子守
辺境の基地とはいえ、普段は、副官や従卒がひっきりなしに訪れるレブ島司令官室もここのところは静かになり、部屋にはレブ島司令、遠藤元がただ黙って座っているだけであった。
遠藤は、大柄な体格に60を過ぎたにしては鍛えられた肉体、今どき、将校では珍しい角刈り頭に鋭い目つき、トレードマークの口髭、水兵として海軍に入って以来、一貫して現場の道を進み、『ヒゲの鬼遠藤』の名前と共に司令まで登り詰めた生粋の海軍軍人だった。
そんな遠藤が機嫌が悪いのだから副官達も従卒も何かと言い訳をつけて司令室を避けていたし、遠藤も遠藤で避けられていたほうが楽とばかり、副官達にわざわざ、細々とした用事を言いつけて、外に出していた。
遠藤の目にレブ島には、暑苦しい第一種軍装を着た二人の姿が見えた。
「あれか。」
第13艦隊創設に伴って、レブ島駐留艦隊の艦艇は二分されることになる。
艦隊司令にとって、艦を盗られることは屈辱だった。新設艦隊とはいえ、駐留戦力は変わらず、エリートの経験値作りじゃないか。まったく、緊張状態が続く南方に、新人を持ってきやがってと遠藤は、机にあった紙を適当に2、3枚クシャクシャに丸めて、思い切りくずかごに投げ入れた。丸まった紙は縁に当たって床に落ちた。
「誰がこんなことを。わしでは役に立たないというのか。」
思わず、独り言が出るが、昔ならいざ知らず、いまさら軍令部に逆らって経歴と僅かな恩給に傷を付けることもないと考えてしまった自分の年に遠藤は淋しく笑った。既に第13艦隊用の艦艇と人員は選抜してあった。
ふと、ドアの外で従卒が多田野の来訪を告げる。
遠藤は短く、入れと言うと髭を整え、軍服の乱れを直した。
ドアが開き、多田野と彰子が司令室に入る。
遠藤は多田野を一目見て、一瞬、伊戸司令と声を上げそうになった。
慌てて先に敬礼しかけた手を不自然にごまかす。
しっかりと撫で付けられた髪に神経質そうな細面の顔、ひだまりのような温かさがある瞳を持ち、美青年というのか、育ちがいいというのか不思議と人に好かれる雰囲気がある。
多田野は遠藤が若いころ艦橋で見た伊戸にそっくりだった。
遠藤は水兵上がりの自分にも親しげに娘の所に孫が生まれたんだと話してくれた若き日の事を懐かしく思い出した。
詳しいことは分からないまでも軍令部での政変は遠藤の耳にも入ってる。
まず、間違いないだろうと遠藤は懐かしさをこらえながら、多田野を見据えた。
多田野が口を開き、型通りの挨拶をする。
「多田野幸隆大佐。本日付けで第13艦隊司令として着任いたしました。ご挨拶に参りました。」
「同じく、第13艦隊旗艦艦長兼作戦参謀として着任致します神城彰子大佐であります。」
遠藤は、伊戸なら出自を聞かれるのは嫌なはずだと思い、あえて、多田野にも若すぎる女性大佐にも触れずに事務的に対応した。
「ご苦労。君たちの艦隊は我が艦隊から提供するようにとのことだ。艦は既に回してある。後で受領書に署名を頼むぞ。少し人員不足であるが、人員はこちらで選抜しておいた。」
遠藤の中でもう怒りはどこかに消えていた。それどころか若き頃の思い出とともに伊戸の孫の子守を最後の仕事にするのもいいと思っていた。
ありがとうございますと若き二人はきれいな敬礼をして出て行くのを晴れがましい気持ちで遠藤は見送り、第13艦隊に補給艦を1隻つけるように追加の命令書を書いた。