宗田絵里
「しまっ…、もう三時じゃないっ」
あまりに読み込み過ぎて気づかなかった。いつのまにか三時間もすぎてしまっていたとは…。いやはや人の集中力ってあなどれない。
って、感心してる場合じゃなかった。早くしないと、宗田さんが帰ってしまう。私の肩には、キルケちゃんの命が乗っかっているんだ。しっかりしないと。
また、こそっと部室から抜け出すと、校門へ向かった。ここで待ってれば、いつかやってくるもんね。門の陰に隠れながら私は玄関から宗田さんが出てくるのを待ち受けた。
「あ、出てきた…」
怒髪天を衝く、という感じだ。怒っているなー。私が怒らせてしまったんだけど…。
けれど、怒った彼女も綺麗だった。艶やかな白い肌が、ほんのり赤く染まって紅葉のよう。歩く姿も、素晴らしいプロポーションのおかげで、まるでファッションショーで花道を歩くモデルさんみたいだった。メリハリのある体。私は自分の容姿と比べて、大きなため息をついた。
ホント、宗田さんは完ぺきだ!
気づいたら、すぐ近くまで彼女がやってきていたので、すっと隠れる。今、見つかってしまったら、瞬間移動でもしたんじゃないかと思われてしまう。
すたすた、とか隠れている私の方向を見向きもせず、宗田さんは校門を通りすぎっていった。彼女の横顔に私は見とれてしまう。綺麗すぎると、言葉が見つからないものだなー。すーっと通った鼻筋、ぷくっと膨らんだ唇、後ろ髪からは、花の香りがにおい立つ様だった。
っあ、しまった! 見失ってしまうっ!
あまりに見とれすぎて、遠ざかる彼女の後ろ姿を見送るところだった。
慌てて、声を出そうとする。でも、よくよく考えれば、私から宗田さんに話し掛けた事はない。いきなり話しかけたら…。それに私に対して、怒ってるんだし…。だけど…。
謝りたいし、キルケちゃんを助ける為だもの。話し掛けないと。
決心は固まった。それでも、肝心な時に鈍足な私の喉はいつまでたっても声を出さなかった。何で、どうして? 考えてる間にも宗田さんは早足で帰っていく。心は焦るが、体は全く動かなかった。
った、った、った…。
宗田さんの姿が曲がり角で消えていく。
私は動けなかった。
そして、彼女の後ろ姿が完全に消えてしまう所で漸く私は宗田さんを追いかけるために駆け出した。私の出せるフルスピードで追いかける。彼女が曲がった角に差し掛かった所で私は愕然とした。
もう宗田さんの姿がない。
すぐに曲がったのか? いや、もしかしたら私に気付いて急いで帰ってしまったのかもしれない。
ただ、分かったのは、私が任務に失敗したこと。
今から、探せば見つかるかもしれない、そう思い当たって走り出そうとした時だった。
「貴方、どういうつもりなの?」
振り返ると、現れたのは、宗田愛理さんだった。
頭が一瞬真っ白になった。
「…つけてきたの? 掃除はどうしたのよ」
彼女の言葉に宗田さんが私が二人いることを悟られた訳じゃないと分かって、私はほっとした。ゆっくり深呼吸して宗田さんに向き合う。
「…あの、宗田さんに謝りたくて」
「謝るのは不要よ。さっきは私も悪かったのだから。貴方に酷い事をいってしまった。
申し訳ないと思っているわ、寧ろ、私が謝りたいほどにね」
私の心はポカッと暖かくなった。こういう宗田さんだから、大好きなんだ。憧れるんだ、彼女みたいになりたいって。
「それで、話は終わり? 私、帰りを急ぐから。
失礼するわ」
「っえ! っあ! ちょっと!」
言いたいことは言ったとばかりに宗田さんは私の横を通りすぎていく。余りの切り返しの早さに、私は対応できなかった。
だめだ! このままじゃ帰らしてしまう! 何か言わないと!! 話を聞いてもらえるような何かを。
その時、浮かんだのは、キルケちゃんが教えてくれた宗田さんのある一つの事実だった。でも、どうしてキルケちゃんが宗田さんのそんな秘密を知っているのかは、全然分からなかったし、教えてもくれなかった。つまり、本当の事である証拠はない。
けれども、今はこれにすがるしかなかった。
「宗田さんっ! ちょっと待って…。
あの、そ………宗田さんが私と同じ趣味持ってるって知ってるから!!!」
宗田さんの脚がピタッと止まったのに私は気付かないで続けた。
「わ、私と、お、おんなじです、好きなんですよね、ファンタジーとか…。本もいっぱい持ってて、なにか不思議な事がないかって寄り道なんかもいつもしちゃって、も、妄想なんかも膨らんじゃって…。いつでも、空見上げては、空想に想いをはせて。じ、実は、文芸部の入部届けを出そうとしてたんですよね。
でも、先生が、運動部を薦めるから、仕方なく陸上部に、入ったんですよね?」
「だけど、本当はファンタジー大好きなんですよね!?」
反応はなかった。
いきなり、ペチャクチャと喋りすぎた? それとも…。
「ち、ちがい、ました…か?」
震える声を押し殺して、最大級の勇気を持って私は聞いた。
そして、次の瞬間、私は何か大きいモノにタックルを食らっていた。地面に倒れこむ。
いたっ! なに、何が起こったの?
