そして、今に戻る。
煙に包まれ、瓦礫に埋もれる工場。いや、もと工場か。天井は、猛烈な爆風によって完全に抜け落ち、外壁も原形を留めていない。機械もただの鉄くずとなり、ゴミ山である。もはや工場跡地といった方がいい状況だった。
ガラッ
瓦礫が崩れて真っ赤な髪の男が出てくる。頭にもう角はなかった。
「おい、もういいぞ」
トールが誰ともなく言うと、返事は上から聞こえてきた。
「何がいいんだよ、ったく! あーあーあー、こんな風に滅茶苦茶にして! ボクは知らないよ、反省文と罰金はトール一人で払ってよね」
マルコフは彼が造った土の塔の上で“カルス”を展開していた。カルスは薄く広く展開して工場跡地を包み込む大きさになっている。
マルコフはカルスを手放して下に落ちてきた。カルスはどういう構造になっているのか、手放されても展開され続けている。
腰に手を当てて不機嫌そうに眉をひそめるマルコフに向かってトールは言った。
「…俺らって親友だよな?」
「さっき獲物呼ばわりしたくせに…」
「悪い」
「反省してよね」
「つい本音が」
「殺害予告!?」
「何言ってる。そんなわけないだろ?」
「だよね」
「堂々たる宣言だ」
「尚更たちわるっ!」
「まあ、それはどうでもいいとして…。魔女を取り逃がした」
「どうでもいいって…。ボクの命に大きな危機が現れようとしているんだけど…」
「些細な話だ。
とにかく誰かさんのせいで魔女に逃げられた」
「ボクのせいって言いたいのか。あの時は仕様がなかったじゃないか、カルスを展開しなくちゃ周りの建物や人間に迷惑をかけてたし。それこそ反省文どころの騒ぎじゃなかったよ。クビだよ、クビ。今の世の中不景気だから再就職だって簡単じゃないんだよ」
「その時は大丈夫だ。出来るだけ痛くないように、逝かせてやる」
「そうか、それなら安心。これで何時でも辞められる…。ってダメだダメ。どうして人生のゴールまでしなけりゃいけないんだ」
「っち…」
「決めた。絶対罰金払ってやんねえ!」
「まあ、いい。金ならある」
「どこに?」
「スイス銀行の口座に。口座番号は5124―9632―7365だ」
「あっれー? どうしてボクの銀行口座の番号がー?」
「マリアに聞いた」
「何っ! あのクソアマ…。いつまで昔の事を引きづりやがるんだ」
「あいつは今でもお前の事が好きらしい。よりを戻してやれ」
「ムリムリ。ボク自分より強い女の子はダメなの」
「…まあいい。ともかく魔女を追わなくては」
トールとマルコフはその場から魔女の気配を追うために出発した。
「恵美。そろそろ?」
「うん、時間的にはね」
恵美と愛理は公園の茂みに隠れていた。空はもう薄暗い。冷たい風に身をさらしていた。
「寒いわ」
「寒いねー」
「流石にもう一枚上に着るべきだったかしら」
「もう一枚着れば良かったねー」
「引っ付くわよ」
「引っ付こうねー、ってえっ!?」
愛理は急に体を寄せてきた。彼女の柔かな肩が私の体と密着する。
髪からはいいにおいがした。
どぎまぎして体が硬直する。顔も真っ赤に染まった。
うわわわー! こここいつぁ、願ってもみねー状況だがよ、落ち着けや、私。いくら愛理の顔が近いからって、胸が当たってるからって慌てることはねーべ。落ち着いて傾向と対策を練れば…
「見て、恵美!」
更にぎゅうっと私の体に寄せてきた。腕も私の肩をつかんでる。あーダメだ、思考が停止する。
愛理の胸、やわらけーな。てか体全部ふわふわじゃね。綿菓子みたいな存在なんじゃね…。
「ほら、恵美よ。恵美が歩いてくる」
「べ?」
「あれ、恵美どうしたの。鼻血がだらだらよ」
「びやー、急にべでぎじゃって…」
「取り合えずこれで拭きなさいな」
愛理がポケットからハンカチを取り出して私に渡した。私はハンカチを凝視する。
《こここここれば愛理のハンカチっ! ってことはあれだよね。こいつは愛理の懐の中にいたんだよね。
それが今、私の手のなかに…》
「ハンカチなんかじろじろ見て…どうしたの?」
「び、びや、何でもない…」
ハンカチで拭くと見せ掛けて私は自分のポケットティッシュを取り出して拭いた。都合のいい事に愛理は、歩いてくる過去の私の観察に夢中で気がついていなかった。
好都合…!
