうしいって思われたくなくて。お荷物になりたくなかったし、嫌われたくなくて」


「いつから、目が?」


俺は慎重に訊いた。


「中学に入ってから徐々に、」


「お前、バカだな。俺が行くまで、どうしてそこで待っていなかった」


「ごめんね……トオルくんを追いかけないといけない、と思って」


「でも、全然反対方向だったぞ、この方向音痴が」


千沙ちゃんが俯いた。


「もう会えないんだと思ったら、パニックになっちゃって。た、探知能力もあてにならないんだね」


俺はイスを引いて、今一度座り直して姿勢を正した。


あの時、千沙ちゃんが車道へ出る間際、俺は千沙ちゃんの後ろへと瞬間移動し、歩道へと千沙ちゃんを引き戻した。


一緒になって、後ろに倒れたものの、二人に怪我はなかった。


少し落ち着こう、という事となり、近くの喫茶店に入ったのだ。


「良かったよ、怪我もなくて」


「トオルくん、ごめんね。め、迷惑かけちゃって……あと、助けてくれてありがとう」


「いや、いいよ」


「…………」


千沙ちゃんが、俯いたまま顔を上げない。


沈黙が続いて、いたたまれなくなり、俺が話しかけようとしたところで、男が声を出した。


「千沙、お前ちゃんと伝えたのか? あんたに言っとくけど、俺ら恋人とかそんなんじゃねえよ。俺は、千沙の付き添いを頼まれてるだけなんだ」


「ぜ、善ちゃんは、好きな人が居るんだよね」


「ばか、お前。そんなことはどうでも良いだろう」


イケメンが、顔をしかめて照れたような表情になる。


「俺、本当に勘違いしてたんだな」


はあっと盛大に溜息を吐く。

そんな俺を見て、イケメンは言った。


「あんた、凄いね。かなりの距離あったけど、すっとんでって、千沙を助けるなんてよ」


「ほらあ、トオルくんはかっこいいでしょ。小さい頃も私を守ってくれたの、」


少し間を置いて、続ける。


「お母さんからも、お母さんからも助けてくれたの」


千沙ちゃん、と呟いてから、俺は思い出していた。


母親に殴られて青あざを作っていた、あの遠い日。


けれど、違うんだ、反対なんだ。


俺が千沙ちゃんに守ってもらったんだよ。


どうしようもなかった俺を、あんなにも小さい手で。


「ああ、そうだな、千沙の言ってた通りだ。なあ千沙、お前知ってんのか。このおっさんなあ、顔も結構イケてるぞ」


おっさんて!

俺は苦笑いを浮かべると、


「そうだな、俺なんて、ダメな人間で、ヨレヨレで、ロリコンで、おっさんなんだよ」


でも、と続ける。


「でも、千沙ちゃんが好きなんだ。こんな俺でも良かったら、付き合ってもらえないかな」


千沙ちゃんは、俺の大好きな黒い瞳を真ん丸にした。


そして、涙をポロポロと落としていった。


それから、笑った。


笑ったんだ。


「トオルくん、大好き。大好きなの」


そして、涙を拭いもせずに、言った。


「ねえ、訊いていい? ロリコンって、なあに?」


俺とイケメンは、ぶはっと吹き出して笑った。


そして、キョトンとしていた千沙ちゃんも、一緒になって笑った。


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