「………いっつー…」
起き上がろうとして、何かが上に乗っているのに気付いた。うっすら、目を開けてみると、そこにあったのは…
真っ赤に染まった宗田さんの顔だった。
「!!」
驚いて、私はまた頭が真っ白になる。
っえ? どういうこと? なして宗田さんが私の上に馬乗りになってるの?
しかも、顔真っ赤だし。いい匂いするし。こんなに家族以外の誰かと密着した事ないよ~。
「そ、そそそ宗田さん?」
「…………もォォォォォォォ! バカァ!
何大きい声ではずかしいこと言ってんのよ! 誰か聞いてるかもしれないでしょ!
バカッ、バカッ、バカッ、バカァッ!!」
手を丸くして私の胸をバンバンと叩く宗田さん。顔は真っ赤で、よっぽどさっきより真剣に怒っているみたいで…。それでも、私の心を占めていたのは、不謹慎な思いだった。
宗田さん…、すっごく可愛い…。
いつもの澄ました様な顔はどこにもなくて、感情を暴露する宗田さんは、とっても可愛かった。いつだって、無表情に教室で過ごしている彼女だけど…。
こんな可愛い顔もするんだ!
私しか知らない宗田さんの一面を知れた気がして私は、怒られているのに、すごく嬉しかった。
「…なに、笑ってるの。私の事、バカにしてるの?」
「っち、ちが! そうじゃなくて、なんか…可愛いなあって」
「それがバカにしてるって言ってるのよッ!」
「そ、そうじゃないよ…? バカになんてする訳ないよ。だって、私もファンタジーが大好きで! 初めて同じ趣味の人にあえて嬉しくて! それに宗田さんのそんな顔、初めて見てびっくりしたけどね、…嬉しかったの」
宗田さんは腕を振り上げて頭の上で止めると、俯いた顔をまた真っ赤にした。そして、小さな声でまた、バカ、と一言言うと私の上からどいた。そして、ため息をつく。
「はー。なんか貴方に何を言っても無駄みたい。殴られて嬉しいなんて…。
―――いつまで道路に寝そべってるつもり? はい、手を貸してあげるから」
白くて、滑らかな宗田さんの手が差し出される。私は、その手に見とれてしまった。
「…なに? じろじろ見て。気持ちが悪いわね」
手を引っ込められてしまう。そんな、それは酷いよ!
「…ふふ、冗談よ。さ、どうぞ」
「…うん!」
私の手を宗田さんは掴んで、引き上げてくれた。
「…なるほどね。それで、私が必要だって?」
「そうなんです。キルケちゃんが助かるためには宗田さんが必要だって」
「宗田さんはやめてよ。絵里、でいいわ」
「そんな! 私には、恐れ多くてとても言えませんよ」
「恐れ多いって。友達でしょ、私達。しかも、同じ趣味を持ってる、ね」
「!!」
「だから、恵美には、絵里、って呼んでもらいたいわ」
今、宗田さんが私のこと、恵美って呼んだ! なんかすっごく恥ずかしいけど嬉しいな。こんな私のことを友達って呼んでくれて、尚且つ御願いまでしてくれるなんて…! 夢みたいだ。
だから、本当に恐れ多いけど、
「………え、絵里……さん」
「さん、はだめ」
「そ、そんなぁ!
