【第一章】 銀髪の天使
~第一章~ 銀髪の天使
「サトジュン、チョー遅っせー。置いてくぞ」
学校の廊下、俺の前を走るクラスメートの堀口が、得意げに振り返って挑発してきた。
こいつヘタレのくせに陸上部だから足だけは速いんだよな。
「なんだよ。骨折している可哀想な俺を見捨てる気か?」
一応、リアクションはか弱い感じで答えてみたが、
「同情を引こうとしてもダメだね。もう治ってんだろ。仮病使うやつに容赦はしない」
と言い残し、さらにスピードを上げて階段を降りていってしまった。
チッ、やっぱり無駄か。だったら、つべこべ言わずさっさと行けちゅうんだよ。
俺は仕方なく開けられた差をつめるため、残りの階段を一気に『4段飛ばし』で踊り場に着地、後を追う。
まあ、急いで講堂に行くためには多少の無理は仕方ない。
「おい、サトジュン。ヤバくないのか?骨折してんのにそんな風に飛んだりして、また悪化するんじゃね?」
後ろから追従しているサッカー部の石塚が、俺の無茶な行為を見て聞いてきた。
石塚は武骨な外見をしているが(体も顔も)、気が優しい良い奴だ。どうやら真面目に心配してくれている。
でもマジでそういう事を聞かれても、真面目に答えるのは恥ずかしいのでちょっと困る。
「まあ、急いでるときには仕方ないじゃん。今日は、特別だから無理もするさ」
と、なんとなく誤魔化し、次の階段も4段飛ばしで着地して見せた。
・・・でもまあ、普通一般に考えると骨折している人間が、こんな風に飛び降りたり、全力疾走するなんていうのは無茶な行為なのは確かだ。
だけど骨折したのはもう半年も前。
今は骨折した右足をかまわずガンガン使っているけど全然なんともない。
だから階段を4段跳びしたって、びくともしない。・・・余裕で平気?
・・・うん?たぶん大丈夫でしょ。・・・そう、なんとも無い。
・・・何も起きない・・・起きないよな・・・?
するとそれを見ていた掘口のバカが、スピードを落とし階段の踊り場で俺たちを待ちながら、
「石塚!サトジュンのは仮病だぜ。チョー嘘つきだから、騙されるなよ」
と、わざわざ言いにくる。
「何してんだ堀口。俺たちは急いで講堂に行くんだろ?普通、陸上部員が怪我人に抜かれるなんて恥なんじゃない?」
俺はそんな掘口を抜き去り、階段を一気に駆け降りた。
「石塚はチョー純情。ほらね。奴は仮病だ。同情引いて出し抜く。騙されてんだよ」
と、むやみに石塚をあおる。
「ムムムム。ヤバいじゃないか、サトジュンの卑怯者・・・」
せっかく心配してくれていた石塚に、後ろから罵られてしまった。
いったい何がしたいんだ堀口。これがおまえのギャグか?理解に苦しむぞ。
3月某日、高校1年最後の終業式の今日。俺は進路指導室に拉致された。
進学か?就職か?まだそれすらも決めてなかったので、進路希望の用紙を白紙で出したのは確かにまずかったかもしれない。
しかしほんと担任の田代先生には参った。
真面目なのか?いじわるをしているのか?いったい、何なんだ奴は?
今日は、学校的にも凄く大事なイベントがある日だと判っているはずなのに、わざわざこんな日に呼び出して、説教するというのは、いかがなもんでしょう?
しかも、用紙を忘れて無提出という、どうしよもないバカな堀口や石塚も捕まえてきて、一緒に説教を始めてくれるもんだから、俺への説教は何故か3倍に膨れ上がり、膨大な時間を費やしてしまった。
結局、3階の進路指導室から1階の校舎から離れている講堂まで、全力疾走しなければならないという苦しい状況に追い込まれている。
「大事なイベントあるの判ってんだから、説教なんてチョー勘弁」
「堀口、それは普通。用紙を忘れたお前が悪い」
「忘れたものをグチグチ言っても遅いよ。説教なんかチョー無駄なんだよね」
どうやら堀口はまったく反省してないようだ。
「俺はちゃんと出したのに、おまえらのように忘れてきた奴らと一緒にしないで欲しいね」
「でもサトジュン。白紙で出したんだろ?俺たちとチョー同じじゃん」
「違う。全く違う。俺は決まってないから白紙で出しただけで、根本が違うぞ。普通、高校1年が終わったばっかで大学受験なんか考えられるワケないだろ。だから白紙で出したわけで・・・じゃあ、お前らはどうなんだよ?進路、もう決めてんの?」
「俺はJリーガーになる」
と、石塚が子供みたいなことを言いだした。
「Jリーガー?まだそんな夢見てんの?いい加減自分の実力考えれば、普通、もう無理ってわかるでしょ。それで堀口は?」
「俺は社長」
「へ?」
堀口はもっと子供の・・・そう、幼稚園児並みのことを言い出した。
「なんの?」
「金持ちの社長」
俺は走りながら、笑い転げそうになった。
「なんだそりゃ。本当に堀口は馬鹿だ」
「ヤバいね。バカもここまで来ると本物だ」
「石塚、おまえまで言う?チョー判ってないね俺の真の実力を」
実力?真の実力ってなんだ?