「ありがとう、洗って返すね、これ」
「別にいいのに。それぐらい大丈夫よ」
「いや、ダメだよ!!! 私が洗うよ!!! バイ菌ついてるかも知れないでしょっっ!!」
「あ…分かったわ」
《妙にすごい迫力だったわね…》
《エヘヘヘヘ…。手に入れたぞ! バンザーイ、バンザーイ! 後で新しいの買って返せば、このハンカチば私のもの!! ふふふふふふふふふふふ…》
「恵美?」
「いーや、何でもないよ、何でもね、エヘヘヘヘ…」
「本当に大丈夫なの?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ! ほら、そろそろキルケちゃんがやって来るころだよ。見てて」
私がそう言った、正にちょうどその時にキルケちゃんは過去の私の前に現れた。いきなりである。
どっかの道を歩いてきたんだと思ってたけど…。ワープとかだったのかも知れない。
「不気味ね…」
「っえ?」
驚いて隣を見ると本当に愛理は怯えている様だった。私は全然そんな風に思わなかったけどな…?
でも、怯えてる愛理もなかなか…じゅるり。
「っあ、恵美がつれてかれる」
うーん。私が背負ってるから、つれてかれるというよりかは私がキルケちゃんをさらってるみたいなんだけどね。
どーも愛理はキルケちゃんに悪いイメージがあるみたいだ。
「恵美。もう少し奥に隠れましょ」
「へ? どうして? 今キルケちゃんに会いに行けばいいじゃん?」
「自分に会ったらどっちも消えるわよ。常識ね。ドッペルゲンガ―に会ったら死ぬって云うし」
「それはSFの常識だと思う」
「いいから私の云う通りにして!」
「っひ、そうっすね。そうしましょおー」
愛理の促すがまま、私は更に奥に隠れた。
「ねえねえ、恵美。あれ何、あれ。街灯が歩いてるんだけど」
「ああ、バトラーさん。何かよくわからないけどキルケちゃんの執事をしてるみたい」
「さしづめ魔女の使い魔ってとこかしら…。
ねえ、あれ…喋るの?」
「しゃべるよ。
すっごい馬鹿丁寧な口調で」
「へえ、喋るのね、へえ…」
なんか愛理、興奮してる?
目もキラキラ輝いてる。
「どうやって動いてるのかしらね…ねえ、恵美はどう思う?」
「え? 想像も出来ないけど」
「私にも分からない…どうなってるのかしらねぇ…」
愛理はうっとりして薄ら笑みを浮かべていた。
少し眺めていると、キルケちゃんが噴水の中心に座り込んだ。バトラーさんも追い付いてきて、何かが始まろうとしている。
ということはつまり…
バリバリッ!
またあの耳をつんざくような音がして青白い閃光がキルケちゃん達を襲った。愛理も、目を大きくしてじっと見ている。
「っねぇ!? あれは何なの?」
「知らないよっ、あれは知らないっ」
すると、ちょうど真上の方から、おおおおおおお!、と人間の叫びとは思えない声が聞こえた。
「恵美っあれ」
「だから知らないてばっ!」
「今度こそ消しとべええええええええ!!!!」
空中で雷を放つその男は髪の赤い、鬼のような顔付きをしていた。日本人ではなさそうだか、何処か浮世離れした、お伽噺にしか出てこなさそうなそんな男の顔に私は見覚えがあった。
「あれ? あの人どっかで、」
思い出しそうになった、その時、緑色の髪をした男が私達の前にすっと下りてきた。愛理が警戒して、私を後ろに押しやる。
「とと、こんなところで何をしてるのかな、仔猫ちゃん?」
マルコフは日本語で問い掛けた。
「貴女は誰よっ、名乗りなさいっ!」
「ボクはマルコフ。君達は?」
「わたし…」
「ダメよっ、名前を教えちゃっ! こんなどこの馬とも知れない奴に」
「はは、それはいい心がけ。君らみたいな可愛い子が夜出歩くのは危険だよ。男は狼だからね」
「…自分がそうだって言いたいの?」
「…くっさー」
「自分で言ってて恥ずかしくないのかしら」
「愛理、ダメだよ。ほんとの事でも言っていい事といけない事があるよ、確かにあの人はちょっとイタイ人かもしんないけどさ」
「初対面の子にここまで言われたの始めてかも…
――――――って何だ!?」
私は後ろで空気が爆ぜる音がして、雷の嵐から何かが飛び出してくるのが見えた。マルコフも驚いて振り向く。
その何かは勢いそのままに赤髪の男に突っ込んで赤髪を地面に叩き付けた。
バゴォ、と地面がえぐれる音と共に砂ぼこりが舞う。
少し間があって、砂が晴れた時に現れたのは…
「お嬢様に手は出させん」
黒のダークスーツに身を包んだ執事がそこにはいた。
よく見ると赤髪も立ち上がって向かい合っている。
「誰だ、てめえ」
赤髪が睨み付けながら言う。
「私か? お嬢様の執事だ」
「質問の答えになってねえな、てめえはなにもんだって聞いてる」
「あの、もしかしてっ! バトラーさんですか!?」
