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Itan ジャンパー  作者: 三千
8/9

甘くて柔らかい

それにしても、能力者が沢山いるとは驚きだ。


俺は千沙ちゃんと会えたという奇跡による浮ついた気持ちから解放されると、平常心で仕事に戻ったり、日常を過ごしたりしている内に、千沙ちゃんと交わした会話などを反芻することが、ようやく最近になって出来るようになったのだが。


実は一番驚かなければならない事実を、やっと認識できるようになっていた。


何てことだ、俺のように瞬間移動出来るヤツもいるらしい。


知らなかった、って言うか世間一般の人々は、その事実を知っているのか?

知らないのは俺だけなのか?


今さらの疑問に苦く笑う。


冷静になってくると、お前本当にバカだな、千沙ちゃんに訊きたいことは山ほどあるだろう、と自嘲。


一体、この世界はどんな事になってるんだ。

けれど、はたと思い直す。


俺も一応は、その能力者というものの端くれだと言える。


そして、千沙ちゃんも。


探知能力があると言っていたな。


俺たちは、能力者というカテゴリに入るじゃないか。

一緒に入っているじゃないか。


そう思うと、千沙ちゃんという存在が近くに感じることが出来て、ちょっと嬉しくなる。


言っておくが、少しだけだぞ。


念を押して言うが、そこまで俺は思い上がっていないからな。


「浅田さん、今度の企画書に添付する資料なんですけど、この続きって、どこにありますか?」


二つ年上の女性社員に声を掛けられて、ここが会社で俺は今仕事中だったという現実に引き戻される。


いけねえ、いけねえ。


まだ、会議資料も作りっぱで終わってねえや。


「あ、えっとそれは、第二資料室ですね、俺、棚の場所分かるんで取ってきますよ」


椅子をギッと言わせて立ち上がって訊く。


「No.4以降で、どの程度、持ってこれば良いですか?」


「じゃあ、No.18まで良いですか。念のため、揃えておきます」


社内では慎重派のおつぼねさんに、俺は笑いかける。


「お、さすがですね。会議で部長に突っ込まれると、お手上げですもんね。あの人、容赦無いからなあ」


「浅田さんだって、この前部長が褒めてましたよ。フォローが上手だって」


「まじっすかね、あはは」


俺は千沙ちゃんに会ってからというもの、心も軽く、よって態度も軽くなっている。


「浅田さん、何か良いことありました? 彼女と、結婚とか」


探りを入れられても、俺は嫌な気持ちひとつとして湧いてこなかった。


「いやあ、この前別れちゃったんで、違いますよ」


「そうなんですか、余計なことを言ってすみません」


このお局さんは、女子には不評だけれど、俺には被ったりする直接の害は無いので、得意でも不得意でも無かった。


それにまあ、俺には人を転がす才能がある訳だから、あまりそういう点で粗相そそうというものをしたことが無い。