「そんなことより、ヤバいぞ。発表の時間って何時だ?」
走りながら腕時計を見た石塚が気付く。
「チョー、まずって感じ?」
「いやそんなにすぐに進まないでしょ。普通、間に合うでしょ」
走りながらそう答えたが、向かっている講堂から男子生徒がマイクで喋る声が聞こえてきた。
この間の抜けたソプラノ声は、間違いなく司会進行を務める生徒会長の声に違いない。
そして観客たちの拍手と歓声も聞こえてくるではないか。
「あ、ヤバい。もう結構盛り上がってるぞ」
「早くしないと終わっちゃう。チョー急げ」
すると、いとも簡単に堀口と石塚が、俺の脇を抜けて、前に出ていく。2人とも部活で鍛えているだけあって、さすがに本気を出されると俺の懸命の走りなんか、足元にもおよばない。
「ひどいぞ。俺を置いてきぼりにするのか。普通、優しさといたわりで、障害者を待ってくれるもんだろ」
「悪いなサトジュン。ヤバいから先に行かしてもらう」
「チョー加速モード」
そう言うと、すぐさまもう一段スピードを上げて石塚と堀口はダッシュを始める。
「ずるい。待って。置いてかないでくれ」
ここは東京。
東京と言っても江戸川区で、東京のはずれに位置しており、ほとんど千葉といってもいいくらいで、区内は比較的住宅が多い。そのため特に話題性もなく、なんとなく影が薄い区だ。
唯一ある施設というと競艇場だ。競艇といえばギャンブル場。
高校生の俺たちが、遊べる施設じゃないのでどうでもいいのだけど、競艇場のおかげで、他の区と比べ物にならないほど、税金が安く、区で運営する色々な施設が充実し、公園やグランドの数が異常に多い不思議な区になっている。
その江戸川区西葛西にあるのが我が母校、私立・銀杏山学園高等学校。ここは進学校ではなく、かといって運動が強く都大会常連校でもない。
やはり江戸川区のカラーと同じように、影の薄い学校で、地元民が「あそこでいいんじゃない?」と言って入ってくる庶民的な高校。本当に特色が無い。
そこそこ頭良くて、そこそこ運動が出来て、そこそこの生徒がなんとなく集まっている所なので、それを納得するそこそこ中流の人間たちが進学してくるのが、我が『銀杏山学園高校』ということだ。
だがしかし、住めば都というように影が薄いこの高校でも、ここなりに楽しいことがある。それが行事というかイベントの数々で、それが他ではあまり聞かないユニークなイベントばかり。
まあイベントは、単なるイベントなので別になんだと誇れるものではないけど、他の高校ではやらないようなバカバカしいイベントをうちは学校自体が推進している変わった学校。
いくつか例で挙げると、まず『ハロウィンの仮装授業』
これはどんなものかというと、全校生徒や教師、みんな仮装して登校し、授業を受けなさいというイベントになっている。
授業を受けるといっても、全員、仮装しているわけなので、隣に座った生徒が、はたしていつもの生徒かどうか判別つかなくなるわけで、学年は勿論、同じクラスメートであっても誰だか判らくなってしまう。つまりは、どの教室にでも出入り自由で勝手に往来できるということ。
学校生徒の全部がシャッフル状態になっており、隣のクラスやその他2年や3年の生徒が1年の教室にいて授業を受けてみたり、その逆もありのなんでもあり状態。
だから今まで知らなかった人間と喋れたりする出会いのきっかけになったりするわけで、当然、見知らぬ男女が出会い、恋が生まれたりして、このイベントがきっかけで付き合いだす生徒がいっぱい出来る素敵なイベント。
それから運動系イベントでは、荒川の土手を走って参拝する『荒川神社奉納マラソン』
なんで神社にマラソンを奉納するのか、まったくといっていいほど関連性がわからないのだが、とにかく上位入賞者たち数人は、神社にマラソンの成績を書いた賞状を納めにいかなくてはならない。
そしてそのまま、そこの巫女や神主を数日アルバイトととしてやらされることになるのだが、これがなかなか美味しいバイト料。みんなが喜ぶご褒美となっている。
そのうえ巫女や神主のコスプレが味わえて、別の意味でも楽しいイベントだ。
他にも訳の分からない不思議なイベントが多いのだけれど、そんなイベントの中で生徒たちがもっとも関心を持っているもの。
それが、今日行われている『ミス銀杏山学園コンテスト大会』
生徒たちが1年間、心待ちにしているイベントなのだ。
我が銀杏山学園学校は創立より30年経つが、その間、延々と引き継がれてきた由緒正しき行事で、年に一度、終業式を終えたこの日、学校中で一番の美人を決め、その女生徒を『来年の女王』と決めて、崇め、褒め称えようというもの。
まあ名前が「ミスコン」なので、なんかチョロく感じるが、この『ミス銀杏山』でグランプリを取った生徒は、新学期からクィーンとして1年間学校の顔となり、学校内・外を問わずプレゼンテーター、コメンテーターを一任してもらえる役職に就く。つまり学校行事の全てを託される最高権威の地位が貰えるのである。
クィーンは教師や生徒会よりも権力があるらしく、各種イベントのスケジュールや内容も『ミス銀杏山』にお伺いを立てて進めるらしい。
そう、コンテストのクィーンが学校全体の女王様になれてしまうのだ。
その上、過去このグランプリを取った女生徒は、後に社長婦人になったり、政治家の奥さんになったり、玉の輿に乗れるという伝説もある。(まあ社長婦人や政治家の奥さんが、素晴らしいかどうかは疑問だが)
そんなことで選ばれる選ばれないに関係なく、女生徒も興味深々で注目しているイベントで、この『ミス銀杏山コンテスト』というのは、この学校に入学した全ての生徒にとって、一番大事なイベントなのだ。