私はいつの間にか立ち上がって叫んでいた。ダークスーツと赤髪、どちらもが此方を向いた。
訝しむように目を細くして睨んでくる。
《っひ、もしかして違った…? でも、あの時飛び出したのは確かにバトラーさんだったもん。きっとあの人がバトラーさんのはず!!》
「あ、あの、私、恵美です。ほ、ほら今、さっきキルケちゃんをおぶってた…、そそれで私、キルケちゃんの魔法で過去にやってきたんですね、だだだだからここにいるんです…ってちがくて、っあ、でもちがくはなくて、も、もう何て言ったらいいか、分かんないですけど…」
「…………」
「……ふん、話は後だ。先にこの邪魔な魔術師どもを地獄に送ってやる…」
「やれるもんならやってみろ…」
「執事の嗜み、その壱、体術。魔女式武闘術“黒々”。」
目もくらむようなスピードで衝突すると、辺りに衝撃波が飛んできた。マルコフが地面から壁を造り出して展開してくれなかったら死んでたかもしれないレベルだった。
「っきゃ!」
「ギリギリセーフ…。全くもう。手加減ひとつ出来ないんだから」
腕をぶつけ合うトールとバトラー。見た目にはトールの方が筋肉隆々で強そうだったけれどもバトラーも拮抗する力でトールを圧していた。
辺りに火花がちり、地面が抉れてくる。何回かも数えきれない衝突は公園の全てのものを破壊していく。ぶつかるたびに衝撃が走って空気が啼いた。
「らちがあかねえっ!」
トールが雷を掌に集めて掌打する。軌道上の空気が静電気で青白く光る。バトラーを目標にして矢で射抜くように突く。
掌はイカヅチを持ってバトラーの胸に向かっていた。
だが、その腕はバトラーに難なく掴まれた。胸の直前で掌が止まる。トールは一瞬引き抜くか迷ったが、そのまま前に押し出した。脚で踏み込みをかけて押す。が、動かない。
「人間が魔女に力で対抗しようというのか?
救えんな…」
バトラーは冷たい目線でトールを見下す。そして片手でトールを上に放った。そして、呪文を唱え始めた。空中でトールは姿勢を持ち直そうとする。けれど、それは間に合わなかった。
「執事の嗜み、その弐、魔法。黒い雨の降る晩に」
バトラーの指先から黒い光線が発射される。それは金属音を鳴り響かせながらトールの背にぶつかる。その瞬間、トールの体から黒い血が噴き出した。黒い血の雨がバトラーの視界を埋めた。
「…っぐが…!」
トールはなすすべもなく空中で吐血する。血が花ように咲き乱れた。
バトラーがそれを眺めながら感慨もなく無表情で言う。
「私の魔法は攻撃が当たった対象を汚染する。即効性の毒物のようなものだ。一般人の致死量のおよそ百倍程度の濃度。
そして、その毒は瞬時に敵の体を蝕み、黒い漆黒の雨を降らせる。
終わりだ」
力なくトールは地面に落ちた。い血が辺りに広がって、周りを黒く変えていく。
「罪使いなどと呼ばれいい気になっているからこうなる。
報いだ」
バトラーが止めに魔法を放とうとしたときだった。バトラーの目を雷が掠めた。体をのけ反らせてどうにか避ける。もう一度ちらりとトールの方をみやると其処には何もなかった。
「―――いいことを教えてやる。
俺らが罪使いと呼ばれる理由だ」
トールの声にまだ敵が動ける事を知ると、バトラーは身構え、戦闘態勢をとった。空気が重く、冷たい。頭の天辺から爪先まで何処にも油断のない構えだった。
「罪使いの“罪”は人の領分を越えた事の罪ではなく、禁忌を犯した事の罪。」
宵に紛れ姿をくらます。バトラーでさえ、気配を追う事が出来なかった。風の擦れる音。呼吸音。ジリジリと足下を動かず、バトラーは待った。
「くるがいい」
「言われなくてもっ!」
突然トールが現れる。右の拳をバトラーの脇腹に突き刺した。ぐりっと耳障りの不快な音がして、バトラーがう、と唸る。トールの姿は頭から角を生やし、牙を持ち、赤い髪を流す、赤き鬼の様であった。
バトラーは顔を歪ませたが、すぐに持ち直してトールを横へ吹き飛ばす。5、6メーター飛ばされたが
持ち直してもう一度バトラーと衝突した。
「なるほどな…その醜い姿も禁忌を犯したが故か。なんと汚らわしい力だ」
「黙れェ!!」
さっき力で劣った筈のトールがバトラーを弾き飛ばす。そして、それを追うように加速して、充電した雷の拳でバトラーを殴り飛ばした。さしものバトラーも受身を取れずに地面に叩き付けられる。
「ね、ねえ、恵美?」
愛理が話しかけてきた。戦闘に目をとられていた私だったが、答えた。
「な、なに?」
「私、おかしいのかな?」
「え?」
「…さっきからずっと聞こえてるの。私を呼んでるの、誰かが。
助けて、助けてって…。
…恵美には聞こえないの?」
私には全く聞こえていなかった。というかさっきの戦闘中にそんな音が聞こえるはずがないのに…。
私は首を横にふる。
「やだ。誰? 誰よっ!
