光
チサちゃんと別れた俺は、哀しみに打ちひしがれながらも、毎日を地道に生きた。
真っ当な、誰にでも胸を張れる仕事をして。
そして、チサちゃんと約束した通り、力はこれっぽっちも使わずに日々過ごした。
時々仕事の帰りとか、電車に乗り遅れそうになった時、俺は力を使って移動してしまいたいなどと、思ったりもした。
けれど、目の前で見送ったのが、例えその日の最終の電車だったとしても、だ。
俺は、直ぐにそんなちょっとした運の悪さも、心の持ちようで良い方向に考えることができるようになり、直ぐに満たされた。
今までとはまるで違う生き方。
俺の中に、大切な存在があるからこそ、それが出来る。
アルバイトをしながら、正社員の面接を受け続け、ようやく受かった会社でデスクワークに勤しむ。
そして、その労働の対価として手に入れた給料の一部を、俺はある施設に寄付をしていた。
そう、俺はついにチサちゃんの居る施設を突き止め、年に二度、金を持って寄付に行っていた。
お前、今度はストーカーか、そんな声が聞こえてくるようだ。
まあ、そうだな、それは否定できない。
匿名の寄付だから、施設長やそこで働くスタッフしか、俺のことは知らない。
そこで、チサちゃんの本名が、伊東千沙だと知った。
母親が千沙ちゃんを殴るのは、この施設に入れる為だという。
子どもを手放したい一心で、殴る。
俺はやり切れない気持ちになった。
そんなことが、あって良いのか。
じゃあ、親って何の為に存在してるんだ。
あの時。
母親が千沙ちゃんを何度も叩いた時。
俺もあのふざけた母親を殴ってやれば良かった。
そう思い返して、苦く笑う。
そうだ、あの時の俺には、そんなことはできなかったんだ。
俺が巻き上げた金を元に、被害届を出していた奴がいたかも知れないから、通報なんてしたら逆にこっちが捕まっちまう。
千沙ちゃんは、そんな俺を助けようとしてくれた。
警察に捕まらないようにと、あんなに小さな手で守ってくれた。
俺もそんな汚い大人の中では同じ穴のムジナか、あの母親と変わんねえな、そう思うと、施設を離れる時の足取りも重く感じられた。
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それなりの寄付を続けた俺に、クリスマス会のサンタになって欲しいと話があったのは、千沙ちゃんが六年生になった年の十一月だった。
今までは、寄付を持参した時に、遠くの施設長室から、その姿を認めるだけだった。
それでも、少しずつでも成長している。
俺はそれだけで、嬉しかったし、満足していた。
俺が持っていく寄付金はこの時期、毎年クリスマス会のプレゼントになっていたらしい。
いつもは施設長がサンタになるのだが、その正体も直ぐにバレてしまって、興ざめな雰囲気になってしまうということだった。
「それにねえ、私も一緒に会を楽しみたい、そんな気持ちもあって。あはは、あんたには悪いんだけどねえ」
俺は頭を掻きながら笑う、施設長の言葉に苦笑しながらも、この手で千沙ちゃんに直接プレゼントを渡せる、そう思うと嬉しくなって、俺はやりますと即答していた。
クリスマス会の、ちょっとしたチラシを渡される。
土曜日の開催だから、仕事は休まずに済むようだ。
けれどもし、それが平日だったとしても、会社の皆んなにひんしゅくを買ってでも有給を取って、行ったに違いないのだが。
プレゼントはこちらで用意しますからと言われ、施設を出る。
クリスマスと言っても、彼女のいない俺は、特に何をするイベントでもなく、毎年手持ち無沙汰にして過ごしていたから、今年はいつもと違うクリスマスになりそうで、単純に嬉しかった。
彼女が居ないのは、俺の名誉のためにもはっきり言うが、決してモテない訳でなく、会社でも何度か女子から誘われたり、コンパやろうと声を掛けて貰ったりしているけれど、俺の心の中は千沙ちゃんの存在が大きく占めていて、いつも何かと理由をつけては断っているだけだからな。
言いたい事は分かる、でもロリコンじゃねえぞ、と一応は否定したい。
一応は、と付けるあたり、その辺は少し曖昧にさせておきたい部分ではあるがな。
クリスマス会当日は、雪は降らなかった。
実は俺は、施設が用意するプレゼントとは別に、個人的なものを用意していた。
千沙ちゃんが好きだと言ったスナック菓子と、俺が好きでいつも買っているチョコレート菓子を、可愛いピンクの袋に入れてリボンを結んで。
高学年にでもなりゃ、こんな菓子なんて喜ばねえだろ、そうは分かってはいたが用意してしまったんだから仕方がねえ。
そんな風にプレゼントの事で頭を一杯にしていたから、重要な部分に気付いていなかった。
当日の朝になり、そこでようやく、はたと気がつく。
他のプレゼントと紛れさせて、千沙ちゃんに直接渡すつもりでいたけれど、よく考えたら、このプレゼントの中身を見れば、トオルくんからだと分かってしまうじゃねえか。
って事は単純に、サンタ→トオル、だろ。
もう六年生だし、サンタが周りの大人がやってるって知っているとは思うけど、俺はいつも千沙ちゃんの前に姿を見せてはおらず、寄付も匿名でしていた訳だから、それはまずいだろうという考えに至った。
千沙ちゃんに直接会うのは、千沙ちゃんが自由を手に入れてからだ。
カバンから出すつもりはなかったけれど、一応俺がトオルと気付いたら渡そうと思って、プレゼントを忍ばせておいた。
サンタに化けてから、教室に入る。
子供たちが精一杯飾り付けをした、きらびやかな扉をくぐると、そわそわとした子供たちの中、そこに千沙ちゃんは居た。
前に立つ低学年の肩に両手を掛けて、サンタさん来たよと囁いている。
少し大人の要素が加わり、小さい子に対して良いお姉ちゃんみたいな仕草をしたりしていた。
俺は単純に嬉しかった。
元気にしている、それをこの目で確かめられて。
施設長に促されて、教室の奥へと向かう。
「ほうっほっほっほ、良い子にしていたかい?」
そう言うと、自分で言ったにもかかわらず、俺は馬鹿かと涙が出そうになった。
だってそうだろう、この子達に向かって良い子にしてたか訊くなんてな。
けれど、そんな事はお構いなしに、わーっと寄ってきて、僕ねえ良い子にしてたあ、と服を引っ張る。
白ひげをかばいながら、俺は分かった、分かったと言って、プレゼントの入った袋を開ける。
一つずつ、一つずつ配る。
貰った子は、わーいと言って、離れていった。
俺はプレゼントを配りながら、千沙ちゃんをチラチラと見ていた。
本当に、大きくなった。
相変わらず、美人さんだ。
最後の一つになって、千沙ちゃんが取りに来る。
プレゼントを受け取ると、
「ありがとう」
はにかんで言う、笑顔が眩しかった。
あの頃と変わらない、あどけない笑い顔。
母親に叩かれても叩かれても、この笑顔を自分自身で守ってきた。
この笑顔で、馬鹿でだらしなく、どうしようもなかった俺も救われたんだ。
白ひげを直して、教室から出る。
帰り道は、涙が出て仕方がなかった。
カバンにはプレゼントが入ったままだったけれど、俺は十分満足だった。
そう、十分だったんだ。