渡り廊下を駆け抜け、俺たちは講堂に辿りついたが、すでに入り口は閉められていた。
講堂の横にある唯一開いてるドアが出入り口なのだが、そこに生徒が溢れて、中をうかがうように人垣が出来ている。
「ヤバい。人が溢れてるぞ」
「チョー混雑してる」
堀口と石塚は、その横の出入り口から、さも関係者のごとくに生徒たちをかき分けて、押しこむ様に突入して行った。
「ここを突っ込むのかよ。普通じゃねえな」
2人から少し遅れた俺もフルブースト、フル加速で走りこむ。
満員の所に無理やりに入るので、みんなに嫌な顔をされながらも、なんとか入れて講堂の中で2人に追い着いた。
開始時間はとうに過ぎていたが、ラッキーな事にまだ始まったばかりのようだ。
まあきっと生徒会長のどうでもいいジョークで、進行時間が押しているのだろうと思うが、そのおかげで、このイベントで一番の『発表』場面に、俺たちもなんとか間に合うことが出来た。
「何だよ。結構、異常な状態に陥ってるな」
中に入ると講堂内も生徒たちでごった返していて、前の方は、さながら満員電車のようになっている。
主催の生徒会は、とくに席など用意してないので講堂そのものがカオス状態になっていて、生徒達は出来るだけ前の方に集まり、壇のフチに男子生徒がびっしり貼りついている。
そこはまるでアイドルのコンサートと見間違えるような熱気を放出しており、檀上にいるエントリーされた女生徒たちに向かって萌え的なオーラを送り続けている。
「みんなチェックはオッケーかい?色白の2年C組の橋本京子ちゃんに拍手。・・・続きまして、・・・ヘイ、みんなアテンションはしているかい?目を離しちゃだめだよ」
と、長く聞いてるとイライラしてくる軽薄な語りの生徒会長が、次々と壇上の女生徒達を紹介している。
女生徒は自他ともに出願で、毎年20人くらい出馬しており、そこから数日の投票期間を経て集計され、そして今日、美女5人の優秀賞が発表され壇上にあげられる。
そしてその5人の中から最高優秀者『クィーン』が発表されるという段取り。
今、その優秀賞5人が全校生徒たちの送る熱い視線の中、生徒会長に紹介されている。
俺は、今まで他のクラスには興味がなくて知らなかったけど、壇上の候補者が可愛い子揃いなのに驚いた。
「うちの学校って、けっこうレベル高いな」
学校中の生徒に選出されただけあって粒ぞろいだが、それにしてもレベルが高いと思える。もしかしたらテレビで見るアイドルより可愛いかも・・・。
「何を今更、ぶっこいちゃってんの?うちの学校はチョーかわいい子、多いよ」
「ヤバいな一番右の子、ナイスバディじゃねぇ?」
「あ、あの子知ってる。去年のミス銀杏山じゃない?2年連続なんて普通ダメなんじゃないの?」
「そんなことチョー関係ない。可愛ければいいの。可愛ければ何でも許される」
確かに。それに関しては堀口の言うことは、もっともだ。
「おいサトジュン、盛り上がって来たぜ。チョー応援するんだぞ」
早くも堀口、テンションマックス状態に突入。熱気で曇った眼鏡を拭き拭き、上ずって喋る。なんて簡単な奴なんだおまえは。
「普通そんなに早く盛り上がるか?」
すると堀口に釣られ、アホ顔さげて見ていた石塚も太い眉を吊り上げながら喋りだす。
「暗い。ヤバいぞ、サトジュン。もっとテンションあげなきゃ、ヤバいだろ」
石塚も講堂の男子生徒に煽られ、熱気が伝染したようで、紹介に反応するコアなファンの生徒と一緒になって女生徒の受け答えに『オー』と声を張り上げ始める。
なんだよ石塚、お前もかよ。
もう伝染してるのか?パンデミック、怖いね。
生徒会長の紹介は進み、そして最後に紹介されて一歩前に出てきた女生徒。
我々が応援する我がクラス1年B組の委員長である久宝雅夜さん、その人だ。
彼女もその5人の中に選ばれたので入賞は確定。この後、グランプリを誰が取るか大事な発表が行われる。彼女を応援するために俺たちは全力で走ってきたのだ。
久宝さんは、髪の毛を二つに分けてリボンで結んでいるツインテール、細めな顔つきで彫りが深く、目が大きくてちょっと釣り目。典型的な美人顔。
さすがに綺麗だ。
「出た出た。ヤバいよ」
「今日も久宝さん、チョーイケてる」
見上げている堀口がうれしそうに叫ぶ。
それにつられて石塚も吠える。
「ヤベえー。久宝さん勝つよな?サトジュン?」
「普通に勝つんじゃない?」
「普通じゃない。チョー勝つに決まってるだろサトジュン」
・・・・・・情けない会話だ。
堀口も石塚も、2人揃って、もう高校2年生になるというのに、未だに『超』とか『ヤバい』が口癖で、『ヤバい』とか、『チョー』が、セリフに必ずつくなんて、ボキャブラリーの無さに呆れる。
「駄目だよサトジュン。久宝さんが出てんだからチョー応援しろ」
「ヤバいなサトジュン。テンションあげていけ」
「別に普通。普通にアゲアゲだよ。普通だって。頑張れ・・・」
・・・なんて次元の低い会話なんだろう。
2人に呆れるといいながら、俺の口癖は『普通』という言葉だったりする。
こりゃあ堀口や石塚と大差ないボキャブラリーの少なさ。
人の事をとやかく言う資格はない。まったく情けないものである。
さっきから2人に『サトジュン』と呼ばれているが、これが俺のあだ名。
なんのひねりもなく俺の名前が佐藤準一なので、シンプルに名前を詰めただけのもの。
まったくカッコ良くもなんともない。
外見にしても、特筆することもなく、しょうゆ顔でもソース顔でもなく、ごくありふれた10人並みの顔。
身長は、174センチ。これも中肉中背の何処にでもいる体型で、性格は「普段は優しいが怒るときは怒る」なんていうもので本当に普通な感じ。
特別、何が「出来る」訳でもない。その辺の生徒とまったく違わない極普通の男子高校生である。