やめてっ! もうやめてっ!」
「愛理? どうしたの、落ち着いて」
「もう聞きたくないの…、許して…」
愛理は力なくうなだれた。耳をふさいでへなへなと座り込む。恐怖に怯えてるみたいだった。
「ねえ、どうしたの。
言ってくれなきゃ分かんないよ」
愛理の肩をゆすっても返答がない。明らかに様子がおかしかった。
「ねえったら、ねえ!」
「………………………行かなきゃ。」
愛理は突然立ち上がってふらふらと歩き出した。マルコフの防御網を越えて、正に戦場とかした場所へ。
「危ないって!! 戻って、愛理っ!!」
「ちょっと、なにしてんの!?」
マルコフが焦って愛理の肩に手を置くが、その手は弾かれた。
バチッ! 火花が散ってマルコフは手を戻す。激痛が走ったからだ。左手が焦げている。指が動かなかった。
「っ…! 何だ。
魔力で弾かれた…?
あの子、一体…?」
呆然として愛理の背中を見つめるマルコフ。私は、役立たず、と心のうちで毒づいて愛理を追い掛けた。
「待って、危ないよ愛理っ!」
戦闘は硬直していた。バトラーが起き上がってこなかったからであるす砂煙があがっていた。
トールは追撃を重ねようともせず、警戒していた。
「なるほどな」
バトラーが寝たまま話す。
「その力、確かに大したものだ。
お嬢様が人間の領分を越えた存在といったのも頷ける。しかし、な」
ふんとトールが鼻を鳴らす。バトラーは起き上がりながら言った。
「それで我々魔女と対等と思うなよ。
我々魔女は貴様ら人間の人智を越えた存在。
これからは只の虐殺になる。一瞬たりとも油断するな。油断はすなわち死を意味する」
「いいねえ。是非そうしてもらいたい」
「ほざけ。執事の嗜み、其の参……」
「こいよォ!!」
邪悪なエネルギーがバトラーに収縮されていく。公園内の木々は枯れ、風も悲痛な叫びをあげた。
バトラーの体が筋肉で膨れ上がり、2倍3倍もの大きさに変わってゆく。目は白眼をむき、口元からは大量の唾液が分泌されて、だらだらと垂れていた。
エネルギーの塊と表現するのが相応しいだろうか。下手に刺激すればここら一帯は消滅するかもしれない。
バトラーの体は変貌していく。爪はのび、身体中から毛が生えてくる。肌の色も緑色へと。
力の総量によってなるほど、空気が重く、つんざくような悲鳴をあげていた。
トールは身構える。いつでも攻撃を向かい打てるように。冷静な判断をするならば、今、バトラーの変化が終わる前に攻撃を仕掛けるべきだろう。
だが、彼はそれを選ばない。
それはトールの信条に反するからだ。彼は全力で向かってきた相手を叩きのめしたい。というか、魔女に徹底的な敗北感、屈辱を味わあせなくてはならないと考えている。
よって、トールはバトラーが準備を終えるのを待っていた。
益々力が増してか体は膨れ上がり、人形をとっていなかった。
くるか…。
トールの角にイカヅチを溜める。バリバリと発電する音が鳴った。
魔物の相貌とかしたバトラー。
そして、
「っあ」
バトラーの体が眩い光を放った。ピカッと光ってすぐに消える。
そこに残っていたのは只の街灯だった。
「…………………っは?」
「しまったぁああああああ!! お嬢様、申し訳ありませんっっっ!