人間関係は、無難にこなしていた。


「あの、じゃあ良かったら、今度お食事でもどうですか?」


予想出来ない流れではなかった。

けれど、俺は口籠くちごもる。


「あ、や、すみません。好きな、」


千沙ちゃんを思い浮かべる。


あの男と並んで帰る、後ろ姿を。


それでも、俺は好きだ。

好きなんだ。


「好きな人が居るんで、すみません」


「うわあ、誰ですか? 内緒にしますからあ、教えてくださいよ」


女子高生だなんて、口が裂けても言えねえよ。


「社内の人じゃ無いんで、はは」


「その人と結婚とか、」


結婚か、出来る訳がねえ。


「いえ、それは多分無理です、ね」


多分っていうか、絶対だろ。


すると。

途端に。

浮かれ気味の熱が、冷めていってしまった。


けれど、そうやって全否定すればする程、情けないことに今度は千沙ちゃんに会いたくなる。

会いたくなって困るんだ。


じゃ持ってきますね、そう言って俺は資料室へと向かった。


エレベーターに乗り、3Fを押す。


壁にもたれて頭をつけると、千沙ちゃんの顔が思い浮かんだ。


あの、黒い瞳。


俺の中に大きく大きく占めて根を張っている、あの瞳。


溢れそうな涙と、溢れていく涙。


笑いながら、泣くんだよ、俺の前でさ。


たまんないんだよ、本当に。


資料室へと入ると、俺はポケットからスマホを取り出した。


千沙ちゃんの名前を呼び出す。


会いたい、と素直にそうメールしようか。

次はいつ会えるのか、と訊きたい。


俺はメールを送ってからポケットにスマホを戻すと、No.5からNo.18までの資料を揃えて、部屋を出た。


✳︎✳︎✳︎


結局、小心者の俺は、元気? としかメール出来ず、だから返事も元気だよとしか返ってこないし。


何度かそんな内容のないメールを繰り返した頃、俺はもう千沙ちゃんに会いたくて会いたくて仕方が無くなっていた。


元気だよ、のメールだって間違えて消去しちまわないようにロックを掛けてあるし、借りたカーディガンを畳んでベッドの上に置いてみたり、机の上に移動してみたり、どこにこの宝物を仕舞っておけば良いのか、一日中思案したりしていた。


バカだろ、変態だろ、言いたいことは分かってるって。


カーディガンだって、返さなきゃいけねえことぐらい、分かってんだ。


けれど、カーディガン返すから会おうってメールして、この前のあのイケメンが取りに来たらどうすんだよ。


もう立ち直れねえだろ。


そういうこと考えて、まだ時々は会えるという可能性を残しておきたいという気持ちは分かってもらえないか?


こんな、ぐずぐずと色々考えるなんて、女々しいヤツだなと思われても仕方がない。


そんな風にぐるぐるとして土曜日を過ごしていたら、スマホがティラランと鳴った。

メール着信音だ。


俺は慌ててスマホを確認する。


トオルくん、明日とか時間ある? 良かったら、一緒に映画見ませんか?