自分のことながら、何から何まで普通だなぁと思う。
まあ何か自慢はというと、俺も一応はサッカー部なのでリフティングが20回ぐらい出来るということぐらいかな。
「ヤベぇー、やっぱ来てるよ。久宝さんの勝ちだよ」
さらに頭の悪そうな発言を石塚は繰り返しながら、みとれている。
たしかに紹介されている久宝さんの姿を見ると、他の女生徒たちとは違い、物腰や雰囲気に気品が漂う。
今まで彼女をちゃんと見た覚えがないので知らなかったけど、これなら、みんなが騒ぐのも判るというものだ。
「しかし・・・」
その久宝さんが、・・・俺は少々苦手なのだ。なんだか判らないんだけど、怖いのである。
実際クラスメートといっても、あまり喋ったことが無いので彼女がどんな性格なのか、まったく判らない。だけど、見た目・・・
そう生徒会長の受け答えで揺れている久宝さんのツインテール。
あれがどうも俺は気になってしまうのだ。
「あのツインテールのせいか」
前から気になっていたのだが、今まで出会ってきた女子達でツインテールをしていた子たちは、みんな気の強い勝気な子ばかりだった。
どうしてツインテールの子は気が強いのか、・・・・いや、もしかしたら気が強いからツインテールにしているのではないか。
そういえば・・・いつだったか、誰かが言っていた。
『鬼って2本角があるだろ。あれと同じ。ツインテールというのは、2本のアンテナを立てて、私は攻撃しますという宣言。戦線布告なんだよ』
壇上に上げられ、体育館内の何百という男子生徒の視線にさらされて、他の女生徒は、怯えたり、不自然に笑ったり、はに噛んだりしているのだが、我がクラスの久宝雅夜さんだけは、ニコリともせず、怒るでもなく、全く動じてない態度で辺りを見回している。
その神々しいまでに凛々しい態度は、女にしておくのが惜しいほど肝の座った男前っぷりだ。
そんな毅然たる態度をとり、強そうに見える久宝さんに、自分では気づかないが、近寄りがたいものを感じているのだろう。
「雅夜さーん!」
すると突然、石塚のバカが声を上げて叫んだ。
まるでアイドルのコンサートを見に来ているように壇上に向かって手を振っている。
その声に反応して檀上から、久宝さんがさっとこちらに顔を向けて、睨みつけてくる。
そんな冷たい視線と、一瞬目が合う俺。
「怖ぇ―」
凍りつく俺なのだが、堀口と石塚は、何故か喜んでいると感違いしたのか、飛び上がって嬉しそうに手を振る。
バカ、違うって、睨んでるんだって。・・・俺は違いますよ。声出して無いですよ。
と言ったところで、壇上まで聞こえるわけが無い。仲間にみなされるのが嫌で少し隠れてみるが、まだ睨んでいる。やっぱ、怖いな。
「やっぱりツインテールの女は、鬼なのかも知れない」
あらためて、その言葉に納得する自分がいる。
生徒会長のエントリー生徒の紹介が終わると、照明が変わった。
下手な演出が入り、講堂は何やら緊張感が増してくる。
そろそろ進行は発表に近づいたらしい。
突然、舞台袖から、何処から運ばれて来たか判らない『封筒』を持った女生徒が来てうやうやしく生徒会長に差し出す。
派手なタキシードを着た生徒会長は重々しくそれを受け取り、そして懐からリボンのついたハサミを、わざとらしく観客に見せるように取り出し封を切ってみせた。
何を勿体つけてんだと、ツッコミを入れたくなるがここが見せ場なのだろう。
勝手にやってくれ。
開封した封筒を頭上に掲げ、自慢するかのように生徒会長が言い放つ。
「今、集計が終わりました。結果はココに書いてあります」
その言葉に反応して『うおー』と講堂に歓声が上がる。
そしてスピーカーからはドラムソロが鳴り始め、空気は緊張ムード。
空気に飲まれて観客は息を詰める。まさに今、発表の時。
自分だけは冷静なつもりでいたが、こりゃあ盛り上がらない訳がない。
イベントごときでこんな恥ずかしい大声を張り上げてる最前列の奴らの気持ちも、なんだか判ってきた。
「発表いたします」
中から紙を引き出すと、生徒会長はそれを開き、マイクで読み上げだした。
「第34回、今年のミス銀杏山学園の受賞者は・・・・・これは凄い。2位をダブルスコアで離して1位が決定しました」
緊張の一瞬。
「今年のミス銀杏山学園グランプリは・・・1年B組、久宝雅夜さんに決まりました!おめでとうございます!」
と、高らかに宣言され、久宝さんは脇にいたアシスタントの女子生徒会の人間に手を引かれて壇上中央に引き出されてきた。
スポットライトに照らされて燦然と輝く久宝さん。
それに同調して、体育館の生徒から地鳴りに似た歓声があがり、拍手が鳴り響く。
俺たちも感動して拍手を送る。
脇から出てきた別の生徒会の女子達に、冠やマントを肩に羽織らされて、次から次へと『ミス銀杏山学園』と書かれたタスキやら、杖を持たされ、女王樣にされていく。
ミス銀杏山クィーン・久宝雅夜の完成である。
そして舞台袖から出てきた写真部からフラッシュを浴びせられて、今年のニュースとして記録されていく。
どよめきと叫びと共に講堂の後ろにいた生徒が、興奮して前に競り出してきたので、前の生徒たちは押されて洗濯機の中みたいグルグル回される。
出口付近の俺達はその反動を受けて流されていく。
そして唯一重力のかからない講堂の外に、もみくちゃにされて吐き出されてしまった。
興奮している堀口と石塚が再び入ろうとしたが、同じように吐き出された人間が、すぐさま取りつき、入り口はもう男子生徒でビッチリ埋ってしまう。
まるで固いコンクリートの壁のように閉ざされてしまい全く入る隙間がない。
「ヤバいよ中に入れない」
「なんだよ。俺たちクラスメートだぜ。チョーむかつく。見せてくれたっていいじゃない」