………………………………………………………絵里…」
「はい、よろしい。ふふ、宜しくね、恵美!」
「ふぁ、ふぁい…」
余りの恥ずかしさと嬉しさで舌がもつれた。
「それで? 私はその魔女さんのとこに行けばいいのかしら?」
「っえ? 来てくれるの?」
「行かなきゃダメなんでしょ? その子を助けるには。だったらしょうがないじゃない。行くしかないでしょ」
「でも…」
「何よ、でもって」
私は言葉を濁した。自分からこんな事を言っておいて何だけど、結構危険があると思うのだ。
何せ相手は私達の常識なんて通用しない世界の住人たち。しかも、あの時、誰かが襲ってきた事や、バトラーさんが戦いにいった事を考えると、きっと公園は戦場になってしまっただろう。
そこに、何の能力もない私達が行って無事である保証は何処にもないのである。
それに、私は初めての友達を危険に晒したくなかった。
「危ない…と思う」
「そうね。危ないわ。その襲ってきたって言う人達もだけど、キルケ?とかいった魔女達だって貴方に何故、私が必要か全く言及しなかった。それは明らかに情報不足よ、一番大事な所をぼかした、と言ってもいい」
「!!」
確かに私は考えていなかったけど、それっておかしい。私は何となく宗田さんが必要って言われて納得してしまっていたけれど…。
どうして何も考えなかったんだ! 私!
「私達を勝手に巻き込んで、しかも危険に晒してるの、その魔女はね。信用しすぎるのはとても危ない。
行かないのが正解かもしれないわ。けれどね、それでは恵美の身が危ないと思う。恵美は今、彼女の魔法みたいなもので過去に来てるんでしょ?
だから、魔女を放っておいたりしたら、彼女が恵美をどうこうする可能性は非常に高いし、きっとするでしょう。
それに、もっと怖いのは魔女がそのまま死んじゃったとして、まあ魔女に死という概念があるのかどうかしらないけど、死んだとして恵美はどうなるのかしら?」
「どうなるって…?」
「多分、恵美はその空間から出れなくなるでしょうね。もしくは消えてしまうかもしれないわ。
…どっちにしても、放っておけない」
「…ごめんなさい。私の考え足らずが原因で迷惑かけてしまって」
いつも私はこうだ。考えが足りていなくて、どんくさくて、誰かに助けてもらわないと何にも出来ない。
「…ふふ、でもね。私は魔女に感謝もしてるのよ?」
「っえ?」
「だって恵美と知り合えた。多分だけど、こんなことにならなかったら、私達友達になってなかったと思うのよ。
私って面倒な人間だし。恵美も控え目に言ったって誰かに自分から話し掛ける性格はしてないでしょ?
だけど、今、私達は友達になれた。それは気に食わないけど、魔女のお手柄なのよね。
だから、その点は魔女に感謝ってところ」
「そ、そんな! もったいない言葉だよぉ…」
多分、今の私、すごく間抜けな顔になってる。もうニヤニヤが止まらないもん。
「…でも、やっぱりスゴいね、絵里!
話を聞いただけでそんな所までわかっちゃうなんて! 私なんて当の本人なのに自分の状況、全然わかってなかった」
「当然よ。
だって、私、いつもそんなことばっかり考えてたもの」
「……あ、なーるほど」
「これで分かったでしょ? 私も恵美に負けないくらいメルヘン女なの」
「…私ぐらいメルヘンな子がいるなんて…」
「私だって思ってなかったもの。私と同じくらい、空想好きな子がいるなんて。
だから、大切にしたいのよ、恵美をね」
「うん、ありがとう! 絵里!」
私達はこの時、本当の友達になれたんだと思う。
一瞬一瞬が夢みたいだった。
だけど、やっぱりもっと深く考えるべきだったと気付くのは後の事であった。
絵里さん、登場です。
かなりの美少女ぶりですが…メルヘンですね、残念ながら