映画の題名とか、映画館の場所とかが書いてある。


千沙ちゃんはこういうアクション物が好きなんだ。


俺は叫んで飛び上がりたい気持ちを抑え、地味に心の中でガッツポーズをした。

何度も、だ。


最後に、「都合はどうですか?」とある。


そんなのオッケーに決まってるだろ。


そして、返事のメールを書いて例のごとく何度も読み直し、待ち合わせの時間と場所を勝手に決めて打ち込むと、早速送信した。


カーディガンをどうしよう、と思う。


返したくないけど、返さないと変態だと思われる。


けれど、今回は忘れたってことにして、次の時に返そう。


そう決めると、俺はすぐにシャワーを浴びて、目を閉じたら直ぐに眠れるようにとビールを一本飲むと、ベッドに入った。


けれど、こんな浮ついた気持ちで直ぐに寝られる訳がなく。


俺はそのまま、天井を見ていた。

あの黒い瞳を思い出しながら。


✳︎✳︎✳︎


日曜日、待ち合わせの時間に遅れないように早めに行くと、千沙ちゃんはもう来ていた。


女の子が平和を象徴するポーズを決めている銅像の前。


ぽつんと立っている。


俺が近づいていくと、トオルくんと言って手を大きく振った。


うわ、と思う。


裾を絞ったふわりとした萌黄色のスカートに、白のブラウスと軽く羽織ったニットの上着がとても似合っている。


思わず、可愛いと零したら、千沙ちゃんは俯いて照れ笑いを浮かべた。


そして、また手を繋いでくれる? と訊く。


俺は良いよ、と言って手を差し出した。


すっと俺の横に並んだ時、ふわりとシャンプーの香りだろうか、良い匂いがする。


「髪、切った?」


俺が訊くと、こくんと頷く。


肩まであった黒髪が、今は顎のラインで揃えられている。

細いうなじが見え隠れしていて。


「へ、変かな」


「そんなことないよ、すごく、似合ってる」


可愛いと言い掛けて、止める。


可愛いを連発して、ドン引きされたくない。


「それより、俺なんかと手繋いでたら、おじさんとの援助交際だと思われるかな。嫌じゃない?」


「そんなことない。それに他の人にどう思われたって関係ない」


思いの外、強い口調に日和る。


「そ、そう? じゃあ、良いけど」


少し沈黙があってから、千沙ちゃんが言う。


「トオルくんこそ私となんて、嫌じゃない?」


直ぐに消え入りそうに自信の無い、か細い声になる。


俺は握った手に力を少しだけ入れると、


「嫌じゃないよ」


嬉しいよ、今まで生きてきた中で、一番嬉しいんだよ、そう心で言葉を続けた。


映画館の中に入って、席に座る。


千沙ちゃんは、ずっと俺の腕にしがみついていた。


暗い場所が苦手だと言う。

暗闇の中、階段を上ったり下りたりする足元も覚束ない。


俺はなるべく手を握ったり、腕を引いたりして、座席に座らせた。


映画を見ている間、俺は千沙ちゃんの方を時々、見ていた。


笑えるシーンで、まばらに座っている客が、わははと笑う。


見ると、千沙ちゃんも肩を揺らして笑っている。


至福とは、こういうことなのか。


大好きな子が横にいて、一緒に笑っている。


こんな気持ちは、本当に初めてだ。


女子高生だから、とかそういうんじゃねえ。


千沙ちゃんだからなんだよ。


スナック菓子を美味しそうに喜んで食べてくれた、あの千沙ちゃんが俺の隣に居る。


ろくでもねえ、当たり屋なぞで生計を立てていた俺を、真っ当な道へと連れ出してくれた、あの千沙ちゃんが。


太陽のように輝く存在。


向日葵のように愛らしい笑顔、水晶のように透明な清々しさで、俺をちゃんとした道へと促してくれた。


汚い金は使いたくなかった。


こうやって、映画のチケットも、正々堂々と買ってあげられる。


そう思うと、枯れた地に水が染み込んでいくように、あっという間に心が満たされた。


何という幸福感だ。


俺は心地よい、そんな至福の気持ちを胸に、映画のクライマックスを迎えていた。


「面白かったね」


直ぐ隣に併設されてるカフェに入って、向かい合う。


俺はアイスコーヒー、千沙ちゃんはアイスココアを注文していた。


店の入り口の注文カウンターで、店員にアイスココアにホイップはのせますかと、訊かれて、俺を見る。


「生クリーム苦手じゃなかったら、どう?」


俺がそう促すと、嬉しそうに笑って、お願いしますと言う。


お金を払おうと財布を出すので、それを慎重に断ってから、俺が払う。


「映画も払ってもらっちゃったし、私が、」


「いいよ、いい大人が高校生に奢ってもらえないよ」


言い掛けて、声を絞る。


周りに聞かれたら、まずい。