しかし入り口の男子生徒たちに黙殺される。
中に入ろうとしている背中ばかりで閉じられ、こっち側に開くことはない。
「チョー腹たつんだけど」
「感動の場面が見れただけでも、ラッキーでしょ」
「まあそろそろクラブ活動が始まるから行かなきゃヤバいしな」
一大イベントの大いなる結果を見れたことで良しとして、俺たちは講堂から離れることにした。
「ヤバいね。クラスメイトが、ミス銀杏山学園か」
渡り廊下を歩きながら、俺たちはいつもの現実に戻された。
「チョー、クラスメイトとしては誇らしいけど、どこか他の場所の人になった気がするな」
そうクラスの仲間から、彼女はどこかに飛び立って行ってしまった気がする。
「しかしヤバいよな。久宝さん。この前の全国模試も1位だったよ」
「彼女、この学校の始まって以来のチョー天才で、まだ高校1年生だってのに東大合格確実らしいぜ」
「東大か、いいな。普通行けないよな」
「俺らとは違う。まったく別次元の人間でしょ、ヤバいね」
「その上、ミス銀杏山学園。チョー高嶺の花だな」
久宝雅夜さん。彼女は頭がいい上に美人。全校生徒すべてが認める美貌の持ち主。
これが不公平でなくてなんだというのだろう。
よくテレビのインタビューで見る、幼なじみが犯罪者になって「あんなおとなしい子が、全く信じられません」・・・じゃなくて、
近所の子がアイドルになって「あの時、もっと仲良くしおけば・・・」なんて話と同じで、昔はこうで今ではもう、・・・という、あのさびしい気持ち。
あれと同じ気持ちだろう。
誇らしいがなんか手の届かない存在。彼女はそんなものに成った気がする。
俺達は喧騒が続く講堂から離れ、渡り廊下から校舎に入る。そこでクラブ活動のため堀口は部室棟のある西校舎の方に進む。
骨折して帰宅部になっている俺は教室に戻る階段の方に分かれて行く。
階段を昇っていく俺を見て、石塚が再び声をかけてきた。
「サトジュン。まだ本当にヤバいのか?」
今年の夏休み、都がやってる区域の新人戦の試合で、ドリブル中に足を踏まれ転倒。
右踝の所にヒビが入る骨折して以来、俺は歩く時に折れた右側に傾く感じで身体がしなり、横に少し揺れる。
足を引き摺る程ではないが、明らかに足を負傷してることが判るビッコ歩きになった。
そんな姿を見て石塚が心配して聞いてくる。
「だいぶ良いんだけど、まだ完治してない。部活の方も、その内に出るよ」
真面目に聞いてくれたのが判ったので微妙に濁しておいた。
「夏に、また大会があるから、それまでには直せよ」
そういうとサッカー部の部員である石塚も部室のある西校舎に去っていった。
それを見送り、独り階段を上がりながら俺はため息をついた。
「本当にこっちも知りたいよ・・・どうなってるんだ?おい、俺の足」
実際、もう治ってるいるのではないかと思うのだけど、医者からは完治の宣告がされてないので、未だに治療やリハビリを続行中。ゆえに世間的には「まだ骨折してる」ことになっているだけ。
サッカー部の方は骨折して活動を停止したが、まだ退部届を出してないので、部に籍が残っている。なんだか行きづらくなってしまい退部届を出すのさえ放置してしまっている。
それにこのビッコ。自分では少し恥ずかしい。
仮病とは言わないまでも、得意じゃない種目の時の体育の授業とか、重い物を運ぶ男子の仕事の時とか、なにかと言い訳に都合が好いので、無理して直してないが、人に見られると気になる。特にサッカー部の連中に見られるのは嫌だ。
「さっき掘口に言われたが・・・こういうのは本当に詐欺っていうのかな?・・・でも被害者いないから詐欺にはならないか」
試しに廊下を歩きながら、ちょっと、ビッコを引くのをやめて歩いてみると、やはり癖になっているようで、何だか歩きづらい。
「別に出来るな。ただ、何か違和感がある」
もしかしたら体の歪みとか、腰の負担とか、弊害が起きて、ビッコが止まらないかもしれないが・・・
「でも今は仕方ない。とりあえずこのままか・・・」
誰もいなくなった教室から自分の荷物を持ち帰り、廊下を歩いていると、校庭からクラブ活動を始めた生徒たちの声が聞こえ始める。
見ると堀口や石塚が、ウォーミングアップで、校庭のトラックを走っているが見えた。
元来、スポーツは好きな方なので
「俺はもう半年も出ていないんだな」っと思ったら、少し寂しい気分がした。
玄関の下駄箱から、靴を出し、校舎の校門に向かう。
校門を出ると校舎脇から駅まで伸びている市民緑道の道があり、我が高校・銀杏山学園の生徒たちはそこを利用する。
普段その緑道は、駅から海岸まで出る道で、市民の絶好の散歩コースなのであるが、我が高校のすぐ脇を通るため、登校や下校時間になると、うちの生徒でごった返すことになる。
それが今、『ミスコン』から帰宅する生徒達の下校の波に当たり、駅まで生徒たちで一杯にになっている。
講堂から興奮したまま帰宅する生徒たちは、まるでコンサートやライブから帰るような興奮状態で、熱き意見を交わしながら進んでいるようだ。
さすがに、もう覚めてしまっている自分には、今の生徒の波は、熱過ぎて乗れない。
「ちょっと、一緒に混じって帰る元気はないな」
俺は再びため息をつき、ダラダラとスピードを落として人が減って行くのを待った。
暖冬というのか、今年は春が早い。
まだ3月15日なのに、もう桜が咲いている。
今年卒業の3年生たちは、桜に見送られてとても良い思い出になっただろう。
4月からは俺たちは高校2年生。
1年生は、学校に慣れること、クラブ活動や友人を作ることでなんだかあっという間に過ぎてしまった。
でもこれから2年になれば、恋に友情に、青春を満喫出来るのではないか?