時間をかけすぎてしまいましたぁああああああ!!」
バトラーの姿は街灯である。そもそも彼の本来の体はさっきの執事姿であるのだが、とある事情で彼は数分の間しか本来の姿を保てない。
よって、変身に時間をかけすぎてしまったバトラーは何の力もない雑魚になってしまった訳である。
これこそが以前、キルケが心配していた事であった。
「なんということだぁああああああ!!」
しかも、彼の性格も大きな変化をしている。まあ、なんというか情けないと言えばいいのか、ユーモアのあると言えば良いのか大分重みのないキャラクター性に変わってしまっている。
トールもいきなりの敵の変貌に戸惑い、そして拍子抜け、といった感情に支配された。
「っち、つまんねえ終わり方になっちまうな…」
それでも、敵は滅ぼさねばならない。相手がどんなに弱かろうと手加減は許されない。
魔女を滅ぼす事がバベルの唯一無二の存在理念なのだから。
バトラー、今は只の街灯か、それに向かってバトラーは突進する。といっても一歩で間合いをつめた。
拳を振りかぶる。あとは拳を鉄の塊にぶつけるだけだった。
「トールっ!! あの子達を止めてくれっ!!」
その一瞬、トールはマルコフの言葉に気をとられ集中力を欠いていた。だからこそ、バトラーは彼の拳を避け、愛理と恵美の所へ飛ぶ事ができたのである。
愛理と恵美の前に現れたバトラーは彼女らを引っ掻けてつまんだ。
あまりに突然の事であった。
「しまった!!」
「ハハハ、馬鹿め。油断したな。いくら私が弱くなったといってもそれは魔女レベルの話。只の人間を捕らえて人質にする事なんて簡単な話さ」
マルコフがトールの元へ走ってくる。やって来たマルコフにトールは毒づいた。
「てめぇ、何してやがる! 一般人一人まともに保護できねえのか!!」
「っ違うんだ! あの子達、変なんだよ。いきなり戦場に飛び出してきて!」
マルコフはさっきの事を思い出しながら言った。
「それに、ほら。さっき、あの髪の長い子の肩をさわったら、弾かれたんだ」
トールはマルコフの焦げて震えている指を見た。
「こいつは…呪いによる火傷…か?」
「多分ね。回復魔法をいくらやっても治りゃしない」
「 それじゃ…あいつらは只の人間じゃないってことか…?」
捕まった恵美は体をじたばたさせて抵抗していた。愛理はまるで無抵抗でだらんと体の力をぬいていたが。
「…して下さいっ、放してったら!」
「人間ごときが魔女に抵抗するんじゃない。無駄さ」
「私です、恵美です、恵美! 覚えてませんか?」
「はあ? 恵美…?」
バトラーは体をくねらせて私の顔をじっと見た。いや、目も鼻も口も存在しないので見ているとは限らないのだろうが、実に人間じみた動きで私はそう思った。
お願い。思い出して。
「む…………っあ!」
暫く考え込んで、バトラーは言った。
「確かに貴方はお嬢様の恩人の恵美様! しかし、貴方は彼方へいったはずでは?」
私は事情をかいつまんで話した。バトラーは黙って話を聞いていた。
「…なるほど。つまり、この人間は」
バトラーが愛理を物の様に持ち上げて言ったので、私はむっとした。
「愛理さんっていうの」
「失礼、愛理様は、お嬢様のお呼びした方、というわけですか。
ふむ、道理で…」
バトラーは一人で納得してしまった。私にも説明してほしかったが、バトラーはすぐに愛理を地面に下ろして言った。
「それでは、行きなさい」
バトラーが諭すように言うと、愛理は感情のない顔で頷いて歩き始めてしまった。
私はバトラーに聞く。
「何で? 愛理はどうしたの?」
「愛理様をお嬢様がお呼びなのです」
「どうして?」
「あれ? 貴方はそれを知っているとばかり…」
私はその時、何か悪い予感がした。常に何処かで感じていた感情だった。
違和感。恐怖感。
なんと名付ければ良いのか分からなかったから、私はずっと無視してきた。
よくよく考えれば、気付けて当然の事。
無視しては絶対に駄目だった事。目を背けられる筈もない現実。
私が知り得た情報と、彼処の状況をかんがえみれば分かるだろ、私。
何、シカトしてんだよ。
阿呆が。
それとも、あんたは彼女を…。
震える言葉を抑えて私は言った。
「知らないよ、私」
「愛理様はお嬢様の復活の為に、死んでいただきます」
あんたは…私は…愛理を殺すつもりだったのか?