千沙ちゃんは、気にしないと言ってくれたけど、俺はどうやってもやっぱり埋まることのない年の差に少しだけ気後れしていた。


そして、千沙ちゃんを促して席に座る。


千沙ちゃんは、手を繋いでいない間も、俺の袖をちょこんと掴んでいる。


そんな様子も、可愛くて仕方が無い。


「面白かったね、映画」


もう一度言うと、千沙ちゃんは顔を上げて、こくっと頷く。


アイスココアの上に、ホイップがこんもりと盛られている。


「クリーム好き?」


「うん、大好き」


嬉しそうに見つめている。


「じゃあ、今度ケーキでも食べに行こう。美味しいケーキ屋さん、知っているんだ」


元カノが美味しいと気に入っていたお店がある。

きっと気に入るはずだ。


「本当? いつ行く?」


そう言ってから、慌てて、俯いて続ける。


「あ、楽しみに待ってるね」


「あはは、前にもこんなことがあったね。俺がまた来るね、いつが良いと訊いたら、千沙ちゃんがじゃあ明日って」


「うん、覚えてる」


俺はその時、当たり屋で稼いだ金で、千沙ちゃんに奢ってあげたくなく、ちゃんと働いて得た金を持って、会いに来たかった。


だから、確か一週間後ね、そう言ったような気がする。


「そういえば、俺がどこにいるか分かるって言ってたね。あれって、その頃から?」


千沙ちゃんはこんもりと盛られているホイップをスプーンですくうと、口にぱくっと入れながら頷いた。


「うん、徐々にだったけど。一度、夜中に会いに行ったでしょ。あの時にはもう分かってた」


ってことは、あれ?


「じゃ、じゃあもしかして、俺が施設に行った時とかも、分かってた?」


千沙ちゃんは、あ、というような顔をして、申し訳なさそうに、うんと言った。


「うわ、じゃあサンタん時も、バレてたんかあ」


「ごめんね、でも会いにきてくれてすごく嬉しかった。トオルくん、何も言わなかったから、声を掛けない方が良いのかなって、思って」


「いや、千沙ちゃんに会うのは、千沙ちゃんが大人になってからって決めてたから」


千沙ちゃんが前に向き直して、真剣な表情で言った。


「私、引き取られた後に聞いたんだけど、私のお母さんも能力者で、私みたいに人を探せたんだって。丸井のおじいちゃんが、お母さんのことを知っていて。私が施設に入っているって知って、引き取ってくれたの」


千沙ちゃんが、俯き加減で続ける。


「だから、私が施設を逃げ出した時、いつもお母さんに見つかってたのは、そういうことだったんだって気付いて。いつも怒られて連れ戻されてたから、どうして見つかっちゃうんだろうって、不思議に思ってた」


実際、俺と千沙ちゃんが会った公園は、施設からは少し離れている。


そういえば、そこに母親が探しに来るって、よく考えればおかしいことだったんだな。母親とよく来ていた公園とかだったら、分かるけどな。


「そうだったんだね、苦労したね」


俺は苦く笑った。

千沙ちゃんもつられて苦笑する。


「でも、トオルくんに会って、優しくしてもらって、私本当に救われたんだ。桃ジュース、買ってくれたでしょ。あれ、すごく美味しかった。施設ではいつも、牛乳と動物ビスケットで。文句言ったらダメだけど、スナック菓子も食べたかったから、あの時、トオルくんにお菓子貰った時、すごく嬉しかったんだ」


そうだったんだ、そんなに喜んでくれてたんだ。


そう嬉しく思う反面、そうだよな、お菓子やジュースにつられたんだよなって、思って。


嫌な俺だな、おい。

自己嫌悪。


「そっか」


俺はにこっと微笑むと、コーヒーカップを手にして、美しい曲線を描いているその取っ手を見つめた。


「トオルくん、私、自由になった」


ああ、そうだな。


暴力を振るう母親はもうどこかへ行ってしまった。


それにもう直ぐ大人になる。


君は自由だ、自由のはずだ。


「自由になったから、トオルくん、わ、私と、付き合ってもらえませんか?」


時間が止まったように感じた。

俺は、顔を上げた。


俺は今、自分の身に何が起こっているのか、きちんと頭で把握できなかった。


言っている意味が分からない、というような。

今、なんて言った?


それに俺は今、どんな顔をしている?


「え、と、あの」


「へ、返事はまた次の時でも良いから。だ、だめなら諦めるし」


千沙ちゃんはそれだけ言うと、変な顔をしたまま、アイスココアのホイップをがつがつと食べ始めた。


口の縁にクリームがちょこっと付いている。


「か、かき混ぜないの?」


俺はそんなバカなことしか訊けず、その場で固まってしまった。


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