・・・なんて淡い希望を持って進みたいのだが、なんだかもう進学の足音が聞こえている。
『時間がないぞ。待ったなしだ』と教師は俺たちの尻を叩くが、全く実感が湧かない。
だってまだ高校2年生なんだもの。将来の事など考えもつかない。
石塚も言っていたが『将来の夢はサッカー選手』
俺も子供の頃は、漠然とそんな方向に進んでいたが、年を重ね周りを知るようになると、自分よりうまい奴がゴマンといることが判り、そしてそれよりも、もっとうまい奴が、ジュウマンと居ること知る。
あんなに大きくキラキラと輝いていた夢もどっかに消えてしまう。
知識や経験を得て自分を知り、『何処でも何にでもなれる未来』は、年を取るごとに小さくなって縮んでいき、『自分は天才』じゃなかったことが判明する。
そして骨折から半年、もう前のように走れなくなってしまった自分。
テクニックも体力も先に行ってしまった仲間たち。この半年のブランクはきつい。
追いつけない今となっては、もうサッカーの魅力さえも消えて無くなってしまった。
「挫折というやつかな。なにかそんなものかも知れない」
自分を悲観してるだけなのは、わかっている。でも何もやる気が起きないんだ。
俺は、橋の途中で進むのやめて立ち止まって、後ろから来た下校する生徒をやり過ごす。
人が居なくなったのを見計らい、ゆっくりと歩きだす。
「立ち止まっていると、後から来たやつにも追い抜かれる。さぼっていれば、追いつくことさえ出来なくなる」
頭で判っていても、体が動かない。
『夢は捨てる。目標を持たない。なんとなく今の周りと、合わせて過ごす』
それでなんとかなってる気がする。
「そう、なんとか成る。声を潜めて生きていれば」
やりたいことも無い。出来ることも無い。楽しく笑っていれば、生きては行ける。
「高2病?」それってどんな症状?何していいかまったく判らない。
将来が判らず。俺はどうすればいいのか悩んでいる。いや悩んでいることに悩んでいる。
またため息が出た。
「結局、俺って普通なんだよな」
緑の茂る遊歩道を抜けて、大きな幹線道路を渡ると商店が並ぶ活気のある地帯に入った。もうそこは駅のエリア。
信号を渡り、最初の角の曲がった所に100円コンビニがある。
そのコンビニは、サツマイモを焼いて石焼イモにして販売しているのだが、その石焼イモが半端じゃない。
とても100円とは思えないビッグなサイズで、絶えず空腹でいる育ち盛りの高校生には、ありがたい味方。
最初に知った銀杏山生徒は、誰にも内緒で密かに食べていたのだが、おいしい話はすぐ広まる。あっという間に部活生徒に評判になり、そして一般生徒も知ることになった。
最近は男子のみならず女子生徒まで争奪戦に加わるようになり、絶えず売り切れ状態。あったらラッキーのレア商品になってしまっていた。
しかし今日は腹を減らしたクラブ活動の奴らより早く、夕飯まで間がある帰宅なので、悠々にゲットできた。
「感激。石焼イモとコーラ。最高の組み合わせだ。これを一気食い」
今日は終業式だったので教科書を入れた鞄など持つ必要もなく、数冊の参考書のみをブックバンドで綴じて持って帰ってきた。
ちょっと分厚いがその参考書類を制服の中のズボンのベルトに突っ込んで挟み、準備はオーケー。
右手に焼き芋、左手にコーラ、両手でしっかり握りしめた。
まずは焼き芋を口に詰め込み、次にコーラで潤す。再び焼き芋、コーラと乱れ食い。
満喫です。至福のとき。
こうやって駅改札まで、楽しく歩き食いをして帰るのが、最近の俺の一番の幸せごと。
西葛西駅というのは、駅を挟んで東西にアーケードがあり、店舗が並ぶ。ほとんど食事店舗なので高校生には縁がない。
だいたいの生徒は、脇にあるゲームセンターの横の道を進み、駅へと出るコースを通る。
俺もそのルートで焼き芋とコーラを食べながら駅前交差点につくと、いつもと違う変わったものが目に入った。
それは『天使』で、駅の方の横断歩道の向かい側に立っていた。
「天使だ。人形?何かの催し物か?」
身長130~35センチ位の天使は、初めは白髪のなにかの人形かと思った。
白の縁取りに淡く赤いビロードのようなケープとスカート。長めのタイツに裁縫が施された靴。古いヨーロッパ貴族の衣装に身を包み、(ゴスロリに似ているが、あんなに刺繍はない)
周りにそぐわず、まるで浮いているように立っていた。
何かのイベントで置いてあるにしては横断歩道の真ん中に邪魔だなと思ったが、近づいていくとそれは人形ではなく外国人の少女だということが判ってきた。
白髪と思ったのが銀髪。微かに吹く風で少女の髪は揺らめき、髪が周りの明かりを反射してキラキラ光っている。
ちゃんと瞬きをしたり、首を動かしたり、本当に生きている女の子であることが判った。
「すげー、初めてみた銀髪。外国人の少女か。可愛い人形のようだ」
芋を食べながら駅に向かって行くと、するとその銀髪の外人の少女は、こちらを見るように首を動かしている。
「お、動いた。生きてるぞ」
よく見ようと思い、彼女のいる正面の横断歩道を渡ろうと考え、そこから駅に入ろうと向かう。
「可愛い。・・・本当に人間なのか?」
横断歩道を渡り近寄っていくと、なんと向こうも、こちらにすい寄る感じでゆっっくりと動き出す。
まるで俺を待っていたかのように横断歩道をこちらに向かってくるではないか。
「?」
どうしたんだろうと見ていると、なんと横断歩道で俺の正面、向かい合わせで40センチぐらい手前で立ち止まる。
「・・・」
そして俺を見上げ、じっと見つめる少女。
「・・・俺?おれに何か用?」
するとその少女は外国人なのに綺麗な日本語を使い、質問してきた。
「貴方、サトウジュンイチよね」
「・・・・」
え?なぜ俺の名前を・・・
「ねえ、貴方は銀杏山学園・1年B組のサトウジュンイチでしょ?」
よどみなくアクセントも完璧な日本語を、綺麗な外国人から聞くと吹き替えのような違和感がある。見とれて一瞬、ボーとしたが、やっと我に返り返事をした。
「そうだけど、何か用かい?」
「なら・・・死んで」
と言って銀髪の少女は手を俺の方に突き出す。
ドス。
という軽い衝撃を腹に受けた。
見ると少女の手がナイフを掴んで、俺の腹に突き立っているのが見えた。
「え?」
「なんで俺の腹にナイフが?」
「あら、防御能力?それを予想して宝剣で刺したのに。・・・シールドかしら?それとも強化皮膚?」
「え、え、え?えー?」
何が起きた?自分の腹にナイフが突き刺さっている。そうだ腹を刺されている。
「うわー。刺された!」
手に持った焼き芋とコーラをその気が狂ってる外国人の少女にぶちまけ、突き飛ばす。
「きゃーっ!」
少女がコーラで目潰しをされてひるんでいる隙に、俺はもと来た方向の商店街のアーケードに逃げ込んだ。
「なんだ?何が起きた!?」
なんだか判らないが身の危険を感じて条件反射で逃げ出し、アーケードの中に入ったのだが、俺の背後で少女が叫ぶ声が聞こえた。
「マルシアお願い!」
俺は逃げ込みながら振り返ってみると、銀髪の少女の後ろから身長180センチはある大女がこちらに向かって走り出すのが見えた。
どこかアーケードの中の角か店に入り隠れようと思っていたが、俺を追っかけてくる大女の足の速さが半端じゃない。
凄まじい勢いで大女がダッシュしてきて、あっという間にすぐ後ろに迫ってきたのが判った。
ダメだ。追いつかれると思った瞬間、サッカーで使う『右に出るフリして左に切り返すフェイント』を試みる。
すると大女はそれにつられ右にステップを踏んだようで、こちらの次の動作『左に移動して反転』に付いてこれず、俺の横を通り過ぎて行った。
「よし、かわした」
最初は背が高いので男かと思っていたが脇を通過する時、なびく髪で女だと判った。外国人はこんな身長の高い女もいるんだなと思いながら見送ると、次の瞬間、自分の目を疑った。
大女が、俺を捕まえようとして伸ばした手が空を切り、俺の奥に止まっていた自転車2台に触れた。その手に触れた途端に、まるで自転車が紙で出来た張子のように、その場所から吹き飛び、空に舞ったからだ。
「・・・・!」
自転車2台は絡み合い20メートルも飛んだだろうか、遠くで派手な音を立ててグチャグチャの塊になって地面に落ちた。
え、何それ?
