海面に生きる恋心
これがヘルメスの言う得策だと言うのなら大きな間違いである。
「なぁ、ヘルメス」
「なんすか東郷さん」
ヘルメスを呼んだのは先程から一緒に行動を共にしている東郷だった。だが、東郷は目の前で起こっていることにただただ疑問を抱いていた。
「お前さっきさ、いい案あるって言ってたよな? もしかしてだけどこれじゃ......ないよな?」
先程のヘルメス自信満々な発言を聞いてから五分程経っただろうか。この五分間で進んだ距離は然程長い距離ではない。
「え? これっすけど。多分っすけどこれ以上の案無いっす」
「どう考えても他にもっといい案あっただろ!?」
こういい放った東郷の視線に居たのは珍しく大人しいヘルメスだった。先程の居た所からしばらく歩いたところにある岩場の上に乗っていたのだ。
「じゃあなんすか、東郷さんは他にあるんすか?」
今までこちらを向かずに喋っていたヘルメスは少しふてくされてこちらを振り返る。
「ーーーーない」
「ほーら無いじゃないっか! やっぱり私の案しか無いみたいっすね東郷さん」
勝ち誇ったようにニヤけるヘルメス。それに対しあのヘルメスに負けたという絶望感と忸怩たる思いで下唇を軽く噛む東郷。この二人の立ち位置が現在の位置関係をそのまま表しているようにも見えた東郷は余計に悔しくなったのか右手には握り拳が出来ていた。
「それでお前のその作戦に意味はあんのか? さっきからずっとそこに座ってるだけじゃないか」
事実を突き付け形勢逆転を狙う東郷だったが何が起こるか分からないミラクルメーカーのヘルメスに通じることは何も無かった。
「あっれれぇーん? 東郷さん、これ見えるっすかぁ? ちょっと私、今ちょっと目霞んでよく見えないんで状況ちょっと教えてくれないっすか?」
「すまねぇ生憎俺も目が霞んでよくみえ......」
「あ、そうっすかじゃあいいっす」
遮るように入ってきたヘルメスはかなりあっさりと冗談を受け入れる。それを不思議に思ったのか閉じていた目を開くとそこに居たのはーーーー
「悪い子にはお仕置きっす」
たかが一秒程度で十メートルの距離を詰めるなどどの世界にいるだろうか。そんな狂人じみたヘルメスの右手にはハサミを二つ持ち合わせる甲殻類がいる。その甲殻類、則ち蟹を鼻の下の方へ、
「いたっ、いだだだだだだだだ! わかっ、分かったお前の案に乗るから、頼む」
蟹の挟む力に屈した東郷は現状の立ち位置に抗うのを辞め従うことに決意を固めた。その為、蟹は鼻の下から居なくなり、重苦からは解放されたがそれと同時に訪れたのはーーーー
ーーーーぶえっくしょぉん!!!
へっくしょぉん!!!
「なぁヘルメス、俺風邪引いたかもしんねぇ」
「東郷さん。私もっすよ。早く見つけ出して帰りてぇっす。あ、またゴキブリっすよ」
ーーーー東郷は噴き出すように出てくる汗のせいで全身土まみれになってしまったという。
そんな茶番が覚めた後にこの作業を炎天下の中、水分も食料も取らずに五時間程続け夕日は地平線へと消えて姿を隠し始める所である。既に肉体は悲鳴をあげていた。腰を軽く落として蟹を捕まえる作業はスクワットに成り下がり、海に逃げられ泳いで捕まえるまでに肺活量を上昇させ、ヘルメスに弄ばれ砂浜に打ち付けられてから起き上がるまでに腹筋を鍛えさせられたりと、普段から鍛えている東郷でも疲労などという概念は既に超越していた。
「ヘルメスもう無理だ......」
今までこう発してこなかった事自体が凄まじい事であり常人なら致死を要される。それを聞いたヘルメスは何か言いたげな顔をしながら南国的な木の下に座り込んだ東郷の死にかけている双眸に目を向ける。
「そうぽっいすっねぇ。今日はもう諦めるっす」
然しもの、ヘルメスも今回ばかりは東郷に続行は求めずに東郷の気持ちを汲み取り作業は一旦跡切れを挟むことになる。それを聞いた東郷は硬化していた全身から力が抜け、頬には心做しか余裕が生まれていた。
「じゃあいつらのとこ戻るか。......いっっっってぇ!」
疲労が恢復した、などということは恵の回復魔法以外に考えにくく、今、恵のいないここではその様な事は皆無である。気持ち的に余裕が出来た反面、痛覚は痛みを認識した瞬時に忘れていた本来の痛みを何倍にもして全身に伝える。そして、立ち上がりかけた東郷は再び地に腰を落とす。
「大丈夫すか!? ここでいいんじゃないっすか」
「......皆が困るだろ。それにもし見つかってたらあいつら危ないかも知んないだろ? 何かとあいつらネジ外れてるからな。このメンバーの中じゃ俺が一番まともな気がするしな。とりあえず何かあってからじゃ遅いだろ?」
死んだ双眸から感じるのは仲間思いなこの暑さにも負けぬ熱い思いであった。この一言はヘルメスの考え方に強い何かを働き掛けた。
「......」
ヘルメスは何を思うのか口を一文字に結んでしまう。今、彼女から感じ取れるのは頬を赤く染める微熱だけである。
「......ヘルメス? どうした黙り込んで」
朦朧とする意識の中で視界を歪ませることなく直視することは大分きついが目を細めながら必死に耐える。
「......なおさらっすよ」
ヘルメスは知っている。この男と同じ目をした人物を。
東郷はまだ知らない。この心臓を紐に結ばれる様なキュッとする感覚と花が開花するようにゆっくりと全身に広がっていく温もりが恋だということに。
そして唐突に風が吹いた。その風はヘルメスの長髪を靡かせ、左目に溜まった大きな一粒の泪を落とし現れた美しい顔に笑顔を咲かせ、その美しさを極致まで連れていく。それを視線を漂わせる事なく見つめていた東郷はその笑顔に強い何かを働き掛けられた。
その東郷から感じられるのは溜め込んだ外部からの熱と内部から沸き上がる微々たる熱であった。
「......それも悪くないかも知れない」
これまで変えることの無かった視点を夕日に染まる海に変える。
「......そうっすね」
と、ヘルメスは東郷とは逆方向を向く。
「とりあえずもう日も沈む、火を起こさねぇと話にならねぇ」
「そうっぽいすねぇ......じゃ東郷さんはここで大人しく寝ててくださいっす、木集めてくるんで」
そう言って、ヘルメスは歩き始め近くの木々を拾い始める。それを見ていた東郷は着実に好意を抱き始めていた。
「あいつってあんな奴だったけ......」
そう考え出した矢先、今までの疲労は烈々たる睡眠欲へと変わり体の力が抜け死んだように眠りについた。その顔は何故か頬に赤みがさしていた。
ありがとうごさいます。短くなってしまいましたが楽しんでいただけたら嬉しいです。現在これを含んだ二つの作品を同時進行で書かせていただいてるので更新今までよりも遅くなってしまうかもです。すみませんm(_ _)m よろしければもうひとつの作品読んでみてくださいね。(まだ一話なのですが......)