「・・・なんて力だ。あれに引っ掛けられたら、大怪我・・・いや死ぬぞ、きっと」
車並みの破壊力に血の気がひいた。
俺を通りすぎて店3軒くらいで止まれた大女が振り返る。
褐色の肌、彫りの深い顔、眉は弓型、鼻筋が通り目は大きくそして切れ長、エキゾチックなラテン系の物凄く美人であった。
髪の毛はぼっさぼさで流して肩まであり、俗にいうウルフカット。黒いライダージャケットの前をはだけ、赤いランニングタイプのタンクトップから胸の谷間がはっきりと見える。ウエストが細めなので蜂のようなクビレのある体型のナイスボディ。
大きく躍動するヒップを確認して、グラマラスなグラビアモデル?という体型だと判った。
なんていい女。・・・じゃない。危険な女。
大女は髪の毛をかきあげ、俺を見て微笑む。そしてこちらに向かって人差し指をさす。
ターゲット、ロックオン?それとも逃がさないわよ合図。なんだか判らないが、本気でやばいと思い、今度は駅?とにかく反対方向にアーケードをもどり逃げる。
「何だ、なんで襲ってくるんだ?」
アーケードを走りながら考えるが判らない。・・・俺はあんな大女に襲われる云われはない・・・あれ?大女は?・・・後ろを気にして走っていたが、追ってこないのが判った。
あれっ今度は追ってこない。
と思ったら、通りの外を自分と並走して走ってる大女が見えた。
「あ、しまった。逃げる方向がバレてる」
こちらを追ってきたら、よき場所で、外の並行した道に逃げようかと思っていたが、向こうはそれを見越し、こちらの速度に合わせ、その並行した道を追ってきているのだった。
「なら、このまま駅まで突き抜ける!」
俺はスピードを上げて、向こうが回り込んでくるより早く、アーケード突き抜け、逃げようとスピードを上げたが、それに合わせて向こうはもっとスピード上げたようで、並んで走る姿が消えた。
何か嫌な予感がして急ブレーキをかけてアーケードから出ず、内に何とか踏みとどまると、自分が出ようとしたアーケードの出口を大女が凄い勢いで通過して行くのが見えた。
大女は交差するようにスピードをあげていて、俺が出た所を狩れるように走っていたのだった。
「なんだよ。普通ありえない足の速さ。どんだけ早いんだよ」
と突っ込み入れたくなるが、大女が俺の前を通過する時に伸ばされた手が、お店の商品説明の看板に触れ、その看板が音もなく目の前から消える。
看板が上空に吹っ飛んでいくのを見て絶句した。
「・・・・看板が・・・すげえ、半端ない力」
大女、止まり振りかえる。
今度は笑いもしない。
方向を戻し再びこっちに向かってこようとしている。
「殺される。本当に殺される」
恐怖にかられ、再びアーケードに逃げるしかなかった。
すると今度は自分を追ってアーケードに入ってくる大女。
こちらは店の看板をすり抜けて走るが、向こうは何もないかの如くに看板を弾き飛ばして追ってくる。今度はピッタリと追尾された。
もうサッカーのフェイントは効かないだろうから、そのまま、アーケードを越えて道路へ。
すると大女も付いてきて、狙った通り、道路に飛び出してくれた。
やはりこれも俺の想像した通り、並行しているこの道に、横の道路から、車が曲がって来てくれた。
俺は十分予測していたので横に避けれたが、スピードを増した大女は避けきれずに車の横っ腹にぶつかり止まる。その衝撃はなかなかなもので、フロントガラスが割れ、なんと車が衝撃で横にズレて止まった。
「やったー、・・・スゴいぞー。ボッコリいってる。・・・でもこれって、ヤバいか?」
交通事故。それも俺が巻き込んで起こしたもの。でも俺を殺そうとしてる人間を車にぶつけただけ。正当防衛でしょ、これって?大女が悪いんだよね?
と、検分にと近づこうとしたら、大女が張り付いている車を押し、何事もなかったように道に立ち、こちらをみる。
嘘ー!車は凹んで壊れているぞー!・・・でも大女の方は、なんとも無いの?
「なんで?なんでなんともないの?普通ありえないでしょ!」
俺は再び追われるだろうと予想して逃げながら振り返ると、やはり俺を追尾し追いかけ始めた。
「やばい。人間じゃねえ、俺を殺しに未来から来たロボットようだ」
俺は殺される?殺される。とにかく殺されると思った。逃げなきゃ。
もう何も構わず、道の真ん中を全力疾走。大女も自分を追って走ってくる。
ロータリーを構わず越えて走ると、バスの往来で行方を遮断されそうになる。
俺は構わず無視して、スレスレでバスの前をすり抜け走ると、後ろで大きな衝撃音がした。
走りながら振り返って見ると、大女は俺を追って今度はバスにぶつかったようだ。
そしてバスさえも大女の衝突の衝撃で止っている。
バスはつっこまれた勢いで凹んだが、大女はなんともなく、バスを素手で突きどかす。なんと人間がバスに勝ってしまった。
「これって現実?」
今、目の前で起きている事が信じられない。
しかしバスにぶつかったおかげで大女はこちらを見失ったようだ。見回しているのが見えた。
その隙に、頭を低くして見つからないよう走り、手すりに隠れて駅の階段を上がった。
そして駅の改札を通過してホームに逃げる。
ちょうどホームに電車が来たので、素早く乗ってしゃがんで隠れる。
閉まるドア。動き出す電車。
「逃げ切った?」
外から見えないようにホームをみると、誰もいない。
電車内で、左右を見回し乗ってないのを確認する。
「奴らは・・・いない」
地下鉄が鉄橋を通り荒川を渡ると、なんとか逃げ切っただろうと思った。
そして東西線は南砂から地下に入り、地下鉄になったので、やっと大丈夫だとと安心した。
安心して椅子に座り、前を見ると、俺は自分の腹に突き刺さっているナイフに気が付く。
「あ、これ」
腹のナイフを抜くと参考書が制服の中からずり落ちてくる。
コーラと焼き芋で両手を塞がれたので参考書を制服の下に入れておいた。どうやらそのおかげでナイフは、そこで止まり、俺を守ってくれたようだ。
助かった。参考書、腹に入れていて良かった。
逃げ切ったのも含めて、安心感がどっと押し寄せてきて、体から力が一気に抜けた。
東陽町で電車を降り、少し南砂町の駅に戻る感じの所にある団地が、俺の家。
エレベーターを4階で降り、日照権の問題で南側が波のようにうねった建物の角から2番目が我が家である。
玄関に着き、鍵を開けて中に入る。誰もいない。
いつもは父、母、妹と4人家族なので、この時間には誰かがいるのだけど、春休みを利用して、みんなで母方の田舎に遊びに行ってしまったので誰も居なくなってしまっている。
まあ、こちらはまだ終業式が残っている関係上、東京に1人残り、お留守番ということになっている。
俺はリビングに入り急いでテレビのスイッチを入れてみた。
ニュースを探しチャンネルを合わすがどの局も政治・経済のニュースばかりで先ほど俺が巻き込まれたというか、引き起こした交通事故のニュースがまったく報じられない。
「たかが西葛西のことなんか、やらんのか?・・・いやあれは十分、凄い交通事故だぜ。まあ、車が人間に惹かれるという逆の現象だけど」
ならばよけいテレビでやりそうな不思議ニュースだと思うのだが・・・・だけど、何処もやっていない。おかしい。
「いや、あれはほんとうに有ったことか?夢か?夢じゃなかったか?」
なんて自問してみた。
いやあれは本当だ。本当にあったことだ。
証拠はここにある。ブレザーのポケットにしまったナイフを取り出して確認してみる。
「そう、このナイフだ。そしてブレザーに空いたナイフの穴・・・」
ブレザーにも、刃の幅2センチの縦の切れ目。完全にナイフと一致する。
そして参考書もグッサリ切れていて、これで夢や幻では無いことは証明が出来る。
「でも誰に証明する?・・・警察に届けるか?だが、どう警察に説明する?なんて言えばいいんだろう?」
あいつらは俺を殺しに来た事は確かだ。わざわざ名前まで確認して刺してきたんだから。でも・・・俺が何故殺されなきゃいけない?・・・犯人のあの銀髪の少女は誰?なんで俺を襲ったのか?原因は?そして被害は?
考えてみると、理由も原因も、まったく判らない。
そして被害はと確認すると・・・ブレザーの穴と参考書が切られていることぐらい。
これじゃ警察は相手にしてくれないだろう。
「そうか怪我とかしていたら証拠になっていたけど、無傷じゃ被害届も出せないものな」
・・・人間が車を撥ねる。それも美人の大女がバスを潰す。・・・こんな面白い話はないのだが・・・誰も信じるわけない。
もしかしたら、どこかテレビ局のどっきりカメラだったのかも?じゃあこれってバラエティ番組で放送されたりするのか?
「そうだよね。あんな化け物人間がいるなんて信じられない。何かトリックとかあったんだよきっと。じゃなきゃ、あんなのありえるはずないもの」
それにしてあのボディ。エロい女だったな。そしてあの子、天使のような少女、なんて可愛いかったんだろう。
「・・・・ぐう」
なんか落ち着いてきて、くだらないことを考え始めたら腹が減っているのに気がついた。
「あ、しまった。あんな事があったせいで、スーパーで買物しそこなったじゃん」
外に出て外食とも思ったが、なんだか面倒臭くなってきた。
台所の引き戸をあさってみると、カップラーメンが出て来たので、それで夕食を終わりにすることにした。
封を開いてお湯を入れながら割り箸で蓋を挟む。
制服の穴をあらためて確認する。
「2センチくらいか、この切れ目。・・・まだ学校に用事あんだよな。これ着て行かなきゃいけないんだよな」
縫うか?・・・面倒くさい。
「裏からガムテープを張ればいいや」
そのうち縫うとして、今は応急処置で、ガムテープで抑えることにする。
「まあ、十分、十分。・・・あ、そういえば明日は球技大会じゃん。ジャージ来て学校いけば、制服は必要ないじゃん。とりあえずラッキー」
なんてことを確認しながら、カップ麺が茹で上がるのを待っていた。